――仕事にかかるまでまだ時間があるだろう、
次に時間が変わる間にお茶会の用意をさせる。
時間が変化した後にでもお茶会をしよう。
新しい茶葉も手に入った事だしな。
お茶会の会場となる帽子屋屋敷の庭園へが足を踏み入れる少々前。
ブラッドは平生と同様に気まぐれで突発的に茶会を開くと口にした。
そう、彼女は考えていた。
そして恐らくブラッド自身も、
がそう考えるであろうと意図して言葉を紡いだに違いない。
理由など簡単だった。
彼はそういった性質の人間だからである。
常は殆ど軽いお愛想程度にしか『表情』を変化させないが、
余所者の話題を出した途端に見せたハッキリとした拒絶。
完璧に見えた無の仮面が剥ぎ取られた瞬間。
大抵の人間は見逃していたかもしれない些細な変化だったが、
長い付き合いと言う事もあり、ブラッドの眼は誤魔化すことが出来なかったと言える。
そしてまた余りに完全過ぎた無が、
皮肉にも彼女の僅かな変化を安易に晒すことになったとも言えた。
ブラッドは今現在の彼女の様子から見てもハッキリと断言できた。
は興味を抱いたのだ、余所者・アリス=リデルに。
「・・・・ブラッド=デュプレ・・・わざと私を先に会場へ向かわせたのね。」
「さて、何のことかな?」
「・・・・これだから役持ちの連中は苦手よ。」
くっく。
ブラッドはさも愉しげに喉の奥を鳴らして哂い、紅茶を一口、啜った。
間違いなく彼女は動揺している。
彼をフルネームで呼んだのがその何よりの証拠だ。
常の彼女は帽子屋に滞在している間は彼の事を『ボス』としか呼ぶことはない。
帽子屋に滞在している間はは文字通り彼の部下であり、
ブラッドは彼女の上司だからだ。
が彼をフルネームで呼ぶのは敵対勢力へ身を置いている状態に限る。
そして現在まで彼女はその姿勢を崩した事は彼の知る限り一度もなかった。
アリスとが顔を合せて然程時間は経過していないが、
その間に(寧ろアリスの話題を出した時点から)
彼女は今まで決して晒さなかった表情を幾つか見せている。
ブラッドにはそれが非常に愉快であり、また興味深い状況だった。
「ねぇ、、あなたに聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」
「どうぞ、何?」
「ブラッドにあなたは鴉だって聞いたわ。
一定時間を越して留まる事を許されないのがルールだって言うのも。」
「その通りよ。だから私は同じ組織にも場所にも50時間滞以上は居られない。
例え組織に所属して居なかったとしても、
滞在場所は変えなきゃならなかったりする訳。」
何所か事務的にそう説明をした後、
は手元の少々冷めかけた紅茶の入っているカップに口をつけた。
「・・・それって凄く不便なんじゃないの?」
「だよな、俺もずっとそう思ってたぜ。しかもコイツ、
51時間後には何食わぬ顔してハートの城の女王の手先やってんだぜ?
ったく・・・、恩を仇で返すような真似しやがって。」
「それが鴉のルールよ。今更何とも思わないわ。」
「ああ、そうかよ!・・・ま、あんたのルールは特殊だよな、
俺ならそんな役回りは絶対ぇ御免だ!」
腹を立てていると言うよりは拗ねた子供の様にエリオットは返した。
「特殊・・・?ねぇ、留まらないと言うのは場所や組織だけなの?」
「・・・やけにの事を尋ねるじゃないかお嬢さん。そんなに彼女が気に入ったのか?」
ニヤリ。
薄く整った唇の端を意地悪く釣り上げ、
ブラッドはの表情を伺うような瞳をしながらアリスに言った。
は無言で、そして表情を変えることなく、手元の菓子を摘んで口に運んでいる。
「同性の知り合いが少ないから、仲良くなれればとは思っているわ。」
素直に答えを返したアリスに、彼は何所か満足げに瞳を細めた。
そして返事を促すようにブラッドがへと視線を向ける。
彼女は再び紅茶を啜ると、チラリと感情の無い瞳でブラッドを一瞥した。
だが、彼は捉えていた。
無の中に見える、揺らぎを。
それは余りに微かで曖昧なものだったが、やはり確実に存在していた。
「鴉のルールはね、アリス=リデル、
場所や時間だけでなく、心にも関係してるのよ。」
「・・・・・・・・・・・え?」
一瞬。
の言葉の真意が理解できず、アリスがきょとんとした表情を見せる。
彼女は更に続けた。
「誰かの心に強い憎悪や好意を刻んではいけない。
何故ならそれは、その『誰か』の心に『留まる』ことになるから。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「そしてその逆も、よ。私が誰かに強く好意を抱く事も憎しみを抱く事も許されない。」
「それが鴉のルールだからって!?
チィッ、あんたってマジで融通の利かねえ女だな。」
先程とは違い、苛々とした口調でエリオットが舌打ちと共に吐き捨てるように言った。
アリスは無言でを見つめている。
彼女のエメラルドグリーンの美しい瞳が、
金色の表情の見えないの瞳を正面からジッと見据えていた。
「悪いけどボス、仕事の時間まで少し休むわ。
実はここに来る前に休んだのはほんの少しの間だけだから眠くて。」
「ああ、時間になったらメイドを寄こしてやろう。」
「遅れんなよ。」
「了解。じゃあ、これで。バイ、アリス。」
は椅子から立ち上がると同時にアリスに向け別れの挨拶を口にしたが、
その視線は明らかに彼女から外れていた。
「ええ、じゃあね、。」
アリスが挨拶を返したのとほぼ違わず、はあの違和感のある笑みを浮かべ、
彼らの居るお茶会の会場から去って行った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もしかして嫌われているのかしら。」
「あ?アリスを嫌うヤツなんて居る訳ねぇだろ!
アイツのあれはいつものことだ、気にすんな。」
「いや、普通じゃないぞ?」
紅茶の最後の一口を飲み終えたブラッドが、静かにエリオットの言葉を否定する。
エリオットはぎょっとしたような表情を見せた。
「お、おい、ブラッド!?」
「ブラッド、あんたって本当にいい性格よね。」
フォローさえしてくれないなんて。
アリスが続けてそう口にすると、ブラッドはくっくと喉を鳴らして笑いを漏らした。
「そうじゃないさ、お嬢さん。逆だよ、彼女は君を気に入った。
恐らく感情としてはまだ曖昧過ぎる程に曖昧なものだろうが、
確実に君に興味を抱いているんだよ。」
「?だけどあの説明だと仲良くすることは出来ないと言う事じゃないの?」
「そうだな、それだけ境界線をハッキリさせたかったと言う事だ。
踏み込んでくるな、と。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ねぇ、お願いだからもっと分り易く説明して頂戴。」
少々苛立った口調でアリスが返す。
ブラッドは未だ、楽しげに笑みを浮かべていた。
「幾ら初対面の人間だからと言って、
は普段あんなに事細かに自分のルールの説明など口にしない。」
「ん?そう言や確かにそうだよな。
ああ、でもありゃアリスが聞いたから答えたんじゃねぇのか?」
「そうね、私が聞いたんだったわ。」
アリスは先程のとの会話を思い出しているらしく、
視線を空に彷徨わせて軽く頷いた。
その間にブラッドは自身のカップに紅茶を注ぐ。
そして再び口を開いた。
「まぁそうだが、だが恐らく君が質問しなくても彼女はルールの説明をしていた筈だ。
何故なら、ハッキリと境界線を引いて置かなくてはならない程に、
既に君に興味を抱き始めている自分自身に気付き始めていたに違いないからだ。」
「・・・どうしてそう断言出来るの?」
「完璧なものほど、ほんの僅かでも綻ぶと分り易い、ということさ。」
「・・・・・・・・・・・・‥…全然わっかんねぇ・・・・・・・・・・。」
「安心して、エリオット、私もだから。」
困惑するエリオットとアリスに構わず、ブラッドは一人、
さも愉快そうに瞳を細めてほくそ笑んだ。
アリスとを引きあわせた事は、彼にとって大きな収穫となったのだった。
虚言を喰らう
ルールの下に隠れた君の素顔を、いつか必ず見てやろう。