ただひとつの想い

がこの世界を自分の世界と行き来するようになって約一年。
その間にある瞬間をきっかけに実体化出来るようになり、
その時になってはようやくここが夢の世界じゃなく、
実在する場所、つまり現実なんだと認めるようになった。
実体化出来るようになった最初の頃は、実体がない時以上に色々戸惑ったものだけど、
今じゃそれなりに馴染んでいる。
実体化したは当然のように周囲の人達の誰の目にも見える普通の人間なので、
この三国志仕立ての世界に居る間、
は玄徳が旅先で恩を受けた人(異国から来た)の娘ってことになっていた。
玄徳はそう言う立ち位置をに与えることで、
がいつでもここに滞在出来るようにと部屋を貸してくれたり、
ある程度城内を自由に歩き回ったり出来るように取り計らってくれた。
玄徳自身が周囲の部下達にそう伝えることで、
が素性の分からない怪しいやつだと疑われることを避け、動きやすくしてくれたのだ。
そんな訳で、今では城内で働く人たちの中にも親しく話を出来る相手も増え、
予想以上に快適にここでの滞在期間を過ごしていた。
実体化出来るようになったばかりの頃は数時間で元の幽霊状態の不安定な姿に戻ってしまってた体も、
現在は一週間程はこの世界に滞在出来るまでになり、
この世界に来る時間や場所を自分でコントロールすることも可能になっていた。
因みに、ここでどんなに長く時間を過ごしても、元の世界に戻った場合はベッドに入って眠った翌日の朝と言う、
素晴らしい状況なので、その点については全く問題ない。
一つ難を上げるなら、実体化した後の疲労感がかなり重いってことだ。
それも一応基本的には翌日仕事が休みの日を選んでるから、大した問題じゃないかもしれない。
と言うことで、さっきも言ったように、
特に玄徳のおかげでのこの城での生活は思った以上に上手くいってた。
でもだからって、全てが順調な訳じゃない―――



ヤバイな。少し、辛くなってきたかもしれない。


芙蓉姫と他愛ない世間話に花を咲かせつつ、心の片隅でそんなことを考える。
実は仕事から帰宅してから微熱があったことに気付いてたんだけど、
この程度なら平気だろうとこっちの世界に来ることにしたのだ。
しかも、今は実体化してる。
その方が体に確実に負担を掛けてしまうのは分かってったけど、
今回はなるべく生身の体で居たくて少し無理をしてしまった。
これでも昔から体調不良時に平静を装うことには慣れている。
周囲に気付かれなければ多分どうにかなるはずだ。
最悪でも、今日一日持ってくれればいい。
そうだ、今日の夜の宴までは。


「今日の宴前に私があなたを着飾ってあげるつもりだから、覚悟しておいてね」
「・・・は?いや、いいよ。そもそも、部外者だし」
「宴に招かれている時点で部外者なんて思われていないわよ。
いいから、私に任せて頂戴。ねぇ、いっそのことこっちでいい人見つけるといいんじゃない?」


そう言って芙蓉姫は薄紅色の綺麗な唇をにやりと吊り上げて笑った。
彼女は一見その身分に相応しい品のいいお嬢さんなのに、
その外見に似合わない表情を見せることがある。
まぁ、こっちの方がとしては親しみが持てるから一向に構わないけど。
微熱のせいか頭の奥のほうから小さな痛みが生じ始めていたが、
は敢えてそれを意識しないように努めた。
眠る前に風邪薬を飲み忘れたことを今更ながら後悔する。


「えーと、じゃあいい人は置いといて、着替えの方は手伝ってもらおうかな。
こっちの化粧の仕方とかよく分からないし」
「ええ、勿論、大船に乗ったつもりで居てくれていいわよ」


芙蓉姫と並んで廊下を進んでいると、反対側から見慣れた長身、長髪の男性が歩いてきた。
それが誰なのかはすぐに分かった。
雲長だ。
一瞬にしての意識が彼の方へと向く。
実はここのところ彼とまともに顔を合わすチャンスが殆どなかった。
正直、避けられてるのかもしれないとも思ってる。
だけど、もしもそうだとしたらその理由が分からなかった。
雲長はの姿が見えるようになったばかりの頃は確かにを警戒してたようだったし、
芙蓉姫とは違う意味で(彼女はが悪霊だと怯えていた)親しくなるのに時間が掛かった。
それでも半年近く経ってからは始めに比べれば随分打ち解けてくれたし、
実体化出来るようになってからも二人で過ごす時間は増えていた。
そうしてく内に、雲長は寡黙な影のあるようなイメージも最初と変わらず持っているが、
それだけじゃなく、面倒見が良くて周囲に配慮できる優しい心根の持ち主だと思うようになった。
時々瞳の奥に見える沈んだ色が気になって、まるで何もかも悟ったような、
達観したような口調の意味を知りたいと思った。
この世界の人であるはずなのに、彼の作る料理は酷く『現代的』な物が多くて、
そのことを訊ねたこともある。
雲長は一緒に居て話を聞けば聞くほど、知れば知るほど興味深い人だった。
気付けば、そんな彼に惹かれていたのも事実だ。
この気持ちを伝えることが出来ないとしても、ここに居る間は、
雲長の邪魔にならないようにしつつも、なるべく彼を見ていたと思うようになっていた。
雲長は休憩時間や休日なんかの時、予定がない場合は大抵の誘いに乗って相手をしてくれた。
二人っきりってことは滅多になかったけど、何度か雲長の愛馬である赤兎に乗せてもらって遠出したこともある。
それが何となく、少しずつ距離を感じ始めたのはいつだったか。
あからさまに突き放された態度を取られた訳じゃない。
でも確実に、彼はとの時間を削っていった。
最後に雲長とまともに会話を交わしたのは多分一ヶ月位前のことだったんじゃないだろうか。


「・・・・・・」


ゆっくりと、と芙蓉姫に近付いてくる雲長。
彼は当然のようにの方を見てくれては居ない。
隣で芙蓉姫が「うわぁ雲長いつも以上に辛気臭い顔しているわ」と呻くように言った。
それに小さく苦笑しつつも、は彼から視線を逸らせない。
そこで不意に雲長と最後に話をしたあの日のことが、脳裏に浮かぶ。
あの日の、彼の言葉。
聞き取れるか取れないか程度の声で、呟いた、言葉。



―――俺達は余り近付きすぎるべきじゃないのかもしれないな・・・。



「っ!」


思わず、そこでは立ち止まった。
雲長はたった今達の隣を素通りして行ったばかりだった。

ああそうだ。
確かにあの日、彼はそう口にした。
に向けて、と言うより、自分自身に言い聞かせるみたいに。
その後すぐに別の話題に変わったから、その時は深く考えもしなかったけど。


?何よ、急に立ち止まって」
「あ、ううん、何でもな―――」


言いかけて。
くらり。
一瞬眩暈がした。
だけどどうにかよろけることだけはせずに済んだ。
芙蓉姫に心配をかけないように、は笑顔で彼女に視線を向ける。


「ちょっと考え事してた」
「そう?だったらいいけど・・・。って、何よ、雲長」
「え?」


芙蓉姫がぎょっとしたような表情での背後に目をやる。
つられて振り向くと、雲長が僅かに眉間にしわを寄せての後ろに立っていた。


「雲長?」


これはもかなり驚いた。
彼はついさっき全くこちらに無関心な感じで通り過ぎていったはずだから。
しかも最近は避けられている様子だったし、まさか雲長の方から近寄って来るなんて。
雲長は少しの間にも芙蓉姫にも返事をすることなく、を観察するような瞳で見下ろしていた。
そして、深く溜息を吐く。


「ちょっと、雲長。突然来て何なのよ!?あなた」


が口を開くより先に、芙蓉姫が雲長に噛み付く。
まぁいつものことなんだけど、彼女は雲長とは犬猿の仲なのだ。


「芙蓉姫、少し黙っていて貰えますか」


雲長は抑揚のない静かな口調で芙蓉姫にそう告げた。
相変わらず彼女に対して容赦ない。
それは芙蓉姫も同様だといえるけど。


「はぁああ!?いきなり来て何様のつもりよ!?」
「おい、
「え?な、何?」


雲長は青筋を立ててご立腹状態な芙蓉姫を完全にスルーし、
の肩を軽く掴んだ。
彼の大きな掌の感触に、思わずびくりと体が震える。
雲長はそれに構わず空いた片手を今度はの額に押し当ててきた。


「あっ!」
「・・・やはり、熱があるな」
「え??それ本当なの・・・?」


雲長の言葉に、彼に噛み付いていた芙蓉姫の表情が一瞬にして変わる。
そしてその視線が雲長からへと移った。
は思わず苦笑いを口元に浮かべる。
まさか気付かれるなんて思いもしなかった。
今日は芙蓉姫にだけじゃなく、いつもここでお世話になってる侍女達や、翼徳とも顔を合わせた。
その時も今ほどじゃなくても風邪の症状は出ていたのだ。
それでも誰にも気付かれずに居られたのに。
それが、ただすれ違っただけの雲長に気付かれてしまうなんて。


「や、あの、大したことないから」
「じゃあやっぱり熱があるのね?だったらすぐに部屋に戻って休んでなきゃ。
それでないさえあなた、その姿だと後々辛いって言っていたじゃない」
の世界に戻っても仕事休みだから大丈―――」


夫。
と、続けようとしたその時。
の足が、体がふわりと浮かび上がるような不自然な感覚がした。
同時に、背中と膝裏に力強い腕の感触がする。
一瞬、何が起きたのか分からなくてぽかんとしていると、そのままの状態で体が移動を始めた。


「わぁ!?え?え?ちょ、ちょっと」


それから数秒して、恐ろしいことに雲長がを俗に言うお姫様ダッコ的な抱え方をしてることに気付いた。
あり得ない。
こんな、どこぞの少女マンガじゃあるまいし。
しかも目の前には芙蓉姫が居る。
彼女もと同じ位驚いているらしく、雲長の腕に抱かれたを瞳を見開いて見ていた。
の恥ずかしさはあっという間に頂点に達する。


「暴れるな、大人しくしていろ」
「いや、あの、降りる!歩ける!自分で、歩けるから!」
「そしてまた、平気なふりをして城内を歩き回るつもりか?」
「っ!」
「・・・もう一度言う、大人しくしていろ。
お前も、風邪を他人にうつして周囲の者に迷惑を掛けたくはないだろう」


雲長にピシャリとそう言い放たれて、は思わず口を閉じた。
確かに、そう言われてしまっては返す言葉がない。
とは言え、この状況には激しく異論ありまくりなんだけれど。



(続く)