雑貨屋で買い物を済ませてが店を出た途端、タイミングを見計らったように雨が降り出した。
降り始めの勢いが結構強かったから、
少し待てばすぐ止む程度のものだろうとそのままその場で雨宿りをすることにした。
のだが、最初の勢いは弱まったものの、雨は中々止みそうにない様子だ。
それどころか普通の本降りの状態で安定してしまってる。
は視線を空に向け、灰色のぶ厚い雲が隙間なく覆っているのを目にして小さく溜息を吐いた。
雨のせいで少し肌寒いし、カフェにでも入って時間を潰した方がいいだろうか。
だけど今は何となくそんな気分じゃない。
ここはいっそビニール傘を購入してしまおうか。
でもそう言えばうちにはが同じような理由で買ったビニール傘が3本位置いてあった気がする。
それをまた増やすのもなんだか微妙だ。
なんてことをあれこれ考えてる間も雨は一向に止む気配がない。
はそこで大欠伸が出るのをかみ殺す。
昨夜は特に夜更かしして、しかも寝付きが悪かったから、帰ったら一眠りするつもりだった。
だけどこのまま雨が止むのを待ってたんじゃ、それもいつになるのか分からない。
とは言え、睡魔は容赦なくに襲い掛かってきてるし、
ここはもうビニール傘を買って帰るしかないだろうか。
「あれ?さん?」
「へ?あ」
続けて零れた欠伸を口元を抑えてやり終えたところで聞き慣れた声に名前を呼ばれた。
すぐにそっちに視線を向ければ、斜め前にコンビニの袋を提げたトーマが立ってることに気付く。
「トーマ、偶然」
「俺の家この近くだから。あ、実家じゃなくて一人暮らしのマンションの方な」
「ああ、そうなんだ。あ、そう言えばこないだ送ってくれた時そう言う話してたね」
は一応画面越しにトーマの部屋のマンションの入り口や室内なんかを見たことはあるけど、
さすがにリアルな道順や周辺の様子なんかまでは知らなかった。
ここのところバイトが被った時はトーマが送ってくれたりしてて、
つい数日前に彼が何気なくこの近くに自分の部屋があるんだと言う話題を持ち出してきてた。
「そういうこと。さんは雨宿り中?でもこの雨当分止みそうにないし、良かったら俺の傘貸すよ。
今言ったけど、俺の家はすぐ近くだからさ。走ればどうにかなる」
言ったトーマが笑顔でに傘を差し出してくれる。
確かにそれは有り難い申し出だけど、幾ら家が近いからと言ってもトーマを雨で濡らす訳にはいかない。
「トーマのマンションの前まで一緒に入れてってもらっていい?
で、その後そこからまたがこの傘借りるっての、アリ?」
「え?そりゃ俺はいいけど、さんはいいの?」
「が借りる方なんだから、トーマがOKなら寧ろ有り難い」
「そっか、じゃあ、そうしますか」
「ありがとう、助かる、トーマ」
の提案を快く受け入れてくれたトーマにお礼を言い、
は店の軒先からトーマの隣に移動する。
彼の差してた傘は結構大きめのもので、二人でも肩が濡れない程度の余裕があった。
「残念、もう少し傘が小さかったら、それを理由にさんの肩引き寄せたり出来たんだけどね」
「ぶっ、どこの少女漫画、それ。てか、ないない」
トーマの冗談に笑って答えながら、それでも実はは今の距離で十分どきどきしてしまっていた。
確かに二人で入っても肩がはみ出さないくらいの大きさの傘ではあるけど、
歩く度にお互いの肩が触れ合うか触れ合わないかの距離に近付いて、
妙にそれを意識してしまう。
ああ、それこそどこの少女漫画思考だ、。
自分にツッコミを入れて平静さを取り戻そうとするも、上手くいかない。
トーマはいつも通りに話をしてるのに、はそれに合わせるのに必死だった。
◇◆◇
トーマの部屋のあるマンションは、
彼の言ってた通りが雨宿りしてた場所から5分もしない所にあった。
「あのさ、さん、まだ時間あるんだったら上がってかない?お茶位出すよ」
「え?」
「ここまで来たんだし、傘貸すだけっていうのも何か寂しいでしょ。どう?」
「あ・・・、うん。いや、でもいいの?」
「いいよ、じゃなきゃ誘ってないって。じゃあ行こうか」
この流れにはさすがに驚いた。
最初の頃は自分の方が年下だからってことでずっと敬語だった彼は、
今じゃ普通に話を出来るようになってる。
そしてここのところトーマとは随分親しくなって、メールのやり取りも前に比べて頻繁になったし、
電話で話をしたことも実は少なくない。
でもそれを言うならサワやミネも気軽にメールする位には仲がいいし、
バイト仲間全体的に同じ事が言える。
そして何より、はトーマが幼馴染であるを誰より特別に大事にしてることを知ってる。
それはまぁ、同じく彼の幼馴染であるシンに対してもそうだってことも知ってるけど、
に対しては幼馴染で妹分として向ける気持ちだけじゃなく、
恋愛感情を抱いてたことも知ってるから、色々と複雑な訳だ。
トーマは彼女のこととなると感情が昂ぶって、異常とも言える行動を取ってしまう。
がプレイしてた系統のゲームじゃよくある、
でも一般的にはあってはいけない『監禁』と言うことまでやらかしてしまったりするのだ。
それもこれも自分の為じゃなく、を危険から守る為。
自分の行動が異常だと狂ってると分かってて、それでも止められなかった、
それほど彼女を想ってる人。
だって本来俗に言う『ヤンデレ』ってやつは二次元だからこそ、だと思ってた。
『キャラ』であるからこそ許容できて、それどころかニヤニヤしてしまうことなんだと。
それが現実になればそれは間違いなく犯罪だし、巻き込まれるなんて冗談じゃない。
だからトーマのことは友達やバイト仲間として接するだけなら良くても、
それ以上の感情を持つことなんてないだろうとも心のどこかで思ってたのだ。
それが今じゃ彼がに対してどれだけ彼女を想ってたかを思い出しては凹む毎日。
但し、今と同じ世界にいるを見てる限り、
が画面越しに見た世界の彼女とは全然違う道を進んでるように見えるから、
今の傍にいるこのトーマがをどう思ってるかは分からない。
でも、シンと彼女がトーマの幼馴染だと言う立ち位置にあることからして、
無視できるような存在じゃないことだけは確かだと思う。
加えてトーマは爽やかで穏やかな笑顔の印象に反して、食えないところが色々有って、
簡単には自分の中に人を踏み込ませないようなタイプの人間だ。
そんな彼が以前より親しくなったとは言え、まさかを部屋に誘ってくれるとは思わなかった。
「さん、その辺適当に座っていいよ。俺はお茶用意するから」
「えっと、うん、分かった」
はぎこちない動きにならないよう努力しつつ、軽く頷き、
トーマの部屋の隅におずおずと腰を下ろした。
さすがに緊張する。
ここはもしかしたら監禁現場になるかもしれなかった部屋でもあるけど、この際それは置いといて。
それに別に彼としては友達を部屋に上げた位の認識なんだろうけど。
とトーマはシン程親しい仲じゃないし、と比べるなんて持っての他。
でも、多分、他の友達よりは好意を持ってるから、ここに誘ってくれたのかもしれない。
だとしたらとしてはやっぱりそれはそれで複雑だ。
・・・まぁ、何にしろどきどきしてんのは一方的にだけだろうし・・・。
彼女として初お部屋訪問☆的な話なら分かるけど、そう言う仲じゃ全くないのに、
それどころかそれ以前の問題だってのに、
一人で浮かれて緊張するのもどうだと言う話。
と言うか、今回は雨が降ってたことからこうなった訳で。
そう思うと一人であれこれ考えてどきどきしてんのがバカらしくなってきた。
そこで小さく溜息を零そうとしたの口から出たのは欠伸だった。
いつの間にか睡魔が去ってってたけど、急にまた眠くなってきてしまった。
しかも、さっきと違って腰を下ろしてるし、寒くもない。
ああ、ヤバイ、これはヤバイぞ、と思ってる間にの意識は眠りの淵に落ちていった。
◇◆◇
なんの前触れもなく、がふっと目を開けて顔を上げると、
いきなりトーマの顔が超の付く至近距離で視界一杯に広がってて、は思わずそのまま硬直してしまった。
それに気付いた彼はゆっくりから離れて小さく笑う。
「ああ、起きたんだ。さすがにそのままじゃ寒いだろうなって思って毛布かけたんだけど、
それがずり落ちてたから整えてたんだ」
「え゛!!??寝・・・!!??」
いや、驚くことじゃない。
確かに記憶が途切れる直前、メチャクチャ眠くて、瞼が重くなったことを覚えてるからだ。
「ご・・・ごめん、てか・・・どの位寝てた?」
「んー、多分1時間位かな」
「いちじかん・・・!」
好意で部屋に上げてもらっといて何て失礼なやつなんだ、自分。
「ほ、ホントごめんなさい」
「うん、確かに、男の一人暮らしの部屋に二人っきりなのに、
無防備に寝ちゃうっていうのは感心しないけどね」
トーマはそう言っての向かいに座ったまま笑顔でと視線を合わせる。
気のせいか、今微妙に彼の周りの空気が変わった。
でもあの怖い感じの時とは違うような、上手くいえないけど。
「あー、うん、ごめん・・・。反省してます」
「本当に?ねぇ俺はさんより年下だけど、ちゃんと男なんだよ?」
「それは・・・うん、分かってる。一つ下なんて殆ど変わらないようなもんだし」
と言うか、ばりばり意識してたし、寝る直前までは。
だが、まぁ、あの状況で一時間も眠ってしまってれば警戒心が足りないと叱られても仕方ない。
とは言え、悲しいことにトーマが相手に何かをするなんて思えないのも確か。
「うん、それは嘘じゃないだろうね。でもさんは油断してる。
俺がさんに手出しするはずないと思ってる」
「っっ!!??」
の心の中を見透かされたみたいなトーマの鋭い発言に、は驚いて瞳を見開く。
そうだった、トーマはこういうの鋭いんだった。
彼は本人や周囲の人が気付かないことや隠してる部分も実は良く見てる人だ。
画面越しに見てた彼のことを今更ながらに思い出しながら、
は目の前にいる本人に視線を向けた。
トーマの瞳はのどんな表情も見逃さないようにしてるみたいにジッとを捉え続けてる。
胸の心音が、速度を増した。
「さんはもっと自分に自信を持つべきだと思うよ。
それから・・・自覚した方がいいかな。
じゃなきゃ、油断してるところに付け入られて・・・・・・」
そこでトーマは言葉を切って、ゆっくりとの距離を縮める。
は状況を把握することすら出来ない位に頭の中が混乱し始めてたのに、
特に何の行動に出ることも出来ず、呆然とその様子を見つめていた。
彼の吐息がの唇に吹きかかる。
どくどくと脈打つ自分の心臓の音が一層大きくなった。
期待、してないかと言えば嘘になる。
でも心の中では「なんてね、キスされると思った?」数秒後に、そう言って笑うトーマを想像して、
その時のダメージに備えることも忘れなかった。
と言うか、そうなるに決まってると、思ってた。
のに。
「こういうこと、されちゃうんだよ?」
囁くようにそう言って、視界一杯に広がったトーマが微かに笑う。
その後すぐにと彼の唇が触れあい、更に強く押し付けられた。
「――――っ!!」
まさかの展開過ぎて、思考回路も呼吸も一瞬本当に停止した。
でもその間も確かに感じる、トーマの唇のやわらかさ。
呆然としたままのの唇をトーマは自分の唇で撫でるように動かして、そして離れた。
「な、なんで・・・」
「言ったでしょ、俺は男だって。
さっきもさ、毛布がズレてたから整えようとしてたなんて言ったけど、
本当は同じことしようとしてたんだ」
「・・・は、はい!?」
はトーマの言葉でついさっき目覚めた直後のことを思い出す。
だけどあの時トーマは本当にいつも通りで、全然慌ててる様子なんかなかった。
でもそこまで考えたところで、彼が感情を隠すのがとても上手いことを思い出した。
そうだった、トーマはそう言う人だった。
いや、でもそれとこれとは話が別で、まさか寝てるにトーマがキスしようとしてたなんて、
やっぱり信じられなくて。
だが実際、はたった今彼にキスをされてる。
「さん、別に鈍そうな方には見えないけど、
俺が何言っても俺が誘うのは全部『友達』とか『バイト仲間』だから、
で片付けられちゃいそうだったからね」
「・・・え?えっと、それは・・・」
こうまでズバズバ言い当てられると何と返して良いのか分からない。
それにさっきしたキスのことが頭の中を占めてて更に思考が正常に稼動してなかったりもする。
「俺、さんが好きだよ」
ド クン。
トーマが告げた一言に、胸の奥の心臓が大きく反応した。
まさか、どころじゃない。
こんなこと、予想外で。
予想外すぎて。
キスされたことといい、もう本当に驚き過ぎてどうしていいか分からない。
でも確実に、喜んでる自分も居て。
ただ、嬉しいって気持ちを感じるより、混乱の方が大きいのも確かだ。
「さっきのキス、嫌だった?」
「っ!」
「さん・・・」
そこでトーマがの顔を覗き込むようにして距離を縮めてくる。
は彼に気付かれないように、毛布の中の震えている手をぎゅっと強く握った。
呼吸が乱れそうになる。
息が、苦しい。
「い、・・・いやじゃ、なかった・・・」
は息を小さく吐き出すように言葉を紡いだ。
それが今のにはやっとだった。
「さん、俺のこと好き?」
「・・・・・・・・・好き、です」
たった二文字。
されど二文字。
心臓が胸を叩きつけるような勢いで鼓動を刻んでいる。
息苦しさが一層増した。
は搾り出すように言って、トーマの視線から逃げるように瞳を伏せた。
「さん・・・・・・」
の名前を呼んだ彼が、毛布ごとの体に腕を回して抱きしめる。
視線を少しだけ上げると、至近距離にあるトーマの目と視線がかち合った。
彼がやわらかく笑顔を浮かべる。
「実はもう雨は止んじゃってるんだけど、もう少し、ここに居てくれる?」
「・・・う、ん」
なんてことだ、雨のことなんかすっかり頭から抜けてた。
はトーマの言葉にぎこちなくひとつ、頷いた。
「うん、良かった・・・」
トーマはやわらかな笑顔のままそう言って、の唇に二度目のキスをした。
(END)