砂独特の感触を靴越しの足裏で感じながら、しゃくしゃくと微かな音と一緒に波打ち際を歩く。
海は穏やかに凪いでいて、寄せては返すさざ波の音が耳に心地いい。
海風と潮の香り。
ぼんやり海を眺めると、夕日で薄っすら染まった雲が水平線の上に広がっている。
そして、昼間はその空と同じように真っ青な海も、赤く色付いていた。
そう言えば、こんな風に海を眺めるのは随分久しぶりかもしれない。
こんなに近くに海があるのに、いや、近いからこそ気にしなかったのか。
ふと足元に視線を落とすと、そのすぐ先に小さな砂山が幾つか出来ていた。
思わず懐かしい気分になって、は無意識に口元に笑みを浮かべてしまう。
スイミングクラブに通ってたあの頃、まだ実家から祖母の家に遊びに来ていたあの時、
ここで一人で砂山を作ったこともあった。
砂浜のあちこちに落ちてる貝殻を集めたり、浅瀬に居る生き物を眺めたりするのも楽しかったけど、
何も考えずに砂で自分なりに色々な形を作って遊ぶのが何故か一番面白かった。
遙や真琴も何度か付き合ってくれたこともあったけど、
二人が来ると大抵最終的にどっちかの家にお邪魔してた気がする。
今でもそうだけど、遙は何かを書いたり作ったりするのが上手かった。
砂の城、とまではいかないけど、
が作ったものより随分立派なものを作り上げてたのを今でも覚えてる。
スイミングクラブに通ってた時のことを思い出すと、
いつも大体皆に出会った当初の記憶が浮かんでくる。
今と同様、遙は何をしてる時よりも、泳いでる時が一番綺麗で生き生きしていた気がする。
あの頃から彼は子供にしては妙にクールな感じだったし(同時にかなりズレていた)、
渚や真琴たちみたいに分かりやすくはしゃいでたりする訳じゃなかったけど、
それでも泳ぐことが、水が大好きなんだと言うことだけはよく分かった。
そこでは渚が初めてに声を掛けてくれた時の言葉を思い出す。
―――『水はこわくないよ!今度ぼくのともだちが泳いでるのを見てみて。
本当にイルカみたいなんだ。スゴくきれいだよ!』
人の泳ぐ姿を綺麗だと思ったのは初めてだった。
力強いのにしなやかで、その上泳ぐ速度も相当なもの。
それなのに水をかく腕が、体が、足が、その全部がスローモーションみたいに見えてしまう。
大体、は泳ぐことも水も嫌いだったし、だからスイミングクラブも当然のような嫌な場所でしかなかった。
嫌々ながらも通ってたスイミングクラブだったが、それでもまぁそれなりに泳ぎを覚えようとはしていたのだ。
だけど、自分のことで精一杯で周囲のことなんて全く気にしていられなかった。
だから他人の泳ぎをそんなにじっくり見ることもしてなかったのかもしれない。
遙の泳ぎは、そんなを一瞬で虜にした。
それは今もあの頃も変わらない。
だけじゃなくて、渚も真琴も、怜も、そして凜も、きっと遙の泳ぎに魅せられた人間だ。
あれを『才能』と呼ぶ人も居るのかもしれないけど、それだけじゃない何かが、遙にはあった。
遙が遙だから、水は彼を受け入れ、彼も水と共にある。
どう表現すればいいのか分からないけれど、にはそんな風に思える。
まぁきっと遙自身はそんなこと全く頭になくて、
ただ泳ぐこと、水に触れることが出来ればそれでいいんだろうけど。
渚との再会をきっかけに、水泳部を設立出来て、遙が泳ぐ姿を毎日みられるようになったことは、
本当に嬉しいと思ってるし、出来るならもっともっとこのままいけるところまで皆で突き進みたいと思ってる。
だけどその一方では、遙がいつの間にかの手の届かない遠くまで行ってしまう様で怖かった。
理由も分からない曖昧なものに、何でこんなに不安になるのか自分でも分からない。
でも多分、にとって遙が単なる幼馴染じゃなくなってしまったことが一番大きいんじゃないだろうか。
「おい」
考え事に浸りすぎていたせいでもう太陽が殆ど沈んでしまったことに気付いていなかった。
しかも周囲に全く気を配ってなかったこともあって、
いつの間にか近付いてきていた人の気配にも気付かず、
おかげで突然声を掛けられては心臓が口から飛び出るかと思うほど驚いた。
その拍子に自分でも笑える位に間抜けな声が零れる。
「わっほっ!?」
「お前、こんなところで一人で何してるんだ?」
「遙!?」
が妙なリアクションを取る事にも既に慣れてるのか(それも嫌だ)、
知らぬ間にの傍まで来ていたらしい遙はいつも通りの様子で訊ねてきた。
女子にあるまじき驚き方をしたのをツッコまれもせずスルーされたのは微妙な気分だが、
相手が遙なのである意味も慣れている。
「特に何かしてた訳じゃないんだけど。敢えて言うなら黄昏てた」
「・・・・・・・」
「悪かったって、暗い中一人で居るから心配してくれたんでしょ?」
「別に、コンビニ帰りにお前が居るのが見えたから何してるのかと思っただけだ」
それでわざわざここまで来てくれたと言うのは、つまりやっぱりを心配してくれたんだろう。
それを素直に認めない辺りがまた遙らしい。
「ん?けどよくだって分かったね。この暗いのに」
「・・・、そんなことより、まだ帰らないのか?」
「え?・・・あ、遙、良かったらもうちょい付き合ってくれる?」
「少しだけならな」
「うん、ありがと」
遙は口数が多いほうじゃないので、二人で居ると基本的に喋ってるのはばかりだ。
それでもお互い苦にならないし、たまに会話が途切れることがあっても、
特に気詰まりな空気が流れたりもしない。
それさえ心地いいと思えて、一緒に居て凄く楽だ。
そしれなのに同時に、どきどきもするんだけれど。
まぁそれは、がより遙を『男の子』として意識してるからだろう。
それからと遙は二人並んで他愛ない話をしながら、砂浜を歩いた。
「・・・」
「ん?」
「お前の―――」
「ぎゃっ!?」
ズボッ、と。
そこでいきなりの片足が砂の中に飲み込まれ、同時にガクリと体が傾いた。
その拍子に転びそうになったところを、
すぐ隣に居た遙が咄嗟にそのの腕を掴んで支えてくれる。
本来ならば、これは結構少女マンガ的なきらきらした胸きゅんシーン、な筈な訳だが。
「足元に穴が空いているから気を付けろ」
「遅いから!!もっと早くお願いします!」
テンポのズレた遙の一言で何だかただのお間抜けシーンになってしまった。
まぁ、サンダルだからそれほど酷いことにはなってないからいいけど。
「足、捻ってないか?」
「ああ、うん。大丈夫、ありがと」
遙にお礼を言って、取り合えず足を穴から引っこ抜く。
いや、抜こうとした。
だが、穴が予想外に深くて、無意識には腕を掴んで支えてくれてる遙にしがみ付いていた。
「ご、ごめん」
「いや、俺が支えてるから、お前は早く足を抜け」
「う、うん」
は小さく頷き、彼の言葉に甘えて遙の腕を掴んだまま、
片足を軸にして穴にはまったもう一方引き上げる為に力を込める。
遙が支えててくれたおかげで、思いの他簡単に片足が抜けた。
―――んだけど。
「っ!?」
「え!?」
ぐらりと、再び視界が唐突に揺れる。
しかも、が掴んでた遙ごと、体が傾いた。
遙もかなり驚いたようで、一瞬瞳を大きく見開いていた。
「!」
「わぁ!!」
達は結局そのまま二人揃って砂の上に転倒した。
それでも下が砂だったのは幸いかもしれない。
おかげでそこまで激しい痛みはなかった。
と言っても、の場合、元の位置関係と咄嗟に遙が庇ってくれたこともあって、
衝撃も痛みも殆ど感じなかったんだけど。
つまり、が感じるはずだった衝撃も痛みもほぼ遙が受け止めてしまってる。
しかも、は彼を下敷きにしてる状態だ。
「は、遙!大丈夫!?怪我ない!?」
「・・・平気だ。・・・まさか俺の足元にも穴が空いてると思わなかった。
悪かったな、支えきれなかった上に巻き添えにして」
と言うことはが足を引っこ抜いた瞬間、遙のすぐ足元にも穴があって、
彼もその穴に足を取られてしまったってことか。
なんと言う恐ろしい罠。
なんてことを考えてる場合じゃない。
「あの状況じゃ仕方ないよ。てか元々はが遙を巻き添えにしたんだし。
遙こそ結構無理な体勢で転んだけど、本当に足捻挫とかしてない?」
「・・・あぁ」
「そっか、良かった・・・」
安心した瞬間に、自分が未だに遙を下敷きにしてることに気が付いた。
「す、すぐ降りるね!先に立ち上がるから少し――」
「」
の言葉を遮るように、遙はそこでの名を呼んだ。
は浮かしかけた腰を思わずストンと再び下ろしてしまう。
と言うか、そうせざる得なかった。
何故なら、彼がの腰辺りを両腕で固定してしまってたから。
「遙?」
「まだ」
「うん?」
「動くな」
「え?」
が遙の台詞に少し戸惑った表情で彼を見下ろすと、
彼は上半身だけをゆっくり起こした。
その拍子に遙の背中や髪についてた砂がさらさら落ちてく。
転んだ衝撃で特に遙はより砂まみれになってるはずだ。
はどうしていいのか分からず、
取り合えず彼の肩や腕辺りを軽く叩いて砂を少しでも落とそうとした。
多分、は今自分が思ってる以上に動揺してる。
遙はが砂を落としてる間中、無言でなされるがままになっていた。
「えーっと、た、立ち上がらない、の?」
「嫌だ」
「な、何で?」
「・・・・・・」
なぜそこで黙る。
変な期待をしてしまうから、やめて欲しい、こういうのは。
じっとを見つめる遙の視線が落ち着かなくて、は思わず彼から視線を逸らした。
本当にもう、どうしていいのか分からない。
と言うか、遙はどうしたいんだろうか。
「遙・・・重くない?」
「別に」
「そ、ソーデスカ。じゃあ、えーっと」
「落ち着け」
「いやいやいや、無理だしこれ。ていうか、遙どうしたいの?な、なんなの?
もしかしてで遊んでる?遊ばれてるんですか」
遙が人をからかって遊ぶタイプじゃないのは分かってるけど、
どう見てもテンパってるをこんな形で放置なんて酷すぎる。
そりゃだって、遙とこうしてるのが嫌だって訳じゃないけど、でも当然のように落ち着かない。
「・・・、お前、俺がどうしたいのか教えれば、大人しくなるのか?」
「う、うん?まぁ、理由があるなら」
「分かった」
遙は軽く頷いたと同時に、ゆっくりの方に上半身を傾けてきた。
いつの間にか空には半月が浮かんでいる。
もうそんな時間になったのか。
なんて、遙越しに見えた景色に一瞬、そんな呑気なことを考えていた、その時。
「・・・・・・」
「・・・!?」
遙は瞼を下ろさずを見つめたまま、の唇にキスをした。
それはただ重ねるだけの、軽い接触。
だけど、彼の唇の温度とやわらかさを感じるには十分だった。
は反射的に息を止め、同時に瞬きすることを忘れていた。
「これが知りたかったんだろ?」
小さく、遙が囁く。
あくまでもいつも通りの口調。
でもお互いの唇は殆ど触れ合わされたままだった。
だから彼が一文字一文字言葉を紡ぐたび、小さなキスを何度も繰り返すことになる。
「は、遙」
「何だ?」
「も、しか、して・・・のこと、す・・・「好きだ」
が先を続けるより早く、彼はその答えを短く完璧に口にしてくれた。
瞬間。
は小さく息を吸い込み、両腕を一杯に広げて遙にしがみ付く。
彼はそのの体を、同じように強く抱きしめた。
そして、ぶっきらぼうな口調で一言。
「気付くのが遅い」
「ははっ・・・、ごめん。遙、も好き」
「ああ、・・・お前には、ずっと俺の傍に居て欲しいと思う」
どこかぎこちない言い方で彼はそう続けた。
遙は知ってるから、が、すぐにあれこれ余計なことに思考を囚われてしまうこと。
だから彼なりに、に伝わりやすい言葉で気持ちを口にしてくれたのだ。
を包み込んでくれる遙の両腕は、この体は、
足は、きっとこれからも沢山の人を魅了する泳ぎを見せる。
多分それは、彼が泳ぐことをやめない限りずっと。
その度は、今日みたいに一人、形のない曖昧な不安に怯えるかもしれない。
でもその時は、今日のこのときのことを思い出そう。
を好きだと、傍に居て欲しいと、そう言ってくれた遙の言葉と温かさを――
(END)