大学の友人達との飲み会を終え、電車に揺られて一駅。
はホームのベンチに座って小さく溜息を吐いた。
大して飲んだつもりはなかったし、居酒屋を出た時点じゃそれほど気にならなかったけど、
電車に乗ったせいか少しだけ気持ち悪い。
とは言えそれは『吐き気』と言えるほど大げさなものでもなく、
は取り合えずそこで数分休んでホームから出ることにした。
実は時間が時間だからってことで駅までトーマが迎えに来てくれることになってる。
電車の到着時刻は知らせてあるから、もしかしたら彼はもう外で待っててくれてるかもしれない。
はケータイを取り出し、彼にメールを送ることにした。
なるべく待たせないようにするつもりだけど、
今のまま顔を合わせると心配させてしまいそうだ。
特に弱りきってるって程のもんじゃないとしても、
トーマはに対してもあの過保護っぷりを発揮するところがあるから。
トイレに行った後にそっちに向かうから少しだけ遅くなるってことにしとこう。
電話だと声の口調での様子がバレてしまう可能性大なので、
手早くメールで済ませたほうがいい。
そう思ってトーマにメールを打ち始めた矢先。
「っ!」
手元のケータイから着信音が鳴り響く。
反射的にこの音楽がメールじゃなく電話だとはすぐに気付いた。
ディスプレイに表示された名前は当然のようにトーマだ。
メールで済ませようと決めたばかりだったからほんの一瞬躊躇したものの、
結局は2コールほどで慌てて通話ボタンを押した。
『さん?俺だけど、今改札前に居るんだ。もう電車の到着時刻過ぎてるよな?
さっき結構人が降りてきたみたいだったからさん探したんだけど見つからないから、
何かあったのかと思って』
「ごめん、トーマ。実は今ホーム・・・で、ベンチでちょっとだけ休んでた」
直接電話で話をするなら本当のことを言ってしまった方がいい。
トーマはきっとの下手な嘘なんかあっという間に見抜くだろう。
そうなるとその場合、逆に嘘を吐く位に気分が悪いのかと誤解されそうだ。
『休んでた?もしかして歩けない位気分が悪いのか?
ちょっと待って、駅員さんに話してホームに入れて貰う』
「あああっ!いや、大丈夫!そんな大げさなもんじゃなくて!てかもう全然平気!
少し待ってて、すぐそっち向かうし」
後数秒が止めるのが遅かったら、トーマは本当に駅員さんに声を掛けていただろう。
でもは彼にそこまで迷惑を掛けたくはなかったし、
実際数分休んであの微妙な気持ちの悪さは落ち着いていた。
それからはケータイを手元の荷物に突っ込みながらベンチから立ち上がり、
一番近い位置にあるエスカレータに向かった。
駅まで迎えに来てくれただけでも申し訳ないのに、
これ以上トーマに心配掛けることなんてしたくない。
と言うか、実は最初、
彼はが友人と飲んでた居酒屋の前まで迎えに行こうかとまで言ってくれてたりしたのだ。
はトーマがレポートの仕上げに入ってるのを知ってたし、
忙しい間もどうにかして時間を作ってくれてるのをよく知ってたから、
彼の気持ちは物凄く嬉しかったけどその話は断った。
結局、今日の夜までにはレポートを仕上げるつもりだから、
夜は駅まで来てくれるということで落ち着いたんだけど。
トーマが身内(シンと)と認めた人間に甘いのはよく分かってたつもりだけど、
まさかにまでそれを発揮してくれるとは思わなかった。
「トーマ、ごめん、お待たせ」
エスカレーターを上り終え、改札口前に居るトーマの姿を見つけると、
は小走りに彼に駆け寄った。
「さん。走って来たの?無理しなくても良かったのに。
お酒入ってる時に走ったりすると、また躓いちゃうでしょ。
気を付けなさいよ。ほら、手貸して」
そう言って苦笑しながらトーマがに手を差し出す。
年齢的には一応の方がひとつと言えども年上なんだけど、
彼からこういう扱いを受けるのは実はそう珍しいことじゃない。
特にが何もない場所で躓くと言う謎の特技を身に付けてるからか、
一緒にいる時は極力が物にぶつかったりけ躓いたりしないようにトーマは気を使ってくれる。
こういう場合、年下から子ども扱いされてることを嘆くべきなのかもしれないが、
普段トーマが親しい人間にしかこういう態度を取らないことを知ってるから、
悪い気はしなかったりするのだ。
でもまぁ、全然気にしないかと言えばそうでもないんだけど。
頼りなく見えてるんだろうな・・・。
まぁ、実際トーマの方が年相応と言うか、それ以上というか・・・。
「・・・・・・」
「さん?」
「へ?何?」
「何、って・・・。さっきから俺の手見てボーっとしてるからさ。
やっぱり酔ってる?気分悪いんだったら遠慮なんかしないで言いなよ」
「あ、ごめん、気分悪いとかじゃないから、ホント」
慌ててそう返事をし、はトーマの手に自分の手を重ねた。
「ただ、って年上にしては頼りないのかなと思って。
まぁ、ひとつなんて殆ど変わらないようなものだけど。
でもトーマともひとつしか変わらないし、
それでもトーマは十分『お兄ちゃん』してるから。
それに比べたらどうなの自分って・・・ね」
「俺がに対してお兄ちゃんとしての態度に慣れてるのは、
生まれた時から一緒にいるからだよ。シンにしてもそうだけど、
アイツらのことは必要以上に構っちゃうからね。
それに、俺は別にさんのこと頼りないなんて思ってないよ?」
トーマはと繋いだ手に少しだけ力を込め、微笑みながらを見下ろした。
彼の言うことはなんとなく分かる。
幼い頃から二人の『お兄ちゃん』的存在だったトーマは、
今でも年齢差以上の大人な対処で彼らの面倒を見てる部分があるから。
まぁ、それが度を越しすぎて、所謂過保護になってるのも事実なんだけど。
とは言え、が頼りないか否かと言うと、
自分で言うのもなんだけど、やっぱり頼りないんじゃないかと思ってしまう。
「・・・本当に?が何もないとこで躓いてても?」
「はははっ!それはまぁ危なっかしいなっていつも思ってるけどね。
足とか腕にあざ作ってるかと思ったら、どこでぶつけたかも覚えてないって言うし。
でもそれとこれとは別でしょ。
俺は、特に仕事に対するさんの考え方とか姿勢とか、
学生って言うよりは社会人っぽいなっていつも思ってたよ。
俺だってバイトだからっていい加減に働いてるつもりなんかないけど、
俺たちに比べたらさんはまだ入って間もないのに、
店長や古参のイッキさんによく相談されてるの、知ってるしね。
凄いなって、いつも思ってた」
それは多分、が以前の世界で社会人だったからだ。
トーマの言うとおり、
店長やイッキに相談と言うか一緒に考えてくれみたいなことを言われることも少なくないけど、
それもまた単にが社会人だったからその時のことを生かしているだけだったりする。
とは言え周りは当然そんなことを知る訳もなく、
だからトーマもをそう言う風に見てくれるんだろう。
何だかズルい手を使ってるみたいに思えるけど、
トーマに少しでも尊敬される部分があるなら、やっぱり嬉しい。
「・・・ねぇ、ところで、さん、さっきから気になってたんだけど・・・」
「え?」
「何で手を繋いでるのに俺から離れて歩こうとしてるの?」
「!」
手を繋いでからも肩が触れるか触れないか以上に距離を取りつつ、
なるべく不自然にならないようにしてるつもりだったけど、
トーマの目は誤魔化せなかったらしく、突然そう問われてしまった。
でも別にトーマから離れて歩きたかった訳じゃない。
ただ、余りに近付きすぎて気付かれるのがイヤだっただけだ。
居酒屋で付いた、タバコの匂いや、自身からしてるだろう、アルコールの匂いに。
仕方ないので素直にそう答えると、トーマは小さく笑った。
「ははっ、何だ、そんなこと気にしてたんだ」
「だってやっぱ臭いとイヤだし・・・」
酒臭いってのは自分じゃよく分からないけど、タバコの匂いが付いてるのは分かる。
「臭くなんかないって。ってか、そんな離れられる方が俺は嫌だな」
「・・・う、いや・・・でも・・・」
確かにトーマの言うとおり、手を繋いでるのに微妙な距離感があるのは嫌かもしれない。
取り合えずさっきより少しだけ近づいてみる。
自分からタバコの煙の匂いがしてるのはが一番良く分かってるから、
どうしてもいつもと同じ距離までは近づけない。
「さん」
「わっ!?」
トーマはの名前を呼んだと同時に繋いだ手をグイっと力強く引き寄せた。
不意を突かれたはそのまま彼の胸元に頬の辺りを軽くぶつける。
更に足元がふらついてよろけてしまい、慌てて空いた片手でトーマの腕を掴んだ。
「と、突然、なに!?」
「さんが中々近づいて来ないから、俺のほうから動いて見ました」
しまった!こんな至近距離だともろにトーマに匂いに気付かれてしまう!
いや、しまったと言うかとっくにタバコの匂いやアルコールの匂いには気付かれてしまう距離ではあったけど、
それでもここまで密着するとやっぱり焦る。
が一人でわたてる間にトーマは繋いでいた手をゆっくり解いて、の背中に腕を回した。
「さっきも言っただろ、臭くなんかないって。さんはいつでもいい香りがするよ。
俺は大好きだな、さんの匂い」
「ぶっ!な、何イッテンノ!」
「はははっ!ま、とにかくさ、さんが気にしてるほど、俺は全然気にしてないってこと。
これもさっき言ったけど、それより俺はさんと離れてる方が嫌だね。
それでなくても今日はレポートのせいで今まで会えなかったんだし」
「・・・トーマ」
「本当はね、やっぱり駅までじゃなくて居酒屋まで迎えに行っちゃおうかと思ってたんだ。
でもそれだときっとさんはまた俺に迷惑掛けたって気にしちゃうだろ。だから我慢したの」
そう言ったトーマはを抱きしめたまま、の肩口に顔を埋めた。
既に住宅街に足を踏み入れてた達の周りに人気はない。
時間帯的にも十分夜といって差し支えない頃だった。
の頬をトーマのやわらかい髪が軽くくすぐる。
は片手を上げてそっとその彼の頭に触れた。
「・・・・・・ありがと、トーマ」
感謝の気持ちを込めてそう口にしながら、彼の頭をゆっくり撫でる。
「ふっ、俺が頭撫でられるなんて、何か変な感じ」
「どっちかって言うと撫でる方っぽいしね、トーマは。あ、やっぱこういうのやだった?」
そこでが慌ててトーマの髪に触れていた手を離そうとすると、
それより一呼吸早く彼が言った。
「やじゃないよ。全然嫌じゃない」
「・・・そっか、良かっ・・・」
た。
と、最後の言葉を口にしようとしたところで、トーマがの肩口に押し付けていた顔を上げ、
至近距離での視線を捕らえた。
どくりと、分かりやすくの心臓が跳ねる。
「ねぇさん、俺はさ、本当はもっとさんに頼って欲しい位なんだよ」
「え?・・・いや、でもトーマには十分頼ってるって言うか、頼りすぎてるっていうか・・・」
「そんなことないって。さっきも言ったけど、さんは自分が思ってるよりしっかりしてるよ。
だから悔しいってかさ・・・、男としてもっとちゃんとしなきゃなって思ってる」
「これ以上しっかりされたら頼りきりになるよ」
「はははっ!さんは口ではそう言っててもそんな風にはならないよ。
・・・、って言うか俺には迷惑かける位で丁度いいって思っててくれた方がいいかな。
俺はその方が嬉しい。その分さんが俺に近づいてくれてるって気がしてさ」
それはつまり、遠慮し過ぎるなと言ってるんだろうか。
まぁさすがに、それをそのまま受け止めることは出来ないけど。
そこまで言ってくれるその言葉が、彼の気持ちが嬉しい。
「・・・甘やかしすぎ」
「うん、俺、大事な人には甘いよ?」
トーマは冗談めかしてそういって、ふっと微笑んだ。
間近で見る彼の笑顔は柔らかく、優しい。
はこのトーマが別の世界で、別の次元で、特別な人のために歪んでしまった姿を知ってる。
そして多分、今目の前に居る彼も根本は同じで、
もしかしたら何かの拍子で同じ道を辿ることになるかもしれないことも分かってる。
それでもやっぱり、離れたいとは思えない。
思わない。
「・・・さん」
「・・・」
名前を呼ばれたと同時に、とトーマの唇が重なる。
やわらかく押し当てられただけのキスが、の唇を割って侵入したトーマの舌で深くなる。
ぬるりと口内を這い回った彼の舌は、の吐息を絡めとり、一緒にの舌を捕らえた。
アルコールが残ってるからって理由だけじゃなく、体温が上がってる気分になる。
特にトーマとキスしてる唇や口内は妙に温度が上がってるとしか思えなかった。
アルコールよりもトーマのキスの方がの意識を奪うには有効なのかもしれない。
馬鹿馬鹿しいと分かってても、そんな錯覚に陥る。
お互いの口内で少しずつ量を増す唾液が混じりあい、
独特の弾力を持った舌が生き物みたいにを翻弄した。
「・・・トーマ」
「何?」
「・・・今日は・・・トーマの・・・」
今日はトーマの部屋に行ってもいい?
キスの合間にそう問いかけようとして、結局最後まで言葉に出来ずには目を伏せた。
さすがにこれは恥ずかしすぎる。
恋人同士なんだし、今更恥ずかしがる仲でもないのは分かってんだけど、
さっきまで結構真面目(?)な話をしてたはずなのに、と思うと何だか妙に羞恥心が膨れ上がった。
「・・・今日は当然俺の部屋に泊まって貰うよ。
・・・足元ふらついてる酔っ払いが誰も居ない家に一人きりなんて危なっかしすぎでしょ」
「!」
吐息が重なる至近距離。
どこか悪戯っぽく笑ったトーマはそう言って、
だけど同時にいつもの爽やかさからは考えられない妙にどきりとする艶やかな仕草で瞳を細めた。
昨日から両親は2泊3日の温泉旅行中で、トーマにはそれを伝えてあった。
ああ、やっぱりそうだ。
トーマに頼りきりなのも、そしてトーマに敵わないのもいつもの方だ。
内心苦笑しつつ、は小さく頷いた。
(END)