体がふわふわ宙に浮いてる感覚がする。
目を開ければ、予想通り空中から室内を見下ろしているような状態。
つまり地に足が着いてない。
比喩じゃなく、物理的な意味で、だ。
そしてもっと言えばの体は全体的に薄っすらと透き通っていた。
を通して向こうの景色が見えそうな位に。
ふよふよとその周辺を漂いながら、ああまたこの夢ですかと一人納得する。
最初の内はそりゃかなり驚いたもんだけど、同じような夢を何度も繰り返し見てると流石に慣れてきてしまう。
最近夜にベッドに潜り込んで眠るたびに同じ夢を見てる気がする。
いや、多分連日って訳じゃないんだろうけど、夢を見る場合は殆どこの夢だ。
同じ夢。
自分がまるで幽霊みたいな存在になって、目が覚めるまでの間、周囲をふらふら探索する夢。
そう、多分、と言うかほぼ確実にここはいつもと同じ場所。
何だか昔の中国的な広大な城の中、沢山の人々、色々な地位や職種の人間が仕事をして生活してる。
ここが日本じゃないんだろうってことは、まず城内の装飾やそこに居る人たちの衣服なんかで分かった。
直に観た事はないけど、漫画や映画なんかでは目にしたことのあるいかにも中華っぽい装い。
現代の中国じゃないのもそれで大体察した。
だけど不思議なのは、ここの人間が話してる言語がどう考えても日本語だってこと。
話してる内容なんかは聞き慣れないものが結構あるけど、言葉自体は明らかに日本語だ。
いや、まぁの夢なんだからと思えば納得できないでもないけど、
それにしたってそれならそれで彼らの話してる内容が何だかの知識と照らし合わせると、
余りにも違和感を覚えるようなものばかりなのが気になった。
ここが中国の歴史に出てくるような場所だと言うことはすぐに分かっても、その頃の日常や、
仕事内容なんて知識まではにはない。
だからって彼らの話してることが本当に正しいものなのかも分からないけど。
この立派な城内の様子にしてもの想像と言うか思考回路から生み出されたにしては、
幾らなんでも精巧すぎる。
ここに居る人たちの会話でここがどうやら三国志に出てくる曹孟徳の城らしいってのは分かって、
最近その手のゲームをしたり漫画を読んだりしたから、その影響かとも思ったけど、
さっき言ったようにそれにしてもの夢にしては色々と細かい部分までよく出来ていた。
三国志のの知識なんて俗に言う歴女と呼ばれてるちゃんと歴史を愛してる人たちとは違い、
漫画やゲームで仕入れたものばかりだ。
学生の頃も別に世界史は嫌いじゃなかったけど、特に得意だった訳じゃないし、
その頃勉強したことなんてうろ覚えで、それがこの夢に関係してるとは到底思えない。
まぁ、夢なんだからもっと気軽に考えてれいいのかもしれないけど。
そうは分かってても、こうも何度も同じ夢を見てるとやっぱり色々と気になる。
因みに、そろそろ片手で数えられない程度にはここの城内の夢を見てるけど、
今まで一度も誰かに見つかったことはない。
どうやら周囲の人間からは全くの姿が見えないようだ。
出来るなら曹操も見てみたいけど、ここ広すぎてどこに行けばいいのか分からないしな。
ここの夢を見るときは、いつも同じ城の中だってことは分かっても、
毎度決まった場所で気が付く訳じゃない。
前に来た時と近い位置で気付いた時もあったけど、それでも全く同じ場所で気付いたことはないし、
ここの敷地内には幾つか別の建物もあって、大体いつも前に来た時とは違う部屋や場所で気が付く。
最初に比べて物珍しさは薄れてきたものの、それでも興味深いことには変わりなかった。
と言うことで、今回もはふわふわと空中に漂ったままこの城内を探索することにした。
この間来た時は昼間だったけど、今日は夜だ。
周囲に人気のない長い渡り廊下を音もなく進みながら、は空を見上げた。
群青色の空には青白い月明かりを放つ半月が浮かんでいる。
そう言えば、現実じゃ最近こんなにゆっくり月を見ることなかったななんて思いつつ、
夢とは思えないような、いや、夢だからこそなのか、その幻想的にさえ見える月に見蕩れていた。
「・・・?」
そこで不意に廊下の奥から微かに話声が聞こえるのに気付き、
は空中で一旦そのまま停止した。
視線をが向かおうとしてる渡り廊下の先に向けると、
男の人が三人、こっちに向かって歩いてきていた。
まだ遠目だから顔までは確認できないけど、一人は見るからに文官姿、
もう一人は着物からだけじゃなくて、
遠くからでもがっしりしてイカつい感じだと分かる武将タイプだ。
けれど、彼らの中央を歩いてる真っ赤な着物の男が何者のかイマイチ見当がつかない。
身分が高そうなのは何となく察しがつくが、せいぜいその程度だ。
が動きを止めて彼らが近づいてくるのをただじっと眺めていると、
三人の顔が段々とハッキリ確認できるまで距離が縮まっていた。
「では丞相、今回の件は今話した通りこちらで処理を済ませておきます」
「ああ、頼む。それから―――」
後十数メートルしたら三人がの横を通り過ぎる。
と言う所まで近づいた頃、三人の男の内の一人、
あの真っ赤な着物の男が不意にこっちを見て足を止めた。
はほんの一瞬ぎくりとする。
そんなことはあり得ないと思うけど、彼の視線が余りにもの居る場所に合ってたから。
しかも、今もまじまじとこっちを見てる気がする。
でもそんな筈はない。
今までこの城の中で結構な数の人間とすれ違ったり、至近距離まで近付いたりしたけど、
の存在に気付いた人は今まで誰一人として居なかった。
それどころか存在に気付かれないおかげでこの透き通った体の中を他人に通り過ぎられたこともある位だ。
向こうは見えてないんだから仕方ないけど、あれはさすがに衝撃的だった。
今じゃそれを利用して壁やドアなんかを通り抜けたりもする位にはなったけど。
(でもやっぱり人に体を通過されるのは抵抗があるので、人間は避けるようにしてる)
そんな訳で、今までは例外なくがここに居ることを誰かに気付かれたことは一度もないのだ。
それなのに。
「おい、孟徳、どうした?何故急に足を止めた?」
「丞相?」
真っ赤な着物の男、孟徳と呼ばれた彼は未だにの浮かんでる場所を凝視したままだ。
そこに、誰かが居るのを分かってるみたいに。
その様子を怪訝に思った厳つい顔のもう一人が声を掛けた。
距離が近付いて分かったけど、武将タイプのこの人は、どうやら左目が見えないと言うか、
左目に傷を負って見えなくなってるようだった。
文官姿の男も眉間にしわを寄せて赤い服の男に問いかけてる。
・・・てか、今、この人孟徳って呼んだ?それに丞相って地位・・・、まさか・・・!?
ゲームや漫画で仕入れた拙い知識ばかりがハッキリしてるとは言え、
三国志の中で乱世の奸雄と呼ばれた曹孟徳はさすがに有名な歴史上の人物だ。
幾らだってゲームや漫画を手にする前から彼のことは覚えていた。
そしてこのの謎の夢の中華な城の主は『孟徳様』だと、ここで働いてる人間が話してるのを聞いたし、
色々な人がその名前を口にしてたのを耳にしてた。
これだけ何度も同じ夢を見て同じ城の中をうろついてるんだから、
その内彼を見られるチャンスもあるかもしれないとは思ってたけど、
まさかこんなに突然その機会が来るとは思っても見なかった。
いや、だけど今はそれよりも―――
「・・・元譲、あのコは誰だ?」
は自分でも気付かない間に空中に浮かぶのを止め、
廊下に足をつける形で呆然とことの成り行きを眺めてた。
そのをじっと見つめたまま、
孟徳は彼の右隣に居る、(これまた歴史上では有名な武将で、曹孟徳の腹心)
あの厳つい顔をした隻眼の元譲にそう質問した。
どくり、と。
の心臓が胸の奥から飛び出しそうな勢いでひとつ、大きく鼓動を刻む。
今、彼は何と言っただろう。
あのコは誰だ?
あのコって、誰だ。
今更だけど、どんなに周囲を見回しても、ここには今、彼ら三人と、それから数に入れるならの4人しか居ない。
でも、本来の姿は他の人間には見えないはずだ。
何度も言うけど、この夢でこの場所に来て、今まで一度だってを見つけた人間は居なかった。
「あのコ?何のことだ?」
孟徳の問いに、元譲は困惑したように問い返す。
彼の様子からして、の存在には全く気付いてないようだ。
視線もの居る場所よりもっと先を彷徨ってる。
「あのコだよ、一人しか居ないじゃないか。あの女の子」
「・・・丞相・・・、また
元譲とは反対の位置に立っていた文官姿のいかにも気難しそうな彼はそう言って、
あからさまに呆れた溜息を吐く。
こっちも見る限り全くのことには気付いてない。
だけど、孟徳だけは、相変わらずをじっと見つめたままだ。
「・・・孟徳、ここ最近忙しかったのは確かだが、
お前のことだ、女人との接触が無かった訳じゃないだろう。
・・・これ以上お前の女好きの病気が悪化するのだけは勘弁してくれよ」
「元譲殿の言うとおりです。あなたに振り回される周りの迷惑も考えて頂きたい。
・・・今日は早くお休み下さい、丞相。我々も、もう戻ります」
「お前ら揃いも揃って酷い言い様だな」
そこで孟徳はやっとから視線を逸らして二人に返事をした。
内心ホッとしつつ、今のうちに逃げてしまおうかと思ったけど、
何故だか動く気になれない。
これは夢なんだし、元々隠れようと思って自分の意思でこんな姿になった訳でもない。
ここで逃げるってのも何だか変だ。
「では丞相、私はこれで失礼します」
「あぁ、そうだな、俺も今日は特に急ぎの仕事も無い、文若と戻るか。ではな、孟徳」
「はいはい、また明日宜しく」
他の二人は孟徳を残しての横を足早に通り過ぎ、そのまま建物の中に入って行った。
当然のようにとすれ違う時もの存在には全く気付いた様子は無い。
彼らの姿が完全に見えなくなった頃、
その場に留まったままだった孟徳がゆっくり歩を進めだす。
彼がどこに向かって歩いてるのかはすぐに分かった。
、だ。
孟徳の視線は、さっきを見つけた時と同じように、に向けられてる。
「こんばんは」
「・・・、こ、こんばんは」
案の定、彼はの正面で足を止め、にっこりと笑顔を浮かべて極自然にに挨拶した。
思わずも挨拶を返す。
だけど、正直未だに色々と信じられなかった。
「あの、が、見えてるんですよね?」
どう見てもそうだろうと思ったけど、は思わず彼にそんな間抜けな質問をした。
彼は軽く頷いて答える。
「うん、見えているよ。その様子だとやっぱり君が見えるのは俺だけってことなのかな?」
「・・・多分、今まで一度も見つかったことないし」
「ふぅん、そっか」
ぎこちなく返事をしたを、彼は笑顔を崩さないまま興味深げな瞳で見つめてる。
それからすぐに軽く周囲を見回した後、再び口を開いた。
「もっと詳しい話を聞きたいからちょっと場所を移そうか、俺の部屋に行こう」
「分かりました」
まぁ確かに、朝や昼間に比べれば人通りの少なそうな場所だが、
この渡り廊下はいつ誰が通るか分からないところなのかもしれない。
周りの人から見ればの姿は見えないんだから、
こんな所で主様が空中に向かって一人で話してるのを目撃されたら色々面倒だろう。
とは言え、この人もよくもまぁこんな得たいの知れない存在に声を掛ける気になったもんだ。
自分で言うのもなんだけど、こんな時間にこんな人気の無い場所で、
実体の無い透き通った女がぼーっと突っ立ってるのなんか見たら、普通は自分から近寄ろうなんて考えない。
どう考えても薄気味悪いし、幽霊だと思われても仕方ないと思う。
と言うかそうとしか見えないだろう。
肝が据わってるとも言うのか、この場合。
恐怖心よりも好奇心が勝ったのか、さすがと言うべきかなんなのか。
先を歩く孟徳の背中を見つめながら、内心どこか呆れと感心の入り混じったような感情を抱きつつ、
はふよふよと床に足をつけないまま彼の後に従った。
(続く)