地上へと続く長い階段を足早に降りて行くその最中。
ユリウスは塔内に響く足音が彼自身のもののみではないことに気が付いた。
階段を下るユリウスのものとは違い、
微かに聞こえるもう一方の足音はどうやら塔を上ってくる最中の様だ。
時計を持ち込みに来た人間が此方に向かっているのかもしれないと考え、
ユリウスは一瞬眉を顰めた。
だがそうしながらも彼は階段を降りる速度を緩めようとはしなかった。
必然的にもう一方の足音が徐々に近付き、その音が大きく彼の耳に響き始める。
だが、歩く速度は明らかにユリウスのものが勝っていた。
あちらが近づいてきていると言うよりは、寧ろユリウスが相手へと近づいて居る様な状況だ。
階下の足音は妙に弱々しく、断続的に響く。
そこでユリウスは初めて、一瞬ピタリと足を止めた。
まさか・・・・・・、これは・・・・・・・。
ふと頭を過った考えに、内心で左右に首を振る。
彼はがこの塔を上る途中経過を目にした事は一度もないが、
幾ら彼女と言えどもこの気の遠くなる様な恐ろしい長さの階段を全力で駆け上がり続ける事は不可能だろう。
しかしが塔の最上階に近い場所に位置するユリウスの自室に文字通り突進する勢いで走り込んでくる勢いから、
もしもこの先に居る相手が彼女ならば、今耳にしている様な弱々しい足音の持ち主であるとは到底思えなかった。
だが、と、彼は更に思い直した。
――――――――だが今は、今のアイツならばどうだ?
滞在先であり、職場でもあった宿屋を失い、
更には恐らく彼女と親しくしていたであろう顔なし達も皆命を落としている。
そしてそんな状況だからこそ、彼女は長くこの時計塔に姿を見せていないのだ。
神経は図太く、思考回路も常に暴走しているではあるが、
余所者である彼女はこの世界の住人達とは違い、命を軽んじて見てはいない。
自身と懇意にして居た者たちの多くを同時に失ってしまった今の彼女の心境を思えば、
平生の様な行動を取る余裕もないのも当然だ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
ユリウスは再び階段を降りる歩を進め始め、更にその速度を増した。
小走りと言えないまでも、その速さは既に足早と言う表現は当てはまらない。
「っ!」
「・・・・・・・あ、」
案の定。
塔を上って来ていた足音の持ち主は、小柄な余所者の少女のものだった。
彼女は目の前に姿を見せたユリウスを見上げると、ほんの一瞬焦点が合わない様に視線を彷徨わせた。
だが、すぐにその瞳が彼を捕らえる。
「・・・・・ユリウス。」
彼の名を口にし、はフッと彼に向って微笑みかけた。
その顔に、ユリウスは咄嗟に複雑な表情を浮かべる。
常の圧倒されそうなほどの勢いは微塵も感じられず、彼が嫌気がさすとすら思えていた能天気さもそこにはない。
触れれば今にも壊れてしまいそうに脆い空気を纏った彼女は、微笑みを浮かべているにも関わらず、
くしゃりと顔を歪めて泣きだしそうな表情に見えた。
「・・・・・・・・・出かけるところだった?」
「・・・・・・・・・・、あ・・・ああ、だが・・・・・・・・・特に、急ぐ用と言う訳でもない・・・。」
普段のならばここでいつもの軽口を叩いている筈の場面だ。
――――――そんなこと言って、を迎えに来てくれたんでしょう!ユリウスってば素直じゃないんだから!
彼女がどんな台詞を口にするかは、ユリウスにも安易に想像できる。
だが、今彼の目の前に立っている彼女は、先程と同様の微笑を浮かべて短く答えたのみだった。
「そっか・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
ユリウスの目から見る現在のは、その身長差と立ち位置と言う理由のみならず、
常よりも小さく酷く脆い存在の様に映っていた。
本来彼女は儚さなどからは程遠い、寧ろそれとは対極の逞しさすら感じる人間だと言うのに。
「・・・お前の働いていた宿屋だが・・・。」
「・・・・っ!」
ビクリ。
ユリウスのその台詞に、の小柄な体が何かに怯えたように大きく震えた。
「・・・・・・・無くなってしまったらしいな・・・。」
幼稚な言い回しだ。
内心でそう思いつつも、彼は『破壊された』と言う単語を口にする事が出来なかった。
ユリウスの視線の先に居るが伏せていた瞳を上げて彼を見つめる。
そして先程よりも一層泣きそうな笑顔を彼に向けて言葉を紡いだ。
「・・・・・うん。知ってたんだ、ユリウス。
ああ、当たり前よね、ユリウスの所に、・・・・・と、・・・時計が来てる筈だし。
ほんと、ビックリ。は丁度買い出しに出てて全然状況とか知らなかったんだけど、
戻って来たら凄い事になってるし・・・!どうしようかと思って暫く茫然状態で、」
「・・・。」
「ぼけっとそこに突っ立ってたらいつの間にか時間帯が何度か変わってて、
常連のお客さんなんかが顔出しに来てくれたんだけど、皆ちょっと残念そうに言うの。ここ気に入ってたんだけどなって。それで」
「。」
「それで・・・・・ね、まぁ仕方ないかって言ってた。」
彼女の名を呼ぶユリウスの声が耳に入っていないかのように一気に言葉を続けたは、
そこでようやく口を閉じた。
その体が、唇が、小刻みに震えている。
そして一度、瞬きをしたのと同時。
ポロリ。
涙の滴が一粒、彼女の瞳から零れ落ちた。
だが、それでも彼女は唇を噛みしめ、必死で涙を堪えようとしている。
それから視線をユリウスに向けると、眉を八の字に歪めて笑った。
「ごめ・・・んね、ユリウス、・・・我慢できないかも、しれない・・・。」
は人嫌いのユリウスが、殊に女を、
更に付け加えれば泣いている女を激しい嫌悪さえ抱くほど嫌っていることを知っている。
だからこそ、限界まで我慢しようとしていたのだろう。
しかし、涙腺の崩壊はもう目前まで迫って来ているようだった。
泣くな、鬱陶しい。どうしても泣きたいと言うのならば、今すぐ私の前から消えるんだな。
常のユリウスであれば微塵の躊躇もなく口にしていた筈の台詞。
だが、彼はその言葉を吐く代わりに、階段を数歩降りると、の頭を自身の手で抱き寄せていた。
「・・・・・・っ、ぅ・・・、」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
瞬間。
が小さく呻き声にも似たものを漏らすと、それを合図にその瞳から涙が溢れ始めた。
同時に彼女はまるで幼い子供の様に声を上げて泣いた。
「ぁっ、ああっ・・・、あああああ、う・・・うう、うアアアアアあああああああああっ!!」
塔内に反響する彼女の泣き声。
はユリウスに縋る様に彼の背に腕を回していた。
その全てが本来ならばユリウスにとって拒絶と嫌悪の対象にしかならないものだった。
今でもその考えには何ら変わりはない。
そうだ、彼女でなければ。
彼の腕の中に居るのが、彼女でなければ。
基より、相手がでなければ抱き寄せる様な真似はしていないのだ。
絶叫に近い声を上げて泣きじゃくる小柄な少女をただその腕に優しく抱きしめながら、
ユリウスは彼女が泣きやむまでの間、無言でその時を待ち続けていたのだった。
この時。
意味は全く違えど、彼が最も疎んじている筈の泣き落としと言う形で、
ユリウスは完全にこの少女に自身の心を奪われたことを自覚していた。
これはこのひと癖もふた癖もある少女に偏屈で人嫌いの時計屋がとうとう完全に心奪われてしまった日の話。
だが、彼らがその想いを本当の意味で互いにぶつけあうのは、もう少々先の話だ。
(END)
後書き
前篇と後篇の長さのつり合いが全く取れてない!・・・まぁいつものことです。
と言うか今回はこのシリーズのヒロインの持ち味である(と勝手に私が思ってる)
暴走モードが全く書けなかった!・・・話の流れ状仕方ないんですけどね(笑)
とにもかくにも、この暴走ヒロインのお話を最後まで読んで下さった姫様に深い感謝を込めて!
誠に有難うございます。
[零れた、君の]TITLE BY capriccio