ハートの城の女王が最も愛する紅色の空の夕刻の時間帯が過ぎ去り、
瞬時に空の色が清々しい青へと変化する。
ユリウスはそれを横目でちらりと確認した後、自室のドアへと目を向けた。
18度目。
前回がこの塔を訪れて既に18回程の時間が巡っている。
今までこれ程までに長く彼女がここへ足を運ばなかったことなど一度もなかった。
は平生、何かと理由を付けては、否、理由など全く見当たらぬ時ですら、
例えそれが塔の上り下りで殆どの時間を費やし過ぎてこの室で過ごす時間が僅かな時間だったとしても、
必ず少なくとも7,8時間帯置き程度には顔を見せていた。
にも関わらず、今回、既に18時間帯が経過していると言うのにが現れる様子はない。
先刻の夕刻とその前の時間帯の夜は妙に長く続いて居た筈であり、
その間に彼女が訪れる余裕は十分に有ったと思われる。
そんなことに思考を巡らせた自分自身に、ユリウスは小さく舌打ちをした。
フン、だから何だと言うんだ・・・。馬鹿馬鹿しい・・・。
毎度毎度荒々しいまでの足音を響かせてこの部屋に突進してくる。
そしてその勢いのまま彼女はユリウスに挨拶をし、こちらがどんなに迷惑だと断言しようとも全く意に介さず、
それどころかそれを好意だとすら受け取る。
常に暴走気味の彼女の言動に振り回され、
文字通り嵐のような彼女が去った後には彼は大きな疲労感を覚えずには居られない。
と共に過ごす時間の中で彼が身も心も安らいで居た事など一瞬たりとてなかった。
ユリウスにとってはただの騒々しい厄介者でしかない。
―――――――――――――そうだ、その筈、だった。
彼女が表れなければ仕事も滞りなく順調に進み、
常と同様の淡々とした時間帯を過ごして心を波立たせる様な事もなく済んでいた。
―――――――――――――そうだ、その筈、だった。
だが現在の彼は先程から一時間帯経過する度に自室のドアへと視線を向け、
無意識にあの爆走とも表現できる足音が聞こえやしないかと耳を澄ませている。
否。
一時間帯の内、何度そんな行動を繰り返したか知れない。
そしてその度に常と変らず室内に響く時計の指針音と微動だにしないドアに落胆にも似た思いを抱くのだ。
無論、そんなことに気を逸らされている状態で仕事が順調に進む訳もない。
いつもならとっくに仕上がっている筈の部品の修理は遅々として進まず、
それどころか小さなミスを犯してはやり直すと言った始末だ。
ユリウスは自身でも誤魔化しようがない程に落ち着きがなく、更に苛々していた。
それでもようやく部品の修理を終え、それを一度机の上に置くと、彼は一息吐くことにした。
その瞬間に知らず、またしてもチラリと自室のドアに一瞥をくれる。
まったく・・・私は何をしているんだ・・・?あんな女、居ない方がどんなに・・・。
苛々と溜息を吐きだし、ユリウスは珈琲を淹れる為に室の奥に位置するキッチンへと足を運んだ。
そして手早く珈琲を淹れる準備を整えると、彼専用のカップを棚から取り出す。
そこで不意に、そのすぐ隣に並べられていた如何にも少女趣味な淡い色合いの、
花柄のカップが彼の視界に入った。
彼の手が意図せず極自然にそのカップへと伸ばされる。
しかしユリウスはすぐに我に返った。
が彼の為に珈琲を淹れ出して以来、
ユリウスが自分自身の手でこれらの器具を使用して珈琲を淹れる機会は随分と減っていた。
彼女は常に騒がしく、そしてわが道のみを突き進んでは居たが、
(少なくともユリウスの目にはそうとしか映っていない)
それでも見事なタイミングで彼の為に珈琲を淹れては休憩を促した。
そしてその度、彼が仕事に没頭し続けろくな食事も取っていないだろうと言う事を見越した上で、
自身が持ち込んだ菓子類なり軽食類なりを勧めてくるのだ。
最初の内はその全てが鬱陶しく、うんざりしていたユリウスだったが、
いつの間にかそれを極自然な流れのように受け入れていることに彼自身も気付いて居た。
とは言えど、当然の如く、表面上それを悟られる様な真似は一切していない。
そんな中、5回に1回、若しくはそれ以下程度の割合でユリウスが珈琲を淹れることもあった。
だがその殆どが、彼が珈琲を淹れている最中にが押し掛けてくると言った状況であり、
その為最終的にはあれこれと文句を口にしつつも彼女の分の珈琲も用意することとなるのだった。
そう言った事情でユリウスがの為に珈琲を淹れざる得なかったことは片手で事足りる程の回数だったが、
それでも無意識の内に彼は彼女のカップに珈琲を注ごうとしかけていたのだ。
「・・・・・・・・・・くそ!何もかもあのバカ女のせいだ・・・!」
声に出してそう罵り言葉を吐き出した後、ユリウスは花柄のカップを元の位置へと押しやった。
珈琲を自身のカップのみに注ぎ、それをデキャンタごと手にして仕事机に戻る。
先程から彼の頭を占めているのはたった一人の少女の事だけだ。
否。
先程、と言う表現はこの場合不適切と言える。
前回の訪問から10時間帯経過した後もが姿を見せなかった時点で彼はそのことに違和感を覚え、
その後は時間帯が変化する毎にほぼ待ち構えていると言って差し支えない程に彼女の登場を気にして居たからだ。
彼は眉間に深くしわを刻んだまま、一口、つい今し方淹れたばかりの珈琲を啜った。
その刹那。
「っ!」
今の今まで微動だにしなかった自室のドアが、ゆっくりと開かれた。
――――ガタンッ
彼は反射的に音を立てて椅子から立ち上がっていた。
「よ!ユリウス!」
「・・・・・っ!!」
しかし、開かれたドアから姿を見せたのは彼の友人でもあり、部下でもあるエースだった。
瞬間的にユリウスは失望の色を宿した瞳で彼をみやる。
同時に深く大きな溜息を吐いた。
「・・・何だ、お前か、エース。」
「ええー?何だはないだろ、何だは。今回は俺、120時間帯も経たない内にここに来られたんだぜ?
少しは褒めてくれよ、ユリウス。」
「・・・・・・・・・それのどこに褒める要素が有ると言うんだ。」
「この間は確か150時間だった筈だから、30時間帯も短縮してる。飛躍的な進歩だ!
な?これって凄い事だろ?」
「以前似た様なことを言って、その次に来た時は200時間帯近く掛かっていただろう。」
言いながら、彼は再び椅子に腰かけた。
「うーん、そうなんだよなぁ。前回上手くいったから同じ道を通ってみようって思うんだけどさ、
気が付くと全然違う場所を通っちゃうんだ。
・・・ん?ユリウス、珈琲を飲んでいるところだったのか。俺も貰っていいかな?」
「勝手にしろ。」
ユリウスがそう素っ気なく返すと、
エースはどこから取り出したのか自身の持ち物と思われるカップを手にしてデキャンタの珈琲を注いだ。
「あ!珈琲で思いだしたよ。」
「・・・何だ?」
「なぁ、最近残像が大量に時計を回収してこなかったか?
そうじゃないなら、お客が大量に時計を持ち込んだとかさ。」
「何のことだ?大体、この国で修理する時計の数が少なかった試しなど、
ただの一度もないことはお前だって知っているだろう。」
唐突なエースの問いに、ユリウスは怪訝な表情で彼に視線を向ける。
今更、殊に説明するまでもないことだが、時計とは、この世界の住人の心臓を意味する。
そして当然のことながらこの時計が破壊された時、その時計の持ち主は命を落とすこととなる訳だが、
この時計は修理をすることによって新たな持ち主に受け継がれ、再び心臓としての役目を果たすのだ。
壊した時計は修理をすればまた命を与えられる。
彼らの言う替えの利く命とはつまりそう言うことだ。
だからこそ、この世界では命に対しての認識が非常に軽い。
誰も彼もが当然のごとく武器を携帯し、些細なことで命を奪い合う。
殺人などは日常茶飯事で有り、大量殺人などもさして珍しいことではなかった。
それ故時計を修理する役目を負っている時計屋、時に葬儀屋とも呼ばれるユリウスの元には、
当然のように数時間帯置きに幾つもの時計が持ち込まれる。
その数は時間帯によってまちまちで、常よりも比較的時計の数が少ないと感じることもないではないが、
それはあくまでも比較的と言う程度の物で、ユリウスの仕事が暇であることなど殆どない。
そんな彼の仕事の状況については彼の部下として働いているエースが一番よく理解している筈だ。
「まぁそうなんだけどな。あ!大量って言い方は間違ってるか、
話に聞いたところだとそこって余り大きな所じゃなかったみたいだしな。」
「さっきからお前は一体何の話をしているんだ?」
全く的を射ないエースの返事に、ユリウスは一層眉間のしわを深くした。
依然として姿を見せないのことも気になり、苛々とした気分が更に助長される。
エースは珈琲を音を立てて啜った後、きょとんとした表情で彼を見つめる。
「あれっ?俺、言わなかったっけ?」
「だから、何をだ!?」
「うん、の働いてるって言う宿屋のことだよ。」
「・・・・・・・・っ!!」
―――ガシャンッ。
唐突にエースから持ち出されたその名に、
ユリウスは大げさに身を震わせて咄嗟に手にしたカップをソーサーの上で音を響かせて揺らした。
幸い、残りは少なく、中身は零れてはいない。
周囲にある部品への被害もないようだ。
「・・・・・・・あ、アイツの働いている宿屋がどうした・・・?」
内心の激しい動揺を必死で押し隠し、だがそれに失敗した事を自覚しつつも彼はエースに問い返した。
「ああ、やっぱ言ってなかったんだな。実はここに来る前に小耳に挟んだんだけどさ、
どうやら壊されちゃったらしいんだ。の住んでたとこ。」
「・・・・・・・・壊された?」
「まぁちょっとした小競り合いだったみたいだけど、
それで宿屋の人間ほぼ全滅だって言ってたぜ。ははははっ、困った連中だよな、ホント。」
「・・・・・・・・・・・・・・、全滅、だと・・・・・・・・・!?」
スゥと、一瞬にして全身の血の気が引いていく様な冷えた感覚がユリウスを襲った。
この数時間帯、の事ばかりに気を取られていたが、確かにエースの言う通り、
残像が複数の時計をまとめて回収して来た時間があった。
大量と言える数ではないが、一か所で起きた殺人にしては十分な人数だ。
その後すぐに彼の表情が目に見えて強張って行くのが分かったのだろう、エースは慌てて付けたした。
「あ!安心しろよ、ユリウス!幾らなんでも余所者の子が死んじゃったりしてたら、
あの位の話じゃ終らないって。多分彼女はその場には居なかったんじゃないかと思うぜ。
一応その辺の話を聞いてみたけど、そんな話はなかったみたいだしな!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、そうか・・・・・・・。」
ユリウスはエースの言葉に心底安堵する気持ちを隠せない。
一気に脱力すると、額を片手の掌で覆い、息を吐きだした。
そして彼はエースの話を聞いたことにより、彼女が長くこの塔を訪れていない理由を悟った。
そんなことが起きていたならば幾ら能天気なと言えど、時計塔に足を運ぶ余裕などないだろう。
だが、エースの話によると彼女の仕事場兼滞在先であった宿屋ごと破壊されてしまったようだ。
それならば今現在、彼女は何処で何をしているのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「ははははっ!でも何だかんだ言っても、やっぱりユリウスはの事が心配なんだな。」
「なっ!!私は別にあんな女などどうなろうが知ったことじゃ・・・・・・・・・・」
言いかけ、彼はそこで言葉を切った。
そして小さく舌打ちをする。
常と同様の爽やかな笑顔を浮かべる友人から目を逸らすと、彼は椅子から立ち上がった。
「・・・・・・・エース、私は少し出てくる。」
「え?出かけちゃうのか?」
「ああ。いいか?お前は私の居ない間、くれぐれもここにある時計に不用意に触れるなよ!
お前は何度も前科が有るんだからな、修理したばかりの時計を壊されては堪らない。」
「はははははっ!分かってるって、ユリウス。俺って信用ないなぁ。」
再び声を上げて笑うエースの傍を通り過ぎ、ユリウスは足早に自室のドアへと向かう。
その背中に向かってエースが更に声を掛けた。
「を探しに行くのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・仕事だ。」
「へぇ〜?仕事かぁ・・・・・・・。はははっ、相変わらず素直じゃないなぁユリウスは。」
明らかに揶揄する響きを滲ませ、エースは楽しげに言った。
ユリウスは眉間に深くしわを刻んだが、小さく鼻を鳴らしてそれに応えたのみで、
それ以上反論を試みようとはしなかった。
彼はそのまま後ろ手でドアを閉め、自室を後にする。
無論エースがあっさりと見抜いてしまったように、これから外出する理由は仕事などではなかった。
以前にから聞いた話だけを頼りに、ユリウスは彼女の働いて居た宿屋を目指すことに決めたのだ。
(後篇に続く。)
後書き
なんがあああああああああ!と言うことで、仕方なく前後篇に分けることにしました。
今回はこのシリーズにしては珍しくシリアスめ。しかも前半ヒロイン全く登場なし!
後編もシリアスムードのままで始まり、終りますが(笑)
そちらもお付き合い頂けることを願いつつ、失礼致します。有難うございました!
[どうしてか、こんなにも]TITLE BY capriccio