美しく広大な庭をぶらぶらと彷徨い歩きながら、さんさんと降り注ぐ太陽の光を体に感じ、
はいつものようにたった一匹で散歩を満喫していた。
このハートの国で領土争いをしている三大勢力の一つ、マフィアの帽子屋一家(ファミリー)の本拠地である帽子屋屋敷の庭園。
恐ろしく広々とした庭園内は見事に手入れが行き届いており、
その奥に見える巨大な屋敷と共に帽子屋一家(ファミリー)の財力がどの程度大きなものかを分かり易く物語っている。
本来ならこんな危険な場所に自分から立ち入ろうとは思わないはずだが、
今日は何となく興味を引かれて中にまで足を運んでしまった。
当然のように塀の高さは他の民家(比較的大きな邸も含め)とは比べ物にならなかったが、
今の猫の姿のにはそれに飛び乗って侵入するのは容易かった。
ただし、猫達の噂で聞いたこの屋敷の門番で、
役持ちの双子『ブラッディ・ツインズ』が門前に立っていたとしたら、
最初からこの中へ足を踏み入れることなんか考えもしなかっただろう。
彼らは客であろうとなかろうと、屋敷への訪問者を片っ端から殺してしまうと言う話だ。
実際は町中で何度か彼らの凶行を(この国では凶行とは言わないのかもしれないが)
目の当たりにしている。
彼らならその位の事は平気でやるだろう。
そうでなくとも帽子屋一家(ファミリー)は犯罪組織。
帽子屋と呼ばれるブラッド=デュプレを頭に、その片腕を務めるNO,2の三月兎・エリオット=マーチ、
そして門番の双子・トゥイードル=ディーとダム。
部下の数もかなりのものらしい。
猫達の噂話にまで名前が上るのだから、悪名高いとはよく言ったものだ。


・・・それにしても、帽子屋に三月兎・・・それに双子、なんて・・・まるで不思議の国のアリスみたいね・・・。


この国はの居た世界の童話に出てくる『不思議の国のアリス』の登場人物や世界観と妙に色々と通じているものがある。
帽子屋一家(ファミリー)もそうだが、ハートの城の女王や白兎の宰相などは特にそうだ。


そんなことを考えながら歩いていると、不意にの鼻先を甘いお菓子の香りが掠めた。
は一旦足を止め、小さく鼻を鳴らしながらその匂いに誘われるまま足を進める。
そう言えばそろそろお腹が空いてくる頃だ。
猫の姿のの味覚はやはり他の猫と同様魚などに強く興味を示してしまうことを抑えきれないのだが、
だからと言って人間の姿の時に食べている物を口にしない訳じゃなく、食事に関して言えばどちらの姿の時も殆ど変わらない。
(とは言え、猫の時には一部の野菜など食べてはいけない物もあるのだが)
特に最近は猫の姿のおかげで甘いものを口にする機会が極端に少なく、はそう言った類の物に少なからず飢えていた。
甘い香りを辿った先。
庭の一角に長方形のテーブルと幾つもの椅子、そして日除け用の屋根まで設置されいる。
どうやらお茶会が開かれているようだった。
テーブルの上にはケーキやスコーンと言った洋菓子系統の物が所狭しと並べられていて、
気のせいかある一部は不自然な位にオレンジ色に染まっていた。
お茶会、と言っても席に着いている人物はたった二人。
猫の視線だからという理由だけじゃなく、二人ともかなり長身の男だと言うことが何となく見て取れた。
この帽子屋屋敷の庭園の一角でお茶会を出来るような身分の人間なんて、そうは居ないはずだ。
つまり、考えるまでもなく、椅子に座って優雅に紅茶を楽しんでいる二人の人物は、
帽子屋本人とその腹心・三月兎だと言うことになる。
は暫くの間足を止めてテーブルに近づくことを躊躇した後、結局甘い香りの誘惑に負け、
彼らに気づかれないように素早くテーブルの隅に走り寄った。
この世界の役持ち達に関わることは正直にとって喜ばしいこととは言えない。
歪んで狂ったこの世界の住人達は、この世界と同じ位に異常な人間が多い。
役持ち達は役なし達に比べて力のある分その傾向も当然のように強いのだ。
積極的に関わり合いになって楽しい人物達とは思えない。
頭では分かっていても、目の前にある甘い誘いに抗えず、はテーブルの隅からその上へと飛び乗った。
そこは彼ら二人の座っている位置とは丁度反対側に当たる。
テーブルがかなり長めの長方形と言うこともあり、帽子屋も三月兎もには全く気づいていない。

「っくううう!!やっぱ美味い!!このシェフのにんじんスィーツは最高だぜ!!
美味い!!美味すぎる!!この食感と言い、味と言い、匂いと言い、・・・どれをとっても最高だ!」
「・・・・・・・そうか、それはよかったな、エリオット。・・・・・・・・・・・・・・・・紅茶が美味い。」

テーブルの一部、正しくは三月兎が居る周辺一帯がオレンジ色に染まっていたのは、
やっぱりの気のせいじゃなかったようだ。
オレンジ色の正体はキャロットのお菓子の類ばかりが異常な数で用意されているかららしく、
一見強面とも言える彼は、緩みきった表情でそれらのお菓子を絶賛していた。
それとは対照的に帽子屋はあらぬ方向に視線を向け、三月兎におざなりな返事をして紅茶を啜っている。
どちらも一向にに気づく気配はない。
そこには天下の帽子屋一家(ファミリー)と恐れられる彼らの姿は微塵も見当たらなかった。
当然、万が一ここに刺客が表れるようなことがあれば(双子の門番が門前に居る限りその心配は限りなく低いだろう)
彼らは瞬時に相手を始末してしまえる程の腕はあるのだろうが。
は気配を殺したまま無意識に身を低くしてゆっくりと自分に一番近い位置にあるケーキに近づいた。
その、オレンジ色をしたケーキに。

「なぁ、ブラッド、マジでいいのか?こんな美味い物を俺が全部一人で食っちまって。
今回は特に最高なんだぜ?このにんじんスコーンなんてどうだ?これなら紅茶にも合うだろ?なぁなぁ。」
「!エリオット・・・、私の目の前にそのオレンジ色を突きだすな・・・!・・・・・・・・さっきも言っただろう?
私は腹は空いていないんだ。全部お前が食べるといい、・・・・お前だけで食べろ。私は紅茶があれば満足だ。」
「そうかぁ?ブラッドがそう言うんだったら仕方ねぇけど・・・。お前って、ホンットいいヤツだよな!!
こんなに美味いもんをいつも俺だけに食わしてくれるんだからよ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、そ、そうか・・・・・・・・・・・・・。」

二人に対して警戒を怠らないようにしながらも、はキャロットケーキを少しずつ食べ始めた。
確かに三月兎が絶賛するだけのことはある。
柔らかくしっとりとしたスポンジケーキに、ふんわりと滑らかな舌触りの生クリーム、
そのどちらにもにんじんが使用されてはいるが、それを上手く引きたてつつもあくまで適度な量で、
はホールごと食べることすら出来そうな気がしてきていた。
勿論、それは、が長く甘いものを口に出来ずに、飢えていた部分も大いにあるとは思うのだが。

「そうだ!俺、真っ先に食っときたいもんがあるんだった!
へへっ、えーーっと、・・・・・・・お!あれも美味そうだな・・・。いやいやいや、あっちは後だ、それよりも・・・。」
「・・・・・・・・・・どれでも好きな物を食べるといい、片っ端からな。一つでも多く食べてしまうんだぞ、エリオット。」
「おう!そのつもりだぜ!けどよ、今回は一応俺の目玉としてはこの中でも特に楽しみにしてたにんじんケーキが・・・」

そこまで三月兎の言葉を聞き、は咄嗟にケーキを食べ進めるのをピタリと止めた。
口の周りについたオレンジ色の生クリームをぺろりと舌で舐めとり、顔を上げる。
瞬間。

「ああああああーーーーーーーーー!!!」
「っ!?な、何だ、エリオット!いきなり大声を出すんじゃない。」
「だっ、だってよ、俺の・・・・俺のにんじんケーキがっ!!つーか、何でこんなとこに猫が居るんだよ!?」

悲壮とも取れる声でそう言って、彼は立ち上がり、を指し示す。
実のところは彼が声を上げる直前にテーブルの下に隠れることも、
それよりもこのテーブルから離れることも出来なかった訳じゃない。
それでもは、何故かこの時、敢えてこの場所に大人しく留まる事を選んでいた。

「・・・・・・・・・ほう・・・、猫か・・・。しかし猫と言えどもこの屋敷の敷地内に入って来られたとはな・・・。」
「あ、あんのガキ共!!!また仕事サボって門の前を離れてやがるな!?くっそーー!
俺の、俺の、俺のにんじんケーキがぁあああっーー・・・!」

怒りと絶望の入り混じったような声で三月兎はそう言うと、今にも崩れ落ちそうな様子を見せた。
しかも、その手には既に銃が握られている。
だが、即座、彼の上司である帽子屋が、それを静かに制した。

「止めろ、エリオット。私のお茶会で無暗に銃を抜くことは許さない。
そのオレンジ色の物体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ケーキ、は・・・・また後で用意させればいいだろう。」
「うう〜・・・、けどよ、ブラッド!アイツ、侵入者だぜ!?猫だけど、侵入者だ!悪いヤツかもしれない!」
「私が止めろと言っているんだ。・・・・それに、あの猫だが・・・・・・・・。」

そこまで言って、帽子屋はを観察するような瞳でジッとこちらを見つめた。
どこまでも億劫そうな気だるげな口調。
だが、彼は同時にとても威圧的で冷たい空気を纏っている。

「・・・・・・・・・・・・・・非常に珍しい話だが、・・・・・余所者と同様の存在だ。この世界の猫じゃない。」
「はぁあああ!!??あの猫がか!?どう見てもただの猫じゃねぇか!」
「そうだな・・・、この位置からでは少し分かり難いかもしれない・・・。エリオット、捕まえてこい。」
「よし!分かったぜ!ブラッド!ふん捕まえてやる!」
「手荒な真似をするんじゃないぞ、・・・・・・・・動物虐待は・・・お前だって(・・・・)気分が悪いだろう。」
「ん?あ、ああ、わーった!」

三月兎は彼の主が『お前だって』と言う部分に微妙に含みを持たせたニュアンスを用いたことに、
全く気づいていない様子で返事をしながら、の居る場所まで近づいてきていた。

「あ!待ちやがれ!!」

は素早くテーブルの下に身を隠すと、そのまま帽子屋の足もとまで自分から駆け寄った。
本当は今でも役持ちとの接触なんて望んではいない。
だが、今の状況はどう考えても自業自得で、こうなってしまっては逃げだすことなんてほぼ不可能だ。
逃げ出すことが完全に無理だと言う訳じゃないが、かなりのリスクを背負うことになる。
そんな危険を冒してまで逃走する理由は今のには見当たらない。
ならば明らかにキャロットケーキに対する恨みに燃えている三月兎の手に捕まるよりは、
自分から帽子屋の傍へ近づいて状況を少しでも緩和した方がいいに決まっている。

「・・・・・・・ふふ、賢い猫だな。・・・自ら私の元へ来たのか・・・。」

を見下ろす帽子屋の瞳が僅かに細められた。
そして、彼はさらに続ける。

「金と銀のオッドアイか・・・。まるで宝石のようだな。・・・それに知性の伺える目をしている。
毛並みが黒一色だというのも気に入った・・・。」
「・・・・で?ブラッド。そいつ、どうなんだ?余所者・・・・・・いや、余所・・・ねこ?なのか?」
「・・・・ああ、間違いない。しかし・・・こんなこともあるんだな・・・。」
「ホントに信じられねぇぜ。ああ!いや!ブラッドのことじゃねぇぞ?
ただ、・・・・猫が余所者なんて・・・今まで聞いたこともねぇし・・・。」
「そうだな・・・。」

短く答えながら、その間も帽子屋は翠色の瞳でジッとを見下ろしている。
その視線はのどんな動きも逃さないと言った様に、観察し続けているようだった。

「決めたぞ、エリオット・・・。暫くの間この猫を私の屋敷に置いてやろう。
ある意味では・・・この猫も私のお茶会に参加したものの一人だ。・・・いや、一匹と言うべきか。
これも何かの縁だろう。」
「って、マジかよ!?ブラッド!!」
「ああ、私は本気だ。お前とも気が合うんじゃないか?あのおぞまし・・・・・・・・・・・・、
・・・・・・・・・・・・・・、あの菓子を喜んで食べていた程の猫だからな。」

帽子屋のその一言に、三月兎の長い耳がぴょこんと大きく跳ねた。
彼はの傍まで大股で歩いてくると、を覗き込むように屈んだ。
だが、三月兎は元々相当な長身の男だ。
屈みこんでもその威圧感は殆ど変わらなかった。
それでもつい先刻までの敵意は感じられず、その瞳は純粋な好奇心に染まっている。

「なぁ、お前・・・!にんじんケーキ、美味かったか?美味かっただろ!?美味かったよな?
あのにんじん生クリームと言い、にんじんスポンジと言い、最高だもんな!?ヤベッ、・・・よだれが垂れそうだぜ・・・。」
「にゃーん・・・。」

彼は兎で猫じゃない。
当然のようにの言葉が通じる訳もないので、
は適当に鳴き声を上げておざなりな相槌を打っておいた。
だが、三月兎はそんな鳴き声でも満足したようだ。
唐突に瞳をきらきらと輝かせて声を上げた。

「分かるかっ!?分かるんだな!?お前にもこのにんじん料理の美味さが!!
・・・・・・ブラッド!!コイツいい猫だぜ!!屋敷に置いてやろう!」
「ああ、そのつもりだ・・・。・・・・・・猫と言えども、余所者だ。
私を退屈から救う手段のひとつとして確保しておいて損はないだろう。」

薄く綺麗に整った唇の端を僅かに上げて笑うと、
彼はに手を伸ばしての頭をそっとひと撫でした。
はジッと帽子屋と視線を合わせる。
彼らはの意志など全く無視で話を進めてしまったが、逃げようと思えば機会を伺って逃げだすことも可能だ。
ここに留まる事を選択するかどうかは自身が決めること。
がこの世界の猫なら天下の帽子屋一家(ファミリー)の敷地内でそんな考えを巡らせる余裕はないだろう。
だが、は余所者だ。
彼らのルールは適応されない。
だからここに滞在したくなければ逃げ出してしまうことは出来ない訳じゃないのだ。
ほんの僅か躊躇した後、結局は彼らに従ってこの帽子屋屋敷に留まることにした。
この屋敷の敷地内なら安全だろうし、
他に探索に行って疲労した場合も戻ってくる場所があると言うのはにとっても悪い話じゃない。


飼い慣らされたネコになり下がるつもりはないけどね?


帽子屋と合わせたままの視線には挑むような意味合いを込めた。
そこで不意に、彼がフッと瞳を僅かに細める。

「・・・いい目をしているな・・・、人間に媚びない強い意志を持った目をしている・・・。
・・・・・・・・・・そういうものは、動物だろうと人だろうと嫌いじゃない。
これから宜しくな、・・・・・・・猫のお嬢さん?」
「ニャー・・・。」
「え!?コイツ、メスなのか!?見ただけでよく分かったな、ブラッド!さすがだぜ!」



こうして、帽子屋一家(ファミリー)のボスによる気まぐれのおかげではこの昼の時間帯から帽子屋屋敷に留まることになった。
暫くの間は寝床と食事だけは最高の物が与えられるだろう。
そんなことに安堵する一方で、恐ろしいほどの不安が心に張り付いてくるのを振り払うことが出来ない。
それでもは結果的にこの場所を自分の手で選び取ったには違いないのだ。

この先、何が起ころうとも。




マフィアたちとの
      お菓子な出会い。


(END)




アトガキ
ブラッドとエリオットの会話って書いてて楽しいです(笑)
何よりブラッドってかなり久々に書いたような・・・。
そして毎度のことながら、共通部分になるプロローグが長くなってしまうのは何故・・・!?
もっとコンパクツにまとめたかったわ!(・・・)
本当は双子も途中で登場させようかと考えてたんですが、
そうするともっと長くなりそうだったんで止めました。
ではでは、ここまでお付き合い下さった姫様!もう本当に・・・有難うございますっ!
心より感謝の気持ちを表しつつ、失礼致します。

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