「〜っ〜っ〜っ〜っ!!!???」
この男は!この男は!!この男だけはあああああ!!!!
最悪だ。
あのタイミングであの場に顔を出したことに驚きはしたものの、
まさかそんなに前からあそこに居たなんて。
何てことだ、あり得ない、信じられない信じたくない。
少女マンガや恋愛ドラマのベタな『お約束』みたいな、そんなこと。
あり得ない。
ないないない。
実際あり得てるってのは分かってるけど、信じたくない。
「立ち聞きしてたの!?」
「人聞きの悪いことを言わないでください。偶然耳に入ってきたのです」
「ぐうぜん!」
明らかに盗み聞きしておいてよくそんなことが言えるもんだ。
しかもが尚香の質問に答えた最初の一言から聞いてたって事は、
その後に続いた会話も聞いてたに違いない。
その瞬間にの脳裏にあの時彼女と交わした会話内容が一気に再生され、
同時に頭にカッと血が上るのが分かった。
顔にも熱が集まる。
恥ずかしさと怒りがあっという間に沸点に達する。
他人から見れば下らないことかもしれないけど、前半部分は直接本人にも告げてたような内容でも、
その後の会話は本人が居ないからこそ口に出来た話だ。
それをまさか全部聞かれてしまってたなんて。
「し、信じられない。自分の話だって気付いたなら立ち去るか、
そうじゃなきゃ声かけるかしようよ!」
「ええ、ですからどちらにすべきか考えている間にあなた方の話が進み、
更に大喬殿と小喬殿に先を越されてしまったのです」
「嘘ばっかり」
本当に今すぐにこの男の口をねじ切ってやりたい。
迷う、なんて、どの口でそんなことが言えるのか。
ああくそ!なんなのこの人。
「この際その話は置いておきましょう」
「置かないよ!置けないよ!てか持ってきたのあんただからね!?」
自分で持ち出しておいてよく言う。
この話を口にした後のの反応だって全部予測済みだったくせに。
本当に、何だってはこんな男が―――
こんな、男、が?
いかんいかん、その先は、考えるべきじゃない。
ああもう、またしても余計なことに思考が向いてしまう。
「殿」
「・・・何?」
ギラリ。
効果音でも付きそうな勢いでは彼を睨みつける。
だけどあの周公瑾にそんなものが通用する訳は全くなく、しかもこっちは椅子に座っているが、
相手はのすぐ隣に立って見下ろしているので更に効果半減もいいところ。
今更だけど、何故か公瑾は妙に接近してきていた。
気付くのが遅れたけど、本当にすぐ隣に立っている。
ふわりと香ってくる品のいい香の匂い。
気付いてしまうと変に意識してしまう。
「先ほどの私の質問の答えをまだ聞いていません」
「・・・」
期限など考えずにここに留まろうと思ったことはないのですか?
「それは、答えた・・・でしょ」
「いいえ、答えていません。私は言ったはずです。素直な答えが欲しいだけだと」
「なっ・・・!」
思わず椅子から立ち上がろうとして寸でのところでそれを抑える。
今の状態で立ち上がったら、公瑾の下あごに頭突きを食らわしかねない。
その位すぐ近くに彼は立っていたから。
正直、頭突きのひとつやふたつかましてやるのも悪くないとは思うけど、
後々の報復を考えると流石に実行には移せなかった。
物理的じゃなくて心理的な意味でやり返されそうだ。
だが今はそんなことさえ考えている場合じゃない。
素直な答えとやらを口にしない限り、この無意味なやり取りは終わらなさそうだ。
最悪なことに、公瑾は尚香との会話を最後まで聞いてたみたいだから、
の口からその時のことを言わせようとしてるんだろう。
何故なら彼の質問の答えは、彼女との会話の中にあったのだから。
「あの話は置いとくんじゃなかったの」
「何のことですか?」
笑顔でぶっとぼけやがりましたよ、この男。
やっぱり本気で頭突きをかましてやりたい。
まぁ勿論、例えそれを実行に移したとしても、
きっと彼は嫌になるほど優雅にそれを避けてしまうに違いないと思うけど。
だけどそこではふと思い出す。
そうだった。
尚香との会話は、大喬と小喬が声を掛けてきたことで結局中断したんだった。
だから、最後まで聞かれてた訳じゃない。
そうだ。
あの答えには、続きがあったんだから。
例えば住む世界が違うとか、ここでの身分がどうのとか、常識とか、全部考えずに居られたら、
ずっと傍に居たいと思わなかった訳じゃない。
だけど、の中ではそれでも公瑾は好きになっちゃいけない相手で。
それが何でなのか、未だによく分からない。
―――公瑾は、なんとなく、本気で好きになったら辛い思いをしそうな気がする。
あの時の尚香の質問に対する答え。
この気持ちに、名前を付けられない理由。
限りなく曖昧だけど、確かにそれがの躊躇いの原因だ。
「ずっと、ここに居られたらなって、思ったことはある」
「・・・・・・」
「どうしてそう考えたのかとか聞かないでね。尚香との話し聞いてたんだから分かってるんでしょ」
のその返事に、公瑾は少しの間ただ無言でを見下ろしていた。
は静かに席を立つ。
公瑾はその気配を感じて、数歩、後ろに下がった。
「そろそろ部屋に戻るから。あ、お茶、ごちそうさまでした」
「待ちなさい」
ゆっくりと部屋の扉に向かうを、公瑾はそう呼び止めた。
「それを、試してみる価値はありませんか?」
「・・・はい?」
突然そんなことを言われても、主語がまるっと抜けていて意味が分からない。
はきょとんとして聞き返していた。
公瑾は僅かに苛立たしげな表情を見せる。
「ですから、ずっとここに居られるのかどうかを、です」
「・・・何で?」
「あなたはずっとここに居られたらいいと、思っていたのでしょう?」
「思ったことがある、って話し。それ以上でも以下でもない。
何だかんだいって現状に満足してるし。そこまでする理由も―――」
「あるでしょう」
キッパリと。
そう、いやにキッパリ彼はそう口にした。
の眉間にしわが寄る。
何でのことなのにこんなに堂々と返事が出来るんだろう。
いや、何でも何も、が公瑾に惹かれてることが分かってるからに違いないんだけど、
それにしたってどうしてここまでこの話を長引かせるんだろう。
殆ど彼を睨みつけるように見つめていると、彼は続けて静かに告げた。
「私が、あなたを好きだからです。それで十分な理由になる、違いますか?」
を見下ろす彼の顔からはいつの間にかいつもの胡散臭い笑顔は消えていた。
は呆然とその表情を凝視する。
そして同時に、たった今公瑾が口にしたばかりの台詞を脳内で10回ほどリピートした。
の自惚れであの周公瑾の言葉を妙な方向に、
と言うか寧ろぶっとんだ方向に解釈してしまったんじゃないかと。
「・・・・・・・・・・・」
その後もたっぷり30秒。
はしっかり固まっていた。
いやまさかそんな。
確かに嫌われては居ないだろうと思っていたけど、それなりに好意は持たれてるだろうとも思ってたけど、
でもそれは、こんな『告白』みたいな形で口にされる部類のものじゃないと思ってた。
勿論公瑾の言動の中にが期待してしまうようなものを見つけては、
一人で変に浮かれたりってことも何度かあった。
でもそれはあくまでも友情を僅かに上回った愛情で、
俗に言う友達以上恋人未満と言ったものよりは更にもう少し抑えた感じの感情だと思ってた。
彼は地位が高いだけじゃなく、それに見合うプライドの高さを持ってる人だ。
今は実体化出来るようになったとは言え、元々半透明の幽霊みたいだったの存在は、
今でもこの世界じゃかなり不安定なものだろう。
そんなに公瑾みたいな人が告白なんて、信じられなかった。
「何とかお言いなさい、殿」
「あ、・・・や・・・あの、ほ、本気?」
それがようやくが口に出来た言葉だ。
当然だって彼が軽い気持ちであんな台詞を言ったとは思ってなかったけど、
とにかくそれくらい驚いていた。
「私はこんな冗談を口にするほど酔狂ではありませんよ。
まぁ、あなたが驚くのも無理はありませんね・・・。私自身も驚いているのですから。
この感情に気付いた時、最初は随分と悩みました。
何しろあなたは余りにも特殊な存在ですからね。
それに、あなたという人を女人として見ていること自体信じられませんでした」
「・・・あー、うん、まぁそうかもね」
彼の言ってることはよく分かる。
存在が特殊ってのは全くその通りだし、
公瑾みたいなタイプに女として見て貰えるほど女らしい魅力が備わってないのも自覚済みだ。
達の世界の三国志では、周公瑾は大喬の妹である小喬を妻にしていた。
こっちの世界の彼らは純粋に友人関係らしいけれど、
大喬も小喬も将来は確実に美人だと言われる部類に入る容姿を持っている。
それだけじゃなく、普段は賑やかに仲謀をからかったり悪戯にせいを出したりしている二人だが、
彼女達は教養もあるし可愛らしい部分があるのをは知ってる。
何より小喬は公瑾のことをよく理解していた。
彼女がこの世界では公瑾の正室じゃないと知った時、内心酷くホッとしたのを覚えてる。
「ですが、いつの間にか私はあなたが私の目の前から消える度に、
何とも言えない寂しさを覚えるようになっていました。
あなたが今のように存在するようになってからは、その事を喜ぶ反面、
あなたが自分の世界へ戻る日が来る瞬間を思って複雑な気持ちを抱いていました」
そこで公瑾は一呼吸置き、不意にゆっくりとのすぐ目の前まで近付いてきた。
そして彼の両腕がふわりと柔らかくの体に回される。
驚きはしたけど、抵抗しようと言うつもりは全く起きなかった。
「殿・・・、私はあなたが好きです。どうか、私の為にも、ここに滞在するのではなく、
この世界に留まることを考えては頂けませんか?」
いつもより低く優しい口調で彼がそう続ける。
背中に回された両腕に僅かに力が入ったのが分かった。
公瑾はを好きだと言ってくれてる。
その気持ちはきっと本物だ。
それがどうしようもなく嬉しいのに、それに飛びつきたくて仕方ないのに、
未だにの中には躊躇いがある。
公瑾の気持ちを疑ってる訳じゃないのに、自分でも何がそんなに怖いのか分からなかった。
「公瑾、―――「殿」
が言葉を続けるのを遮るように彼は口を開いた。
視線を上げると、予想以上の至近距離に公瑾の顔がある。
「あなたは、私の傍にずっと居たいと思って居て下さった」
「・・・そう、考えたこともある」
「今は違いますか?今は、私のことを―――」
ああ、卑怯だ。
そんな目で、表情で、こんなに近くでにそれを聞くなんて。
こんな状況で聞かれたら、素直な返事しか頭に浮かばなくなってしまう。
『この人は好きなっちゃいけない人だ』その不安は、今も変わらずあるのに。
「今のあなたは恐らくここに滞在出来ても7日ほどでしょう。
ですが今までの流れを見る限り、それを更に延ばしていくことも不可能ではないはずです」
「うん・・・」
「この世界に留まるかどうかについては今すぐに答えて頂かなくて結構です。
ですが、これだけは返事を頂きます」
言い終えたと同時。
公瑾はの腰を両腕で更に固定するみたいにぐっと力を込めて抱き寄せ、
殆ど吐息が重なり合うような位置まで顔を近づけて来た。
「っ!?」
「私はあなたが好きです。・・・あなたは?あなたはどうなのですか?」
低く囁くような口調に甘さが加わる。
至近距離からを捕らえる視線から目が逸らせない。
どくりどくりと、心臓が大きく脈打っている。
この世界で人とこんなに密着したのは初めてだ。
相手が公瑾だと尚更不整脈に拍車が掛かる。
じわりと交わりあうお互いの体温。
彼の吐息がの唇をくすぐるように撫でて行く。
逃げられない。
「―――好き」
その二文字を言葉にするのに随分と時間が掛かった。
公瑾の瞳が満足そうに微笑んだのを視界で捕らえた次の瞬間。
彼はの唇にやわらかにその唇を重ねていた。
瞼を静かに下ろすのと同時、は自分の体がゆっくりと落下していくような錯覚に陥ってた。
そう。
踏みとどまっていたその位置から、進むのも、戻るのでもなく、落ちていく。
そんな感覚。
少しずつ、けれど確実に。
『恋』を始めてしまった。
その気持ちに、色を、名前を付けてしまった。
後悔はないけれど、不安はある。
だけどもう、これ以上の選択肢なんてあったとは思えない。
「・・・」
の名前を呼ぶ公瑾の声が、余りにも優しくて、
は思わず自分から彼に二度目の口付けをした。
(了)