最初にを女の子として意識したのはいつだっただろう。
そう考えて真っ先に思い出すのは小学校6年最後の夏のあの日。
凛がオーストラリアに行くことを聞かされた時だ。
彼女は凛から直接この話しを聞いた訳じゃなくて、俺とハルからそのことを伝えた。
が凛のことを好きだってことには何となく気付いてはいたけど、
あの頃はそのことを特に深く考えていなかった。
と仲良くなってからも、彼女の事は男とか女とか関係なく『友達』として見ていた。
特に当時の彼女は今よりずっと髪も短くて、岩鳶に居る間は俺達とばかり遊んでいたから、
よく男の子と間違われていたほどだった。
彼女自身も、スイミングクラブで水着を着ていなければ女の子だと気付かれないと零していた位だ。
だけどあの頃の俺達にとっては、性別なんかどっちでも良かった。
彼女は俺達の大事な仲間で、友達、それだけ分かっていれば十分だったからだ。
だからあの日、俺とハルは凛がオーストラリアへ行くことにも伝えなきゃいけないと思ったんだ。
ハルが凛のオーストラリア行きに凄くショックを受けていたのは知っていた。
凛はハルにとって初めてのライバルで、そして多分俺達の中で一番凛と仲が良かったのがハルだったから。
でもに凛の話しをして、あんな反応をされるなんて最初は全然予想していなかった。
俺達と出会ったばかりの頃のは泳ぐこともスイミングクラブも余り好きじゃなかったみたいで、
どちらかというといつも怒ったみたいな顔をしていた。
それでもスイミングクラブを休んだことはなかったし、
コーチに叱られることがあっても拗ねて見せても泣き顔を見たことは一度もない。
だから俺は、凛のことを話しても、彼女はきっと凄く寂しがるし残念がるだろうとは思っていたけど、
泣き出すことまでは頭になかった。
「凛くんが、オーストラリアに行く?え?なにそれ?え?」
俺達の話を聞いてすぐに、はとても驚いて混乱してた。
凛にその話しを聞いた直後は俺も似たような感じだったから、彼女の気持ちはよく分かる。
でも次の瞬間、彼女は涙目になっていた。
ビックリしてかたまる俺とハルを見て、
は自分が泣いていることに気付いた彼女自身もまた動揺していた。
俺もハルも泣いた女の子の慰め方なんて分からなくて戸惑ってしまったし、
それ以上にが泣いたことに凄く驚いた。
多分、彼女も俺達に泣き顔を見せるつもりはなかったんだと思う。
ごめんねごめんねと何度も謝りながら、必死で涙を拭っていた。
その時初めて、俺はが女の子だったんだと強く意識したんだ。
次から次に零れる涙をどうにかして止めようとしてる彼女を見て、可愛いと思ってしまった。
その涙が例え凛のことを想ってだとしても、あの頃の俺にとってはどうでもよくて、
ただ、その必死さと健気さを純粋に可愛いと思えた。
小学校を卒業後、凛はオーストラリアへ行き、
そしてひとつ年下で中学の違う渚や、同じく俺達とは地元の違う中学のとは疎遠になった。
その後彼女と再会したのは岩鳶高校の入学式だ。
俺達はがここを受けていたことは全く知らなかったけど、
彼女の方は逆に俺やハルに会えるのを楽しみにしていたと言う。
3年ぶりに再会したは、もう誰がどう見ても男の子に間違えるはずのない女の子になっていた。
元々俺はあの中で一番背が高い方だったけど、久しぶりに見た彼女は、
あの頃より随分小さく見えた。
彼女の方も身長が伸び、声変わりした俺達の変化に驚いていたようだ。
俺とハルがお互いの名前を口にしているのを確認して声を掛けたのだと笑った。
綺麗になったねと返事をした俺に、は照れ臭さを誤魔化すようにわざと胸を張っていた。
そう言うところはどこかあの頃と変わらない。
その事に少しホッとしたのを覚えている。
それから彼女が俺達の家の近所にある彼女のおばあさんの家に住むことになったと知り、
俺とハルとは小学校の時のように一緒に過ごすことが多くなった。
いや、近所に住んでいる上にクラスが違っても学校が同じだったから、
もしかしたらあの頃よりも長く過ごして居たかもしれない。
勿論彼女には同じクラスに同性の友達が居たし、
俺やハルのようにランチも休憩もいつも一緒と言う訳にはいかなかったけど、
それでも登下校は殆どいつも三人揃ってっていうのが日常になっていた。
小学生の頃の関係の延長線。
最初は俺もそう思っていた。
彼女はあの頃より笑顔も増えたし、意地っ張りなところも少し丸くなって、
他の人には無表情に見えるらしいハルの内面にもよく気が付いてくれた。
俺は大事な幼馴染がもう一人戻ってきて、毎日一緒に笑っていられるのが堪らなく嬉しかった。
でももうこの時から多分、俺の中で彼女は確かに『女の子』だったんだ。
初めて自分の気持ちを自覚したのは1年の終わりだったと思う。
その頃はもう自分が隣のクラスのを見つけては目で追ってしまうことに気付いてはいた。
でもそれは彼女が俺の幼馴染で、大事な友達だからだと思っていた。
あの日、は同じクラスの男子の数人と何か楽しそうに話しをして笑っていた。
廊下を歩いている途中に、俺は最初は何気なくそれを視界に収めて、
それからすぐに胸の奥から少しずつ這い上がってくる黒くてモヤモヤした不快感に気が付いた。
それでも俺は彼女達から目を逸らすことすら出来なくて、
その間も心の中の黒い気持ちは益々膨れ上がっていく。
俺やハルの前で見せる笑顔とはまた違う、俺の知らないの表情。
この気持ちが嫉妬だと気付くのには、そう時間はかからなかった。
本当は俺自身、とっくに分かっていたんだと思う。
今までも何度か似たような感情が湧き上がって来た事があるのを、気付いていたから。
俺がようやく達から視線を逸らしたのと、
彼女が俺に気付いたのは偶然にも殆ど同じタイミングだった。
「真琴!」
呼ばれ慣れた彼女の声にさえ胸の奥がざわつく。
俺がまたに瞳を向けた時、彼女はクラスメイトの傍を離れて笑顔で俺の所へ駆け寄ってきてくれた。
その瞬間に思ってしまったんだ。
今すぐを抱きしめられたらいいのにって。
そんなこと、実際に出来る訳がないのは分かってたけど、その衝動を抑えるのに俺は随分苦労した。
ずっと曖昧な形のまま、名前を付けることの出来なかった感情。
気付けそうで気付けなかった想いの意味。
俺はこの時初めて自分の彼女へ想いと向き合った気がした。
―――俺はに恋をしている。
彼女はよく俺やハルも含め、周りの男子は自分を女の子だと思っていないと口にしていた。
その事に慣れてるし、その方が気楽でいいと言ってたことも知ってる。
俺が幾らはどこから見ても女の子だよと言っても、その意味を全然分かってくれないままだ。
彼女はいつもそれをただの『優しさ』として受け流してしまっていた。
俺も分かっていた。
が俺を面倒見のいい優しい幼馴染としてしか見てないってこと。
今のままだと俺はここから脱することは出来ないだろう。
いつまで経っても、家族のように強く優しい、けれど残酷なこの絆から逃れることは出来ない。
本当はいつだって、をこの腕で抱きしめて、キスをして、俺の気持ちを伝えたかった。
周りの男子が本当に彼女を女の子として見ていないなら、そのままでいい。
俺が、俺だけが彼女を見つめて、彼女の可愛い部分を全部受け止めるから。
ふとした時に見せる微笑や拗ねたような口調。
変な所で意地っ張りなのに、突然素直になったり、頼りなさそうに見えて実はしっかり者な彼女。
いい所も悪い所も全部含めて俺に受け止めさせて欲しい。
それは幼馴染と言う立場でも出来ることだけど、そうじゃなくて、男として彼女をこの手で守りたい。
(多分彼女は守られるだけの存在になりたいとは思っていないだろうけど)
この気持ちを伝えてほんの少しでもこの想いに希望があるなら、手を伸ばしたいと思っている。
だけど分かってるから。
俺の想いはきっと彼女を困らせてしまう。
大事な優しい幼馴染からの気持ちを受け入れることも拒絶することも出来ずに、
はきっと悩んで戸惑ってしまうだろう。
そしてそうなれば、ハルにも気を使わせてしまうのは分かっていた。
今の自然で優しい関係をこの手で壊してしまうような真似はしたくない。
今のままなら、前へは進めなくても、少なくとも苦しい思いをするのは俺だけだ。
だから俺は今のままの関係を保って、の優しい幼馴染で居ることに決めた。
それでも時々、今ある全部を壊してしまう勇気もないくせに、
彼女を抱きしめてムチャクチャに触れたい衝動が湧き上がる時がある。
この手を彼女の両腕に伸ばして肩を抱き寄せて、あの小さな体を組み敷いて、
やわらかな肌や唇に思う存分キスをする。
今の俺達の力の差なら、それは多分難しいことじゃない。
だけどそれじゃ意味がないんだ。
力で奪うことは出来ても、その先には何もなくなってしまう。
それじゃ全然意味がない。
こんなことを想像出来る自分が俺はただ怖かった。
が大事なのに、大切なのに、
守りたいと思う気持ちと同じ位に飢えた獣みたいな衝動が抑えきれない瞬間がある。
いつか彼女に好きな相手が出来てしまったら、
そんなことを考えては、俺は突き刺さる胸の痛みに苦しんだ。
でも『優しい幼馴染』としての役割は分かってるんだ。
良かったな。
笑って彼女の幸せを喜ぶこと。
それがいつになるのかは分からない。
もしかしたら明日なのかもしれないし、もっと先のことかもしれない。
だけど俺がそんなことを想像して苦しんでいる間は、まだ俺達の関係は崩れてない証拠だ。
それがいつまで続くかなんて分からないけど、出来る限りこの時間を大切にしたい。
一日でも一秒でも長く、の傍に居たいんだ――――
(END)