「実はお前を見つけて声を掛ける前から何となく違和感は覚えていたんだ。
ただ、それが何かは俺自身もよく分かっていなかった。
すぐ傍まで近付いた後によく見てみるとお前の体が透けて見えたことには流石に驚いたな」
玄徳は初めてと出会った時のことをそう口にして、苦笑した。
「は玄徳さんが話しかけてきたことに驚きましたよ。
今までの姿が見えた人なんて一人も居なかったし」
「ははは!俺も俺で余裕がなかったが、お前の反応が妙だったのも納得がいく。
雲長や翼徳が全くお前が居る事に気付いていないと分かった時は、俺も益々混乱したものだぞ」
そんなに遠い昔って訳でもないけれど、今こうして普通に接するようになってから考えれば、
何だか懐かしいとさえ思える頃の話だ。
も玄徳につられて笑顔を浮かべる。
「その割りに玄徳さんは結構自然な態度でしたよね。全然動じてないように見えたし、
二人が居なくなった後も普通に声を掛けてきたじゃないですか」
体全体が半透明でしかも自分以外の誰の目にも見えてないような怪しい存在、
だったら声も出せずに猛ダッシュでその場を後にしている。
ある意味怖すぎてその場から離れられないってこともあるかもしれないけど、
取り合えず話しかけるなんて選択肢はまず思い浮かべない。
玄徳は最初から最後まで、激しい動揺は見せなかった。
それなりに驚いたりしてたのは分かったけど、本当にそれだけだ。
「そんなことはないさ、お前に話しかけている時点で十分混乱しているだろう」
「・・・ああ、そっか。そう言う考え方も出来ますね」
あの状況で更にに話しかけるなんて、普通ならそんなことはしないし出来ない。
だけど、そう言うことをしてしまう位に玄徳も動揺していた、と、つまりそういうことだろう。
それにしてもあの時の彼はに怯えてる様子も全くなかった。
勿論としては怯えられたくなんかなかったからそれはその方が有り難かったけど。
そういえば、あの時も似たようなことを玄徳に訊ねたことがあった。
どう見ても幽霊的な存在に見えるを、怖くないのかと。
その時彼は少し困ったように笑って言ったのだ。
『そうだな、不思議と怖いとは思わなかった。
お前の雰囲気がそんな恐怖を煽るような物には到底見えなかったからかもしれないな』
その言葉が何だか、妙に嬉しかったのを覚えている。
「、俺はあの時お前に声を掛けて良かったと思っている」
玄徳は穏やかな笑顔を浮かべてを見つめた。
はふよふよと宙に漂うように動いていた体をピタリと停止させ、
その彼の瞳を見つめ返す。
「玄徳さん?」
「そうでなければ、こんなに親しく話をすることもなかっただろう?
お前の世界の話というのも興味深いものばかりだしな。それに、、俺はお前と言う人間が気に入っている」
「・・・そ、それは、ありがとうゴザイマス。何か照れくさいですね」
「はははっ!そうだな。だが、本当にそう思っているぞ」
こういうストレートに好意を示してくれるところも含めて、
みたいな人間を受け止めてくれる心を持つ彼には本当に敵わないなと思う。
まさにイケメン。
きっといい旦那さんになるだろう。
「玄徳さん、、も」
「ん?」
「も、玄徳さんが見つけてくれて良かったと思ってます。
あなたが声を掛けてくれてよかった。今、こうしてることが凄く嬉しいです」
いつもならここまで素直に口に出来ない言葉も、この人相手だと極自然と言えてしまう。
玄徳はほんの少し驚いたように瞳を見開いた後、瞳を細めて柔らかな笑顔を浮かべた。
ありがとうな。
恐らく彼はその後そうお礼を口にしてくれたんだと思う。
残念ながら、その言葉をハッキリ聞き取るより前に、
の意識はいつものようにすっ飛んでしまったのだった。
その翌日。
はまたいつものように三国志仕立てのあの世界の夢を見た。
だけど今回は城内じゃない。
殆どの場合が城内やその敷地内のどこかで気付くことが多いこの夢だが、
実はその内の何度かはそれとは全く関係のない別の場所だったりすることもあった。
そして、今回はそれだった。
城ほど広々とした場所じゃなく、どちらかと言うと質素にさえ見える適度な広さの一室。
見慣れたと言えるほど来たことはない、だけど何度か目にしたことのある場所。
三国志では伏龍と呼ばれ、後々蜀の劉備に仕えた軍師・諸葛亮、
ここでは彼の名前も例に漏れず字なので孔明と言う。
ここはその彼の庵だ。
「あれ?久しぶりだね、。随分顔を見なかったから、
もう来なくなっちゃったのかと思ったよ」
手元の竹簡に視線を落としていた彼は、を見て真っ先にそう言った。
突然姿を現したを見ても驚いてる様子は全くない。
孔明と顔を合わせるのは今回で6、7回目位だろうか。
今まで飄々としている人ってのには生でお目にかかったことがなかったけれど、
彼はまさにピタリとそれに当てはまる人物だと思う。
切れ者の軍師となる人だからかもしれないけど、
一見かなり若く見えるし性格もおちゃらけてる感じなのに、何を考えてるのか全然分からない。
かと思うと平気な顔でぎくりとするようなことを口にするタイプだ。
「どーも!前にも言ったけど、ここに来るか来ないかはが決めてる訳じゃないのだよ」
「はははっ!うん、覚えてるよ。それで、どう?あれから玄徳様達とは上手くやってる?」
「うん、もう芙蓉姫とも普通に話せるしね。それなりに上手くやってる」
「そうか、それは良かったね。・・・だったらもしも彼女が現れても大丈夫かな」
後半。
孔明はに対してというよりは、殆ど独り言のようにそう呟いた。
孔明の言う『彼女』に、は何となくピンと来て訊ねた。
「それって初めてと会った時に言ってた本のことと関係ある?」
「えっ!?」
「ほら、初めてと出会った時、
孔明、に聞いたから。君は不思議な本持ってるかって」
彼とが出会ったのは実は玄徳と出会って少し経ってからだ。
多分、この世界に来て二桁になるかならないか位の頃。
同じ世界ではあるけれど、城やその敷地内とは全く違った場所に飛ばされた、初めての時。
見慣れない場所と雰囲気に何だ何だと一人、慌てているに、
動じることなく声を掛けてきたのが孔明だった。
こんな半透明で空中に浮いているような人間に、
彼は今話しているのと全く同じような様子で話しかけてきたのだ。
玄徳と出会った後だったってこともあって、自分が見える人間が居ることには最初ほど驚かなかったけど、
それよりも彼が妙に落ち着いてると言うか軽い感じで応対してきたことに酷く驚いた。
そしてが別世界の人間なんだと言うようなぶっ飛んだ説明をした時、
彼はにこう訊ねたのだ。
『ねぇ、君はもしかして不思議な本を持っていないかい?』
予想外の質問に、はきょとんとしてしまった。
その反応で、が本とは無関係なのだと、彼はすぐに悟ったようだ。
すぐに困ったように笑って続けた。
「知らないのならいいんだ。ただ・・・君が少し、ボクの知ってるコと――」
『?』
『いや、何でもない!ボクの単なる早とちりだったみたい。ははははっ』
孔明はそう言って笑って誤魔化してたけど、何でかはその時のことがずっと気になってた。
だけど、たった今彼が独り言のように口にした『彼女』と、
その不思議な本の話が関係あると思った理由は自分でも分からない。
さっき言ったように、ぴんと来たというか、つまりは第六感と言うやつだろうか。
とは言え、この問いに彼が素直に答えてくれるのかと言うと、多分きっとNOだろう。
あの時そうだったように、誤魔化されそうな気がする。
案の定、孔明はうーん?とわざとらしく首を捻っている。
「そんなこと言ったかなぁ」
「言いました。・・・ま、いいけど。無理して聞きたい訳でもないから」
多分、余り踏み込んで欲しくない話題なんだろう。
それならツッコムべきじゃない。
話題を変えようかと思っていると、今度は孔明の方が言った。
「ねぇ、そんなことよりボクも君に聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「君、いつもその首飾りをしているよね?それって肌身離さず持っているものなの?」
「へ?」
孔明が指差している場所と『首飾り』に全く身に覚えがなくて、は間抜けな声で聞き返した。
同時に、自分の見える範囲の首元、と言うか胸元付近に目を向ける。
「え?え?」
「?どうして君が驚くかな」
「いや、え?だって・・・?」
そこには彼の言うとおり、確かに首飾りがあった。
細やかな鎖のその先端にはひし形をした水晶がぶら下がっている。
いたってシンプルなデザインのネックレス。
「何で、これがここに・・・」
これは確かにの物だけど、目にするまで殆ど存在を忘れてたような代物だった。
確か高校生位の時に祖母から贈られたものだ。
小さな頃からこのネックレスにまつわる身内の不思議なロマンス語りを聞かされ、
それにあやかろうとしてた時期もあったけれど、その内それにも飽きて、
その後は他の余り使わないアクセと一緒に箱にしまってた物。
それがいつだったのかも思い出せない。
大体、毎晩ベッドに入る前にわざわざそんな物を引っ張り出すなんて真似は当然のようにしてないし、
目を覚ました後もこれが首元にぶら下がってた覚えなんか全くない。
どう考えても不自然だ。
「?何でっていつも君その首飾りをしているよね。君の物じゃないの?」
「いや、の物だけど、でもこれ、もう随分前から使ってないし、どっかに仕舞い込んでる筈だし。
そもそも孔明に言われるまで全然気が付かなかったから、不思議で・・・」
「ふぅん・・・、不思議・・・か」
孔明はそこでの首元のネックレスをじっと見つめ、
少しの間何かを考えているような素振りをした。
「もしかしたら、・・・君がこうしてボク達の世界に突然来られるようになったのと、
その首飾りは何か関係があるのかもしれないね」
「え?これが?」
「うん、・・・まぁ勿論、ただの推測だけど。
君自身も忘れかけてたような物がここにあるんだ。
別世界に来るなんて特殊な状況になってるんだから、
その原因がちょっと位おかしくても不思議じゃないよ」
「・・・それは、そう、かも」
なんだろう。
筋が通ってるか通ってないかとかより、孔明が口にしてるってだけで説得力があるような気がする。
いつもチャラけてたり軽い感じだから忘れがちだが、世界は違えど伏龍と呼ばれる人だ、
それだけで言葉の重みが違って聞こえるのかもしれない。
と、そこで、不意に何の前触れもなく、の意識はぽーんっと真っ白な世界に投げ出された。
例によって例の如く、お目覚めタイムが来たと言う訳だ。
本当はネックレスについてもう少し深く考えてみたかったんだけど、
現実に戻った後は何より仕事に行く準備を優先するしかない。
近い内にネックレスを仕舞い込んだ箱を探し出そうと考えつつ、
はいつものようにベッドの上で朝を迎えていた。
あの三国志風味世界の夢は寝ている間も起きているような不思議な夢だ。
だから、寝ているのに体が休まった気がしなくてもおかしくないんだけど、実はそうでもなくて、
目覚めた後もあの世界の夢を見る前と特に変わらない程度の感覚だった。
これと言った疲労感はなく、記憶はハッキリしてる。
それにもしも少しくらいの疲労を覚えてたとしても、
あの世界やあそこに居る人達に愛着を持ち始めていたは、
あの場へ行きたくないと思ったことは一度もなかった。
―――いや、一度だけ、そう、一度だけ、あった。
それはたった一度、戦場で目覚めた時のこと。
その場に居た時間は殆ど数十秒単位だった。
今までこの世界に来る時も帰る時も自分の思い通りになったことなんてなかったけど、
多分、あの時はの意志が強く影響して現実に戻れたんだと思う。
いつものように突然意識が戻って、その瞬間にそこが屋内じゃないことに気が付いた。
同時に、いつもと全く違う空気だと言うことも、実体のないでも何故かすぐに感じ取れた。
自分が居る少し離れた場所から、今まで耳にしたこともないような怒号や、
耳に突き刺さる幾重にも重なる金属音、鈍い音、馬の蹄の音や嘶き、
とにかく普段聞き慣れない沢山の音がその周辺を満たしていた。
ただ音を耳にしているだけなのに湧きあがる恐怖、目の前にはもうもうと土煙が上がり、
我に返ったが何気なく足元を見下ろすと、そこには赤黒い血と土が混ざり合った何かの塊があった。
それが人の形をしているのだと気付くのに数十秒、そして、気付いてからは悲鳴を上げるより先に、
意識を飛ばしていた。
ベッドの上で目を覚ましたは、暫くの間金縛りにでもあったみたいに動けなかった。
今まで悪夢と呼ばれる類のものも何度かみたことあるけれど、たった一瞬のあの夢ほど、
リアルに恐怖を感じたことは一度もない。
それでも、視覚と聴覚だけでしか感じなかったのはある意味幸いだったかもしれない。
そうでなければきっと、次にあの世界に行った時、同じ夢を見たらと言う恐怖心だけでは居られなかった。
きっと、もっと心底あの世界に行くことを拒絶してたと思う。
そうだ。
あの夢を見たことで、あの世界へ行くことに不安を覚えはしたものの、
結局はあの世界やあそこに居る彼らから離れたいとは思わなかった。
それでもやっぱりそんなの心理が影響したのか、が2日後に三国志風味のあの夢を見た時、
が玄徳の城へ姿を見せるのはほぼ一月ぶりだと驚かれた。
としてはあの後見た夢の場所がいつもの城だったことだけで凄く安心してたんだけど、
玄徳達はもうが来ることはないのかと心配していたのだと言う。
今までもにとっては翌日の感覚でも、あの世界だと3日から1週間ほど間が空いたことはあったけど、
まさかそんなにひにちが経過しているとは思わなかった。
けれどそんなことより何より、彼らがのことを気にしてくれていることが本当に嬉しかった。
みたいな実体のない不安定な存在を、そこまで受け入れてくれていることが嬉しかった。
あの世界の夢は、見始めた時と同じように突然見なくなってしまうかもしれない。
そう、ある日突然、醒めてしまうかもしれない。
それがいつになってしまったとしても、その時の為にと後悔しないように願っても、
きっとはやっぱり後悔するだろう。
それなら、せめてが愛着を持ったあの世界と彼らに、
少しでもと言う存在を刻み込んでおきたい。
ほんの少しでも、後悔を少なめにしておきたい。
あの世界はにとっては夢で、現実はここにある。
それを分かった上で、はあの世界をなりに大事にしていきたい。
いつか醒めてしまうその時まで、彼らとの時間を少しでも長く刻みたい。
ただの夢だと終わらせずに―――
(序章 了)