「この間俺が月を見上げている時にお前が声をかけて来たことがあっただろう?」
「ん?あぁ、ありましたね。その後芙蓉姫と子龍と顔合わせた時のことですよね?」
「そうだ。実はあの時、お前と出会った時のことを思い出していたんだ。
丁度あんな風に空が曇っていて星が見えない日だっただろからな」
玄徳は自分の机で何やら竹簡に筆を走らせながらそう言った。
ここは彼の私室。
部屋の外には護衛らしき兵の姿はあるけれど、室内にはと彼の二人だけだ。
因みに、彼の居る場所から扉までもそれなりに距離があるのと、
玄徳が少し声を抑えてることもあって、室内の会話は漏れてないと思う。
がいつものようにこの世界で目を覚ましたのは約一時間程前のこと。
ふらふらしていたら珍しく見慣れた場所に到着したので、ついでに玄徳の部屋を覗いてみたのだ。
彼はこの城の主だけあって色々と忙しいらしく、実は滅多に二人でゆっくり話をしたことがない。
そして、顔を合わせる場所もいつもバラバラだし、大体は部下に囲まれてることが多い。
だから今玄徳が口にした時の、彼が月を見上げてたあの日も、結構珍しいタイミングだったと思う。
「確かに、そうでしたね」
玄徳の言葉に、はあの時の空を頭の中で思い浮かべ、
それをきっかけに彼と初めて出会ったときのことを思い出していた。
いつものようにこの城の一角で気付いたは、これまたいつものように探索を始めた。
確かあれはこの不思議な三国志風世界の夢を見た5回目位だったと思う。
5回目ともなると、ある程度ここに来るのにも慣れてしまっていた。
最初よりも物珍しさも薄れつつあったけど、
それでも城内が広いことや、毎回ここを訪れる時間がバラバラなこともあって、
飽きたってことはなかった。
どうせ人に見つかる心配がないなら、
人気の多い時間の方が面白い話を聞ける確率が高い昼間の方が良かったな、
なんぞと余裕をかましてその日もいつものようにふわふわと空中を進んでいた。
特に目的もなく右へ左へ移動していると、気が付けば中庭が広がる一角にたどり着いてた。
その時まではこの世界で気付く場合は室内ばかりだったから、
何だか珍しくてはそのままふよふよと石畳へと進んだ。
少し奥の方に余り大きくはない池が見える。
そこで何気なく空を見上げると、空は灰色の雲で覆われていて、
白い三日月が薄っすらとそこから透けて見えていた。
「おい、そこの娘。こんな時間にそのような所に居ては危ないぞ」
その場でぼんやり雲の流れを目で追っていたの背後。
不意に低く穏やかな声がした。
ほんの一瞬驚いて、振り返る。
自分に言ってるんじゃないことは分かってたけど、
反射的には相手を確認していた。
の視線の先に居たのは、長身で全体的に爽やかな印象の男性だった。
雲の切れ間から見えた月が白い光を落とし、彼の姿をハッキリ見せてくれている。
は彼の姿を目にした後、軽く周囲を見回してみた。
彼の言う『娘』さんがどこに居るのか探す為だ。
さっきからここに居たけど、そんな人影は目にしてない。
「?どうした?何か探しているのか?だが、今は暗くてよく見えないだろう。
探しものなら明日の明るい内にしたほうがいいぞ。良ければ俺も手伝おう」
「・・・?」
続けられた男性の言葉に、は思わずきょとんとしてしまった。
何だろう、この今まで感じたことのない違和感は。
けれどその原因は、すぐに分かった。
「見たことのない顔だが、新しい侍女か?それにしては見慣れない服装をしているな」
「っっ!!??」
彼は、に向かって話をしている。
まるでが、普通に『そこに存在している』みたいに。
男性の視線は、を通り越して他の誰かを見ているものじゃなく、
しっかりとが居るこの場を捕らえていた。
そんなことは、有り得ない筈なのに。
「?お前―――」
そこで彼は何かに気付いたように驚いた様子で瞳を見開き、更に何か口に仕掛けた。
その途中で、今度はまた別の誰かがこちらに近付いてくる気配がする。
「玄兄、このような所でどうされましたか?」
「なんかあったのか?」
真っ先にの視界に入った一人目は全身黒っぽい姿で長髪の、影のような男性だった。
そしてそのすぐ後ろに立っているのは、ぎょっとするほど背が高くガタイのいい青年。
「ああ、雲長に翼徳か」
二人に声を掛けられた彼が、笑顔で応える。
雲長と翼徳。
聞き覚えのある響きに一瞬どきりとした。
この頃のは、この城の主が玄徳だと言うことは知ってたけど、玄徳本人は勿論、
その周囲の特に歴史上有名な劉玄徳を含めた桃園三兄弟と言われる関雲長と張翼徳を目にするのは初めてだった。
彼ら三人が義兄弟の誓いを交わし、生死を共にすると宣言した話は相当有名だ。
と言っても、の場合、これもまたゲームで得た知識のひとつではあるんだけれど。
とにかく、この三人は夢の中のあくまでも三国志『っぽい』世界であっても、
いつかは見てみたいと思ってた人物なのだ。
最初にここに来た男性が玄兄と呼ばれてたことから見ても、この人が玄徳だと言うのはきっと間違いない。
そう思うと、何だか妙に興奮してしまった。
雲長と思われる彼が予想以上に若くて、髭どころかつるつるお肌なのが気になったけど、
そこはまぁ三国志『もどき』なのだからある意味仕方ないのかもしれない。
「何か気になることでもありましたか?玄兄」
「え?・・・あぁ、いや・・・」
そこで玄徳はちらりとの方へと視線を向けた。
そう、またしても彼は、確実にと目を合わせたのだ。
思わずの体が強張る。
この世界でこんなんにハッキリ視線を向けられることに慣れてないからだ。
やっぱり、彼にはの姿が見えているんだろうか。
と言うか、行動から見るに、そうとしか思えない。
だが、他の二人はの存在に全く気付いていないようだった。
こんなに近くに居るってのに、彼らがこっちを気にする様子は全くない。
「生き物の気配がしたように思ったんだが、どうやら猫だったようだ」
「ねこ!?猫が迷い込んできてたのか!?」
「ん?あ、ああ、だがもう逃げてしまったからな。少し夜風にでも当たろうかと思っていた」
「そうでしたか。ですが念のため、見回りの兵に伝えておきましょう。
玄兄は明日も早い、早く部屋に戻って休んで下さい」
「ああ、ありがとう。雲長、翼徳、お前達はもう部屋に戻るといい。ゆっくり休んでくれ。
俺ももう少ししたら部屋に戻るつもりだ」
「おやすみ!玄兄!」
「では、玄兄、失礼します」
二人は結局一度もに気付く様子のないまま、その場を離れてしまった。
桃園三兄弟を三人一緒にこんなに間近で見られる機会なんて滅多にないので、
少し名残惜しい気分になりつつ、は彼らの背中を見送る。
そしてそこでハッとして未だこの場に残っている彼に視線を向けた。
「あ・・・」
案の定、彼はをじっと観察するように見ていた。
そう、やっぱり見えているのだ、彼にだけは、の姿が。
二人の姿が完全に見えなくなった頃、玄徳は静かに口を開いた。
「お前の姿は、他の者には見えないんだな」
(続く)