夜の学校内というのは人気がなくてがらんとしてて、
昼間とは全く空気が違って感じる。
つまり、凄く不気味だ。
ちゃんと電気はついてるものの、しんと静まり返った廊下は自分の足音がやけに響くように思えた。
真琴ほどじゃなくても、だって『その手』の話には強い方じゃない。
こんなことなら遙にでも連絡して一緒についてきて貰えば良かった。
殆ど小走りに自分の教室に向かいながら、そんなことを考える。
部活が終わって帰宅してから教室に明日提出の宿題のプリントを忘れたことに気付き、
結局またこうして学校に戻ってくるはめになったって訳だ。
一応一度職員室に行って残ってた先生の一人に許可は貰ってきたんだけど、
付いて行こうかと言ってくれた先生の申し出を断ったことをは今更ながら後悔した。
2年の教室は校舎の2階だ。
階段を上ることなんていつもは何とも思わないのに、今はそのことにすらびくびくしてしまう。
こんな時渚でも傍に居れば怖いなんて考えてる暇もないのに。
真琴や怜のことは何気にからかって遊んでる風だけど、これでも一応女扱いされてるのか、
渚はがこういったことで怯えてた時にに対しては煽るような真似はしない。
とは言え、真琴や怜が一緒の時は結局も巻き込まれてるから、余り意味はないのかもしれないけど。
「あー!やっぱりそうだ!ちゃん、みーつけた!」
「っっひぃいいっ!!!??」
2年の教室に続く階段を上ろうとした直後。
が来たのとは反対側の廊下の角からひょっこりと小柄な影が姿を現した。
は咄嗟に硬直して悲鳴とも何とも取れない声を上げる。
「ちゃん、ボクだよ!ボク!」
「・・・な、な、渚!?」
つい数秒前まで彼のことを考えていたから、この場合グッドタイミングと言うべきなのか何なのか。
はほーっと長い溜息を吐き出した。
心臓が結構な勢いで脈打ってる。
言っておくが、さすがにこれはときめき胸きゅん的なアレではない。
「も、マジびっくりした・・・!」
「あはははっ!ごめんごめん。丁度忘れ物取りに教室に行って出た帰りにちゃんが見えたから、
追いかけてきちゃった。ちゃんも忘れ物?」
「う、うん、そうだけど・・・、渚・・・どこまで行って気付いたの?
電車通だよね、駅まで行って戻ってきたの?」
「うん、電車に乗る直前に気付いちゃって、仕方ないから戻って来たってワケ」
てへへ、と渚が屈託ない笑顔を見せる。
もそれにつられて思わず笑みを浮かべた。
さっきまで心臓口から飛び出す位にビビってたのが嘘みたいだ。
「ついてないなーって思ってたけど、こうしてちゃんと会えたからついてるのかもね!」
「ははっ!よく言うよ」
「ほんとうだって!ねぇ、それよりちゃんはこれから教室に行くんだよね。
ボクも一緒について行くよ。ほらほらレッツゴー!」
「え?けど、わっ!?」
戸惑うにはお構いなしに、渚は元気よく言って突然の手を取った。
そしてそのままGOGO!とばかりに階段を軽やかに上る。
「いや、え?でも、渚早く帰らないとマズいんじゃないの?」
「だいじょうぶ!気にしなくていいよ。家にはちゃんといつもより遅くなるかもって連絡してるから。
ちょっとお腹空いてるけど、それよりちゃんのこと放っておけないしね!」
「あ・・・」
歌でも歌いだすんじゃないかってテンションの渚は、
と手を繋いだままのクラスの教室に向かう。
何だろう。
いつもは本当に年下の可愛らしい男の子なのに、何だか今は凄く頼もしく見える。
そう言えば渚はが思ってる以上にしっかりしてる部分があって、
水泳部の皆の中じゃムードメーカー的存在だった。
「夜の学校って、ちょっとわくわくしちゃうよね!」
「普通に怖いよ」
「ええ〜?そう?でも今はボクと一緒だし、怖くないでしょ?」
そう言った渚が握った手に少し力を込める。
は素直に頷いて、彼と同じように少しだけ手の力を強める。
「まぁね、うん。ありがと」
「エッヘン!どういたしまして!」
「何か今日、いつにもまして元気じゃない?渚」
渚はいつも天真爛漫と言うのが似合う元気な男の子だが、
今日は、と言うか今は特に機嫌がいいように思える。
「うん、ちゃんと二人きりだからね」
無邪気な笑顔のままそんなことをさらりと口にされ、
不覚にもどきりとしてしまった。
いかん、妙な方向に取るな、自分。
別に相手じゃなくても、渚は遙や真琴にだって懐いてるし、
同級生の怜にだってこんな感じだ。
勝手に深読みして期待するなんて馬鹿みたいじゃないか。
いやいやいや、期待じゃなくて!何を考えて!
この程度のことで動揺する自分が情けない。
は必死でいつも通りを装い続けた。
それから階段を上り終えた後、と渚は2年の教室の一つの前で足を止める。
「あ、ここ!ちゃんのクラスだよね?」
「あ、ああ!うん、そう。ごめん、じゃあちょっと忘れ物取ってくる」
「うん!」
は渚をドアの前に残し、急いで教室内に足を運んだ。
渚は気にしなくていいと言ってくれたけど、これから駅まで行って、
それから電車に乗ることを考えれば、少しでも早く目的を果たしたほうがいいだろう。
殆ど小走りに自分の机まで向かったは、
素早くその中から例の宿題のプリントを取り出した。
後はとっとと校舎から出よう。
そう思った、その瞬間。
フッ、と、教室内の電気が突然に消えた。
反射的にびくりとの体が震える。
「え?何で?」
「ちゃん!こっちだよ!敵襲確認!」
いつの間にか教室に入ってきていた渚が何やら芝居がかった口調でそう言って、
の傍までシュタタタっと近付いてくる。
もしかして、もしかしなくても、教室の電気を消したのは渚なんだろうか。
「え?はい?な、渚?」
「しぃっ!敵に気付かれるから今はしゃべっちゃダメ!」
「いや、あの、敵って・・・」
「いいから、ちゃん、こっちだよ!」
何が何やら、意味不明な渚の発言。
彼はの腕をがしっと思いのほか力強く掴んで、
そのまま何故か教卓の後ろまでを連れて行った。
「ここに隠れて!」
「え?か、隠れる!?」
「敵の足音が聞こえる、見つからないようにしなくちゃ!」
いやいやいやいや。
いやいやいやいや。
だから敵って何!?
は殆ど強引に教卓の下に押し込められ、更に口を開こうとしたところを渚の片手で塞がれてしまった。
何が何だか全く意味が分からない上に、教卓の下ってのは思ってた以上に狭くて、
彼との距離が一気に縮まって違う意味でも動揺する。
渚はガタイのいい真琴や怜と並ぶと可愛らしい容姿も手伝って、華奢にさえ見えることがあるのに、
こうして近付いてると全くそんなことはないと思い知らされる。
確かに他の水泳部のメンバーに比べれば身長も低いし、筋肉のつき方も違うけど、
今の口元を抑えてる手も、すぐ傍にある体も、男のものだ。
「もう少しだけガマンしてて?」
「・・・・・・」
わざとなのかそうじゃないのか、渚はのすぐ耳元でひそひそとそう囁いた。
はただぎこちなく小さく頷くことしか出来ない。
軽く肌を撫でた彼の吐息にの体が更に緊張を増す。
それとほぼ同時に教室の前の廊下を誰かが歩いてる気配を感じ、
やがてその誰かがたちの居る教室のドアを開けた。
多分、見回りの先生だろう。
だけどはちゃんと許可は得てるし、何も隠れる必要なんか全然ないはずだ。
とは言え、もうこうしてここに隠れてしまってる以上、
今更出て行くことも出来ない。
教師が室内を見回っている間中、
渚の存在と見つかるかもしれないという緊張感でビクビクしっぱなしだった。
ようやく先生が教室から廊下へ出て行き、その足音が遠ざかって行った後、
はその場に座り込んで思いっきり息を吐き出した。
「はぁ〜」
「おおー、無事、危機を乗り切りました!これで任務を遂行できそうであります!」
「じゃない!何で急に―――」
謎の設定を続ける渚に抗議の声を上げかけて、は思わずそこで言葉を止める。
忘れてた訳じゃないけど、距離が近い。
教室内は電気が消えてるってのに、相手の顔がよく分かる位に近い。
「ドキドキ、した?」
「・・・え?」
いつもより僅かに低い声で渚が突然にそう質問する。
ドキドキ、なんて、現在進行形でして居る。
寧ろ、ドキドキなんて表現じゃ済まされない程度の爆音だ。
「ほら、漫画とかドラマでこういうシーンよくあるから、面白そうだと思って!」
いつも通りの明るい笑顔で渚はそうのたまった。
「って、それでわざわざこんなことしたんかい!」
言いざまぺしんっとは渚の頭を軽く引っぱたく。
のときめきを返せ。
だけ意識しまくって、ほんとに馬鹿みたいだ。
「イタっ!ひどーい、ちゃん」
頬をぷっくり膨らませた渚がそういって抗議してきた。
そんな可愛い顔をして拗ねて見せても今度ばかりは許さない。
「人を巻き込んで遊ばない!ほら、もう出るよ!」
「はぁい、残念、もうちょっとこうしてたかったんだけどなー」
「・・・・・・」
ああもう。
ああもう。
いちいちそう言う言葉に動揺する自分も馬鹿だと思うけど、何で渚もさらっとそう言う台詞口にするかな。
しかも、ついさっき、数秒前までそんな可愛い顔しても許さないとか思ってたのに、
今は既にその可愛さにぐらんぐらん揺れてるし。
本当はも、少し、ほんの少し、このままこうやって二人で居るのも悪くないと思ってしまってた。
「ちゃん、校舎出たら家まで送るからね」
「え?いいよ、先に渚の駅まで行こう」
「だーめ!ボクは男なんだから、ちゃんをちゃんと送ってくの!」
「・・・う、うん。じゃあ、お願いシマス」
「よし!じゃあ帰ろっか」
満足げな笑顔と一緒にそう言って、渚は教卓の下から出て立ち上がった。
それからすぐに、に向かって片手を差し出す。
まるでそれが当然みたいな自然な仕草で。
「ちゃん、行こ?」
「・・・うん」
もそれを受け入れて、差し出された彼の手を掴む。
何だか今日は思いっきり渚に振り回された感じだけど、悔しいことに楽しかった。
渚と一緒に居るといつも、退屈してる暇なんて全くない。
達はそれから手を繋いだまま校舎を出た。
多分、ここに来た時よりも、随分のんびりした速度で―――
(END)