序章

「さぁ、どうぞ、ここが俺の部屋だ。入って」
「・・・お邪魔します」


何だか極自然な動作で孟徳はを自分の部屋へと招き入れてくれた。
余りにも普通に声を掛けてくれるから、
一瞬実は自分にはちゃんと実体があるんじゃないかと勘違いしそうになる。
まぁ勿論そんなことはなくて、扉だって通り抜けることが出来てしまう状態なんだけど。
すすーっと床を滑るみたいに移動して取りあえず部屋の中央で動きを止める。
孟徳はその間も物珍しそうにを見ていた。
そりゃそうか。
だけど、この人は本当にどうしてこんなに余裕があるんだろう。
さっきも思ったことだが、普通ならこんな怪しいというか薄気味悪い存在にこんなに自然に接したり出来ない。
自然すぎて逆に不自然だ。


「まずは自己紹介しようか。俺は孟徳、曹孟徳だよ」
は、です、あ、が名前ですね」


もしかして本来、字と言われてるものがここじゃ名前なんだろうか。
日本語が普通に通じることも含めて、ここはやっぱりあくまで三国志っぽい世界らしい。
の夢だから仕方ないとも思えるけど、の夢にしてはよく出来てるって印象も相変わらずだ。
そして、今の目の前にいる孟徳だけど、彼の印象は予想以上に軽い。
なんと言うか、さっき渡り廊下で他の二人が言ってたことからも分かったけど、
女好きなんだろうなって感じだ。
そう言えば、本当の歴史上の人物の曹操も切れ者ではあったけど女好きだったんじゃなかっただろうか。
正妻の他に側室が結構な人数居たように思う。


ちゃんか〜、うん、可愛い名前だね」
「・・・・」


軽っっ!!!!


まさかまさかまさかとは思うけどこの人、の性別が女だったからこうして声を掛けたんだろうか。


「あの、孟徳、さん」


歴史上の偉人(本物とは別だけど)ってのはどうしても呼び捨てにしてしまいがちだけど、
さすがに本人を目の前にして、しかも頂点に立つ地位の人間に敬称を付けない訳にはいかない。
はぎこちなく彼に呼びかけた。

「何?」
「何で声を掛けてきたんだろうと思って、のこと気持ち悪くないんですか?」
「気持ち悪い?どうして?君みたいな綺麗なコ、そんな風には思わないよ」
「そ、それはどうも、・・・じゃなくて!いえ、あの、見ての通り幽霊っぽいですし、
さっき一緒に居たお二人にも見えてなかったような存在ですし、
普通だったら近寄ろうとか思いませんよね」
「ああ、確かに君は他の人間には見えないって言ってたし、アイツらにも見えてなかったよね。
可愛そうな奴らだよね、君が見られないなんて。
でも今も言ったけど、俺は君を気持ち悪いとは思わなかったよ」


よくも初対面の、しかもこんな普通じゃない状態の得たいの知れない人間相手にそんなことが言えるもんだ。
そしてまさかのまさかだったけど、やっぱり彼はの性別が女だから声を掛けたんだろうか。
ある意味女好きもここまでくると凄いかもしれない。
孟徳は更に続けて口を開いた。


「勿論君を最初に見た時は凄く驚いたけど、それは月明かりに照らされた君が天女みたいに見えたからだ」
「・・・・・・・・・・、は、はい!?」


今、今この御仁はなんとのたまっただろうか。
てんにょ、と言っただろうか。
このを相手に、てんにょ。
こんな平凡な小娘相手に天女。


ないないないない!!ないだろおおおお!!!


「そう、天女。少なくとも俺にはちゃんが君の言う幽霊なんて物の怪の類には見えなかった」


く、繰り返されてしまった・・・。


「え、えーっと、つまり怖くなくて、興味持ったから声を掛けた、と?」


この際天女発言はスルーだ。
今までのやり取りで、この人は間違いなくかなりのレベルの女好きだってことだけはよく分かった。


「うん、そういうことかな」
「は、はは・・・。あ、先に言っておきますけど、は幽霊とかそう言うものじゃないです。
ちゃんと生きた人間だし、何でここに居るのか分かりませんけど」
「どうしてここに居るのか分からない?どこから来たのかも?」
「うーん、どこからって言うか・・・」


はそこで言葉を濁す。
このまま正直に話してもいいものかと少しだけ考えたけど、
そんなことを考えるだけ無駄かもしれない。
これは夢と言うには不思議すぎるけど、それにしたってがベッドで眠ってるのは確かだし、
夢には違いないんだから、妙な隠し事をする必要も無い気がする。
いや、それより何より。


「・・・ん?」


この人がこの三国志に近い世界の曹孟徳だからってのもあるんだろうけど、
何だかちっぽけな隠し事でも見透かされそうで怖い。
全体的な印象として軽いし、表面だけ見ればそこまで鋭そうにも見えないけど、
人を見かけで判断すると痛い目を見るのはどこでも同じだろう。
夢なんだから、そんなに慎重になるのもそれはそれでおかしいかもしれないが。


「ここに来るのは多分もう5回目位なんですけど、
本当なら、うちで普通に寝てるはずなんです。
この世界で言うなら、海を越えた向こうの日本て国で。
でもが本当に居る場所は同じ日本でも、この世界の日本じゃなくて、
こことは全く別の世界の日本で・・・」


何か自分で説明しておいて何だけど、物凄く胡散臭い内容すぎる。
今のとこ本当のことしか口にしてないのに、
今時子供でも信じそうに無い設定だ。
自分の表現力が拙いせいもあって嘘くささ山の如し。
この先を口にすれば、きっと更に子供っぽい御伽噺もいいところだろう。
これなら逆に嘘をついてでもそれっぽいことを言った方がマシなのかもしれない。


「どうしたの?」


説明の途中でが話を止めからか、孟徳は先を促すようにそう問うた。


「いえ、それで一応の世界にも他国なんですが、
約1800年前に今のこの世界と似たような歴史を持つ国があるんです。
本当ならその国はが使ってる言語とは全く違う言葉を話す国なので、
こことは別の世界だと思います・・・」


うっわぁ、やっぱり胡散臭さ満載だわ。


寧ろ胡散臭いと思われる位で済むかどうかさえ怪しい。
どんなとんでもぶっ飛び設定だ。
まぁ、こんな幽霊状態の人間が居るってことだけでも驚きだから、
逆に信憑性があるかもしれないけど、幾らなんでも突拍子も無い内容すぎると思う。


「それで君はそんな見たこともない珍しい衣装を身に付けているんだね。
異国の人間だろうとは思っていたけど、さすがに別の世界から来たところまでは分からなかったな」


物珍しげな目でにこにことした表情を浮かべ、彼はの全身を再び観察しながらそう言った。
毎回この夢を見る時はベッドに入った時のままのパジャマ姿だ。
だからあまりじろじろ見られるのは余り居心地のいいものじゃなかった。
が、今はそんなことはどうでもいい。
それよりも驚いたのは孟徳の返事だ。
一応本当のことしか言ってないつもりだけど、
内容がぶっ飛びすぎてて信じて貰える訳がないだろうと思ってたから。


「・・・え?あの、の話し、信じるんですか?」
「うん、だって君、嘘は付いていないだろ?」
「そ、それはそうですけど、だからって・・・。が逆の立場なら信じませんよ」
「はははっ!君がそれを言っちゃうんだ」


反応が軽すぎて孟徳が本当に今の話を全部信じてくれたのかは微妙だ。
いや、そもそもこれは夢なんだから、そんなに深く考えなくてもいいのかもしれない。
夢ってのはそれこそ何でもあり。
突拍子の無い辻褄の合わないことだらけでも、『夢だから』の一言で説明がつく。
そう考えると孟徳の反応もアリってことなんだろうか。


「ねぇちゃん、君の話をもっと聞かせてくれないかな。俺、君に凄く興味があるんだ」
「この体以外は至って普通の人間ですよ。―――」




そこで突然、は自分の意識が物凄い速度で遠のき始めるのを感じた。
一瞬にして孟徳の声が小さく、聞き取れなくなる。
いきなり体ごと真っ白い光に放り出されたような気分。
この感覚をは知ってる。
何の前触れも無く唐突に、抵抗する隙も考える余地も無く意識が強引に引っ張られていく感覚。
これは。



―――ピピピッピピピピッ



「・・・・・・、あ、・・・」



朝だ。
枕元にあるデジタル仕様の目覚まし時計が頭上で鳴り響いてる。
はのろのろとそのボタンを押して目覚まし音を止め、
ゆっくりとベッドから体を起こした。
それから大あくびをひとつ。
徐々にハッキリし始めた視界で見慣れた自分の部屋を見回す。
いつもと同じ朝。
やっぱり夢は夢だ。
今回はまさかの他人との接触、しかもあの曹孟徳と会話するという驚きの展開だったが、
覚めてしまえばなんてことはない。
夢にしては色々と記憶がハッキリしてるともいえるけれど、それも毎度のこと。
あの不思議な夢はそれなりに気に入ってる。
でも、起きた後には現実がある。
つまり、はこれから仕事に向かう準備をしなくちゃならない。
はベッドの上で身を起こしたまま、小さく溜息を吐くと、
まず顔を洗いに行く為に自分の部屋を離れた。


今日も一日の始まりだ。
そう、の現実の始まり。



(続く)