その後が目を覚ました時にはあれから丸一日が経過していた。
尚香の話だと、あの後すぐに錬師がと彼女を探しに来てくれて、
そのままを城まで運んでくれたとのことだった。
は意識が戻らない間、かなり高熱を出していたようだ。
が目覚めたと言う知らせを聞いて心底ホッとしたと尚香は涙目で言った。
その熱が関係しているのかいないのかそれはよく分からないけど、
意識を取り戻した後のは、この世界(・・・・)の記憶を思い出していた。
思い出したと言うのが正しい表現になるのかは何とも言い難いところだけれど、
取りあえず今ここに居るが、以前居た世界のとは別人なのは確かだ。
何でなのか、どうしてなのかなんて、それは今でも分からない。
だけど、確かなのは、ここがの居た世界とは確実に別の場所で、
しかもの居た現実世界の中国の三国志の世界とは全く違う所だってことだ。
大体実在する歴史上の人物たちが画面越しの登場人物たちそのままなんてまずあり得ない。
あれはあくまでも三国志の英傑達を『キャラクター』としたもので、
服装にしろ得物にしろ喋り方にしろ、現代的で日本的な物が色々と取り入れられているからだ。
もっと言うなら、は中国語なんて喋れないし、当然の様に聞きとりだって出来ない。
だからこれは俗に言うタイムスリップと言うものとは違うだろう。
なんて、今だからこんなにあれこれと冷静に見てるようなことを言える訳だが、
目覚めたばかりのは突然草原にぶっ飛んで尚香と顔を合わせた時と同じ位に混乱しまくっていた。
記憶と言う名の知識を得たとはいえ、それをはいそうですかと受け入れられる訳もない。
寧ろ逆に更に混乱してしまったと言っても良かった。
にも拘らず、を心配して顔を出してくれた本来の認識としては『キャラ』以外の何者でもない『彼ら』とまともに会話を出来たのは、
今のの体がこの世界(・・・・)のものだったからじゃないかと思う。
』と言う名前を自分のものだと受け入れられたのもまた同じ理由だろう。
それでも勿論、これが現実だと本気で向き合おうとするまでには、
この後一月ほどずっと起きれば覚める夢だと言う希望を捨てられなかった。



これが現実で、今はここで生きて行くしかないんだと心を決めたのは初めて戦場に立ったあの日だ。
あれはにとっては初陣だったけれど、この世界のにとっては2度目の戦だった。
戦が始まる直前の張りつめた空気、大勢の兵が慌ただしく動き回る気配、軍師達の冷静な声と、それに応じる武将たち。
身に着けた鎧の重さと武器の重さは予想以上で、
画面越しに見ていた戦場がまさかこんな形で再現されるなんて信じたくもなかった。
そしてとにかくその全部がただ怖くて怖くて仕方なかった。
多分、まともに思考なんて働いてなかったと思う。
この世界でもどうにか上手くやって来れたと思いかけていた頃だったけど、
そんな風に甘く考えてた自分を心底後悔しまくった。
許されるなら今すぐここから逃げ出したいと切実に願った。
開戦の合図が有ったあの瞬間。
同時に、馬の蹄の音と大勢の兵の足音が唸り声の様に周囲に響く。
その場に立ち竦んで動けなくなりそうだったがそれでも戦場へ向かう事が出来たのは、
の背中を大きな手が押してくれたからだ。


「おい、!ぼけっとしてんじゃねぇぜ!敵に隙を見せんじゃねぇ!もう戦は始まってるんだぜ!!」
「・・・っ、そ、孫策様・・・!」


力任せに叩かれたせいでつんっと前のめりになりながら、それでも慌てては駆けだした。


「孫呉の為に、お前の力を貸してくれ!」
「・・・・・・えっ!?」


まさか恐怖でガタガタ震えている様なにそんな言葉を掛けられなんて思いもしなくて、
は思わず大きく瞳を見開いて孫策を見た。
彼は気付いている筈だ、が戦に怯えて情けない姿を晒してる事。
それなのに――――――。


「無茶しろってんじゃねぇぜ。けどな、お前の力は俺達がよく知ってる!・・・っとっ!!」


にそう声を掛けながら、孫策はこちらに向かって来た数人の敵兵を得物で見事に弾き飛ばした。


「孫呉の仲間を家族を守る力ってのは、皆が一人一人持ってるもんだ。
俺達が大きくなってく為には、その全部が必要になる!分かるだろ?お前の力も貸してくれ!」
「・・・孫策様」


あちこちで怒号が上がり、得物同士がぶつかり合う鋭い金属音が聞こえる。
土煙の向こうで無数の兵士がお互いの敵兵を相手に戦っている。
ここは、戦場だ。
画面越しでも、二次元でもない、戦場だ。
そう実感する程に、怖くて怖くて仕方ない。
だけど、もう一人のが、孫策の言葉に奮い立ってるのが分かる。


「さっきも言ったが、無茶しろってんじゃねぇぜ!ただ、俺達がお前の力を、
お前を信じてるんだって事は忘れないでくれよ。そんじゃあ、俺は先に行くぜ!・・・っりゃあああああっ!!」


言葉を言い終えてすぐに、孫策は力強い動きと俊敏さで周囲に群がる敵を蹴散らした。
は自分の武器を構えて、こっちに向かって来た敵兵の一人をどうにかやり過ごす。
たったそれだけで恐怖で腰が抜けそうな勢いだったけど、
そんなの心境とは裏腹に、手にした剣を持つ手は全く震えて居なかった。
襲いかかって来る敵兵達の必死で真剣なその表情を見ても分かる。
これは戦だ。
命を掛けた、戦。
周囲に上がる土煙に鉄錆の匂いが混じり始めた。
それは間違いなく、人の流す血の匂いだ。
の中の恐怖心はさっきと同じままそこにある。
違う。
さっき以上に膨れ上がってる。
今、この時も。
だけど、同時にもう一人のが叫んでいた。




―――――――――今ここで何をすべきか、何が出来るか考えろ!!




生きる為に。
だけどそれだけじゃなく、この世界に来て分かった事。
は孫家の皆を含めて、呉の人達には感謝してもしきれない程にお世話になってる。
この世界のも、今のも、その気持ちは同じだ。
たった今、孫策に言われたばかりの言葉を思い出す。



―――――孫呉の為に、お前の力を貸してくれ!




「っ、ッハアアッ!!」



ザッシュゥッ


の手にした剣が攻撃を仕掛けて来た相手の一人の背中を見事に斬りつけた。
瞬間。
今まで感じた事のない、金属が鎧の硬さを貫いた先に有る人の肉を斬る何とも言えない感触を伝えて来る。
今にも吐き気に襲われそうな感覚に襲われながら、
それでもは極自然な動きでその後も次々と向かって来る敵兵の攻撃を凌いだ。
本来は剣の扱い方なんて知りもしない、それどころか実物を目にしたのさえ初めてだった。
それなのに、今はこの剣がまるで体の一部にでもなってしまったかと錯覚する位に自在に操れる。
恐怖心は薄れるどころか大きくなるばかりなのに、
一方では自分自身すら怖くなる程軽やかな動きを見せていた。




あの日。
は功績と言えるようなものは何も上げられなかったし、
正直それ程の数の敵兵を相手に出来なかったことに心底ホッとしてしまったけれど、
それでもの中で確実に何かが変わった。
戦場に立つこと自体は今でも怖くて怖くて堪らない。
それは、あの時も今も同じだ。


には誰かの為に戦って命を掛ける覚悟なんて、何一つ出来てない。
ここに居る皆の様に、理想や志を持ってる訳でもない。




―――――孫呉の為に、お前の力を貸してくれ!




今すぐにでも元の世界に戻れるんだったらそうしたいって気持ちは、勿論今も有って。
だけど、どうあがいてもここから逃げ出す術なんかすぐには見つからないことはもう十分分かってる。
だったら、もうここで生きて行くしかないじゃないか。
は元々そう大きくも小さくもない会社の平社員で、
自宅周辺の地域の治安もそれなりに安定してて、物騒なこととは殆ど無縁でいられた人間だ。
数ヶ月程前までは画面越しに生き生きと動く三国志の英傑達に憧れてた。
それは憧れであって、越えられない壁が存在してるからこそ楽しめた世界。
『あり得ない』からこそ、安心して夢が見られた。
当事者になった時の事なんか、真剣に考えたことなんかなかったけど、
この世界のには、少なくとも戦場に立って戦っていけるだけの力がある。
正直、そのことがにとっていいことだと心底思えちゃ居ない。


それでも、今、に出来る事はある。
例えそれしか出来ないのであっても、ただ泣き喚いて逃げ出す事ばかり考えるよりはずっとましだ。



同じ泣き喚いて傷付くなら、前進して、この世界で生きてやると考えた方がずっといい。
ここには、の居場所がある。
それだけでも十分幸せな事だ。



戦場を凛と駆け抜けるような綺麗な主役にはなれなくても、
泣きじゃくって泣き喚いて傷付きながら、それでもは生きてく。



例え後ろを振り向くことがあっても、今は必死で歯を食いしばって前に進む事を諦めたくなかった。



綺麗なじゃくても、強くなくても、は生き抜く。
そうだ。
それだけは、諦めたくないから。



(序章・終)