大広間と呼ぶに相応しいその部屋では、沢山の男たちが楽しげに笑い声を上げ、
赤ら顔でお酒を楽しんでいる。
華やかな衣装に身を包んだ綺麗な女性達がその中で彼らのお酌をしたり話し相手になったりしていた。
つまりは今、宴会場に居る。
大勢の人たちが談笑している中を誰にも気付かれる事なくいつものようにふわふわ漂いながら、
は上座のある場所に進んだ。
まず最初に見知った顔で見つけることが出来たのは、元譲。
彼は何人かの男達に囲まれて、酒を酌み交わしていた。
向こうはには気付いてない。
文若もこの辺かもしれないと思って周りを見てみたけど、彼の姿はなかった。
ただ、元譲の席のすぐ傍に空席があったから、もしかしたら今は席を離れてるのかもしれない。
と言うか、逃げたってのもあり得る。
ああいうタイプは、如何にもこういう雰囲気が苦手そうだ。
更に奥に視線を向けると、綺麗どころが何人も集まった小ハーレムが出来てる場所がある。
本当にこういうことってあるんだな、と言うくらいに絵に描いたようなハーレム。
まぁ、これは夢なんだし、本当にってのはおかしいけど。
それにしてもこれは分かり易い。
その中心に居るのが誰なのかは、姿を確認しなくてもすぐに分かった。
この国で一番の権力者。
地位も名誉も当然のようにある魏の君主・曹孟徳。
元々彼は女好きだし、あんな美人さんばっかに囲まれりゃ嬉しいでしょうよ。
と、呆れると言うよりどこか刺々しい気持ちで孟徳に視線を向けると、
彼は予想外につまらなさそうな顔で侍女達からのお酌を受けてた。
そのことに内心ホッとしてしまった自分の気持ちがよく分からない。
不意にそこで、孟徳の瞳がの浮いている空中を捕らえた。
「!」
「・・・・」
瞬間的に、と彼の視線がカチ合う。
勿論、彼以外の人間がの存在に気付くことはない。
他の人たちにはの姿が見えないから。
元譲や、それからまだこの会場に戻ってきてないらしい文若を除いて。
にこり。
そこで孟徳の唇が緩やかに弧を描いた。
これは間違いなく、に気付いてる。
「孟徳様?」
彼の隣で殆どしなだれかかるみたいにしてお酌をしてた侍女が、
不思議そうに彼に声を掛ける。
その彼女も、例に漏れず綺麗な女性だ。
ひらひらとした淡い色の、だけど色彩豊かな艶やかな衣装が凄く似合ってる。
長くしなやかな黒髪を結い上げ、淡い桃色の花の髪飾りがその髪によく映えていた。
他の侍女の人たちも本当に綺麗だけど、彼女は特別かもしれない。
「・・・・・・」
の胸に奥に、ざらりと嫌な感触の黒が生まれる。
は必死にそれを押し込めて、表情に出すまいと努力した。
孟徳はから視線を逸らさないまま、静かにその場から立ち上がった。
侍女たちが少し驚いたように再び彼に声を掛ける。
「孟徳様、いかがなさいました?」
「ご気分でもお悪いのですか?」
「いや、・・・だが席を外す。お前達は他の奴らの相手をしてやれ」
「え?」
「ですが・・・」
明らかに不満顔の侍女たちを残して、孟徳はそのままそこから立ち去る。
その一瞬、彼が再度、にちらりと視線を向けた。
ついておいで。
その瞳がそう告げてるように見えて、は取り合えず彼の後に従って空中を進んだ。
◇◆◇
「・・・ちゃん、約束通り来てくれたんだね」
中庭の人気のない一角まで移動したところで、孟徳はそう言ってに笑顔を向けた。
約束。
今日の宴会を終え、明日一日挟んでの明後日、孟徳はこの城を発って戦場に向かう。
その間は会えないだろうから出来るならこの宴会がある日に会いに来て欲しい、
そう告げられたのはつい昨日のことだ。
日付を決めての約束なんて、以前までなら出来ないことだった。
がこの世界に飛ばされる間隔や時間帯は、の意志に関係なく、
いつもバラバラで前々回が4日前で次がその2日後、その次がその5日後なんてことは普通だったし、
その度に場所も時間帯もいつも違ってた。
それが安定し始めたのはいつ頃だっただろう。
最近じゃ、ベッドで眠った後、いつ誰の居る場所に行きたいのかを思い描くことで、
少しずつ自分でそれをコントロール出来るようになってた。
だからこそ、今回も孟徳と『約束』出来た訳だ。
そして彼は、が二度と戦場に足を踏み入れたくないと思ってることを知ってる。
そんな訳で戦が終わるまでは達は暫くの間会えないのだった。
「実は少し不安だったんだ。君っていつも突然現れて、突然消えちゃうからさ」
「うーん、まぁ、そればっかりは今でもコントロー・・・、制御できないですからね。
でも帰るときは前より分かるようになったからちゃんと伝えられるし」
「・・・帰るときは・・・、か。それは余り嬉しくないなぁ。まぁでも、突然消えられるよりはましか」
苦笑しながらそう言った孟徳が、不意にに片手を差し出して続けた。
「もっとこっちにおいで、もっと近くで君の声が聞きたい。
それに、余り離れられてると万が一誰かが来た時、
俺が一人で喋ってる危ないヤツだって思われちゃうでしょ」
「いつもこんなもんだと思いますけど?」
足が地面に付かずに浮いてる状態だから少し高い位置に立っては居るけど、
今は多分が例え生身だとしても、遠すぎず近すぎない適度な距離だと思う。
声量も特に大きくも小さくもない普通に会話できる程度の極普通の大きさだ。
「うん、でも今日はもっと近くに降りてきて欲しいんだ。もっと、俺の傍まで」
「・・・、分かりました」
を見上げる孟徳の瞳が何だか妙に熱っぽくて、は思わず頷いてしまっていた。
差し出されたままの手に、無意味だと分かってるのに自分の手を重ねる。
あくまでも真似事なのに妙に緊張した。
はいつもより少し孟徳の傍まで近寄って、地面スレスレに立つ事にした。
まるで本当に彼の隣に立っているかのように。
勿論これも、真似事でしかないと分かっている。
そして彼の手に自分の手が重なってるように見える形でそれを止めてみた。
当たり前だけど、相手の手の感触なんてお互いにないままだ。
分かってるのに、それでもやっぱり何だかどきどきしてしまった。
「・・・ふっ」
「え?孟徳さん?」
「ああ、ごめん。こうしててもさ、君にはやっぱり触れられないのに・・・、
だけど何かちょっと緊張しちゃったんだ。
自分から言い出しておいて変だよね。たったこれだけのことなのに、凄く嬉しいよ」
そう言った孟徳は、大人の男性だと分かってるのに、
思わず可愛いと思ってしまう位にふにゃりとした笑顔を見せた。
と同じようなことを彼も考えてたんだと思うと、今の状況も合わせて照れくさい。
いつもと微妙に雰囲気が違うのは、酒の席だったから少し酔ってるってこともあるんだろう。
「何もみたいに生霊もどきみたいなのじゃなくても、
孟徳さんなら幾らでも相手いるでしょう」
照れ隠しについ可愛げのないことを口にしてしまった。
だけど実際、彼ならこの世界に幾らでも釣り合う相手が居る筈だ。
地位や権力だけに寄って来る手合いも多いだろうが、
そうじゃなくてもきっと孟徳はモテるタイプだと思う。
彼自身もどう考えても女好きだし(何せを「てんにょ」なんぞと称した人だ)、
経験も豊富だろうし女性の扱いも上手い。
地位が高すぎて近寄りがたい部分はあっても、
孟徳が少しその気を見せれば落ちない女はそう居ないんじゃないだろうか。
まぁ、さっきのハーレム状態で集まってた侍女たちは何だかあからさますぎだとは思うけど。
あ、・・・と、いかん・・・何かムカムカと・・・。
結局孟徳がに興味を持ってくれてるのは、
のこのぶっとんだ状況からだと思うと、胸の奥から何ともいえない複雑な思いが押し寄せてくる。
そして同時に宴会場で見た孟徳を囲んでいた侍女たちに対する黒い気持ちが交ざりこむ。
このざらりとした思いに名前を付けてしまったら、きっとは耐えられない。
これは夢なのに。
こんな生々しい気持ちなんか、あり得ないのに。
「俺は他の誰かじゃなくて、今ここに居る君と一緒に居るほうが楽しいよ。
確かに君には触れられないけど、
最近は特にいつも・・・次はいつ君に会えるんだろうってそればっかり考えてるからさ」
「それはどうも。な、何か口説き文句みたいですね、は、ははは」
口説き文句みたいというか、絵に書いたような口説き文句というか。
よくある陳腐な恋愛小説の一文みたいだ。
こんな台詞にときめくなんてある訳がない。
笑って流して、冗談にしてしまえばいい。
そう思ってるのに、を見る孟徳の目が妙に優しくて、熱っぽくて、
本気にしてしまいそうになる。
「本気じゃないって思ってる?俺が今口にしたこと」
「・・・そう、ですね」
孟徳の言葉に素直に頷く。
彼には今まで何度となく似たような甘い台詞を言われてきた。
大体、初対面の時からそれが始まってたようなものだったし、
それをいちいち真に受けてたら馬鹿を見る。
だから、彼との会話でのこの手の口説き文句は華麗に聞き流す術を身に付けた。
そう、今まで、ずっとそうしてきた。
それなのに―――
「それは俺の言葉だから信用できないってことなのかな?
それとも、俺がこの世界の人間だから・・・なのかな?」
「・・・え?」
「多分両方なんだろうね。君にとってここは、幻みたいなものだろうから」
「―――っ」
ぎくりとした。
孟徳の言ってることは、確かに当たってる。
この世界はにとって夢で、それはある意味幻みたいなものだ。
続いてはいても、これが醒めれば毎日現実世界がある。
「・・・あっ」
ふとそこで、遠く、誰かの声が聞こえてきた。
微かだけど近づいてきてるのが分かる。
太くて低い声。
まだハッキリ分からないけど、もしかしたら元譲だろうか。
孟徳が長く宴会場から離れてるから、呼びにきたのかもしれない。
「孟徳さん」
「・・・うん、残念だけどそろそろ戻らなきゃならないみたいだ。
・・・ちゃんも一緒に行かない?」
「いえ・・・、も、行かなきゃ行けない頃だと」
何となくだけど、ここに留まれるのは後数分位だと分かった。
つまり起きる時間が迫ってる。
徐々に孟徳を呼ぶ声も達に近づき、今はその声が確かに元譲のものだと分かった。
「じゃあ、今日はこれで・・・」
「ちゃん!」
ふわ、と。
体を宙に浮かせかけたところで、孟徳に呼び止められ、は反射的に再び彼のほうに振り向く。
瞬間――――
「っ!?」
の唇スレスレ。
孟徳が顔を寄せ、瞳を閉じて自分の唇を重ね合わせるようにそこで動きを止めていた。
ど くんっ。
ここでは感じるはずのない、の胸の鼓動が大きく響く。
それは、決して触れ合うことのないキスだった。
さっきが孟徳の手に自分の手を重ね合わせる真似事だけをしたのと同じ。
空中にキスをしてるのと同じだ。
にも関わらず、その瞬間、は彼の吐息が自分の口内に入り込んだような錯覚に陥っていた。
呆然と瞳を見開いて宙で動きを停止してるを余所に、
孟徳がするりとの傍を離れる。
「孟徳!!おい!どこだ!?いい加減に戻れ!」
「分かってる!!俺はここだ!!すぐ行くから待ってろ!!」
怒鳴るように彼を呼ぶ元譲に、孟徳も同じように大声で応えた。
そして一瞬の方へと視線を向け、少し困ったようにして笑う。
「じゃあ、またね、ちゃん」
そう言って孟徳がに背を向けるのと、
の体が例の真っ白な空間に放り投げられたのはほぼ同時だった。
この先にあるのは目覚めだ。
つまり、の現実が待ってる。
そう、孟徳、あなたの言うとおり。
にとって眠りの先にあるあの世界は夢で、幻も同然だ。
どんなに居心地が良くても、愛着が湧いてても、捕らわれすぎちゃいけない場所。
―――だからこれは、孟徳に抱くこの気持ちは、恋であってはいけない。
彼を囲む女達に、嫉妬なんか感じちゃいけない。
キスの真似事に、形だけの口付けに、動揺なんかしちゃいけないんだ。
夢の世界の彼には、彼と同じ夢の世界の中に、相応しいひとがいるはずだから。
だからきっと、のこの気持ちは、恋なんかじゃ、ない。
(了)