ブラッドの部屋を出ると、
と仲の良かったメイドの一人がが滞在中に利用していた部屋に置いて居た荷物を、
ドアの前まで運んで来てくれていた。
は彼女からトランクを受け取ると、二言三言会話を交わしてその場を後にする事にした。
そして廊下を進んで行くその途中。
こちらに向かって走ってくる見慣れた長身の影が視界に飛び込んできた。
「・・・エリオット」
「・・・!!」
彼はの名を呼んで息を切らしてのすぐ傍まで掛け込んでくると、
の正面で足を止めた。
「どうしたの?あなた、仕事だってきいていたわ」
「・・・・ああ、早めに片付いたんで急いで戻って来たんだ」
答えながらもエリオットは肩を軽く上下させて息を弾ませている。
体力面で絶対の自信のある彼がこれ程息を切らすと言う事は、随分と遠くから走って来たに違いない。
しかもこの様子から見る限り、全速力でここまで来たようだ。
「大丈夫?一体どこから走って来たの?」
「どこからって、そりゃ仕事先・・・・・・、ってんなこたどうだっていいんだよ!
それよりあんただ!こんなに早く出てくなんて聞いてねぇぞ!?」
「そう?けれど貴方には誰より早く言っておいた筈よ。近い内に出て行くつもりだってことを」
「そりゃ・・・確かにその話は聞いたけどよ・・・けど・・・・」
そこでエリオットは言葉を詰まらせ、ジッと絨毯に視線を落とした。
そして唇を噛みしめると、唐突にがしがしがしっと鮮やかなオレンジ色の髪を掻き乱す。
「だあああああああっ!!やっぱ駄目だ!!もう言わねぇつもりだったけど、無理だ!!」
「っ!エリオット?どうしたの?」
エリオットの言動に少々驚いて目を丸くするに、今度は彼は再度に視線を向け、
両肩を強い力でがしりと掴んだ。
「!!」
「何?」
「本当に、本当に行っちまうのか?なぁ、考え直してくれよ!せめてもう少し先でも「エリオット」
彼の言葉を遮る様にして、は彼の名を呼び、真っ直ぐにその瞳を見据える。
「この話はもう何度もしたでしょう?そして言った筈よ、はここから出て行くわ。
これ以上はもう延ばせない、延ばしたくないの」
いつもよりもピンと背筋を伸ばし、しっかりとした口調ではそう彼に告げる。
この決心は誰の言葉にも揺るがされる事はない。
そう、はもう決めたのだから。
そのの心の内が通じたのか、彼は先程よりも力ない声での名を呼んだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
エリオットの魅力のひとつ(恐らく彼は絶対に認めないだろうけれど)である、
あの長いうさぎ耳が今は彼のオレンジ色の緩やかな髪に張り付くようにして垂れ下がっている。
その姿に胸が僅かに痛んだけれど、だからと言っての気持ちは変えようもなかった。
「そうだよな・・・、あんたは・・・もう決めちまったんだよな・・・。
ブラッドとアリスが結婚するずっと前から、出て行くつもりだったって言ってたもんな・・・」
「ええ、その通りよ。ねぇエリオット、お願いだからそんな顔しないで。
別にもう二度と会えないって訳でもないんだから」
言いながら、は微笑して彼の頭に片手を伸ばした。
そして彼のやわらかな髪をそっと撫ぜる。
この心地よい感触も、当分の間はお預け。
『当分』と言うのがどれ程の時間の長さになるのかは分からないけれど。
「・・・・・・・・・・・・・・・でも、あんたはすぐには俺達に・・・俺に会ってくれないんだろ?」
「え?」
「こっから出て行っちまってすぐに連絡をくれる訳じゃねぇんだろ?
居場所もあんたから教えるまでは調べたりしないでくれって言ったじゃねぇか」
「エリオット・・・」
女としては長身の部類に入るでさえ見上げるほどの身長のエリオット。
けれど今の彼は、まるで母親に置いてけぼりにされる小さな子供の様な表情をしていた。
彼の頭にある長い耳が垂れさがっている事がより一層そんな印象を強くさせる。
は彼の髪に触れたままの掌をゆっくりと動かし続けた。
「確かに、すぐには無理だけど・・・。でも必ず連絡するわ、約束する。
・・・・・・・・・・だからそれまでは待っていて欲しいの」
「・・・・・いつまでだ?」
「え?」
「いつまで待てばいい!?いつまで待てばあんたは・・・・・・!!」
言いざま、エリオットは彼の頭を撫でていたの手を掴んで引きよせた。
余りに唐突の出来事に対処出来ず、は無抵抗のまま、その胸へと身を預ける。
「エリオット・・・!?」
「俺じゃ・・・・・駄目か・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、え?」
耳元。
掠れた低い声で囁かれた言葉は、何処か悲痛な想いが滲み出ている様にには思えた。
問い返したのは、彼の台詞が聴こえなかったからではなく、そして突然過ぎたからでもない。
そう。
本当は随分前からエリオットがに向けてくれている気持ちには気付いて居た。
それでもの心はブラッドで占められていたし、
そうしながら同時にエリオットの気持ちに甘えて縋っていた部分もあったのだ。
ブラッドの事を思い続ける一方で、彼の恋心を利用していた。
いつでもを甘えさせてくれる、避難場所の様にして。
そうやってこの帽子屋屋敷滞在している間、
浅ましくて卑怯な、自身の女としての汚い性を見て見ぬふりをしていた。
ここを出て行く理由のひとつに、エリオットへの罪悪感が含まれていることなど、
彼はきっと思い付きもしないだろう。
「・・・・、俺じゃ駄目なのか?俺はブラッドの代わりになれるような器じゃねぇってのは分かってる・・・。
あんたが・・・・・・・どんなにブラッドを好きだったのかも、知ってる・・・。
けど・・・・それでも俺は、嫌なんだ・・・!このままあんたと離れたくねぇ・・・!!」
の肩口に顔を埋める様にしてエリオットがそう続ける。
を抱きしめる彼の両腕の力は先程より更に強くなり、息苦しさを感じる位だ。
締め付けられる。
体が、胸が。
「・・・・・・エリオット、苦しいわ・・・」
「・・・・・あ、・・・・・・悪ぃ・・・・・・、ごめんな・・・」
の声に我に返ったエリオットがすぐに腕の拘束を緩める。
けれど彼は完全にを腕の中から解き放ちはしなかった。
「・・・・・・ねぇ、エリオット・・・貴方の気持ちは、嬉しいわ・・・」
小さく息を吐き出し、そう口にするを、エリオットがジッと見下ろす。
そして唇を噛みしめ、激しく取り乱しそうになるのを必死に堪える様にしながら言った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・、・・・。俺は、そんなありきたりな言葉が欲しいんじゃねぇんだよ!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・エリオット」
「俺は・・・!!・・・・・・・・その、あんたを困らせちまってるってのは・・・分かってる・・・。
分かってるんだ、本当に・・・。けど、・・・・・・・あんたが望むなら、
俺は・・・あんたの寂しさを埋めるだけの存在でもいい!!あんたの傍に居たい!!
例え・・・・・・・・・・・・あんたが、ブラッドを・・・・・・思い続けてても・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・っ!!」
はそこで咄嗟に瞳を見開いて彼を見上げていた。
この男は、全て分かっていたのだ。
例え体の繋がりがなくとも、精神的に寂しさを埋める為に彼に縋っていたのことを。
そうやってずっと、が彼の恋心を利用していた事を。
「・・・・・・・・・ごめんなさい、エリオット・・・・・・は・・・」
「謝んな・・・。俺は・・・、それでもあんたに頼られてるんだって思って、嬉しかったんだからな・・・」
謝罪の言葉を重ねて口にしようとしたにエリオットはそう告げた。
は続ける筈だった言葉を飲み込み、再度、フッと小さく息を吐く。
苦しかった。
も彼も、どこか似ていて。
似すぎていて、苦しかった。
「・・・・・・・・・・・・貴方って・・・・・・馬鹿だわ・・・。と同じ位に、大馬鹿者だわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
もしも。
もしもが、ブラッドと戯れの火遊びをきっかけに彼に恋などしていなかったら。
は、この男を好きになっていたかもしれない。
彼の中の激情に惹かれて、彼を愛していたかもしれない。
けれど、もしも、なんて、口にした所で意味のないことだけれど。
「・・・・・・・・・・エリオット、、行くわ」
「・・・・・・っ!!」
の体に未だに緩く回されていた彼の腕がビクリと震える。
は彼を見上げて、懇願にも近い声音で言った。
「・・・・・・・・・・・・お願い、行かせて・・・・。ここは・・・・・・今のには辛すぎる・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
暫くの間、彼は無言のままをジッと見つめていた。
その奥に、哀しみや寂しさが揺れているのが分かる。
「・・・・・・・・・これだけは、約束してくれねぇか?」
「・・・・・・・・・・・・何?」
「どんなに時間が掛かってもいい・・・、いや・・・本当は長い間あんたに会えねぇのはすっげぇ辛いけど、
けど・・・・・・・・・、これっきりってのだけは、なしにしてくれ。
いつになっても、連絡を寄こすってことだけは約束して欲しいんだ・・・・・・・」
今にも泣いてしまうのじゃないかと思われるほど、悲痛な声。
呟きと言っていい位の声の大きさなのに、の耳に大きく響く。
無意識の内に、は彼を見つめたまま、頷いていた。
エリオットの気持ちに応えることは出来ないけれど、
今まで彼がをずっと支えて来てくれたのは紛れもない事実だ。
彼はのしていたことを全て知った上で、を甘えさせてくれていた。
ならば、今この時、は誠実に彼の言葉に答えを返そうと思った。
「約束するわ、エリオット。何があっても・・・どんなに時間が巡っても、
貴方達に・・・いいえ、貴方にだけは連絡すると約束しましょう・・・」
「・・・・・・・・・・・・・!」
つい先程まで沈み込んでいた彼の表情が、この時だけは安堵の為か少しだけ明るいものに変わった。
はにっこりと微笑みを浮かべ、右手の小指を彼の前に出す。
「・・・?何だ?」
「の世界のの国ではね、昔から約束を絶対に守りますって言う意味でこうするの・・・」
言いながら、は戸惑いを隠せないエリオットの手を取り、自分の小指に彼の小指を絡ませた。
「・・・・・・約束よ、エリオット」
「・・・・・・・・ああ、約束だ・・・」
やがてゆっくりとエリオットがから離れる。
はいつの間にか倒れてしまっていたトランクを起こすと、再びエリオットと向き直った。
「じゃあ、・・・これで」
「門の前まで送らせてくれ」
「いいえ、・・・・ここでいいわ。・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・ところで門前に彼らは居たかしら?」
「え?ああ、アイツらか。まーたサボって居なくなってやがったぜ!
いつもなら意地でも連れ戻してるとこだったが・・・・今回はあんたのことがあったから、
そんな余裕がなくてよ」
言ったエリオットが苦笑する。
「あの子達にもここを出る詳しい時間帯は教えていなかったからね・・・。
一応お別れの挨拶らしきことは済ませてあるけれど」
「戻ってあんたが居ないって分かったら、アイツらぎゃーぎゃーうるせぇだろうな。
そんときゃ自業自得だって叱っといてやるよ」
その姿が目に浮かぶようで、は思わず笑ってしまった。
あの騒がしい日々が、既に懐かしい物の様に感じてしまう。
ブラッドの愛した全てから、ブラッドの配下にある全てから、はこれから遠ざかるのだ。
あの男の存在を強く感じられるこの領内から、
は遠ざかるのだ。
改めてそう思うと、胸がぎりぎりと締め上げられる様な苦しみを訴え始めた。
このままここで立ち止まって感傷に浸り過ぎてはいけない。
は門前に続く廊下に、スッと視線を移した。
「じゃあ、今度こそ行くわね。また会いましょう、エリオット」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、また、必ずだぜ・・・!」
「ええ、約束したから・・・必ず連絡するわ」
大きく頷き、同時に笑みを浮かべた後、は踵を返してエリオットに背を向けた。
さようなら、ブラッド。
愛していた。
そう、結局口に出す事はなかったけれど、本当は心から貴方を愛していた。
いつかもし本当にあなたへの想いを完全にふっ切ることが出来たその時は、
けれどきっとはあなたの幸せを祝福なんかしてあげなわ。
極上の笑顔を浮かべて、こう言ってあげる。
――――――――みたいないい女を振った事を一生かかって後悔なさい
そうその時は、負け惜しみではなく、自信を持って言ってあげる。
今はまだ、の気持ちは哀しみに濡れ過ぎていて、それは虚しい意地にしかならないけれど。
(END)
アトガキ
エリオットが超辛い役所になってしまいましたが、ある意味愛故に(笑)
本当は双子も出そうかと思ってたんですけど、
そうすると半端ない長さで収拾がつかなくなりそうだったので断念しました。
つーか、展開的に色々と昼メロみたいなベタな展開になってしまった感が(苦笑)
でも書いてる間は楽しかったからいいや!(・・・)
ではでは、ここまでのお付き合い、誠に有難うございます!失礼します。