還れないとか還らないとか。
もうそんなことを考えること自体、とっくの昔に忘れてた。
だってあんまり長くここに居過ぎて。
この非日常で非常識だらけの世界が、の日常で常識の一部に組み込まれてしまって、
一体どのくらいの時間帯が巡っただろう。
そんなことを考えるのすらもう馬鹿馬鹿しい位だ。
ここに来たばかりの最初の頃は『バーチャル』としてハートの国に居る事を楽しんで、
いつかどうせ帰れるんだから楽しくやれればいいやとは思ってた。
でも今はそんなことが頭を掠める事もなくなって、
そんな自分に不自然さを感じなかった事がおかしいとは思うけど、
はもう、この世界をほぼ現実として受け入れてしまってたんだと思う。
それなのに。
どうして。
何で。
今になって、
全くちっとも分からない。
「・・・・・・・・・・・・な、んで、こんなとこに・・・これが・・・!?」
何気なく手を突っ込んだジャケットのポケット。
カサリと触れた薄っぺらな紙の感触。
不思議に思って取り出した瞬間。
は硬直してしまった。
それは、鮮やかな赤一色のチケット。
忘れもしない、忘れる訳もない、見覚えのある、
がこの世界に来るきっかけになった、
正直このチケットの事は、長い間ずっと記憶の隅っこに位にしかなかった。
忘れてた訳じゃ勿論ないけど、
アリスの小瓶みたいに分かり易く自分の世界に帰るリミットを知らせてくれる物でもないし、
最初の内はそりゃ気になっちゃ居たけどちょくちょく取り出して眺めるようなことも余りなかった。
それでもどこにしまってたかはちゃんと覚えてる。
が使ってるこの部屋の、ベッドの傍にある引き出しの一番下。
失くしてしまわないように大事にしまってた、筈だ。
そうだ、断じて、こんなジャケットのポケットに入れっぱなしなんかにはしてない。
と言うか、このジャケットはこっちに来て買ったもので、しかもつい一時間帯前に着替えたばかりで。
だからこのポケットに例のチケットが収まってるなんて明らかに不自然過ぎる。
チケットに触れてるの指先は、知らず知らず、小刻みに震えていた。
チケットに大穴があきそうな位に長い間それを見つめた後、は不意に、気付いてしまった。
以前、が目にした時はチケットにはこうあった。
『ハートの国へのご招待チケット』と。
そして今。
その文字は綺麗サッパリ消えてしまい、代わりに『昼・2』と言う文字だけが記されてる。
たったそれだけしか書いてなくて、何の説明もない。
これだけじゃ全く意味が分からない。
(この際何で書いてある文字が違うんだとか言う常識的なツッコミはしない)
は眉間に深くしわを寄せつつ、その文字を更にジッと凝視する。
すると、不意に、聞き覚えのある
―――どくん どくん どくん どくん
カチ コチ カチ コチ カチ コチ
「・・・っ!!??」
―――どくん どくん どくん どくん
カチ コチ カチ コチ カチ コチ
どくん どくん どくん どくん
カチ コチ カチ コチ カチ コチ
心音と時計の指針音。
その両方が入り混じった、あの、音。
赤いハート型のシールから聴こえた筈のあの音が、今度はチケットから聞こえてる。
まるでの耳に、頭の中に、直接響くように。
それからどの位そうしていたのか分からない。
殆ど茫然状態で手にあるチケットに視線を落として立ち尽くしていたは、
不意に窓の外に視線を向けた。
瞬間。
真っ青だった昼の空が、濃紺色の闇の色に変化した。
昼から、夜へ、時間帯が巡った。
そうだ。
実は今の今まで昼の時間帯で、は本当は少し外出しようと思っていたところだった。
それなのに
こんな物。
この、真赤なチケット。
「・・・・・・、・・・・・?・・・・・・・っ!!??」
再度、手元のチケットに視線を落としたは、そこで大げさにビクリと体を震わせていた。
何故ならほんの数秒前、チケットに記してあった筈の数字が、
いつの間にかさっきとは違うものに変わってたから。
そうだ、ついさっきまでは確かに『昼・2』と書いてあった筈。
なのに今、の手にあるチケットには『昼・1』と書いてある。
―――――――ちょっと、待て、待ってよ・・・・・・・、まさかこれって・・・・・・・!!??
その時。
は、理解してしまった。
この数字の、意味。
カウントダウン。
そうだ、この数字は、が
しかも10とか5とかならまだ落ち着いて色々考える事でも出来るだろうに、よりによって2から。
いや、もしかしたらが気付くよりずっと前から
それにしたってこれはない。
こんな唐突な、カウントダウン。
こんな唐突に、タイムリミットを突きつけるなんて。
ないないないない。
あり得ないって・・・・・・・!!!!!!!!!
否定しながら、同時には分かってた。
この考えが、間違いじゃない事。
そう。
これは間違いなく、カウントダウンだ。
ドクドクドクドク。
自分の鼓動の音が煩く耳を突く。
今更。
今になって、こんな。
もっと前、もっとずっと前なら、ももっと平気だったのに。
こんなに動揺せずにいられたのに。
アリスよりずっと特殊で異質な。
ここは二次元。
そしてバーチャル。
還れないはずがない。
大好きなハートの国。
楽しめるだけ楽しんで、後はスッキリさようなら。
本気で、そう、思ってた、あの頃なら。
なのに、何で今――――――――――――――――――
コンコン
「っ!!??」
「・・・、私だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・、ぶ、ブラッド・・・!?」
の部屋のドアの向こう。
唐突に声を掛けられて、チケットを持ってたの手が驚き過ぎて大きくわななく。
は慌ててチケットをジャケットのポケットに突っ込んだ。
カチャリ
それと殆ど同時にドアが開いて、ブラッドがゆっくり姿を見せる。
「何!?」
「つい先刻夜になったのは君も気付いているだろう?久しぶりに、夜のお茶会を開こうと思ってね」
「・・・・・・・・・・あ、そっか。うん、分かった」
「何かあったのかな?お嬢さん。余り元気がない様に見えるが」
ブラッドのその鋭い一言に、内心どきりとした。
だけどここで分かり易く動揺する訳にはいかない。
相手はあのブラッドだ。
チケットの事を知られたりしたら、恐ろしいことになること間違いなしに決まってる。
は咄嗟に曖昧な笑顔を浮かべて答えた。
「えっ!?や・・・そんなことは・・・」
「そうか?私の気のせいならばいいんだが・・・。
今夜も君の為に最高の茶葉と茶菓子を用意しているんだ、楽しみにしていてくれ」
「うん、ありがと、ブラッド。すぐ行く」
「ああ、待っているぞ」
ブラッドはいつもと同じ気怠そうな口調でそう言って、少しだけに微笑んだ。
それから彼は静かに部屋を出て行く。
ブラッドの足音がの部屋から遠ざかって行くのを聞きながら、はほっと肩の力を抜いた。
いつのまにかジャケットのポケットの中にあるチケットに手が行っていて、
それを握りしめてしまってる。
は慌てて真赤なチケットのしわを伸ばし、また元通りジャケットのポケットにしまった。
昼の時間帯が後もう一時間帯来れば、その時がのXデイ。
何が起こるかどうやって還るのか、そんなことは全くちっともには想像も出来ない。
しかも、この世界の時間があんまりにもいい加減過ぎて、いつその時間帯が来るのかも分からない。
今すぐかもしれないし、夕方や夜がずっと続いてもっとずっと先の事かもしれない。
でも昼の時間帯が巡ってしまえば
そうだ、それだけは確かだと、には何故か分かってしまっていた。
昼の時間帯が後たった一度、巡ってしまえば。
さっきも言ったけど、これがまだ10や5とかの数字ならもっと冷静に色々と考えられたかもしれない。
だけどいきなり2だった上に、あっという間に1に変わってしまった。
つーか・・・普通に考えたらお茶会に出てる暇なんかないんじゃないの・・・?
そう思いながらも、はもうブラッドに参加するって返事をしてるし、そうじゃなくても出るつもりだった。
これで、彼らとのお茶会も最後になるかもしれない。
あんまりにも唐突過ぎるチケットのカウントダウン。
あんまりにも突然に突きつけられたタイムリミット。
正直、全然、全くちっとも、これっぽっちも実感がない。
だけど――――――――――――――
「とにかく・・・お茶会に行こう・・・」
無意識に独り言を呟いて、は部屋を出る事にした。
そして部屋から廊下に出る前に、足を止めて室内を振り返る。
もしかしたら、このまま、ここには戻らないかもしれない。
戻れないかもしれない。
そんな考えが一瞬の脳裏を過った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
妙な感傷気分に引っ張られそうになる気持ちを無理やり遮断して、は部屋のドアをゆっくり閉めた。
ジャケットのポケットにはあの真赤なチケット。
例の不思議な音は今は聞こえてこない。
廊下に出てすぐに、窓の外に目を向ける。
空には幾つもの星と、それからいつもと同じように綺麗な満月。
はホッとした気持ちで足早にブラッド達(多分エリオットも居る筈だ)の待つお茶会の会場に向かった。
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