黄昏時の檻の中

あの時どうして右を選んだのか。
選んでしまったのか。
今じゃもうよく分からない。
ただ、は怖かったんだと思う。
で居られなくなると言うことが。
だから、という存在を終えるという、左の道を選び取ることが出来なかった。
あの時はきちんと考える余裕なんてなかったけど、左の道は多分、
輪廻転生に繋がる道だったんじゃないだろうか。
あっちの道を選ばなかった今となっては、それを確かめる術なんかないけれど。
が分かってるのは、分かったのは、右の道にあった先の運命だけだ。



右を行けばおまえはおまえのまま、だが新しい生を受け、
異なる世界で生まれ変わる。




あの不思議な声の言葉通り、のまま、だけど同時に全く別の種族、
そう、人間としてじゃなく、妖として新しい生を受けた。
にとって異世界とも思えるこの場所で――――――






逢魔時。
夕暮れと宵闇の混じりあう、酉の刻。
昼間は人間達が学生生活を送っているその何の変哲もない学園は、
暮れ六つを境に妖怪たちの学校へと切り替わる。



「おや?、今お目覚めですか?」
「ぎゃっ!?」



じわじわと覚醒し、闇から外へと姿を見せて、まさに起きぬけのその瞬間。
それとほぼ同じタイミングで声を掛けられ、驚いたは間抜けな声を上げた。
声の主はそんなの様子をクスクス笑いながら見ている。


「これはこれは、驚かせてしまいましたか」


反射的に向けた視線の先には、男にしては長い髪の毛を後ろに束ねた、
色白で綺麗な顔立ちの金色の瞳を持つ天狗の妖怪の青年。
口調も物腰も穏やかでやわらかいのに、彼の人となり、いや妖なりを知ってるからか、
どこまでも胡散臭く冷たい印象を持ってしまう。



「・・・と、飛浦」


うわぁ、朝一、じゃなかった・・・夜一会ったのがこの人・・・。


なんてことは勿論、顔に出してはいけない。
は口元を引きつらせつつもどうにか笑って答えた。


「ども、こんばんは・・・」


挨拶を返しつつ、それでもやっぱり相手への苦手意識の強さの為か、
思わず数歩、後ずさる。
笑顔も、この分だと自分で思ってる以上に失敗してるかもしれない。
いや、間違いなく失敗してるだろう。
だが、目の前の相手はそんなの動揺さえ面白いようだ。


「ふふっ、そんなに怖がらないで下さい。
あなたは今夜も特別美味しそうな匂いがしていますが、
だからと言って今すぐとって食おうなどとは思っていませんから」
「その台詞が既に怖いです、飛浦さん。ついでにその笑顔も怖いです、飛浦さん」


不本意も不本意ながらこの世界に来て言われ慣れ、聞き飽きた台詞だが、
それでも彼に口にされると限りなく身の危険を感じる。
飛浦はそんなの様子をまたしてもさもおかしそうにクスクス笑った。


「・・・それじゃ、私はもう教室に向かうから」
「ええ、ではまた、風紀委員のさん」


殆ど逃げるようにその場から立ち去るに、
飛浦がからかうような口調でそう言ってにやにやと見送る。
はその視線から一刻も早く逃れたくて、足早に校舎内へと進んだ。
その間にポケットに押し込んだままだった風紀委員の腕章を取り出し、
それを腕にはめる。
が外へ出た事で、
『匂い』を嗅ぎ付けた小さな妖怪達が早くもの傍へと群がってきた。
一見小動物っぽくて可愛らしい様子の彼らだが、コイツらの目的はただひとつ。
を『食べる』こと。
外見のぽわぽわでふわふわ、きゅるるん、うるうるな感じに騙されてはいけない。
少しでも甘い顔をするとこいつらは、
の指だろうが頭だろうが足だろうがお構いなしに齧ろうとして来るとんでもない奴らなのだ。
いや、この小さな妖怪たちはまだそれこそ可愛げのある方かもしれない。
もっと厄介な連中は、さっきの飛浦も含めた、この学校内に居る生徒達の方だ。
『元人間』であるは、生粋の妖怪である彼らにとって、
食欲をそそる『美味しそうな匂い』を漂わせた存在であるらしく、
これまでに食料としてみなされ、
襲い掛かられたことは数え切れない程経験がある。
一年前、まだが妖怪になって間もなかった頃は、
そのおかげで本気で死にそうな目に遭ったことも一度や二度じゃ済まなかった。
今でも慣れたとは言い難いけど、少なくとも妖力の使い方や加減を覚えたこともあって、
以前よりは格段マシなやり方でそう言った危険を回避できるようになった。
因みに、の持ってる風紀委員の腕章は、が使用してる時のみ、
ある程度力の弱い妖怪はに触れることが出来なくなってる。
つまり、に群がってる小さな妖怪達は、ある程度の距離までは近付けるけど、
それ以上はに近づく事が出来ない。
とは言え、目の前とか、横とか、後ろとか、
結構邪魔な感じに纏わりついて来てるんだけど。
でもまぁこの位なら問題ない。
さっきも言ったように、
この小さな妖怪達よりもっとずっと性質が悪い連中なんてここには山ほど居るんだから。
一見人間にしか見えないものや、頭に角や獣のような耳が生えてるもの、
それどころかどう見ても動物にしか見えない妖や、
ぞっとするようなグロテスクな見た目の妖怪達も校内にはうようよ居る。
最初の内はそれが怖くて一人じゃろくに廊下も歩けやしなかった。
実は今でも驚いたりびくびくしたりすることもなくはない。
だけど、彼らの恐ろしさはそう言う外見だけのことじゃなくて、その中身にある。
この一年で、全部じゃないにしろ、は随分そういったことを学んだ。






「はははっ!相変わらず怒りっぽいなー、日比谷さんは。
可愛い後輩の冗談位聞き流して下さいよ」
「まったくよね、この位はちょっとした可愛らしいお遊びなのに。
この程度で青筋立てるなんて大人気ないですよ」
「〜っ〜っ!お前ら!!今日と言う今日は許さん!!待て!!」


足早に校舎内に入り、
の『匂い』に気付いてこっちに物欲しげな視線を向ける妖怪たちを警戒しつつ、
三年の教室に向かう為に階段を上り終えたところで、廊下の奥から騒がしい声が聞こえてくる。
そこに誰が居てどんな状況なのかは確認しなくても大体予想はつく。
が、も風紀委員の一人、このまま素通りと言う訳にもいかないだろう。
内心深い溜息を吐きながら、は声のする方へ向かうことにした。
んだけど、どうやらこっちから向かう必要はなかったようだ。
彼らの方からの立っている場所に向かって近づいてきてる。
って言うか、まぁ、逃げてくるって方が正しい。
見慣れた2年の女子生徒と男子生徒が、我が風紀委員長様に追われている。
2年生の涼江静と式部密。
毎度毎度のことだけど、悪戯大好きなあの二人はわざわざ3年の教室まで来て、
風紀委員長である3年の日比谷京極をからかいにきたんだろう。
周囲もこの状況には慣れた物で、遠巻きに彼らのやりとりを見ている。
ま、案の定と言うか、何と言うか。


!!いい所に来たな!そいつらを捕らえろ!!」


二人が逃げている先にが立っていることに気付いた日比谷が叫んだ。
彼の炎の攻撃を避けつつ、からかいの言葉を口にし、
後ろばかりを気にしていた静と式部君がを目にして少し驚いた表情を見せる。


さん!!見逃して!」
「そうそう、俺達可愛い後輩だぜ?先輩」


「そいつらの戯言に耳を貸すんじゃない!!挟み撃ちだ!」


静には日頃色々とお世話になってるからその分日比谷が居ない時なんかには、
今までも何度か見なかったことにしたあれこれも結構ある。
だが、今回はこれ、どっからどう見ても見逃すには不自然だ。


「ごめん、静!・・・今回は日比谷のお説教受けて!!」


言いざま術を発動し、二人が今居る場所から先へ進めないように結界を張る。
ほぼ不意打ちで表れたの存在と、かなりの速度で走ってた勢いもあって、
彼らは思いのほかあっさりとその結界に足止めされた。


「よし!よくやった、!・・・くっくっく、
さぁお前たち、もう逃げられんぞ。このまま炎に巻かれたくなかったら大人しくすることだな。
今日と言う今日はたっぷりと今までの所業を反省させてやる」
「うっ・・・!」
「やれやれ・・・今回はしくじっちまったな。まさか挟み撃ちとはね」


さすがの二人も状況が状況だけに不利だと見たのか、
それ以上逃げ出す素振りは見せなくなった。
その代わり、予想外の方向から突然表れたに恨みがましい視線を向けてくる。


さんの裏切り者」
「まったくだな、いつも俺達にあれだけ世話になっておきながら」
「静にはお世話になってるけど、式部君には苛められてる覚えしかないです」
、そんな奴らのいう事に耳を貸すな。お前は風紀委員としての務めを果たしただけだ。
さぁ、行くぞ、二人とも。ここでは他の生徒の迷惑になるからな、場所を移す」


そう言って早速日比谷が静達を連行していく。
これから彼らが日比谷に延々とお説教を続けられるんだろうと思うと少々気の毒と思わなくもないけど、
あの二人の場合たまにはこういうことがあってもいいだろうとも思う。
まぁ、その程度で毎日悪戯に明け暮れてる彼らの生活が変わるとは全く思わないけど。
がここに来る前から、それどころか日比谷が妖として闇の世界に来るそのずっと前から、
静と式部君は校内の至る所で悪戯を仕掛けてるらしいし。
妖力の高い彼ら二人に太刀打ち出来るのは日比谷を含め一部の生徒だけなので、
何だかんだでああ言った光景を見慣れてる周囲の生徒達もヘタな手出しはしない。
妖になって一年目のも最近になってやっと自分の力の使い方や制御の仕方が分かるようになり、
以前よりは風紀委員としてまともに日比谷の補佐が出来るようにはなったが、
元々その方法を身につけることを手伝ってくれた友達の一人が静だったりもする。
そのことを考えれば、確かには『裏切り者』だ。
とは言え、日比谷にもかなり協力してもらってるんだけど。


「相変わらず二人揃うと益々美味そうな匂いがするよな、風紀委員」
「ああ、そうだな・・・。日比谷はともかく、あの女のほうならその内食えそうじゃないか?」
「オレもそう思ってたんだけどさ、アイツ元人間だからな、ああ見えて妖力が高いんだ。
しかも、遠野の手下らしいぜ」
「遠野の!?マジかよ・・・。けどさぁ」


教室に戻ろうとしたの傍でそんなやり取りをしている男子生徒が二人。
一応声を潜めてるようだけど、距離が近かったこともあって丸聞こえだ。
すれ違いざまにジロリとそいつらをひと睨みして、
ついでに正面からに突っ込んできた大柄な妖怪を術で弾き返す。
少しでも隙を見せたり甘い顔をしたらシャレならないことになるってのは既に学習済みだ。
未だに彼らの言う『美味しそうな匂い』の意味は全く理解できないし、したくもない。
日比谷も言ってたけど、は彼のことを美味しそうだなんて思わないし、
そんな『匂い』を嗅ぎ取ったこともなかった。
やっぱりそこが、元人間と純粋な妖怪の違いなんだろうか。

その後も周囲を警戒しつつ歩きながら、は、今日の昼休み、
基、夜休みはの喧嘩の師匠である遠野と約束してることを思い出していた。




(序章 3へ続く)