「ただいま、孔明、ちゃんと書簡渡して来たよ」
「ああ、おかえり、。ありがとう。
それじゃあキリもいいし、この辺で休憩にしようか」
孔明のお使いから戻ってきたを笑顔で迎えた彼は、
そう言って卓の上にお茶と団子を用意してくれた。
どうやらがここを離れている間に持ってきてくれたらしい。
「以前に比べたら随分君の読み書きも上達してるみたいだね、」
「こっちに実体で滞在してる間だけじゃなくて、
向こう(自分の世界)でも時間ある時に少しずつ勉強したから、少しはその成果が出てるのかも」
この三国志仕立ての世界で実体化出来るようになったは今はちょくちょくこの城に滞在させて貰ってる。
と言っても生身の体で居られるのは今のとこ頑張っても4日程度。
の世界とここの世界じゃ時間の経過は全く関係ないから、
ここでどんなに長く過ごしても向こうの世界に響かないのはあり難いけど、戻った後の疲労感が重いので、
翌日仕事が休みの日に限り実体化して滞在することにしてる。
それでも半透明の体でうろついてた以前までの状況を考えれば、かなり飛躍的な進歩と言えると思うけど。
ここに居る間はは大抵忙しい孔明の雑用係りてきなことをこなしてる。
は玄徳の提案で、周囲には玄徳が旅先で恩を受けた異国から来た人の娘と言うことになっていた。
おかげで周りからもお客人扱いされて申し訳ないやらありがたいやら。
とは言え、実際は恩を受けたのはの方だと思ってるし、玄徳や皆に甘えきる訳にも行かない。
ということで、この城で何かしら出来ることはしようと思って、
ここで特に親しい孔明の下で仕事を貰うことになったんだけど、
まず読み書きが出来なきゃお話にならないってことで、今はその勉強中って訳だ。
言葉が通じるんだから読み書きなんて問題じゃないだろうなんて最初は思ってたんだけど、
実際見せられた文字はまさかの漢文。
喋ってる言葉は日本語にしか聞こえないくせに、読み書きする文章は古代中国語なんて詐欺だと正直思ってしまった。
ぼやいたところで仕方ないので今は必死で学んでる最中だ。
でもまさか学生の時でさえ縁の薄かった漢文をこんな形で必要に迫られて勉強することなるなんて、
思いもしなかった。
「ってもまだまだ覚えなきゃいけないこと山ほどあるし、前よりマシになった位だけどね」
「まぁまぁ、結果が出てるってことは君が地道にやってきたおかげなんだし、
花と違って君は時間はあるんだから焦らず頑張ることだね」
「あ、そっか、花も最初は読み書き出来なかったんだっけ?」
「そうだよ、しかも彼女の場合はすぐに仕事して貰わなきゃいけなかったから、
ボクもビシバシ教え込んじゃったからねぇ」
「うっわ〜、こわ」
そこで達はお互い声を立てて笑いあった。
孔明の持ってきてくれた団子を一口ほお張って、その甘さを噛み締めながら、
ふと思う。
こんな風に極自然に花の名前を話題に出せるようになった孔明と、
そしてそれを極自然に受け止められるようになった。
彼が花を想ってた頃には考えられなかったことだ。
山田花。
彼女は眠っている間だけ半透明の体でここに来ることが出来てたと違って、
不思議な書物に導かれてこの三国志風味の世界にやって来た17歳の少女だった。
そして孔明の弟子であり、想い人でもあった人。
彼女とは境遇は違えど同じ現代からこの世界に迷い込んだ異世界の者同士色々と話が有って、
彼女がここの世界の人には言えなかったような話も沢山聞かせてもらった。
花がこの世界に来るきっかけになった書物は、ここで戦が起きた場合、
どうすればそれを上手く回避できるか、
若しくはどうすれば相手に勝利できるかを、
書物の持ち主の願いによってそれに一番あった戦法を教えてくれるものだったと言う。
そしてその書物で彼女はこの玄徳軍の軍師として活躍するだけでなく、
達の世界では乱世の奸雄と呼ばれた曹孟徳の軍や、
呉の君主である仲謀の軍を渡り歩いて(本人の意思に反してることもあったらしいけど)、
最終的にこの三国がどれも欠けずに献帝を支えていく礎を作りこの世界を平定した。
彼女は自分を書物がなければただの無力な女子高生だと思ってたようだけれど、
その書物をどう使うかも彼女自身の手腕によるものだと気付いてなかったんだと思う。
孔明と花の出会いについて最初に話を聞かせてくれたのは、花の方だった。
書物の力である時突然黄巾の乱直前のこの世界に飛ばされてしまい、
そこで出会ったのが亮と言う名の少年、つまり孔明だった訳だ。
彼女はその少年と一緒に黄巾の乱を成功させた直後にまた元居たこの世界の今の時代に戻ってこられたってことだ。
あの場に幼い少年の彼を置いてくしかなかったことを、後悔してるようだった。
もっとも、花は亮=孔明ってことに気付いてなかったらしく、
その話を聞いた後日、
が孔明と二人で居た際に何気なく彼にこの話題を振ったところで分かったことなんだけど。
が孔明と始めて顔を合わせたとき、彼が言ってた『ボクの知ってるコ』と言うのは、
つまり花のことだった訳だ。
そして彼は幼い少年時代に出会った不思議な少女が、
自分が大人になってからこの世界に再び現れるのを知っていた。
孔明は黄巾の乱直後に彼女に出会ったあの時からずっと、彼女を待っていたのだ。
花だけを想って、ずっと。
そこまで全部を話してくれた訳じゃないけど、それでもには分かってしまった。
孔明が抱いてる彼女への気持ちがどだれかのものなのか気付いたから。
花がいつかは自分の世界に帰るつもりなんだと知ってた孔明は、
彼女を笑顔で送り出そうと決心しながら、
それでも辛い思いを押し隠してるのをは知ってた。
だからあの書物と一緒に公の場で彼女が皆の前から自分の世界へと帰った数日後、
孔明が口にしてくれた言葉を聞いた時は嬉しくて信じられなくて本気で泣きそうになった程だ。
―――「ボクはね、、君が傍に居たから、
彼女が帰ることを心から喜んであげることが出来たんだよ」
それでも花が帰ったばかりの頃は、
孔明の口から彼女の名前を聞くとどうもお互い微妙な空気を漂せてしまっていた。
無意識のうちにぎこちない感じになってしまって、それを反省するってのも何度もあった。
それが今じゃ、こんなに普通に彼女の話を口に出来てる。
「、何を一人でにやにやしてるのかな?」
思わず口元が緩んでいてしまったらしく、孔明が呆れ顔でそう指摘してきた。
は慌てて口元を隠し、表情を整えてから再びお茶に口をつける。
「別に」
「ふぅん?」
何か怪しいな。
と言う顔の孔明にそ知らぬ顔でお茶を啜った後、は話題を帰ることにした。
「そうそう、こないだ言ってたヤツ、持ってきたんだった」
「?何を?」
「ほら、が自分の世界でどんな感じなのか知りたいって言ってたでしょ。
スマホで何枚か写真撮ったから見せるね」
「ああ、確かにそんな話をしたね。・・・で、すまほ??ってなに?しゃしん??」
の言葉に「?」マークを頭の上に幾つも浮かべてる様子の孔明。
そりゃそうだ。
この世界にはスマホも写真も存在しない。
は立ち上がって部屋の隅にある棚に置いていたスマホを手にし、
最近撮り溜めた写真の画面一覧を映し出した。
そしてまずその中の一枚を画面に拡大させる。
「口で説明するより見たほうが早いと思う。
先に言っておくけど、コレがどうしてこういう事が出来るかとかの仕組みは、
にも説明出来ないからね」
「?どう言う意味かよく・・・、ってうわ!」
が孔明の前に差し出したスマホの画面を見て、
いつもは余り動揺を表情に出さない彼も愕いた様子で声を上げた。
「前に少し話したと思うけど、風景とか人とか、見たままを写し出せる機械なんだ。
あ、でもこの機械の一番の目的は遠距離に居る相手と連絡を取るころなんだけど、
それ以外にも使いこなせれば色々便利な機能がついてるわけ。これもそのひとつ。
って言っても、こっちの世界じゃ殆ど使えないけど。あ、花も形は違うけど同じ物持ってたでしょ」
「え?あ、ああ、あの小さな桃色の四角いアレか。
・・・それにしても、本当にスゴいな・・・これ・・・」
は孔明が写真を見ることが出来る程度の速度で一枚ずつ、
それをスライドさせて画面を変えた。
「これはの職場で―――」
「おお・・・」
最初は写真の内容よりも写真そのものの技術の凄さや、
この世界の彼らから見れば驚きの対称にしかならない不思議な機械に興奮してるようだったけど、
が写真に撮ったシーンを説明しつつ何枚か見せ続けたところで、
孔明の反応が微妙に違ってきた。
何となくだけど、気のせいか機嫌が悪くなってるような気がする。
孔明はいつもちゃらけた男だが、軍師だけあってどんな時でも大抵表情を表に出さない。
それでも今回は彼から放たれる空気が変わったのが分かった。
勿論、さっき言ったように、悪い方向に。
その理由は全く分からないけど、この手の嫌な勘ってのは何故かよく当たるものだ。
それでもそれに気付かないフリをして、取り合えずは話を進めていた。
「ここはよく友達と行く居酒屋さんね。この日はちょっと飲みすぎて」
「・・・ねえ」
「ん?」
「ひとつ、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
そう言って画面からに視線を向けた孔明はいつもの呑気そうな笑顔を浮かべていた。
お花さえ飛んでそうな、あのぽやっとした表情。
それなのに、には背後に黒い何かが見えてしまった。
何だコレは。
はただ彼の希望通りあっちの世界での様子を画像つきで話して見せただけなのだが。
「な、何?」
「さっき君が君の仕事場での写真を見せてくれた時から気になっていたんだけど、
この彼・・・、どの写真でも大体君と写っているよね?親しいの?」
そう言って孔明が指差したのは職場の同僚で高校時代のクラスメイトだった男友達だった。
高校時代はそう親しくもなかった彼だが、今の会社に就職した際に偶然再会し、
話してみると結構ノリがあって仲良くなった。
それをそのまま孔明に説明すると、彼はふぅんと小さく答え、再び画面に視線を戻す。
「君の世界だと、これ位は普通なのかな」
「え?」
「・・・これだよ」
言って、孔明はが画面をスライドさせた時の仕草を真似、
すっと画面をひとつ前のものに変える。
そこには左右を友人に挟まれたが真ん中でグラス片手に笑顔を向けていた。
因みに、左には女友達、右には今話題に上がってる男友達が座ってる。
友人は二人ともに寄り添う形で同じようにの肩に手を置いていた。
「えーと?何かおかしい?」
「・・・はぁ、その反応だと普通なんだね」
「え?」
「こっちのはそうでもないけど、・・・っと、どれだっけ、ああ、これも、
それからこれもさ、幾ら友達でも君ちょっと無防備すぎるんじゃない?」
「・・・・・・」
次々画面を変えてそう口にする孔明は、もうあのお気楽な笑顔を浮かべては居なかった。
その代わり、拗ねた子供みたいな表情をしてる。
「え?こ、孔明もしかして・・・、まさか」
「何?」
不機嫌そうにを見上げる彼に、少しだけの期待と、勘違いだったらと言う不安が湧き上がる。
は思い切って先を続けた。
「や、やきもち、やいてるとか」
「・・・・・・」
そこで孔明は無言のまま静かに椅子から立ち上がった。
は思わず二、三歩その場から後ずさる。
彼は再度、と視線を合わせて言った。
「まさかってどうしてそう思うの?」
「え?あ、やっぱり違う?で、デスヨネー」
「違う」
「え?」
会話が噛み合わなくてはきょとんと彼を見つめる。
孔明はそこで苦笑を漏らした。
「やれやれ、君は一体ボクを何だと思ってるのかな」
「え?わっ!」
今度は孔明が突然両腕を伸ばしてきたと思ったら、次の瞬間にはぎゅうっと彼に抱きしめられていた。
ぎゅうっとと言うか、ぎゅうぎゅうと言うか、痛い位に。
「いたっ、いだだだっ!!ちょ、孔明、いだい、いだい、何で急に!?痛いから、ホントに!」
は彼の腕の中で悲鳴を上げつつジタバタと暴れる。
腕力はそう強いようには見えないのに、一応男としての力は備わってるらしい。
なんて失礼だとは思うが、とにかくこんな風にぎゅうぎゅう締め付けられるのは勘弁して欲しい。
孔明はすぐに力を緩めてくれたけど、何がしたいのか全く意味が分からない。
彼の腕の中でゼェハァと息を切らせる。
何なんだ、本当に。
「ねぇ、ボクが嫉妬するのっておかしい?」
「・・・え?」
予想外に真剣な声が頭上から降ってきて、は思わず視線を上げる。
を間近で見下ろす孔明が、困ったような呆れたような何ともいえない笑顔を浮かべていた。
「あのね、、これでもボクは不安なんだよ。
君はここと自分の世界を好きな時に行き来することが出来るかもしれないけど、
ボクは君が普段どんな風に過ごしているのか想像も出来ない。
誰とどんなことをして、どんな話をしてるのか、全部知りたい訳じゃないけどさ、
それでも・・・ボクの知らない所で、ボク以外の誰かが君に触れてるんだと思うと・・・ね」
「・・・孔明」
彼はいつでも飄々としてて、滅多なことじゃ動揺を表面に出したりはしない。
でも表情には出さなくても、色々な思いを抱えてたこと、知ってるつもりでいた。
そのくせ、は決め付けてるところがあったのだ。
孔明は花のことを吹っ切って、の気持ちに応えてはくれたけれど、
想いの強さってのが目に見えるなら、きっとの方がずっと大きいんだろうと。
そのことを寂しく想いつつ、勝手に納得してた。
だからまさか孔明がヤキモチを妬いてくれるなんて思っても見なくて。
「・・・はぁ、今頃何だけど、さすがにちょっと子供っぽかったかな、ごめん」
言って、彼はの背中をよしよしするみたいに撫でてくれる。
は自分からも腕を伸ばしてその背中を抱きしめた。
「っ、?」
「も、ごめん」
「どうしたの?急に」
「うん、無神経だったと思って。・・・後、今何か笑っちゃってるから」
「は?」
の言葉に、今度は孔明が驚いた様だった。
「孔明は怒るかもしれないけど、ヤキモチ焼かれてちょっと嬉しいと思ったから」
「・・・、君ねぇ」
「ごめん、本当に反省してるから許して」
孔明はそこで微かに苦笑を漏らした後、の唇に自分の唇を触れ合わせた。
最初は柔らかく重ねるだけの口付けが、
彼の舌がの口内に入り込んできたことで濃厚になっていく。
孔明の舌はの口腔をねっとりと這い回り、
その間に二人の温い唾液が徐々に混ざり合うのが分かった。
彼の吐息のあたたかさが、舌の弾力が、その動きが、
そしての体を包む両腕や体の体温が、その全てがを翻弄する。
微かに呼吸が乱れ始めた頃、小さく喉を鳴らして唾液を飲み干し、彼は少しだけから唇を離した。
「今回はこれで許してあげるよ。ボクも大人げなかったしね。その代わり、次はこんなおしおきじゃ済ませません」
「・・・肝に銘じておきマス」
「うん、そうして。それじゃあ、もう一回」
「・・・おしおき!?」
「ははは、仲直りでしょ、この場合」
言って、孔明がこつんとの額に自分の額を軽くぶつけた。
もつられて笑顔を浮かべる。
そして再度、瞼を閉じる。
やわらかくて甘ったるい優しい口付け。
それは孔明がを好きで居てくれるってことが、十分実感できる最高のキスだった。
(了)