その時間帯も、次の時間帯も、そのまた次の時間帯も。
ずっときっと変わらない。
はいつもの窓辺に立って、外をぼんやり眺めて、
それから気が済んだらいつものようにこの敷地内の好きな場所に出かける。
勿論一人でだ。
それがの日常。
ハートを無くしてしまってからのの過ごし方。
当たり前の日々。
だからその時間帯もやっぱりそうだと思ってた。
ううん。
思ってたと言うより、そうじゃなきゃおかしくて。
寧ろそんなこと考えること自体おかしくて。
とにかくその時間帯、はやっぱり、いつものようにいつもの窓辺でぼんやり遊園地内を眺めていた。
まさか彼がを見つけてくれるなんて、そんなこと、夢にも思わずに。
彼が室内に入ってきた時、人の気配はしなかった。
当然かもしれない。
だって彼は猫だから。
チェシャ猫だから。
彼がの居る部屋に入ってきたと気付いた時は、正直凄く驚いた。
ここは一見何の変哲もない、他の客室と全く同じタイプの部屋だ。
そんな場所に遊園地に居候している彼が今更興味を持つ筈もない。
にも関わらず、彼はの居るその部屋にやって来た。
は彼が来た事に気付いてからも、すぐには振り向かなかった。
だって、意味のないことだから。
彼にはが見えていない。
見える訳がないのだ。
分かっているのに落胆するのはもう嫌だった。
だからただ、は窓辺で遊園地を見下ろし続けた。
だけど、いつまで経っても彼はその場から立ち去ろうとしない。
それどころか、妙に背中に視線を感じていた。
そんなはずはないのに。
それとも、無人の筈の客室の窓が開いている事が気になるのだろうか。
「なぁ、あんた―――」
そんなことを考えていると、彼が何か言葉を口にした気がした。
まさかに話しかけているとは思わず、はやっぱり振り返らなかった。
そして少しの間彼の様子を伺っていると、何と、彼はの傍まで足を運んできた。
どくどくと、もうとっくに失ってしまった筈の心臓が、早鐘を打った気がする。
淡い期待を抱こうとして、はそれを必死に振り払う。
違う。
きっと、この窓を閉めに来ただけ。
そう、自分に言い聞かせる。
だけど、彼はと適度な距離で、ピタリと足を止めた。
はそこでゆっくりと視線を上げ、彼を見た。
ぎくり。
金色の瞳は、的確にを捕えている。
彼の目には何も映っていない筈なのに。
そうだ、その視線の先には何の対象も存在しない筈なのに。
は彼を凝視したまま身を硬くした。
あり得ない。
を見ているなんて、そんな。
「・・・うわ、マジで体が透けてるんだ。何者?客って訳でもなさそうだし、
・・・・・・・・・・・しかも役なし・・・だよな?何でそんな顔がハッキリしてんの?」
「・・・・・・・・・・・・え?・・・・・・・・何?まさか、に言ってる?」
「はぁ?他に誰か居んのかよ?俺とあんただけだろ、この室内。」
彼のその台詞に、は酷く狼狽えた。
の言葉が通じている。
の言葉が聞こえ、伝わっている。
ううん、それ以前に、が見えているのだ、彼には。
あり得ない。
こんなこと、あり得ないのに。
は慌てて自分の手足や体が実体化しているのかどうかを確認した。
実を言うと、夜の時間帯、しかもたった一時間帯の間だけなら、は自分の体を実体化させることができるのだ。
もしかして無意識の間にそれをやってしまったのかとは本気で思った。
でも勿論、そんなことはある訳がなくて。
「・・・・・・・・、、が見えてる?」
「だからさっきからそう言ってるじゃん。
で?いい加減俺の質問に答えてよ、何者なの、あんた。」
はまたしても彼を凝視した。
夢なのかと思った。
こんな体になって、長い間人と会話したことなんてもうずっとずっとないのだ。
今更白昼夢でもみているのかと。
だけど彼がを見ているという事実は変わらなくて。
どうやら、あり得ない事が、あり得ているらしい。
本当に。
は知らず、小さく深呼吸をしていた。
これから彼と会話を続ける。
の言葉は彼に届くのか。
の言葉は会話として成り立つのだろうか。
とにかく彼に返事をしなければいけない。
「は役なしじゃないし、客でもないわ。でもずっとここに住んでるの。」
「・・・・・・・・・・ねぇそれってさ、無断宿泊ってヤツなんじゃない?
しかも役なしじゃないって、まさか役付きだとか言うつもり?」
「違う、どれも不正解。」
「じゃあ何?」
チェシャ猫の少年は少しいらだった口調でそう問い返してきた。
が上手く返事を出来なかったせいかもしれない。
本当のところは、長い間相手の居る会話なんてしたことがなかったから、
どう言葉を紡いでいいのかさえ分からなかった。
それでもどうにかは彼の問いに答えることにした。
「は。元余所者。」
「・・・・・・余所者!?あんた余所者なの?」
「元ね。今は・・・・・・・・・・の手に触れてみれば分かる。」
言って、はチェシャ猫の少年に向って右手を差し出した。
彼はすぐにそれに応えての手を握ろうとしてくれた。
手が重なることはないと分かっているのに、彼のその行動だけでは思わず緊張してしまう。
案の定、彼の手はの手を通り抜けて空中を掴んだ。
「!?触れない、・・・・うっわ、やっぱ透けてるってこういうことだったのか!」
の手を通過するのが楽しいのか、彼は何度も掌を振ってその状況を確かめていた。
やっぱり重ならない掌。
当然だ、分かってたこと。
は無意識に苦笑した。
「そうよ、こういうこと。」
「あー、あんたもしかして地縛霊ってヤツ?」
「・・・・・・・・、幽霊かもしれないけど、別にここに縛られてる訳じゃないし、
この敷地内だったらどこにだって行ける。」
地縛霊。
なんてオドロオドロシイ呼ばれ方は好きじゃない。
第三者から見ればそう言われてしまっても仕方ないけど、
は別に誰かに害をなすつもりもないし、
それに頑張って力を使えばこの敷地内からも抜け出せない事もない。
――――ただし、後々とても疲れる結果になるんだけど。
目の前の彼は、珍しい玩具を発見した子供のように金色の瞳を機嫌よさげに輝かせている。
良かった、今のところ少なくとも怖がられている様子はないようだ。
「って言ったっけ?いつからここに居んの?」
「・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・。‥‥え?あ・・・」
。
彼に名前を呼ばれたことに、は心が大きく震えるのを感じた。
チェシャ猫の少年の唇がの名前を呼び、それが音になっての鼓膜にまで届く。
ごく当たり前のことだと、他人が見れば呆れて笑うかもしれない。
けれど、は長い間、本当に長い間、人に名前を呼ばれることなんてなかった。
咄嗟に反応が遅れて狼狽えていると、彼はそれに気付かず先を続けた。
「っと、その前に、俺は――」
「ボリス=エレイ。自己紹介は要らない、ここの人間の事は皆知ってるから。」
「へぇ・・・じゃあ当然おっさんのことも知ってるんだ。
まさかとは思うけど、従業員達のこともいちいち覚えてんの?」
「・・・何かさっきから質問が多いのね。
・・・・・・・・・・・・・・ここにいつから居るかなんて覚えてないし、
さっきも言ったけど、ここの人間の事は役付きだろうと役なしだろうと皆知ってるわ。」
ここの従業員達の顔ならもうすっかり覚えているし、大体の人間の性格だって把握してる。
時間だけはたっぷりあったから、
彼らが遊園地内の何処でどんな仕事をしているのかだってには全部分かっていた。
「あんた随分長い間ここに居るみたいだけど、俺は全然あんたの事知らなかったぜ。
おっさんからも聞いたことないし、従業員の奴らも知らないよな。」
「誰も知らないはずよ。誰も私を見ることが出来ないから。」
「?けど俺には見えてる。」
「・・・・うん、・・・・・・・・・・・初めてよ・・・。」
「へぇ、やっぱそうなんだ。けどさ、そんなに長い間一人って、つまんなくなかった?」
「――――別に、慣れてるし・・・。」
彼の質問に心がズキンと痛んだけれど、はそれに気付かないふりをした。
そして、出来るだけ平静を装って、返事をした。
声がかすれたり、トーンが低くなったりしなかったことだけが救いだ。
そんなことを考えていると、不意に彼がに右手を差し出してきた。
はその意味が分からなくて、きょとんと彼を見返した。
「今日からあんた、俺と友達になろうぜ、。」
「え・・・・・・・・・・・、友達・・・と・・・あなたが?」
「そう、俺とあんたが。こうして俺があんたの姿を初めて見ることが出来たのも何かの縁だ、そう思わない?」
「・・・・・・・それは、・・・・・そうね。」
「だろ?じゃあほら、俺の手、握ってよ。触れられなくてもそれらしい形には出来るだろ。」
ともだち。
その言葉にまたしてもの心が震える。
友達。ともだち。
一人では決して得られないもの。
一人では決して使えない言葉。
友達。
心の中で何度も繰り返す。
差し出されている彼の手を、ジッと見つめ続ける。
そうだ、この手は誰でもない、に向かって差し出されているのだ。
はそっと、自分の手を彼のものに伸ばし、握手の形を取った。
触れ合えないけれど、それでもにとってはとてもとても特別な行為。
「ヨロシク、。これで俺とあんたは友達だ。
じゃあ、今日は俺、もう行くけど、また遊びに来るからさ。
っていうか、同じ敷地内に居るんだし、会おうと思えばいつでも会えるよな?
それとも部屋が決まってんの?」
「この部屋にに居ることが多いのは確かだけど、どこでも平気。」
「オーケー、それじゃあまたな。」
言って、彼が片手を振ってドアに向かって歩き出す。
もしかしたら、彼はこのままもうを呼んでくれる事はないかもしれない。
彼の口からの名前が呼ばれる事はないかもしれない。
だとしても。
そうだとしても。
は彼にどうしても言っておかなくてはいけないことがある。
そう思い、咄嗟にチェシャ猫の少年を呼びとめた。
「ボリス。」
「何?」
「・・・・・・・・・・・・・・有難う。」
「何が?」
「色々。を怖がらなかったし、の名前を呼んでくれたし・・・、
を・・・・・・・友達にしてくれるって言ってくれたこと。」
「はぁ?お礼を言われるようなことなんかしてないけどなぁ。全部俺がそうしたいからそうしただけ。
それに普通の事ばっかだし・・・、まぁいいや、あんたが嬉しいならお礼言われとくよ。」
「うん。じゃあ・・・・・・、また。」
また。
その台詞は次に会う事に繋がる言葉だ。
近い未来に繋がる約束。
とても特別で、とても贅沢な言葉。
まさか今のがこの言葉を口に出来る日が来るなんて思ってなかった。
ボリスはの姿を見つけてくれた。
に声を掛けてくれた。
の名前を呼んでくれた。
それだけじゃなくて、友達になってくれるなんて、また会おうと受け入れてくれるなんて。
この、抜けるような美しい青空の広がる、いつもと同じ昼の時間帯。
この時は、遠い昔に無くしてしまったハートを、また、取り戻したような錯覚に陥っていた。
いつかがこの体さえも失う日が来たとしても、は絶対に忘れない。
ボリス。
あなたがを見つけてくれた、この特別な時間を。
(END)
後書き
なんがあああああ!ボリス視点と対になるヒロイン視点でした。
あ、因みに全話ボリスとヒロインの両視点は書けないので、出会いの場面だけです。
さすがにヒロイン視点はボリスの場合と違って長くなりました(苦笑)
設定の為か私にしては珍しく大人しめっぽいヒロインになりそうな予感。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・多分(自信ないんか)
ではでは、ここまでお付き合い下さった姫様に熱烈感謝です!これにて失礼致します
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