悲鳴と怒号が入り混じり、そこかしこで鋭い金属音が聞こえる。
もうもうとあがる土煙。
無数の馬の蹄の音と嘶き。
何百何千と言う兵達が武装し、互いに命を奪い合ってる。
それはにとって、いつも画面越しのドラマや映画、小説、漫画の中で起きる出来事。
の居る現代でも戦争を続けている国があることは知ってても、
それもやっぱり遠い国での出来事でしかなく、それこそ架空の物と同じ位現実味がなかった。
戦争自体の知識も僅かなもので、戦場に立つ人間や巻き込まれた人々の心情なんか理解できるわけもない。
例え想像が出来たとしても、きっとそれは米粒にも満たない程度のもの。
そしてそれはやっぱり想像に過ぎない。
にとって戦争は、それ位に遠いものだった。
それなのに―――
「・・・え?」
目覚めた場所は小高い崖の上。
相変わらずの体は透き通っていて、宙に浮いている状態だった。
屋外で気が付いたことは今まで数えられる程度にはあったけれど、久しぶりだ。
でもが驚いたのはそんなことじゃなかった。
視覚と聴覚がハッキリして真っ先に聞こえたのはまるで地鳴りのような怒号、
そして眼下に広がる大勢の人たちが争う姿。
一瞬本当に何が起きているのか分からず、ただ呆然とはそれを眺めていた。
少し離れたこの場からでもよく聞こえる、ぶつかり合う武器や鎧の金属音、まるで獣みたいな兵達の声、悲鳴。
実体のないには匂いを感じることは出来ないけど、
これ程の数の人間が殺しあっているのだ。
きっとあそこは今、戦場独特の臭いと空気で満ちてるに違いない。
ここは戦場。
そう気付いた時には、体が無意識に拒絶反応を示してた。
ここに居ちゃいけない。
ここには居たくない。
見たくない。
知りたくない。
怖い怖い怖い。
ガタガタと震える体をどうすることも出来ずに、強く瞼を閉じてその場に座り込んだ。
早く、一秒でも早く、あの目覚めの感覚が来てくれる事を強く強く願った。
「ちゃん!?」
「!?」
背後から声を掛けられて、ハッとして恐る恐る顔を上げ、振り返る。
視線の先には、馬に乗った孟徳の姿。
そしてその隣には元譲が同じく馬上から驚いたようにを見下ろしてた。
さすがに戦場にまでが姿を見せるなんて二人とも思ってなかったんだろう。
それは自身も同じだ。
けれど、そこでが彼らに応えるよりも早く、の意識が恐ろしい速さで遠のき始めた。
つい数十秒前にが強く願ったとおり、現実世界での目覚めの時が来たってことだ。
あの不思議な夢の三国志風味の世界で過ごす時間は毎回バラバラだが、
今回は今までの中でも一番短かった。
まるでの願いを聞き届けたように。
これが、前回がこの世界に来た時の夢の内容だ。
あの場に居たのは短時間だし、崖の上からだったこともあって、
戦場になってる場所からは少し距離があった。
それでも、が大きなショックを受けるには十分だった。
いつものように目覚ましのアラーム音の鳴り響くベッドの上、
頭は確かに覚醒してるのに、すぐに動き出すことも出来なかった。
その翌日の夜は夢を見ずに終わり、正直少し複雑な気分だった。
確かに少しホッとしたけど、はあの世界に愛着をもてる位にはなってたから。
とは言え、戦場の夢なんて二度と御免だと思ったのも確かだ。
そして更に翌日、つまり今日。
はまたいつものように気が付けば城内をふよふよと漂っていたって訳だ。
そう言えば戦場に文若は居なかったから、二人に話を聞いたんだろうな。
にとってはそう久しぶりでもないが、
あの戦場の時から今までがこの世界だと一ヶ月も経ってるってことは、
少なくとも文若にとっては一ヶ月以上と顔を合わせてないことになる。
だったらまぁ「顔を合わせなくても済むかと思っていた」発言もちょっと納得だが、
少しは寂しがってくれてもいいじゃないかと今更一人、心の中で抗議してみる。
寂しがる文若なんて、想像できないけど。
「さて、と」
元譲と分かれて孟徳の部屋の扉前。
今の所ここからは特に人の声も物音もしない。
今は昼だけど、孟徳もあれで忙しいみたいだし、時間が出来て少し一休みしてる可能性もある。
ここで綺麗なお姉さんと妖しい雰囲気なられてたら、
幾ら孟徳にしか見えないって言っても気まずいなぁ、なんて思いつつ、
は取り合えず首から先だけを扉の先に出してみた。
こういう体勢って、実はかなり間抜けなんだけど、
何かもうコッチの世界ではそう言うことは気にしないことにしてる。
その状態のまま、ぐるりと室内を見回すと、机で竹簡を読んでいる孟徳の姿を見つけた。
向こうはの存在にはまだ気付いてない。
更に周囲を見回すものの、どうやら今ここには孟徳しかないようだ。
まぁ、元譲が孟徳の部屋から出てきたばっかだったことから考えて、
綺麗なお姉さんが居るはずもないんだけど。
そこで丁度孟徳は竹簡を読み終えたらしく、それを机の隅に押しやっていた。
はそのタイミングを狙って声を掛ける。
「孟徳さん」
「・・・!?・・・っわぁ!?」
が名前を呼んですぐにぎくりとした様子で顔を上げた彼は、
の姿を瞳で捕らえた瞬間に声を上げて驚いていた。
実体のないにはまず気配ってものがないから、
何の前触れもなく突然現れたに驚くのも無理はない。
今までも何度か似たような形で孟徳の前に姿を見せたことはあるけど、
そうそうなれるものでもないだろう。
「ちゃん・・・!?」
「はい、ども、お久です」
「・・・お久です・・・って、君・・・」
孟徳はそのままぽかんとした表情でを見上げた後、
深い溜息を吐きながら苦笑を浮かべた。
「・・・良かった、もう君は来てくれないのかと思ってたよ」
「こっちの世界だと一月近く経ってるらしいですね。文若に聞きました」
「俺に会う前に文若のヤツに会ったの!?あ、もしかしてさっき出て行った元譲にも会った?」
「はい、文若はが居た場所に偶然通りかかって、
彼から孟徳さんの所に行くように言われて、元譲さんにはついさっき少し」
「ってことは俺が最後?酷いな、俺が一番君に会いたがってたのに」
「それはすみません、でも知ってますよね?、自分で出られる場所選べないもので」
微妙に甘い台詞はさらっと聞き流す。
孟徳相手の場合これは重要だ。
初対面の時からの印象どおり、彼は相当の女好きで、
が女だからって理由だけで話しかけてきたってのもあながち間違っちゃいなかったのも事実。
孟徳と会話してる最中は口説き文句に近い内容も標準装備。
最初はこんなイケメンに!とあたふたした場面もあったけど、今じゃある程度慣れてしまった。
まぁ、とは言え、今でも焦ることも結構ありはするんだけど。
「そうだったね、まさに神出鬼没っていうのかな。城内以外でも何度か話をしたことがあったけど、
まさか戦場にまで姿を見せるなんて思わなかったよ」
「・・・それは、も思いませんでした・・・」
会話をしながらは孟徳の居る机の傍まで近寄り、その空中でふわふわ浮いたまま停止した。
正直、もう前回の夢のことは忘れたい。
これは続きのある長い夢。
不思議な、異世界トリップの長い夢。
だけど夢は夢だ。
だったら、楽しい部分だけ感じて覚えてたい。
そう思うのに、中々上手くいかないのもこの世界だったりする。
「・・・さて、もうこの話は止めようか。久しぶりに君に会えたんだし、
いつ君がまた突然消えちゃうのかも分からないんだし、もっと別の話をしよう」
「・・・孟徳さん」
まるでの心を見透かしたように、
彼はいつもの能天気な明るい声でそう言って笑顔を浮かべる。
内心ホッとしたはつられて口元を緩めた。
「そうだ、ねぇ、前から聞いてみたかったんだけど、
君っていつもその首飾りをつけているよね?
眠っている間も肌身離さず持つほど大事なものなの?」
「え?首飾り・・・?」
孟徳の言葉に身に覚えがなくて、はきょとんとして聞き返す。
反射的に胸元を見ようとしたのと殆ど同時に、彼の手がに伸びてきた。
「そう、ほらこの・・・、っと!」
言いながら、彼がの胸元辺りから指先で何かを掬い上げる仕草をして、
その手がそのままの体をすり抜けて空をきる。
そりゃそうだ、には実体がない。
「あはは・・・、君が普通の女の子じゃないのを忘れてたよ」
なんて笑って誤魔化してるけど、
極自然にそんな場所に手を伸ばそうとした孟徳はやっぱり油断ならない。
自分に実体がないのが分かってても、一瞬どきりとしてしまった。
は再度、自分の胸元に視線を落とし、首辺りに触れてみる。
実体はないけど、自分で自分に触れることは出来るんだから不思議だ。
そして首元にはたしかに細やかな鎖の感触があり、
その先にはひし形をした綺麗な水晶がひとつ付いている。
特に飾り気のないシンプルなネックレス。
見覚えはあるし、確かにの物だが、今の今まで忘れてた代物だ。
確か高校生位の頃に祖母から贈られたもので、それなりに気に入ってはいたけど、
付ける機会は少なかったし、普段は他のアクセと一緒に箱の中にしまっていた筈だ。
子供の頃はうちに代々伝わってるという、
この水晶の付いたネックレスについてのロマンチックなあれこれな話を聞いて夢見た時期もあったが、
それも今は昔の物語。
ベッドに入ってパジャマに着替えた後にこれに触ることなんて今まで一度もなかった。
にも関わらず、孟徳の言うとおりはネックレスをしてる。
しかも、彼は「前から聞いてみたかった」と言った。
「いつもその首飾りをしている」とも。
つまりはこの世界に来る度、どうやらこのネックレスをしてたらしい。
孟徳に言われるまで気付かなかった自分にビックリだ。
「・・・・・・」
「俺は触れられないからよく見ることは出来ないけど、気になってたんだ。誰かから貰ったの?」
「あ、はい、祖母から」
頭の中は何でこれが?という疑問で溢れてたけど、は取り合えず彼の質問に素直に答えた。
「お祖母さんか、俺はてっきり誰か・・・君にとって特別な相手からなのかと思ったよ。
まぁ、勿論、家族も大事だって言うのは分かってるけどね」
「色気のない返事ですみませんね」
「いいや、全然。それ程想う相手が居たら、口説くのは大変だなって思ってたから安心した」
また出たよ!
本当につくづく女と見たら口説かずには居られないんだろうなと思いつつ、
はわざとはははっと笑ってそれを曖昧に回避した。
それからもネックレスのことはの頭から離れなかったけれど、
達の話題は別の方向へと移って行った。
そしてまたその後暫くしては眠りから醒めることになり、
つまりこの三国志風の世界から離脱することになる。
この世界に来る時も帰るときもいつも突然だし、時間帯もバラバラで、
の意思なんて殆ど関係なしではあるけれど、
最初に来た頃よりは滞在時間も随分長くなった。
それにここに来る間隔も、前回から今回までは一ヶ月近く経ってしまってたってことだけど、
それまでは以前よりも短くなってる。
実を言うと、この謎のプチ異世界トリップを夢だ夢だと言い聞かせながら、
余りにも色々と細かすぎて現実と錯覚してしまいそうになってる自分が居るのも事実で。
だけど同時に、自分に実体のないことで視覚と聴覚以外の五感が機能してないことで、
これは夢だと再認識してる。
だからこそは、前回あんな衝撃的な場面を見ても、またこの世界に来られたことにホッとしていたのかもしれない。
あの時、に実体があって、あの場の全てに触れてしまってたら、
つまりあれがにとって現実だったとしたら、
きっとは今とは比べ物にならない位にショックを受けて、耐えられなかったと思う。
これが夢だと感じられるから、『彼ら』とも現実じゃ出来ないような対応が出来る。
これが夢だから、現実じゃありえないことも受け入れられる。
この夢がいつ途切れてしまうのか、終わりはあるのか、そんなことは分からないけど、
はもうここに随分愛着を持ってしまってて、
出来るならずっと続けばいいとさえ思っていた。
この世界に愛着を持っているのと同じほど、この世界で出会った彼らのことも、
は気に入ってる。
この夢が本当に醒めてしまうその日までは、彼らとの交流も大切にしたい。
には自分の世界が、現実があると言う前提でも、
あの世界への道をすぐに手放したりしたくない。
いつか、醒めてしまうなら、その時に少しでも後悔しないように――――
(序章了)