「つまり、余所者のお嬢さんを本気で好きになって、彼女を裏切りたくないと、
だから遊びでちょっかいを出した程度の私は要らなくなったと言う、
つまりそういうこと?」
「・・・そうだな・・・端的に述べれば、まぁ、そういうことだ。」

そう答えたブラッドは、常と同様のゆるい空気を纏ったまま、
手元の紅茶を一口、啜った。
はその彼の様子を至極冷めた瞳で見つめている。


まぁ、そういうことだ?
フン、それこそ随分とまぁ・・・。簡単に言ってのけて下さることで。


異世界から来たと言う少女・アリス=リデルがこの屋敷に滞在する様になって以来、
明らかにブラッドの興味がからアリスへ移っていた事には、
彼女自身も気付いていた。
アリスが頻繁にブラッドの私室に出入りし始めていた事も、
そして時間帯が夜へと変化した場合には殊更長く彼女が彼の部屋に留まっていた事も、 は全て承知だった。
それ故最近ではブラッドの室を訪れる事を長く控えていたのも事実だ。
それが今回、アリスが屋敷を空けたと同時に彼から緊急の呼び出しを受けた。
理由は聞かなくとも分かっていた。
俗に言う別れ話と言うやつだ。

「私・・・今自分が役持ちだったことに心から感謝するわ。
でなきゃ、貴方のことだもの、私の時計を破壊して証拠隠滅よね。」
「・・・普通の女性相手なら否定は出来ないな・・・。
だがそうだったとしても私は君を殺すつもりはないよ。
私は君の性格はよく把握しているつもりだ・・・、
君は今までの私との関係を公にする様な真似はしないだろう?」
「――そうね。」
「それでいい・・・。」

満足げに小さく頷き、ブラッドは美しく整った形の唇を僅かに曲げて笑んで見せた。


・・・嫌な男・・・。


「話がそれだけなら、もう行くわね。書類が溜まってるからさ。」
「ああ、終わりだ。もう行っていいぞ。」
「では、失礼致しますわ、ボス。」

は大げさな程の満面の笑みを浮かべると、踵を返して室の扉へと向かう。

。」

そこへ再び背後からブラッドが彼女を呼び止めた。
ほんの一瞬の眉間にしわが刻まれる。
しかし、ブラッドが机を離れて彼女のすぐ後方まで歩を進めた気配を感じ取ると、
は瞬時にして表情を平静なものへ変化させた。

「何か言い忘れたことでも?心配しなくても、
貴方方の邪魔をしようなんて無粋な真似は致しませんよ。」
「そんな心配はしていない。」
「では、他に何か?」

早くこの部屋から私を出して。
寸での処では続ける筈の言葉を飲み込んだ。
代わりに彼女は感情を見せぬ無色の瞳で彼を見上げる。

「君と過ごした時間は私にとって最高の退屈凌ぎだった、
感謝しているぞ、。」
「―――――・・・・・・・・・・・・・・・。」


ギリ。
と、彼女は咄嗟に両の掌を指先が白くなるほど強く握り込んだ。
胸の奥での生命を紡ぐ時計が大きく軋む音が聞こえる。
時計に生じた強い圧迫感が、
今にも砕け散ってしまうのではないかと彼女に錯覚を起こさせた。


・・・砕ければいい。
砕けて、壊れてしまえばいいわ。


「私もよ、ブラッド。素敵な時間を有難う、そしてさようなら。」


至極自然に笑顔を浮かべ、は穏やかな声音で返事をした。
先程から握り込んでいる掌に、彼女自身の爪が食い込み、血が滲み始めている。
だが、は構わずその手でブラッドの室のドアを開け、静かにその場を後にした。
その後長い廊下を足早に進みながら、彼女は不意に呟く。

「私は君の性格はよく把握しているつもりだ・・・・・・・、か・・・。
よく言ってくれたものだわね・・・。」


・・・まったく、よく言ってくれたものよ。
だけど、ねぇ・・・貴方は私について何一つ分かってないわ、ブラッド。


クスリ。
は唇を微かに歪めて小さく笑う。
彼女の胸の時計は今も悲鳴を上げていた。


私も所詮はこのハートの国の住人。
アリスを憎める訳がない。
でも、貴方と彼女の幸せを願えるほど、都合よくは出来てない。


彼女の足は次第に歩みを進める速度を落とし、
知らず、立ち止まっていた。
焦点の合わぬ瞳ではぼんやりと床を見つめる。


用済みになった時点で、殺してくれれば良かったのに。
貴方の手で、私の時計を壊してくれれば良かったのに。


スゥ、と、彼女の頬に熱い滴が伝い落ちた。
一筋流れたそれは、やがて堰を切った如くして溢れ始める。


本当に、貴方はわたしについて何一つ分かってない。


嗚咽が込み上げ、声を洩らしそうになった所で、
は片手の掌で自らの唇を押さえた。
両肩が小刻みに震えている。
視界は涙で霞み、歪んで見えた。


「――――っ・・・私は、・・・貴方の事が、こんなにも好きなのよ・・・。」


痺れた様な感覚を持つ喉から絞り出す如くそう呟き、
は壁に自身の肩を押しつけた。
そしてそのままずるずると床に座り込む。
永遠に届く事のない彼女のその想いは、
人気のない廊下の虚空に儚く溶けて消えた。



(終わり)