ああ。
あああ。
あああああ。
どうして、何ではあんなものを見てしまったんだ。
何であんなものを面白そうだなんて思ってしまったんだ!
なんてことを考えても既に後の祭り。
もう見てしまったって事実は動かしようもない。
せめて途中で止めれば良かったのに、見ている間は後々ここまで響くなんて思いもしなかったから、
結局2時間最後の最後まで見てしまった。
見終えてしまった。
『心霊特集2時間スペシャル』を。
あれから1時間半。
何をしてても怖くて仕方ない。
たった今お風呂から出たところだけど、お風呂場に向かう途中や脱衣所で服を脱ぐ時、
それからお風呂場内、その全部で色々と想像してびくびくしっぱなしだった。
いつもは全く考えもしないことだけど、よくあるあれだ。
もし今背後に見知らぬ影が立っていたら、とか、顔を上げた鏡に何かが映ってたら、とか、
恐怖心からあれこれ妙な想像をしてしまう。
実家に居る時にも何度か似たような番組を見てはいたけど、
その時はその場で恐怖心を煽られてもその後は特に何も考えずに居られた。
『怖いもの見たさ』的な心理が満たされた程度の範囲だった筈なのに、
今はそれじゃ済まされない。
それ以上の恐怖がの中で嫌な方向に育っていく。
今回の特集が今まで見た中じゃ特に怖かったってのもあるけど、
一番の理由はやっぱり、今この家にいるのが自分ひとりってことだろう。
祖母は例によって例の如く家を空けている。
今朝、職場仲間と三泊四日の温泉旅行に出かけたばかりだ。
つまり今日から4日間は家にいない。
それが分かってる時点で心霊特集なんぞ見るべきじゃなかったのだ。
とは言え、さっきも言ったように後悔先に立たず。
一応、お笑い番組で気分を変えてみたり、
つい最近の笑えたことや楽しい出来事なんてのを思い浮かべてみたりもしたけど、
その瞬間だけはイケるかって気持ちになれなくもないのだが、
次の瞬間にはまたさっきまでと同じような想像をして一気に気分が急降下する。
その繰り返し。
笑えない。
これだけは最後の手段だと思ってたけど、そろそろ、いや、もうこれしか考えられない。
ごめん、遙ああっ!!たすけて、たのむ、マジ頼む!!
実家と変わらない程度に馴染んだ筈の家だけど、今のにはホラーハウスみたいになってしまってる。
これはもうSOSを発信するしかない。
は携帯を手に取り、遙に電話をかけることにした。
そして3コール程で、聞き慣れた幼馴染の声が静かに答える。
「?」
「は、遙!た、助けて!」
「?どうした、何かあったのか?」
「あったっていうか、見たって言うか・・・!」
「落ち着け、とにかくまずは何を見たのか話せ」
事情を話したら120%呆れられること間違いなし。
遙の反応は大体予想出来る。
だって逆の立場だったら馬鹿じゃないかと思うだろう。
だけど今は、今だけはそう言うことは数キロ先に放り投げておく。
は彼に今までの流れを話した。
「・・・・・・・・・、さっさと寝ろ」
「無理!怖くて眠れないし!」
「はぁ・・・、で?お前は何で俺に電話してきたんだ?」
案の定、遙は心底呆れた様子で溜息を吐き、そう言った。
普段喜怒哀楽が激しいとは言い難い彼だが、顔を見なくてもどんな表情をしてるのかは大体分かる。
「い、今から遙んち行っていい?」
「何で?」
「怖いからです!頼みます、マジ頼みます、一応彼女だしいいよね!?」
今までのやり取りからして全くちっともそう見えないが実はと遙は付き合ってる。
これでも本当のカップルならまだまだラブラブな筈の3ヶ月目。
にもかかわらず全然それらしくないのは、やっぱり幼馴染ってのが大きいのかもしれない。
「来るな」
縋るように懇願したの願いは三文字で断られた。
確かに無茶言ってる自覚はあったけど、としてはもっとこう、
断るにしてもソフトな言い方をして欲しかった場面だ。
とは言え、相手は遙だし、ある意味慣れてる自分も居る。
「ダヨネー」
「・・・、俺から行くから少し待ってろ」
「え?」
「じゃあな」
そこで通話は一方的に途切れた。
は思わずぽかんとして携帯の画面に視線を落とす。
既に画面は待ちうけに戻っていた。
◆◇◆
あれから10分程して、遙は本当にうちに来てくれた。
まさかでまさかの展開。
自分から遙の家に行くつもりで居たくせに何言ってんだって感じだけど、
本当に驚いてしまった。
そして同時に凄く嬉しかった。
遙は何だかんだ言って、のことを心配してくれてる。
今までと変わらない遙の態度に不安を覚えることがない訳じゃないけど、
変わらないからこそ安心出来ることってのもあるもんだ。
それから達は特に何をするでもなく、部活や友達の話をして過ごした。
「じゃあ、そろそろ俺は帰るから、戸締りきちんとしとけよ」
手元のウーロン茶をぐいっと完全に飲み干した後、遙は突然何の前触れもなく立ち上がった。
彼の台詞にも慌てて立ち上がる。
「え?嘘、帰るの!?」
「当たり前だろ」
「いやいやいやいや、無理!」
「無理じゃない、帰る」
スタスタ。
いつも通りのペースで玄関に向かおうとする遙。
は急いでその先に回りこみ、彼の前に立ちはだかる。
正直は結構必死だった。
確かに遙が来てくれたおかげでその前までの恐怖心は収まった。
だけどこれからまた一人になるんだと思うと、
それだけで再度あの番組の色々なシーンが脳内で再生されて、
あっという間に心霊現象的な想像が膨らんでいってしまうに違いない。
常識的に考えて彼の考えは正しいとは思うけど、今回ばかりは譲れない。
まさかいつもズレてる遙に常識的かどうかで敗北する時がくるなんて、心霊特集おそるべしだ。
「今日はもうここに泊まって行こう!そうしよう!」
「・・・そうしない」
「な、何で!?」
ふぅ、と、そこで遙は小さく溜息を吐いた。
更に彼はそこで少しの間何故かを睨みつけるように見つめる。
そしてぶっきらぼうに一言、ある意味、七瀬遙君お決まりの台詞を口にした。
「俺は朝は鯖を食べるって決めてる」
「それ朝だけじゃないよね!?」
つまりは鯖に負けたと、そう言うことなのか。
だけど偶然にも、本当に偶然にも、今はうちにも鯖があるのだ。
つい最近祖母が買ってきたもので、
鯖は痛みやすいから早めに食べなくちゃならないと思っていたところだった。
は遙程鯖大好きな訳じゃないが、今回ばかりは鯖の存在に感謝する。
鯖様々。
鯖を買って来てくれた祖母にも感謝。
鯖があれば遙の心を動かすには十分だろう、素晴らしい。
「はい、うちの冷蔵庫にも鯖があります!朝食はあれ使うとしてこれで解決!
遙、泊まってくことに決定!」
「・・・・・・」
鯖があるといったにも関わらず、珍しくそれに反応することなく遙は不満顔のままだが、ここは引けない。
引くつもりはない。
彼は少しの間の顔をじっと見つめた後、何度目かの溜息を吐いた。
「分かった。だったら俺はそっちのソファを借りる。枕とタオルケットだけ貸してくれ」
「あ!遙はベッド使って、が床に寝るから」
「・・・?」
「ここに呼んだのも、泊まって貰うのも、無理やりが頼んだからなんだから、
遙はベッドでゆっくり眠っていいよ。毎日部活で疲れてるんだし」
言いながら、は彼の手を取った。
そして二階の自分の部屋へと誘導する。
遙は暫くの間無言でについてきていた。
もしかしたら、が言ってる意味がよくわかってなかったのかもしれない。
「何でここに・・・」
「うん、遙はここに寝て。コッチに寝るから」
ベッドと床を交互に指すに、遙は軽く眉間にしわを寄せている。
何となくいいたいことは分かるけど、今は聞かない。
遙が口を開く前に、は再び一階に降り、押入れにある布団をひとつ、引っ張り出した。
そしてそれを遙の待つ二階の自分の部屋へと運ぶ。
両手が塞がった状態でドアの前までたどり着いたところで、タイミングよくそのドアが開いた。
遙が開けてくれたのだ。
「ありがと、遙」
「・・・おい、、お前・・・本気か?」
「ホンキです。あ、ごめん、そっち布団敷くから避けて」
「・・・・・・」
その後布団を自分のベッドの隣に敷き終えたは、
早速眠ることにした。
遙のおかげで心霊特集の恐怖はもう随分薄れてる。
この場合それよりも年頃の男女が的な方面を考えるべきかもしれない。
物凄く今更だけど、今になっては自分がかなり大胆なことをしでかしてることに気が付いた。
それを意識しだすと、急速に鼓動が速まってくる。
遙とは付き合ってるんだし、『そう言うこと』が起きてもおかしくはない。
いやいやいやいや!
これじゃあ、期待してるみたいじゃない!?
違う、そうじゃないないない!!
これはさっきまでとは違う意味で眠れないかもしれない。
だからと言って遙に帰って欲しいなんて思ってないし、言いたくもない。
取り合えず、恐怖で眠れないよりはマシだと思って寝るだけ寝よう。
寝ることに挑戦するだけしようじゃないか。
「じゃ、じゃあおやす「待て」
「え?」
「俺が床で寝る。お前は自分のベッドを使え」
が布団で横になる直前。
遙はそう言ってにベッドへ行くようにと促した。
勿論、それを受け入れることは出来ない。
「はいいから、遙がベッド使って。
さっきも言ったけど、無理言って泊まって貰うのはなんだから」
「別に、俺が床でいいと言ってる」
「それじゃの気が済まない」
「この場合、俺の言い分を聞き入れることの方が優先じゃないのか?」
「・・・う」
それはまぁ、確かにその通りなのかもしれない。
多分遙は床で眠ることを特に嫌だと思ってるわけじゃないだろう。
だって自分が逆の立場でも同じことを言ってる。
ベッドも布団も寝心地としては両方どちらが好きかってことは特にないのだ。
大体元々も実家に居る時はベッドじゃなくて布団で寝てたから、
それに対して抵抗がある訳じゃない。
それでもこんなに拘るのは、おかしな意地かもしれないけど、
が下らない理由で遙を巻き込んでしまったって気持ちがあるから、
単に形ある誠意を示したいって部分があった。
「じゃあ、おやす「待って!」
今度は遙が布団に横になろうとしたところをが制止する。
さすがに彼も呆れたような表情を浮かべていた。
分かってる。
さっきから同じこと繰り返して何やってんだよって感じだろう、本当に。
「一緒に寝よう!」
「・・・・・・・・」
「何度も言うけど、今回はが無理やり遙をつき合わせたんだし!
でも遙がが床に寝るのが気になるなら、いっそのこと一緒に寝よう!」
今、自分が相当恥ずかしいことを口にしてる自覚はある。
今日一番の大胆発言だってことも分ってる。
だけどこれだけのことを言ってしまえば、
遙もきっと諦めてベッドに寝ると言い出してくれるんじゃないかと思った。
当然、一人でって意味で。
「分かった」
おお、良かった!とうとう折れた!
コクリ。
頷いた遙に、きっと彼はこの後、
今回は自分がベッドを使うってことを口にするはずだとは予想していた。
そしては布団へってことで、一件落着。
とまではいかないけど、とにかく一安心。
―――と、なる筈だった。
「おい、お前も早く来いよ」
大人しく横になってくれたと思った彼が、そう言ってベッドの隣を空けるまでは。
「・・・、・・・・・・・・、え?」
思わず数秒、はその場で動きを停止して聞き返す。
遙の表情はいまいち読めない。
いつも通りにも見えるし、何だか拗ねているようにも見える。
「一緒に寝るって言ったのはお前だ」
まったくもってその通りなので反論できない。
真琴なら、もっと上手く遙の思ってることを理解できたんだろうな。
もっと精進しなくちゃには無理だ。
自分で蒔いた種ではあるけど、瞬時にパニックに陥って、ぐるんぐるんと頭の中が回った。
確かに遙とは付き合ってるし、ちょっと期待しなくもなかったけど、
本当にそうなるかもしれない状況が迫ると、やっぱり動揺してしまう。
それにこういうことは色々と覚悟が必要なことなのだと思うし。
心の準備とかその他諸々。
「・・・っ、いや、あの」
「早く」
「は、はい」
遙に急かされ、は結局頷いてしまった。
そして恐る恐る、彼の隣に滑り込む。
二人分の体重に、ベッドのスプリングが僅かに軋んだのが分かった。
ベッドはそう狭くもないけど、あくまでもシングルサイズだ。
二人で横になるにはやっぱり小さくて、遙の体がすぐ隣にあることを意識せずには居られない。
どんな顔をしていいのか分からなくて、彼のほうへ顔を向けられなかった。
心霊特集の事なんかもうすっかり頭から抜けてしまってる。
心臓が内側から胸を叩く音が、大きな拳で叩きつけられてるみたいな衝撃と一緒に聞こえていた。
身じろぎ一つ出来ないって程じゃないけど、少し動けばきっと背中に遙の体が当たってしまう。
「おやすみ」
そこでのすぐ背後から、いつも通りの遙の声が聞こえた。
余りにも、いつも通りな声。
この状況で普通に「おやすみ」するんかい!!
と思った自分が何だか悲しい。
同時にお門違いだって分かってても、遙にムカついてしまった。
少しの間無言ではそのまま彼に背を向け続けて、結局返事をしないまま数分が経過した。
遙は全然悪くないのに、感じの悪いヤツだ。
はそこで少しだけ体をねじって後ろを振り返った。
「っ!?」
「・・・・・・・・・」
もうとっくに目を閉じてしまっただろうと思ってたのに、遙は未だに瞼を開けたままで、
バチリと思いっきり視線がかち合ってしまった。
無意識にの体がびくっと震える。
「お、起きてたの?」
当たり前だ。
ドラ○もんに出てくるの○太じゃあるまいし、幾ら遙でもあんな短時間に眠ったり出来ないだろう。
それでもには咄嗟にそんな間抜けな質問しか口に出来なかった。
「・・・」
遙はの問いには答えず、の名前を呼んだかと思うと、
そこでするりと背後からの体に両腕を回してきた。
同時にの心拍数が再び急上昇する。
既に相当な爆音を上げてた心臓が、一層恐ろしい勢いで脈打つ。
「あ、は、遙・・・」
遙の唇が、の耳裏に移動したのが分かった。
そしてそれは、触れると言うよりくすぐすみたいにゆっくりと微かにその周辺を動く。
背中にピタリと密着した彼の体。
薄いパジャマの生地を通して、
部活の時に水着姿で見覚えのあるあの逞しい胸板がしっかり当たってるのが分かる。
の体に回されてる彼の片手がわき腹や太股を撫でる感覚がした。
「・・・はるか」
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
勿論遙の事は大好きだし、こういうことを期待してなかった訳じゃない。
と言うかある意味こうなるように仕向けたのも自身だ。
分かってる。
分かってるけど、さっきも言ったように、こうなる前の覚悟とか準備とか、
その他諸々、必要なことが何ひとつ今のには出来てない。
彼に触れられるのが嫌なんてことは断じてないし、
キス以上に進むなら遙以外の相手なんか考えられない。
だけど――――
「っ、は」
「・・・俺はやっぱり布団で寝る」
ぼそり。
耳元。
遙は突然、に一言、そう告げた。
本当に、突然。
そのすぐ後にの体を解放して、さっさとベッドを降りていく。
「え?は、遙?」
慌ててベッドから身を起こし、は彼を見上げた。
遙はとは視線を合わさないまま、たった今に告げたとおり、
床に敷かれた布団に横になってしまう。
「なん、で?」
正直に言えば、少し拍子抜けしてしまった。
だけど同時に、ホッとしてた部分もあったかもしれない。
とは言え、残念だと思ってるのもやっぱり本当で。
遙はに背中を向けている。
もしかして怒らせてしまったんだろうか。
「遙・・・」
不安になってもう一度彼の名前を呼んだ。
ふー、と。
はるかの口から長い溜息が零れる。
ああこれは、完全に呆れられてしまった感じかも知れない。
自分から誘うような真似をしといて、
あんなに怯えたような態度を取るなんて逆の立場ならだって絶対呆れてる。
「が、好きだから」
「―――」
さらりと、まるで何でもないことのようににそう言った彼は、
そのまま更に何事もなかったかのように続けた。
「おやすみ」
そしてその数分後、まるでドラ○もんのの○太並みの速さで、規則正しい呼吸音を響かせ始める。
背中を向けてるから顔は見えないけど、多分、きっと、遙は眠ってしまったらしい。
未だに彼の言葉に呆然とした、を残したまま―――
(END)