夢を見た。
特に面白みもない、何て事のない日常の一こまのような夢だ。
ベッドの上で目を覚まし、
寝ぼけ眼のまま何となくベッドの傍にある目覚まし時計に視線を向けた。
時計の針はいつも起きる時刻を大幅に過ぎた数字を指してて、
は大慌てで飛び起きる。
いつもはけたたましい音で鳴り響く目覚まし時計のアラームで目を覚ますのに、
その時に限ってどうして気付かなかったのかってことを疑問に思うことすらなく、
バタバタと大急ぎで学校に行く準備を始めようとしたところで、
はもう一度時計に視線を向けて呆然とした。
目覚まし時計の音に気付かなかったんじゃないってことに気付いたから。
目覚まし時計はまだ鳴っていないのだ。
何故なら、今はが目を覚ます一時間も前の時間だったから。
つまりは単なる見間違いだったってことで。
自分に激しくツッコミを入れて気が抜けたところで、
はパチリと目を覚ました。
何てとりとめのないつまらない夢だったんだろう。
だけどその夢は、を酷く落ち込ませるのに十分だった。
が目覚めた場所は暗い暗い闇の中。
あたたかな布団や寝心地のいい枕、見慣れた天井なんてここにはあるはずもない。
だってここは学園の敷地内の一部で、
妖になったにはもう『家』と呼べる場所なんて必要ないんだから。
そうじゃなくても、この街のどこにも、が人間だった頃の『家』はない。
この妖怪の多く住む街は、にとって異世界そのもののような場所だ。
妖になって初めて足を踏み入れた、人間の頃には無縁だった場所。
この街には自分が人間だった時のことを懐かしめるものなんてありはしないのに、
たった今見た夢は妙にリアルで。
そうだ、つまらない日常の一コマであることが、逆にとてもリアルに感じた。
だからこそ、目覚めた瞬間、こんな最悪な気持ちになれたんだろう。
はもう、あの住み慣れた家のあの部屋で、
あのベッドで眠ることも、目を覚ますことも、二度とないんだから。
◆◇◆
屋上に上ってそこから見える景色をぼんやりと見下ろす。
見晴らしのいいこの場所からは、
この学園から少し離れた場所にある家や街の明かりがよく見えた。
は深い溜息を吐くと、フェンスに背中を押し付けて、今度は夜空を見上げる。
今夜は半月だ。
もう十分に夜色に染まった空には、薄っすらと所々に雲が浮かんでいた。
夢見が悪かったせいか、今日は一日ぼーっとして殆ど授業が頭に入ってない。
それにぼけっとしすぎてを食そうと襲ってきたヤツらに気付かずに危うい場面も何度かあった。
悪夢なんて大げさなものじゃなくても、には大ダメージだったようだ。
(まぁ、純粋な妖怪たちに言わせれば『悪夢』は彼らにとっていい夢らしいけど)
そしてあの夢でここまでダメージを受けてる自分がまた情けなくて凹んでしまう。
妖としてこの学園に通うようになって一年。
今の自分を受け入れようとそれなりに努力はしてるつもりだ。
勿論、すぐには無理だって事なんか最初から分かってるから、
焦らず少しずつとは思ってた。
だけどそれでも、
あの夢は『おまえはもう人間じゃない』と分かりやすい形で突きつけられたようで、
やるせない気持ちになる。
参ったな・・・。
泣きたい。
今、一瞬本気でそう思ってしまった。
泣こうが喚こうがどうにもならない。
今はもうあれから一年も経ってて、落ち着いて現状を受け入れるべきときのはずなのに。
そんなの、もう嫌って程分かってるじゃないか。
「・・・っ!」
そこで不意に誰かが屋上に足を踏み入れた気配を感じ、
はそこでハッと顔を屋上の出入り口に向けた。
それから少しの間身構えて、だけどすぐにホッと力を抜く。
「」
の名前を呼んで近づいて来るのは、見慣れた同級生。
と言っても、彼はにとってある意味で頼りになる先輩でもある。
「日比谷、珍しいね、ここに顔出すなんて」
「校内巡回の際はここにも足を運んでいる。お前も知っているだろう」
「まぁね。でもどっちかって言うとここは巡回する時の優先順位低いでしょ。
問題が起きるとしたら大体屋内だし」
「それはそうだな・・・。それよりもお前こそどうしたんだ?
・・・今日はいつもより覇気がないように見えたぞ。
夜休みの時も、いつもなら確実に捕らえる事の出来た奴らを取り逃がしただろう」
日比谷のその言葉に、は内心ぎくりとして体を強張らせる。
それでもどうにかいつも通りを装い、軽く苦笑を浮かべた。
「・・・あー・・・、うん、あれはごめん、ちょっとぼけっとしてた」
「それだけじゃない。今日は何度か食われかけたらしいな?
廊下でふざけた連中がそんな話をしていたのを耳にしたぞ。
あぁ、ソイツらには当然、仕置きをしておいた」
「仕置き・・・、えーっと、敢えて何をしたかは聞かないけど、
うん、まぁ・・・その、ちょっとその時もぼんやりしてて」
何か適当な言い訳を、と思ったものの、咄嗟に何も思い浮かばなくて結局また同じ事を口にする。
そんなを日比谷の眼鏡の奥の瞳がじろりと睨み付けた。
「、こちら側にも慣れ始めてきた時期とは言え、まだまだお前は未熟だ。
余り気を抜きすぎるとお前自身が危険な目に遭うんだぞ」
そう言った彼の目はただ鋭いだけじゃなく、酷く真剣だった。
の身を心配してくれてるからこそ厳しいことを言ってくれてるんだろう。
ここに来て右も左も分からなかった最初の時から、
日比谷にはもう随分と世話になってる。
「うん、ごめん、気を付ける」
「あぁ、そうでなくとも俺達は『美味そうな匂い』とやらで不本意だが狙われる立場だからな」
「だね・・・」
答えつつ、は思わず苦笑する。
妖になって、妖としての自分の今を受け入れようと努力はしてるものの、
周囲の妖怪たちから見ればは食料とみなされる位に『人間の匂い』がしてるなんて、
本当に中途半端な存在だ。
「・・・・・・・・・」
「・・・」
「ん?」
「何か、悩み事でもあるのか?・・・やはり今日のお前は、いつものお前らしくない。
いや、悩んでいるのではないにしろ、落ち込んでいるだろう」
「えっ!?」
に問いかけるってよりは、殆ど断言に近い形で日比谷はそう言った。
凹んでる自覚は勿論あったけど、この短時間ですぐにバレるほど分かりやすかったなんて情けない。
彼とは同級生だけど、クラスは違う。
だから授業中にぼんやりしてたことは知られてないはずだし、
さっき日比谷に指摘された事があっても誤魔化せるかもしれないと思っていた。
んな訳ない、か・・・。顔にすぐ出るタイプみたいだし・・・。
でも、だからって素直に理由を口には出来ない。
日比谷にはここでの生活のことで今まで数え切れない位あれこれとお世話になってる。
自分が妖怪になったなんて事実を受け止め切れなくて激しく取り乱して、
泣き言だって何度も吐いた。
その度、日比谷は厳しいながらも優しい言葉を掛けてくれたり、
色々と教えてくれたりして、
が少しでも今の状況を受け入れやすくなるように手伝ってくれたのだ。
そうだ、あんなに散々世話になってるくせに、
それをやっとこの生活に慣れ始めたと思った今になってまた、
あんなつまらない夢を見たからって動揺して落ち込んでるなんて知られたくなかった。
「いや、あの・・・特に悩んでるとか落ち込んでるとかって訳じゃなくて、
ホント、単に今日はぼんやりしてることが多くてさ。
でも日比谷の言う通り、そんなんじゃ危ないし、明日からはもっとしっかりする」
「」
「大丈夫だって、日比谷にいつまでも保護者して貰う訳にもいかないしね。
一応風紀委員なんだしさ、
他の生徒に舐められるような真似してたら面倒なのだし」
無理やり口の両端を引き上げて、努めて明るめの口調では言った。
さっきの苦笑や曖昧な誤魔化し方に比べれば、今の笑顔の方が余程マシなものになってるだろう。
そのはずだ、そうであれ。
そう、思ってた、のに。
「・・・無理をして笑うな」
の努力も願いも空しく、
日比谷にはそれが全部『作り物』だとあっさり見抜かれてしまった。
眼鏡の奥の彼の瞳が、真っ直ぐを捕らえる。
は思わず視線を逸らした。
「別に、無理・・・してない」
この期に及んではまた嘘を吐く。
こんなのは無意味だ。
どう見てもバレてるんだから。
分かってる。
分かってるけど。
「・・・、今更俺がそんな台詞で誤魔化されるとはお前も思ってはいないだろう。
・・・話してみろ。俺はお前と同じ元人間なんだ。
いつも言っていることだが、俺なら他の奴らよりはお前の気持ちを判ってやれる。
何か力になれることだってあるはずだ」
を心底心配し、気遣ってくれる日比谷の優しい声。
それが余計に痛かった。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「」
一歩、一歩、日比谷がに近付き、そしてそっとの肩に片手を伸ばして触れた。
びくり。
反射的にの体が大きく震える。
「違う・・・。ううん、確かに日比谷の言う通り、・・・・・・落ち込んでるけど・・・けど・・・」
「何が違うんだ?」
「・・・日比谷が心配してくれるような・・・、そんな大したことじゃない・・・。
凄く、つまんないこと・・・。今更かって思うような、・・・そんなことで・・・」
夢の内容としてもつまらない、ネタにさえならない、何てことない日常の夢。
それに今更ながらダメージを受けてる脆くて情けない自分。
日比谷に頼りきりだった今までのこともあるのに、
こんなつまらないことを彼に話すことなんて出来ない。
違う。
本当は、こんなつまらないことを話して、日比谷にうんざりされるのが嫌なだけだ。
日比谷に疎まれたくない。
「・・・・・・・・・」
「・・・!」
「えっ!?・・・っ!!??」
さっきまでより強く日比谷に名前を呼ばれたかと思うと、
彼はの肩に触れていた手でを強引に引き寄せた。
よろめいた拍子にトンッと、軽く彼の胸に顔をぶつける。
抵抗するより早く、日比谷の両腕がの体を絡め取った。
「ひび・・・っ」
「それがどんな小さなことだろうと、
お前にそんな顔をさせる原因をつまらないことだなどとは思わない。
いいから、話してみろ・・・。今更遠慮なんかするんじゃない。
俺は・・・お前に頼られるのは嫌いじゃないんだ」
「・・・けど、・・・日比谷に頼りきりだし、この位・・・自分で消化しないと・・・」
「そうだな、最終的に気持ちを消化するのはおまえ自身だろう。
だが、お前が落ち込んでいる理由を知ることで、
俺がその手助けを出来ればいいと思っている」
「・・・・・・・・・・・・」
頭上から向けられる日比谷の声が、彼の両腕の強さが、体温が、
真剣にを思っているんだと直に伝えてくれる。
は恐る恐る自分からも両腕を上げ、その背中にそれを回した。
「・・・夢を見て・・・」
「夢?」
「うん、凄くつまんない夢。・・・朝、自分の部屋のベッドで目が覚めるんだけど、
時計見たら遅刻決定の時間で、慌てて学校行く準備しようとするんだけど、
実は時計の針1時間読み間違えてたってオチの・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「ごめん、ホントつまんなくて。・・・あれからもう一年も経ってるのに、
こんなに落ち込むとか情けなくて・・・」
「謝るな・・・。それに、つまらないなんて思っていないさ」
柔らかく静かな口調でそう言った日比谷は、を抱きしめたまま、
片手での頭を優しく撫でた。
小さな子供にするような仕草。
だけど、全然嫌じゃない。
その手の平の温かさに、違う意味で泣きたくなる。
「俺にとってこの街は生まれ育った馴染みの深い場所だが、
お前にとっては全く知らない場所だ。
突然そんな場所に放り出された上に、
自分が妖怪になっただなんてそうすぐには納得できまい。
・・・お前はもう一年と言ったが、まだ一年だ・・・。
確かに現状を嘆いてばかりでは前に進めないが、
一人位・・・お前の泣き言を受け止める相手が居たっていいはずだ」
「・・・日比谷・・・」
「その一人は当然、俺にしておけよ。立場的にも俺達は似ている。
これからも俺に遠慮なんかするんじゃない。それこそ今更だ」
ぽんぽん。
と、の頭を撫でていた手が今度は優しくの頭を叩いた。
そこで本気でぽろっと涙が出そうになって、
は慌てて強く目を瞑ってそれを我慢する。
その代わりに日比谷の背中に回した両手で彼の制服を強く握り締めた。
とくりとくりと日比谷の心音が聞こえる。
気のせいかほんの少し早いそれは、のものと重なっていた。
今はもう、人間の心臓とは違ってしまってるもの。
そのことを考えると、まだ落ち込んでしまうけど、
日比谷が傍に居てくれることで気持ちが少しずつ軽くなる。
これから闇に帰って眠ることが怖かった。
またつまらない夢を見て怯える自分の弱さを思うと、今以上になくやるせない気持ちになるに決まってるから。
だけどきっと平気だろう。
そんな夢は見なくて済む筈。
そんな風に楽観的に思えるくらいには、さっきよりずっとの気持ちは凪いでいた。
この悪夢と生きていく
(了)
後書き
やっちまった、逢魔時夢\(^o^)/
しかも微糖で長ったらしい夢になっちまいました。
読み難かったら申し訳ないです。多分日比谷はこの後突然我に返って、
「!!俺は何を!!無意識にお前を抱きしめて、・・・い、いや、下心などはないからな!
誤解するな、これは・・・とにかく違うんだ!!」
とか何とか激しく動揺してそう(笑)付き合ってからはGOGOモードだろうけど、
その前まではずっとこんな調子であって欲しい。
ではでは、ここまでお付き合い下さった姫様!
まだまだマイナー部類の逢魔時夢に興味を持って下さって有難うございましたvv