緩やかにいま墜ちてゆく

なんだかんだで結局、廊下に二人、取り残された達は、
彼女達が消えた先を少しの間無言で眺めていた。
あれでも一応三人としては気を利かせた部類に入るんだろうけど、
と公瑾の間の空気は限りなく微妙だ。


「言っておきますが、私の仕事がいつもより早く終わったのは、
本当にあなたが関係していた訳ではありませんからね」
「え?うん、分かってる。偶然なんでしょ、分かってる」


その話題まだ引きずるんかい。
と、思わなくもないし、そこまでハッキリ否定されると喜んでしまったの心の行き場がなくなる感じだけど、
まぁ実際公瑾がの為に仕事を早く終わらせてくれたんだなんて信じてた訳でもない。
この時間帯にこっちの世界に来ることは伝えてあったとは言え、彼はこの国の軍事責任者である都督様。
日々の仕事量もきっとかなりの物だろう。
そんな彼がわざわざが来るのに合わせて仕事を終わらせるなんて、相当難しいことだと思う。
それ以前に、そんなこと全く頭になかったりする可能性も大有りだ。
そんな風に考えると、さすがにちょっと落ち込まないでもないけど。


「・・・偶然、そうですね。偶然です。ですが・・・」
「?」


「その偶然に・・・感謝したのも確かです。
これで・・・あなたと話が出来る時間が少しでも長く取れるかもしれないと、
期待してしまったのも事実ですから」


「・・・え?」


公瑾が続けた思いも寄らぬ言葉に、は思わず彼を見上げる。
単純なの心臓は、既にどくりどくりと分かり易くその鼓動を速めていた。
いつも何を考えているのか分からない、無色の彼の瞳の奥、ほんの一瞬、
やわらかな優しさが見えた気がしたけれど、彼はすぐに例の笑顔でそれを覆ってしまった。


「さて、こんな所で立ち話を続けるのも何でしょうから、場所を変えましょうか」


◆◇◆


公瑾が単に胡散臭い笑顔を貼り付けてるだけの切れ者じゃないことを、
は知ってる。
そりゃ都督にまでなっている人なんだから、有能じゃなければやっていけないだろうが、
そこまで上り詰めることが出来るって事は綺麗ごとだけでここまで来ては居ないだろう。
穏やかな笑みの下に、底知れぬ怖さを持った人。
以前から薄っすらとだがそれは感じていた。
そして実際、こうして実体化する前に何度か偶然彼が部下に指示を出している場所に居合わせてしまったことがある。
仲謀を頂点として国を治めていく上で、邪魔になるだろう人間の排除、その策略という内容の話だ。
公瑾はもうを見る事が出来た頃だけど、
その時は彼の視界に入らない位置に居た。
意図してそうした訳じゃないし、勿論そんな話を聞くつもりは全くなかった。
あの時の居たのは公瑾の座っている背後、天井近くに浮いていたから、こっちからも彼の表情は見えなかった。
幾人もの命を巻き添えにして必ず成し遂げなければならないというその策を、
彼はあくまでも静かに穏やかな口調で部下達に伝えていた。
からは見えなくても、分かってた。
きっとあの時も彼は、いつもと変わらないあの笑みを浮かべてたんだと。
怖かった。
この世界が、の世界の三国志時代と同様、国同士が戦を重ねている最中だと分かってても、
その裏まで知りたいとは思ってなかったし、親しくなった相手なら尚更そんな顔知りたくもなかった。
薄っすら気付いていたとは言え、それならそこまでで終わらせて欲しかった。
がこの世界で見る公瑾は、胡散臭い笑みを貼り付けた底意地の悪い男ではあるけど、
優しさも気遣いも持ち合わせていたし、そんな彼に自分が惹かれ始めてたのにも気付いてた。
だけど同時に、文字通り意味での『住む世界が違う』ってことだけじゃなくて、
これ以上近付いちゃいけないと思わせる何かが公瑾にはあった。



「――――ですか?」
「はい?」


ヤバイ。
一人で考え込みすぎて、公瑾の話を全く聞いてなかった。
ここは彼の自室だ。
あの後達は場所を移して彼の提案でこの部屋でゆったりお茶を楽しんでいた。
表面上はいつも通りに。
だけど尚香のあんな質問に答えた後だったし、その後の大喬と小喬を含めたやり取りがやり取りだったし、
しかも公瑾があんな気になる台詞を口にしたりなんかしたもんだから、
どうにも色々余計なことを考えてしまって仕方なかった。
で、たった今、彼はに何か問いかけたようだが、質問内容は全く耳に届いてなかったと言う訳だ。
公瑾は僅かに眉間を動かした。
と言っても、親しい人間じゃなければ見過ごす程度の表情の変化だ。


「やれやれ、あなたは先ほどからずっと上の空の様ですね。
私と二人きりではつまらないと言うことでしょうか」
「え?いや、ごめん。そんなことないんだけど。それで、今なんて言った?」


慌ててそう聞き返すに、彼は小さく溜息を吐いた。


「今回はいつまでここに留まるおつもりですか?と聞いたのですよ」
「あ、ああ・・・。3日間位お世話になろうかと」


今のならやろうと思えば多分1週間程度までは実体化したままでここに居られると思う。
いや、もしかしたらもっと長く居ることも可能かもしれない。
例えどんなに長くここに居ても、自分の世界で経過する時間は眠った日の翌日だ。
疲労はそれなりにあるものの、実体化出来ると分かったばかりの頃に比べれば問題ない。
だけど、だからと言って毎度毎度長期間お世話になるのは何だか図々しい気がした。
まぁ、それを口に出して言えば、きっと公瑾には「何を今更」と言われてしまいそうだけど。
今まで何の気兼ねもなくうろちょろしたり、身分がどうの、
年齢がどうのと言う常識を殆ど考えずに居られたのも、実体化する前まで本気でここが夢の世界だと思えてたからだ。
だけど今は実体がなかったときとは違い、当然のようにの姿は周囲の人間にも見えてる。
そして親しい人たちが高位の身分だからこそ、周りの人達に不審に思われるような行動は控えようと思っていた。


「3日?この間は確か5日間程滞在していたのではありませんでしたか?」
「うん、まぁ・・・」
「ならば今回もそうすればいいではないですか。
・・・いえ、と言うか寧ろ、今ならそれ以上の滞在も可能なのではないですか?」
「あー、多分ね、やろうと思えば出来ないことはないと思うけど。
でも、さすがに図々しいかなと思って。
一応尚香の友人ってことでかなりいい待遇のお客人扱いされてるし」
「あなたが図々しいのは今に始まったことではないと思うのですが」


はい、来た!やっぱりね!


案の定、公瑾は穏やか好青年笑顔のままでそうのたまった。
それこそ今更だけど、この人笑顔でさらりと失礼なことを口にする。


殿、あなたがここに滞在する日数については、
あなた自身の好きにしていいと仲謀様の許可は降りている筈です。
そして、私を含めてみなあなたの図々しさには慣れています。
尚香様や大喬殿、小喬殿も恐らくあなたがここに滞在する時間が延びることを喜んで受け入れるでしょう」
「う・・・、ん、多分ね。それはそうだと思うんだけど」


この際の図々しさ云々に付いては置いておいて、
がここに一週間近く居ることになったとして、
彼女達はきっとそれを歓迎してくれるだろうとは思う。
それは凄く嬉しいことだし、それに甘えてしまうおうかとも考えたが、
実のところ、にはもうひとつ気になることがあった。
それは他でもない。
の目の前に座っている、公瑾のことだ。
彼が多忙なことは分かってるけど、それでもここに長く留まれば、顔を合わせる機会もそれなりに増えるだろう。
この人を目にする時間や接する時間が少しでも増えれば増えるほど、
今必死に踏みとどまってるこの場所から一気に進まなきゃならなくなる気がする。
はそれがただ怖かった。


殿」
「な、何?」


公瑾はの名前を静かに呼んだと同時、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
その動作はあくまで優雅で、そして余裕あるものだったのに、は何故か咄嗟に身構えてしまう。
彼はの視線を捕らえたまま、こちらに近付いてきた。


「公瑾?」
「あなたは、ここに『滞在』するのではなく、期限など考えずにここに留まろうと思ったことはないのですか?」


「―――え?」


問い返したの瞳が大きく見開かれる。
つまりそれは、ここに住みたいと考えたことはないかってことだろう。
だけど、どうして公瑾は急にそんなことを訊ねてきたんだろうか。
彼の意図が読めず、はじっとその顔を見つめ返した。
その彼の表情がさっきまでのあの笑顔と違うことに気付いてどきりとする。
口元に浮かべている笑みの影は全くない、真剣な眼差し。
本当に、何を考えてるのか全然分からない。


「な、ない・・・よ。いや、勿論ここの皆とは仲良くなれたし、
長く居られればいいなとは思ったりするけど、
それでもここはの世界じゃないし、
にとっては・・・旅行で来てるみたいな感覚だし」


嘘だ。
本当は、そんな感覚じゃ済まされない程度にはここに愛着が湧いてる。
この世界と、ここに居る彼らに。
だけど、だからってどうしようもない。
今言ったように、ここはの居るべき世界じゃないんだから。


「・・・本当に?本当に一度も、考えたことはないと言えますか?」
「な、何でそんな・・・。やけに食い下がるね。じゃあ、公瑾はどう答えると思ったわけ?」


危うく馬鹿な考えを持とうとしてしまう自分を頭の中で引っぱたいて、
子供っぽいと思いながらもわざとツンとした口調で返事をする。
馬鹿な考え。
そうだ、公瑾がこんなにしつこくこんなことを言ってくるのは、
彼が少しでもとの時間を望んでくれてるからかもしれないなんて、
自惚れてるにも程がある。


「私はあなたの素直な答えを聞きたいだけです。
それとも、腹黒くて底意地の悪そうな人間相手ではお答え頂けませんか?」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・、は?」


今、公瑾、何て――――


「口をねじ切りたいと思うほどの人間には答える価値もないということですか」


にっこりと。
つい少し前の真剣な表情をすっかり消した公瑾は、
例の笑顔の10倍胡散臭い表情でいけしゃあしゃあとそうのたまった。


(続く)