「おや?お嬢さんじゃないか、遊びに来てくれたのか。
丁度良かった、これからお茶会をしようと思っていた所だ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
帽子屋屋敷。
長い廊下を進み、屋敷内を歩いていたアリスに声を掛けてきたのは、
この屋敷の主であり、帽子屋ファミリーのトップであるブラッド=デュプレだった。
彼は常と同様ゆったりとした笑みを浮かべて彼女を見つめた。
だが、アリスは無言で僅かに眉間にしわを寄せ、
何事か思案した表情を見せている。
ブラッドは再び彼女に向けて口を開いた。
「どうしたんだ?アリス。何をそんなに難しい顔をしている。」
「え?ああ、ごめんなさい・・・。何だか、ちょっと妙なもの(?)を見たのよ。」
「妙なものだって?」
「ええ・・・。」
そう彼に短く返しながら、アリスは今し方屋敷の外で見たばかりの光景を脳裏に思い浮かべていた。
この世界に来てから大抵の『妙なこと』は受け入れられるようになっていた彼女だが、
それでもやはり不意に彼女の常識では測れない出来事に遭遇すると動揺してしまう。
この世界を自身の夢の中だと信じてやまないアリスにとって、
余りに突飛な事柄が発生する事態は、
己の幼い部分を目に見える形で曝け出されている様に思え、
出来る事ならば回避したいと常々考えていた。
だが、その桁外れの出来事は常に彼女の予測を遥かに上回った頃合いに生じている。
つい先刻の出来事もそのひとつと言えた。
「・・・ねぇブラッド、この世界にはナイトメア以外にも飛翔能力のある人って居るの?」
「それはまた唐突な質問だな・・・。
まずは君が何を見たのか話してくれないか、アリス。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・ここの門に向かう途中に上から女の子が降って来たのよ。」
アリスは少々長めの沈黙と共に躊躇した後、
やがてボソボソと口の中で呟く様にして答えた。
平生ハッキリと言葉を紡ぐ彼女にしては珍しく自信のない様子を露にしている。
「何だって!?」
彼女の台詞にブラッドは瞳を見開き、
常からは考えられない程の声の大きさでアリスへと問い返す。
アリスは彼の態度に更に怯んだ様に今し方口にしたばかりの言葉を否定した。
「ああ、いいわ、やっぱりさすがにあり得ないわよね。
・・・私の見間違いよ、きっと。」
実のところ見間違いだと言い聞かせられるほど曖昧な状況で生じた事柄ではなく、
寧ろ彼女の目前で起きたことだったのだが、
アリスは敢えてそれを口にしないでおいた。
「いや・・・違うんだ、アリス。私も心当たりがない訳じゃない。
それで、その少女はどんな姿をしていたのかな?詳しく聞かせてくれないか。」
ブラッドは明らかに熱の籠った口調で彼女に説明を促す。
アリスは珍しいものでも観察するような視線をほんの一瞬彼に向けた後、
再び口を開いた。
「私も後姿しか見ていないから顔は知らないわ。
そうね、強いて言うなら全身真っ黒だった。身につけている物は勿論、
髪も、あんたよりもっと黒く感じたわ。
こう言っちゃなんだけど、最初は大きな鳥か何かかと思った位よ。
ああ…それに、これはチラッとしか見えなかったのだけど、
多分指にはリングを幾つか嵌めていたと思うわ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうか、ならば間違いないな・・・。」
「ブラッド?」
何事か思案する様子でブラッドが空に視線を彷徨わせている。
アリスが少女の話を持ち出したその瞬間から、
彼は明らかに常と態度が異なっていた。
それ程にあのブラッド=デュプレを動揺させる存在。
アリスは強く興味を抱いた。
「ねぇ、あのコ・・・、もしかして双子と同じであなたの部下なの?」
「ん?・・・・ああ、そうだな・・・。そうだとも言えるし、そうでないとも言える。」
「は?」
彼女は咄嗟に間の抜けた声を上げて問い返した。
アリスの口にした問いの内容は肯定か否定、
どちらかで済ませられる程度の物だった筈だ。
だが、彼はそのどちらだともハッキリ断言せず、酷く曖昧な答えを返した。
アリスは眉間にしわを寄せ、未だに思案顔のブラッドを見上げた。
「どう言う意味?」
「そうだな、少なくともこれから50時間滞の間は彼女は私の部下だ。
だがそれから彼女が他の勢力に移動した場合は当然、敵になる。」
「・・・・・・・・・・・・?帽子屋ファミリーの一員ではないの?」
「いや、彼女も私の下に居る間は私の組織の一員だが?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
彼女はより一層眉間にしわを寄せると、ジロリとブラッドを睨みつけた。
彼はアリスが正確な説明を求めている事を承知で同様の答えを繰り返しているのか、
或いは彼女自身の問いの仕方が誤っているのか、
会話は一向に前へ進む気配を見せない。
彼女は苛々とした口調で再び口を開いた。
「結局何者なの?期限付きであなたの部下になるということ?」
例えるならば傭兵のようなものなのだろうか。
アリスは幾度目かの問いを口にしながらそう考えていた。
「期限付きか・・・。そうだな、まぁ似たようなものだろう。
彼女は鴉だ、アリス。そして彼女のルールは留まらないこと。
組織であろうと場所であろうと、一定時間を超して留まる事を許されない。」
「鴉・・・・。兎や猫は見てきたけれど鳥類は初めてね・・・。
だけど羽なんか生えていなかったわよ。上から降ってきたのは確かだけど。」
「彼女は別に飛翔能力がある訳じゃない。
私たちより身体能力が優れてはいるが、飛び続ける事が出来る訳ではないのさ。
ただ、跳躍力が並外れているから、
君は丁度彼女が着地する所に出くわしたのだろう。」
当然のことのようにさらりとそうアリスに告げたブラッドは、
小さく溜め息を吐いて手にしている杖をクルリと一回転させた。
「さて、申し訳ないのだが、アリス。私は少し用が出来てしまった。
エリオットと門番たちとも話をしなくてはならない。
君とのお茶会が先延ばしになってしまうのは非常に残念だ、すまないな・・・。」
「私の事は気にしないでちょうだい。いつでも来られるから。」
そう返事をしながら、アリスは内心驚きを隠せずにいた。
ブラッドは常々言っている。
私は私のしたい時にしたいことをする、と。
そして彼は今までその言葉通り、傍若無人にそれを実行し続けてきた。
そのブラッドが恐らく彼の人生の中で、
優先順位として間違いなく上位に上がるであろうお茶会を延期すると言うのだ。
話の流れから見ても彼らが話し合いを持つきっかけとなったのは、
アリスが目撃したあの少女が関係しているに違いない。
「では、これで失礼するぞ、お嬢さん。
おっと、その前に、君が見たと言う彼女は、
どちらに向かって歩いて行ったか覚えているかな?」
「・・・・・・・・・え?
ああ、そうね・・・少なくとも門の方には向かってなかったように思うわ。
私も混乱してて余りよく覚えてないけれど。」
「ふむ・・・分かった。有難う、アリス。ではまた会おう。
次こそは君をがっかりさせないと約束するぞ、
最高のお茶会に君を招待するから、楽しみにしていてくれ。」
「ええ、お声が掛かるのを待っているわ。じゃあね。」
別れの言葉を交わし、二人は同時にその場を離れる為に歩を進める。
だが、その最中、アリスは不意に、ピタリと足を止め、再び振り返った。
「ブラッド!最後にもうひとつだけ、教えて。」
呼びとめられ、ブラッドがゆっくりと彼女に視線を向ける。
「何だ?」
「あなたが鴉と言ったあのコの名前を教えて欲しいの。」
「・・・・・・・・・・・・‥‥。」
彼は暫しの間無言でアリスを見つめていた。
だが、やがて常と同様の気だるい口調で答えを返す。
「=だ。」
「=・・・・・・・・・・・・・。」
アリスは彼から告げられた名を自身も小さく呟き、繰り返した。
ブラッドは再度、クルリと踵を返して去っていく。
彼女はもうブラッドを呼び止めはしなかった。
=
彼女は心の内でもう一度その名を呟く。
後姿しか目にしなかったその少女の存在が、
何故か酷くアリスの心を揺さぶっていた。
私達の出逢いは、
運命でしたか?
狂った世界で出会った私の親友。
何てあなたと私にお似合いな皮肉で最高の出会いなのかしら。