緩やかにいま墜ちてゆく

この人は好きになってはいけない人だ。
そう自分に言い聞かせた時点で、既に恋に落ちている。
みたいな内容の話を、以前テレビか雑誌で目にしたことがあった。
最近、何故か妙にそれを思い出してしまう。
でも本当はその理由は、まぁ、認めたくないけど、実は自分でも薄々気付いてる。
だけど、は大丈夫だ。
きっとここで踏み止まれる。
これ以上進まなければ、きっとやり過ごせる。
何がと言うと、つまり、『この人は好きになってはいけない人だ』と言う相手と、
これ以上近付きすぎなければ彼を好きになるところまでは行かずにすむって話し。


今日も今日とてこの三国志風味の世界に足を踏み入れてる
そして今のは実体化してる。
最初の頃じゃまるで考えられないことだけど、このぶっ飛んだ話もまた事実。
この世界に来た数も今じゃ考えるのも馬鹿らしい数字になり、自身この場所に馴染んでると言っていい。
以前は自分の意思じゃどうにも出来なかった滞在時間や出現場所なんかもかなり自分でコントロール出来るようになった。
こっちで実体化しちゃうと自分の世界に戻った時の疲労感は結構なものなんだけど、
の世界での明日は休日なので問題なし。
しかもこっちでどんなに時間を過ごしても向こうの時間には一切影響しないからありがたい。
因みに、実体化したは当然のように誰の目にも見える普通の人間なので、
一応ここでのは『尚香の友人』と言うことになってる。
今じゃこっちの着物の着方も手馴れたものだ。
そしてがここに居る間の部屋まで用意して貰ってて、まさに至れりつくせり、申し訳ないやらありがたいやら。
今回は今日から数日間ここに滞在させて貰うことになってて、
は尚香とたった今食事を終えたばかりだった。


「実は殿にお聞きしたいことがあるのですが」


中庭でのんびりしようと二人で目的地へ向かっている途中。
不意に尚香がいつもより少しだけ声を抑えてそう言った。


「?何?」


が聞き返したところで、彼女がぐっと距離を詰めてくる。
同時にふわりと鼻腔をくすぐるやわらかな香り。
美人さんにここまで近付かれると同性と言えどもどきりとしてしまう。
うっかり尚香に見蕩れていたら、彼女はそのままの距離で思いもよらないことを訊ねてきた。


殿は公瑾のこと、どうお思いですか?」
「・・・・・・はい?」


予想外の唐突な質問には思わず足を止める。
大喬と小喬姉妹に最近やたらとそのことについて尋ねられたり、つっこまれたりしてたけど、
まさか尚香にまでこの話題を振られると思っていなかった。
しかも思った以上に彼女の表情は真剣で、これはちょっと適当に誤魔化す訳にもいかなそうだ。
誤魔化す、と言うか、つまりアレだ。
『いいお友達』的な返事はきっと納得頂けない空気。


「えーっと、何で急にそんな」
「ずっと気になっていたことなので、二人で話せる機会があればお聞きしたいと思っていたのです。
どうか、殿の正直なお気持ちをお聞かせ下さい」
「正直な、気持ち」


彼女の言葉をオウム返しに口にしつつ、考える。
が公瑾をどう思ってるか。


「いつも笑顔だけど何気に近寄りがたいし、寧ろ胡散臭い」


これは本気でそうだと思う。
親しくなった今は近寄りがたいとまではいかないけど、胡散臭いと言う印象は変わらない。
よく『目が笑ってない』と言う表現を耳にするけど、彼はまさにこれだと思う。
常に笑顔ってのは、つまり表情を読ませない為でもあるんだろう。
ある意味無表情と同じだ。
それでも以前よりは彼の喜怒哀楽も少しは分かるようになった。
そして、彼自身も前に比べて内面を見せてくれるようになってると思う。
多分、それ程には親しくなれているんだと思う。


「それに腹黒いし、底意地悪いし、たまに本気であの口ねじ切ってやりたくなる」
殿!?」


ズバズバと言いたい放題口にし始めたに、尚香はぎょっとした様子での名前を呼んだ。
実は最後の一言は別として、今言った殆どの事は本人の前でも口にしたことがある。
自身が実体化出来ると知る前、この世界を夢だと思ってた頃、
夢の中の登場人物相手に猫被るのも馬鹿らしいと、
はあの周都督を前に遠慮のえの字も持ち合わせてなかった。
そんなに、彼は『あなたは本当に、女人としての慎ましさや可愛らしさを微塵も持っていない方ですね』と、
いつもの胡散臭さたっぷりの笑顔でのたまった。
ここを現実だと認識した後も、もう今更取り繕っても仕方ないって関係になってたので、
今でも似たようなやり取りをしてる。
最初からここが現実だと分かってれば、
公瑾みたいな人間相手にあんなことを口に出来る程怖い者知らずにはなれていなかっただろうけど。
それがいつの間にかこの世界に来る度、公瑾と顔を合わせることを楽しみにするような間柄になっていた。
公瑾は嫌味や皮肉を口にしてきても、を遠ざけたりしない。
時間があれば話しかけてくれるし、話を聞いてもくれる。
気付けば彼の仕事の休憩の合間や数少ない休日を聞いては、
その時間帯にこの世界に現れるのが自然になってた。


「でも公瑾は・・・最初に思ってたよりずっと優しいし、
仲謀は勿論、ここの皆を大事に思ってるって分かった。
親しい人たちを気遣う気持ちもあって、頭がキレるからって理由だけじゃなくて、頼りになると思う」
「はい、その通りです。やっぱり殿はよく公瑾を見てくれていますね。
・・・ですが殿、が聞きたいのはその先なのです」
「その先?」
「その先です。もう一度聞きます、殿は公瑾のこと、どうお思いですか?」


本当は何を聞きたいのか分かってるでしょう。
彼女の綺麗な瞳はじっとを捕らえ、そう問うている。
同じ質問を繰り返している、その意味。
は小さく苦笑した。


「・・・ずっと傍に居られたらとか、想像したことがない訳じゃないけど」
「けど?」
「公瑾は・・・何となく、――――「ちゃーん!!尚香ちゃーん!」


が言葉を続けていたその途中。
背後から聞き覚えのある可愛らしい声で名前を呼ばれ、
同時にとてててっと小さな影が達の前に走り出てきた。


「大喬、小喬」


大喬と小喬の姉妹は満面の笑みを浮かべてを見上げている。
この姉妹は悪戯好きで、いわゆるトラブルメーカーでもあるけど、
可愛らしい容姿とその性格で本当に憎めない存在だ。
子敬とは違う意味で見ているだけで癒される部分もある可愛いコ達。
まぁ、外見の割りに妙にませているので結構度肝を抜かれることもなくはない。


ちゃんが来てるって聞いたからお姉ちゃんと会いに来たよ!」
「ありがとう。これからまた少しの間お世話になるから二人とも宜しく」
「私達こそヨロシクね!そうそう、それでね、偶然公瑾も一緒なの」
「え?こうきん?・・・え?・・・げっ!」


可愛らしい二喬の笑顔にデレデレとしていたら、
突然公瑾の名前を口に出されてぎょっとしてしまった。
しかも、顔を上げて彼女達の背後に視線を向けると、確かに長身の容姿端麗な都督様の姿。
素直なは思わず出してはならない声を出してしまう。
今の今まで彼の話をしていたこっちとしてはどうしてこのタイミングでって感じだ。
でもこういう間の悪いと言うかいいというか、とにかくある意味、お約束と言えばお約束なのかもしれない。


「げっ、とは、随分な反応ですね」


例の限りなく胡散くさい穏やかな笑顔を貼り付けたまま、彼はそう口を開いた。
ヤバイ。
表情が変わらない(仮面笑顔)のはいつも通りだが、微妙に彼の空気が変わった気がする。
それが分かる程度にはと彼は親しくなってしまっていた。


「いや・・・、公瑾の仕事が終わるのはもう少し後だって話だったから」
「はい、それでその間私のお相手をして貰っていたんです」


の隣の尚香が笑顔で答えてくれる。
大喬と小喬はそこでけたけたと笑い声を上げた。


「公瑾はねー、ちゃんが来るって聞いて仕事を急いで終わらせたらしいよー」
ちゃんと少しでも早く会いたかったんだねー」
「なっ!大喬殿!小喬殿!私は別に彼女が来ると言う理由で仕事を終わらせた訳では」


そこで公瑾の笑顔が崩れた。
珍しく慌てた様子で動揺しているのが表情に現れている。
そのことに少し、驚いてしまった。
仲謀や公瑾が少なからずこの可愛らしい姉妹に振り回されているのは知ってたけど、
まさかこんな普通の青年みたいな表情を見せるなんて。
彼らがそれだけ親しいからこそ引き出せる顔だと分かってるけど、
不覚にもじわりと、の胸の奥から喜びに近い感情が滲み出てくる。
そこで思わずハッとして、は心の中で違う違うと首を激しく左右に振った。
違う。
駄目だ、そうじゃない。
そんな恋するヲトメな反応はするべきじゃない。


「では、ここは公瑾に譲りましょう」
「え?尚香?」
殿は数日はここに滞在して下さるのでしょう?でしたら明日にでもまた私の部屋にいらして下さい」
「え?え?」
「じゃあじゃあ、私達とも明日遊んでね!良かったね、公瑾、仕事早く終わらせて」
「これで今日はちゃんと二人っきりで過ごせるね」


がぼんやりしている間に何故か尚香と大喬、小喬の三人はそう結論を出し、
その場を立ち去っていく。
何だかマズい状況になってきた。
公瑾本人が知らないとは言え、あんな話しをした後で二人きりになるってにはとにかく色々気まずい。
勿論、が。


「尚香様まで何を言っているんですか。だから私はそんなつもりではないと・・・!」
「・・・・・・・・・」


廊下の奥から三人の楽しげな声が聞こえる。
こういうノリ、ある意味懐かしい。
学生時代にこんなこともあったなぁなんてぼんやり考えるの隣、公瑾が小さく溜息を吐くのが聞こえた。

(続く)