黄昏時の檻の中

その後は由良城に捻挫の手当てして貰い、保健室を後にした。
校舎から出てすぐに見上げた空は美しい濃紺色。
夜明けまでにはまだ数時間ある。
今日も一日、無事に学園生活を送ることが出来た。
そのことに今日も安堵する。
が妖になって一年。
最初に比べれば少々マシになったとは言え、まだまだ驚きの連続と言ってもいい。
それに、正直に言えば、未だに自分が人間じゃなくなったと言う事実には慣れない。
人間と妖。
一見人間と殆ど変わらない外見のものも沢山居るけど、
その内面や彼らの常識は余りにも人間達とは違いすぎて。
今のは余りにも中途半端な存在で。
妖になってしまってる筈なのに、人間と同じような『美味しそうな匂い』がするなんぞと言われ、
毎度妖怪たちに襲われてる。
人間にも妖にも、完全に戻れも成りきることも出来ない。
でもどんなに否定しようとがここに、
妖怪たちの世界に居ることは紛れもない現実だ。
と同様、元人間だった日比谷のように、も少しずつ慣れて行くしかないんだろう。

は無意識に制服の上から首もとのネックレスに触れていた。
翠色の美しい石の付いたシンプルなデザインのネックレス。
この石は不定期に弱まるの妖力に反応し、その色を変化させる。
本来妖力ってのは生まれつきその強さが決まってるもので、
その数値が変わることは特殊な場合を除いて殆どない。
実技や筆記は努力次第で上げられるけど、妖力は別だとよく聞く。
一応他者から奪うとか自分自身の妖力を上げる方法とか、ないではないらしいけど、
そうやって身に付くのも微々たるものか、若しくは相当面倒なやり方が必要らしいとか。
衰えると言う意味じゃ、妖力の強さが変化する場合もあるらしいが、
はそれには当てはまらない。
本当に不定期に、予測の付かない感じで突然いつもより妖力が低くなることがある。
それでも妖力の数値は成績を見る限り20位以内に入ってはいるようだけど、
普段のは多分上位5位以内に入る程度の力を持ってるはずだから、結構な変化だ。
前回と前々回はの妖力が弱まった時に試験が重なったので、
周囲の妖怪達はが特に力ある妖だとは思ってない。
それどころか元人間にしては妖力の低い、狙いやすい相手だと思っているらしく、
そのせいもあって『美味しそうな匂い』のするは日々彼らに狙われてる感じだ。
同じ元人間でも日比谷には到底歯が立たないが、
ならいけると思ってるんだろう。
だけど実際は、
ある程度妖力の高い生徒や教師はの普段の妖力の強さを感じることが出来るから、
その時の数値に疑問を持ってるようだ。
妖力テストの結果は信頼できるものの筈だし、何かの術なんかで力の程度を操作したとしても、
普通は妖力数値を高く見せることはしても低く見せることなんかしないだろう。
だからが妙なことをしたんだなんて考える輩は居なかったみたいだけど、
未だにその理由は謎のままで。
厄介なのはの妖力が低い日があるらしいって噂を耳にした妖怪達が、
その辺を狙って食ってやろうかなんぞと考えてるらしいことだ。
そう言った時の為に日比谷や静、遠野のお世話になってるんだけど。


「ふぁ・・・」


あれこれ考えてるところで、の口からあくびが漏れた。
まだ寝るには少し早い時間だけど、眠気には勝てない。
どこか適当な場所を探して寝ることにした。
因みに、寝込みを襲われる心配のないように結界を張ることは毎度忘れないようにしてる。


「あれ?さんじゃん」
「・・・っ、・・・、式部君」


不意に掛けられた声の主を目にして、反射的にの口元が引きつる。
式部密。
今朝、じゃなく、今夜、三年の廊下で静と一緒に日比谷をからかって彼に追われてた男子生徒。
実は、飛浦を苦手なのと同じくらい、彼が苦手だったりする。
いや、飛浦の方が腹黒さが分かりやすくてまだマシだと言えるかもしれない。
いかにも妖怪の妖怪たる所以と言った、残虐性やその思考はどっちにも多分共通してる。
飛浦は一見穏やかな笑顔の美青年に、式部君はお軽い笑顔の明るい青年に見えなくもない。
だけど内面はきっとが想像してる以上に闇が深いんじゃないだろうか。
は元々そう勘の鋭い方でも鈍いほうでもなかったけど、初めて式部君を見たとき、
何故だか背筋がぞわりとして何とも言えない感覚に襲われたのを覚えてる。
後に彼が死神の系統の血を濃く持ってる妖怪だって聞いて妙に納得した。
でも、多分、それだけじゃなくて、
彼自身の持つ何かにの第六感的なものが反応したんじゃないだろうかとも思う。
それは勿論、彼が呪術にずば抜けて長けてるとか、そう言う要素も含めてだろうけど、
他の生徒達みたいに彼が不吉な力ばかりを使うってのに怯えてるのとはまた違う。
妖怪としてまだ経験の浅い、人間としての面のが、彼を拒絶してるのが分かる。
とにかく、何が言いたいのかと言うと、さっき言った様に、
つまりはは式部密が苦手だってことだ。
彼が静の親友(静曰く悪友、腐れ縁)だとしても、
が彼女に感じる親愛の情を式部君に向けようなんて全く思わない。
まぁ、彼だってそんなもんに望んじゃいないだろう。



「さっきはどうも。おかげで日比谷さんの説教部屋から抜け出すのに苦労したぜ。
知ってるだろうけど、あの人しつこくてさ、
結局静に後を任せる形になっちゃったもんな」
「・・・つまり置いて逃げてきたんだ」


こういった事は一度や二度じゃないと静本人に聞いたことがあるけど、
全く悪いと思ってないあっけらかんとした笑顔を見ると呆れてしまう。


「そんな目で見ないでくれよ。
元はと言えばさんが日比谷さんに協力しちゃったからあんなことになった訳だし?
本当に友達甲斐がないねぇ」
「風紀委員だからね、


友達甲斐なんてよく言う。
が式部君を苦手なように、
彼もを余りよく思ってないだろうことは何となく分かってる。


「それじゃ、今日は早く寝ようと思ってるんで、はもう行くから」


素っ気無く言って、クルリと彼に背を向ける。
だけど当然、警戒は怠らない。
遊び半分で人間だろうが妖怪だろうが呪術を使って殺すようなヤツだ。
隙を見せたらそれこそ何をされるか分かった物じゃない。


「・・・今の所は危険はないし・・・、アイツ(・・・)も気に入ってるみたいだから見逃してるけど、
あんまり目障りになるようなら――――」


の背後。
式部君がその先に続けただろう言葉はにはよく聞き取れなかったけど、
ほんの一瞬向けられた鋭い殺意で大体察しは付いた。
前言撤回。
彼はを余りよく思ってないだろうなんてものじゃなく、
完全に嫌ってる。
は振り向きもせず、足早に彼の傍から立ち去った。


妖になって一年。
周りはを食料にしようと虎視眈々と狙ってる妖怪がうようよいるし、
飛浦や式部君みたいに違う意味で厄介な連中も少なくない。
未だに自分が人間から妖怪になったことを認めたくないとも思ってる。
悩みをあげればきりがない。

右か左か。
選んだと言うよりは訳の分からない内に選ばされた道。


だけど、に今出来ることは、
少しずつ、何年掛けてもこれを受け入れることだけだ。
それでも人間であったことを忘れるような『妖怪らしさ』を身につけるつもりはない。
ただ、今のが何であったとしても、であるってこと、
その上で信じ難いと信じたくないと思うこの気持ちを自然と落ち着けられればいい。
そしてその為には、当然のように他の妖怪たちに食われてやる訳には断じていかない。





暗い闇の中。
明日もは目を覚ます。
暮れ六つ。
夕暮れと宵闇の境目、その時刻に――――――






(序章 了)