水泳部に入る前は、特にこれを買おうという目的もなく、
電車で揺られて市街地まで出て行き、街中をぶらつくってことをよくやってた。
それは友達と一緒だったり、一人だったこともそう少なくない。
友達と一緒に買い物や食事を楽しむのも好きだけど、
誰の目も気にせず誰に気を使うこともなくただぶらぶらとウィンドウショッピングを楽しむのも好きだった。
ここのところ休日も水泳部の練習が続いてたから、そう言う機会も随分減った。
とは言え、そんな中でも僅かなチャンスがあれば、街に出てったりもしてたんだけど。
そして今回は朝から降り続く雨のせいで部活はミーティングだけで終わった。
プールに入れないことが心底不満そうな遙を宥める(?)意味も含めて、
男の子達は久しぶりに皆でゲームをやろうと盛り上がってたけど、江ちゃんもも今回は遠慮した。
で、は無性に街ぶらしたくて現在に至る。
電車がほぼ一時間に一本なので、行くかどうかは結構迷ったんだげど、
こんなチャンスは本当に滅多にないので結局ここまで足を運んでる。
因みに今が居る場所はショッピングモールの一角だ。
夏物のバーゲンが既に始まってて、買う気もないのにあちこちに目がいってしまう。
まぁ、この手のバーゲンってやつは、大体何回かに分けてやってるようなので、
その内また別の日に買い物に来てもいいかもしれない。
それがいつになるかは分からないけど。
この階にある女の子向けの雑貨店や洋服屋は殆ど見終えてしまったので、
今度は上の階にある本屋にでも行って見るかと、
上りエスカレーターを見つけて近付いたところで、
たった今下の階からこっちへ上がってきたばかりの男の人とぶつかりそうになった。
「あ、すみません」
「・・・いえ」
素っ気無い低い声。
切れ長のきつめの目元にかかる少し長い前髪。
と同い年位の、身長の高い男の子。
本来ならただぶつかりそうになっただけの相手なら、
そのままさっさと立ち去ってる。
だけどそうしなかったのは、そう出来なかったからだ。
「・・・」と。
お互い相手の容姿を確認して、数秒。
「え!?うわっ!?凛!?」
「なっ・・・、お前、?」
まさかでまさかの偶然だ。
こんな場所で凛と顔を合わせるなんて。
いや、でもここいらの人間がちょっと大きな場所に買い物に出ようと思ったらまずはここを思い浮かべるから、
ある意味そこまで驚きでもないのかもしれない。
それでもまさか同じ日に同じ場所に達が顔を合わせるなんて。
でもそう言えば今までも似たようなことが何度か起きてる。
その殆どは他の幼馴染達が一緒だったけれど。
「チッ・・・、おい、まさかお前・・・アイツらと一緒なのか?」
と似たようなことを考えていたのか、
凛はそう言って眉間にしわを寄せつつ眉を吊り上げた。
更に、周囲に視線を走らせている。
「ないよ、一人」
「・・・そーかよ。そりゃ良かった」
「ガッカリしたんじゃないの」
「は?誰がだよ。何度も言わせんじゃねぇ。俺はもう、昔の俺じゃねぇ」
ふんっとさも苛立たしそうに凛はから視線を逸らす。
昔の俺じゃない、か。
確かに凛の雰囲気はあの頃に比べれば随分変わった。
小学校の時は、お喋り好きで人懐っこい声を上げて笑うようなタイプのコだったけど、
彼と再会してからこっち、一度も笑顔を目にした覚えがない。
その代わりにいつも眉間にしわを寄せてて、鋭
い視線でかつてリレーで一緒に優勝した友人達を見てる。
「それよりお前、この間も一人だったな?友達いねぇんじゃねぇか」
この間と言うのは、珍しく部活が早く終わって、
どうしても必要なものがここにしかなくてここまで一人で買い物に来てた時のことだ。
そう。
その時も偶然の神様のお導きにより、は彼と顔を合わせている。
「な!違う!今日はたまたま部活が―――」
「っ!」
が凛のぼっち野郎発言に反論している途中。
彼は下の階から繋がる上りエスカレーターにちらりと視線を落とし、
それからぎょっとした様子で瞳を見開いた。
「おい、。ちょっと来い」
何故かぼそぼそと声を落としてそう口にした凛は、
いきなりの手を強引に掴み、珍しく慌てた表情でその場から足早に遠ざかろうとする。
はで余りにも突然のことで、腕を掴まれたまま、引き摺られるようにしてそれに従うしかなかった。
「え?え?ちょ、何!?痛いよ!凛!」
「うるせぇ!てか名前呼ぶな」
凛は特に目的もなくの腕を引っ張りつつ凄い速さでずんずん先に進んでいく。
彼にとっては単なる早足程度だろうが、コンパスの長さの違うは必死で付いていく形になっていた。
いきなり腕を掴まれて引き摺られて、しかも名前を呼ぶなとか全く意味が分からない。
「いやいや、だから理由説め・・・ふぐっ!」
「黙れっつてんだろ。実力行使するぞ」
言いざま、凛は今度はいきなりを羽交い絞めにして片手で口を無理やり塞いだ。
てか実力行使もうしてんですけどおっ!!!
何がどうしたらこういう行動に出ることになるのか。
周囲の人間から見たら怪しいことこの上ない。
凛はやっと足を止めたかと思うと、とあるショップの中に入り、
物陰から今まで達が歩いてきた(が引き摺られてきたとも言う)場所を伺っている。
その間は相変わらず訳の分からないまま彼に口元を塞がれていた。
しかも、羽交い絞め状態を保ってるから、何だか背後から抱きしめられてるみたいな妙な気分になる。
うあ、ヤバい・・・。
何を。
何を意識してるんだ、は。
意識しだすともう止まらなくて、背中越しに感じる凛の体温とか、硬い胸板の感触とか、
の口元を覆ってる掌のこととか、余計なことばかりが思考をしめ始めた。
「・・・よし、どうやらこの階には降りなかったらしいな」
「?」
「っ、・・・、悪かったな」
凛はようやくに羽交い絞めをしたままだと気付いたらしく、
を両腕から解放した。
気のせいか、凛の目元が薄っすら赤い。
まさか、まさかとは思うけど、もしかして凛も照れてるんだろうか。
だけど羽交い絞めにしたりされたりして照れる男女ってのも、何だか、正し青春とは違う気がする。
「えーっと、で、な、何でいきなり?」
「ああ・・・、エスカレーターに似鳥と部長が居たんだ」
「え!?あの二人仲いいの!?」
「いや、そう言う訳じゃねぇだろうが。
とにかく、似鳥だけならまだしも部長の前で女と一緒の所を見られると色々面倒なんだよ」
つまりからかわれたくなかったと言うことだろうか。
でもは合同練習の時に似鳥君とも部長さんとも面識があるから、そんなに問題じゃないと思うんだけど。
「一応も『女と一緒』の内に入れてくれんだね」
「は?」
「ううん、なんでもない」
分かってる。
あくまで周囲から見たらって意味で、凛がのことを女だと意識してる訳じゃない。
凛は少しの間微妙な顔でを見下ろした後、視線を僅かに逸らした。
「・・・どう見ても女だろうが」
「え?」
「何でもねぇよ。それよりさっさとここから離れるぞ。
部長はここより上の階だろうから、俺達は降りる」
それだけ言って、凛はまたしてもスタスタ歩き始めた。
仕方なくも後を追う。
何度も言うが、と凛はコンパスが違いすぎるので、今回もは小走りになるしかなかった。
◆◇◆
それから達はなんとなく二人で一緒にぶらぶらしていた。
特にコレといっても目的もなく、会話が弾んでたって訳でもない。
それでも何だか離れがたくて、結局そろそろは帰らなきゃって時間までと凛は一緒だった。
「じゃあ駅に向かうから、・・・その、また・・・ね」
と凛はあくまで偶然出会っただけで、付き合ってる訳でも何でもなくて。
しかも彼は昔仲の良かった幼馴染達とは余り近付きたがらない。
そして他校生。
そんな彼と、また会う約束なんて、出来るはずもない。
「・・・おい」
「何?」
「駅まで送ってやる、行くぞ」
「・・・!?」
思いがけない凛の言葉。
当然のようにここでお別れだと思ってたから、としては嬉しい限りなんだけど、
凛の方はどういう心境の変化だろう。
今の時間まで一緒に居てくれたことさえ、驚きだってのに。
「早くしろ」
「う、うん」
これは頑張って付いてかないと、
凛はきっとまたあのより随分長いコンパスでスタスタ先に行ってしまうに違いない。
それでも彼がまだ一緒に居てくれるなら、全然そんなこと苦にはならないけど。
なんてことを考える自分もかなり現金だと思う。
「ん?」
「・・・何だよ?」
「いや、うん、何でもアリマセン」
「?変なヤツ」
小走り上等!の覚悟で凛の隣に並んだのに、駅に向かう彼はさっきまでと比べて随分歩く速度を落としてくれていた。
これなら歩いてても普通に彼の隣に並んだままで居ることが出来る。
「お前結局何も買ってねぇんだな」
「え?ああ、そういえば」
「は!電車まで使ってきといて何にもナシかよ」
「・・・ま、まぁね。でもいつも似たようなモンだし。それに・・・」
「?」
「今回は特に楽しかったからいいや」
いつもは意地を張って言えないような台詞だ。
だけど、何故か今回は素直にそう口に出来た。
だって本当のことだ。
今日、こうして凛に会わせてくれた偶然の神様には大々感謝したい気持ちで一杯だ。
確かに凛は昔とは変わってしまったかもしれない。
オーストラリアに居る間に何が起きたのか全く知らないがこんなことを言うのはどうかと思うけど、
それでも思うのだ。
変わってしまった部分があるように、あの頃から変わってない部分も、きっとあると。
それは多分、すぐに目に見えて分かるようなものじゃない。
でも、何となく感じ取れる。
いかんいかん。
ニヤニヤしてしまう。
「・・・」
「何?」
「お前、小学校の頃俺のことが好きだっただろ」
「っっ!!??」
それは質問ですらない言葉だった。
凛はまるで、そうだったと本当に知ってるみたいな顔でを見下ろしてる。
突然の奇襲攻撃並みの爆弾を投下されてしまった。
何でいきなりここでそう言うことを。
と言うかどういう流れだこれは。
おかしい。
ついさっきまで、普通にいい感じに穏やかに会話してたはずなのに。
「な、何言ってんの?」
「どうなんだよ?」
「・・・、お、覚えてマセン」
本当は凛の言う通り、はあのスイミングクラブに通っていた小学6年生の頃、
彼のことが好きだった。
彼の人懐っこい笑顔が、いつも楽しそうに泳ぐ姿が、大好きだった。
だから凛が留学するって聞いたときは、そりゃもうこの世の終わりみたいに落ち込んだものだ。
それは本当のこと。
だけど、だからって今更そんなこっ恥ずかしいことを肯定できるはずもなく。
「フン、別にそれでもいいけどな」
「え?」
なんですかそれは、だったら最初から聞くなよ動揺させるな馬鹿野郎。
内心微妙に拍子抜けしてしまう。
まぁ、本気で突っ込まれても困るけど。
「俺はもう、あの頃の俺じゃねぇ」
「・・・・・・」
今日、顔を合わせてすぐに彼は似たようなことを口にした。
ふと寂しい気持ちになって、は無意識に視線を足元に落とす。
そう言えば、もうすぐ駅についてしまうんじゃないだろうか。
後数分もすれば―――
「」
「わっ!?」
名前を呼ばれたと同時、いきなり建物と建物の間に体を押し込まれて、
は声を上げた。
今日はこういう展開多すぎませんか、凛君。
トンッ。
背中が壁に当たる。
目の前には凛。
そして彼はの左右に両手を付いていた。
何だろう、この少女マンガお約束、乙女の夢見たいな構図は。
突然の展開に、再びの思考がぐるんぐるんと回りだす。
「過去じゃなくて、今の俺を見せてやるよ」
「え?」
「・・・覚えてろ」
低く囁くようにそう言った凛の唇から、肉食獣みたいな尖った歯が見えた。
それに、真っ赤な舌も。
獰猛な生き物が、舌なめずりしているような独特の威圧感。
は何と返事をしていいのか分からなくて、ただ彼を見上げていた。
凛の言葉の意味が、よく分からない。
今の状況も。
「り――」
が呼ぶはずだった彼の名前を言葉にする二文字目は、
文字通り彼の口に吸い込まれていった。
凛は、今度は唐突にの唇を塞いだ。
いや、塞いだなんて生易しいものじゃない。
いきなり、喰らいついてきたのだ。
咄嗟のことで目を閉じるなんて事は勿論出来ず、それどころか抵抗することすら頭から飛んでいた。
が驚いて呆然としている間に凛のあの真っ赤な舌がの口内に侵入し、
その周辺で暴れ回る。
「ぁっ、・・・ふ」
「ん・・・」
どちらからともなく吐息のような声が漏れ、同時に凛がの体に自分の体を密着させてきた。
背中の固い壁とは違う感触が、匂いが、を包む。
あのショッピングモールで羽交い絞めされた時とは全く状況が違う。
ようやく凛がから離れた時。
最後に彼は、二人分の唾液を微かに喉を上下させて飲み下した。
の呼吸は僅かに弾んでいて、意識は未だに正常に戻らない。
「・・・ここから駅までそう距離もねぇ。もう目の前だからな」
「・・・・・・」
「気を付けて帰れ」
くしゃり、と。
凛の手がの髪を撫でて行く。
ハッとして顔を上げて彼と視線を合わせると、凛は―――
「忘れるなよ」
今まで決して達の前で見せたことないような、柔らかな笑顔を見せた。
それから彼はをその場に残して去っていった。
暗くなるにはまだまだ時間はあるし、駅は彼の言ってた通り目と鼻の先。
それはいい。
それは問題じゃない。
は壁に背中を押し付けたまま、震える両手で口元を抑えた。
たった今、数十秒ほど前に起きたことが、理解できない。
「く、・・・」
ただひとつ、理解できたのは、と言うか今の中を占めてるのは。
「食われるかと、思った」
たったひとつ。
それだけだった。
(END)