大学から帰宅途中にあるとある雑貨店の中の片隅。
は化粧品売り場で足を止め、二色の口紅を前に一人睨めっこをしていた。
今使ってる口紅がそろそろ無くなってしまうってのもあるけど、
今の無難な感じの色とは違う、新しい色の口紅が欲しいなと思ってたところだ。
そこでお気に入りのブランドの化粧品が20%OFFになっているのを目にし、
どの色のものを買うか選んでるんだけど、あれでもないこれでもないと考えた結果、
最終的に残った二色。
右手に持った1本は色は気に入ってるんだけど、が使うにはちょっと可愛らしすぎるピンク系、
左手にあるもう1本はオレンジ系に近いけど唇の色に馴染みそうな自然な色合いのものだ。
後者は今持ってるものと何となく似た系統のものだから安心と言えば安心かもしれない。
でも、今回は新しい色に挑戦してみようと思ってたところだから、右手の口紅にするべきか。
なんてことを真剣に考えてると、不意に後ろにスッと誰かが立つ気配がした。
ほんの一瞬、店員さんが来たのかもしれないと思ってぎくりとしたけど、
そうじゃないことはすぐに分かった。
「右の口紅の色可愛いね。君にもきっと似合うんじゃないかな?
左も悪くは無いけど、そっちは君、同じ感じの色を持ってるでしょ」
「イッキさん!」
の背後に立ったのはイッキだった。
彼は青い手袋を嵌めた手で、の持っている右の口紅を指差している。
顔だけ振り向くと、予想以上に近い距離からイッキが覗き込んできてるのが分かって、
一瞬呼吸が止まりそうになってしまった。
「ど、どうしたんですか?こんな所で・・・」
例の体質のこともあり、イッキは基本的に女の子が多そうな場所には余り足を運ばない。
瞳の力が働かないように外出する時は殆どいつもサングラスを掛けてるようだけど、
それでもうっかりサングラスを外してしまったり、
どうしても外さなきゃならない場合が出来た時のその後の面倒なあれこれを考えて、
必要な時以外は自分からはなるべく明るくて人気の多い所には向かわないようにしてるみたいだ。
だから今ここでまさかイッキに声を掛けられるなんて思わなかった。
まぁ勿論、他の誰でも驚くとは思うけど、イッキ相手だと尚のことって意味で。
「この店の前を通ったら丁度君の姿が見えたからさ。
本当はケンと一緒だったんだけど、アイツは本屋に用事があるって言ってたから、
ここで分かれたんだ」
「そうだったんですか」
「ねぇ、それよりもその口紅、どっちか買うつもりなの?僕はさっき言った通り右の方がいいと思うよ」
「一応、買う気満々ではあるんですが・・・、
えっと、この右のヤツってちょっとには可愛すぎる気がして」
「そうかな?僕はこの色、君の可愛い唇にはきっと似合うと思うけど」
こっ、この人はまたそう言うことを・・・!
彼の場合、イケメンだからって理由だけじゃなく、
『イッキだから』って理由である程度こっ恥ずかしい台詞も様になるところが困る。
普通なら引いてしまいそうな台詞も、イッキが口にすると妙に甘ったるく聞こえる。
彼がだけにこんなことを言ってくれてるとは思わないけど、
それでも浮かれそうになる。
それにイッキは左手に持ってる口紅の色を見て、が同じような色を持ってるってことも知ってた。
こうして口紅の色を見るだけなのと、唇に着けた時じゃそれが似たものなのかどうかってのは、
男の人なら特にすぐには分からないだろうに、
そんなことまで気付いたイッキはやっぱり女慣れしてるんだなと思う。
もともとマメな部分もあるし、
そう言う細かい部分に気付いてくれることに大体の女は弱いもんだ。
画面越しに見てる以上に、こうしてリアルに接すると、彼がモテる理由が分かった。
イッキは自分の人気は瞳の力のせいだと思っている部分が大きいんだろうけど、
そうじゃなくても彼は十分魅力的だ。
実際、サングラスをして、しかも極力人の居ない方向に体を向けてるみたいなのに、
彼の後方から女の子達の視線が集まってるのが分かる。
そりゃ、これだけ綺麗なモデル体系男子、滅多にお目にかかれないだろうから、
彼女達の気持ちも分からないでもない。
だからこそ、瞳の力が皮肉に思えるのだけれど。
「じゃあ、イッキさんもすすめてくれたことだし、右の色にチャレンジしてみます」
「うん、早く君がその色をつけたところを見てみたいね」
「ははっ、どうも。それじゃあちょっとレジに「あ!」
行ってきます。
と言う言葉を遮るように、そこで突然イッキが何かに気付いたみたいに声を上げた。
はレジのある方向に向かって一歩踏み出した足をそこで止める。
イッキを見上げると、彼はレジを指差して続けた。
「ここのレジ、今は男の店員さんが居る」
「え?はい、ですね。でも雑貨屋さんだし、別に珍しくないですよね」
ここは化粧品売り場があるとは言え、本格的に化粧品だけを取り扱ってる店とは違う。
他にもインテリアやバッグ、文房具なんかも売ってる。
そう言う店で男性の店員さんが居るのは特に珍しくも無く、普通のことだ。
と、そこで不意に、がこれから買おうと思っていた例の口紅を、
イッキがひょいっとの手から奪った。
「っ?え?」
「良かった、僕が買いに行っても大丈夫そうだね。は店の外で待っててくれる?」
「え?え?ええっ!?いや、あの、イッキさん!?」
驚くを余所に、イッキはにこりと微笑みを浮かべ、
そのまま颯爽とレジに向かって歩いていった。
は数秒の間呆然とその様子を眺め、それからわたわたと一人、慌てる。
これはもしかして、いや、もしかしなくてもイッキは、
あの口紅をにプレゼントしてくれようとしてるんだろうか。
でも何でそう言う流れになったのか全く分からない。
既に支払いを終えてしまった今レジに出て行くのはイッキに失礼だろうから、
店から出たら彼にお金を渡そう。
なんて思ってると、そのイッキが綺麗に包装された口紅片手にこっちに戻ってきた。
「店の前で待っててって言ったのに、どうしたの?」
「すみません、でもお金払わなきゃと思いまして」
「そんなこと気にしなくていいんだよ。とにかくまずはここから出ようか」
言って、イッキは青い手袋の掌でぽんっとの頭を軽く叩いた。
周囲にさっきより女性客が増えてきてるから、早く店を離れたいのかもしれない。
は軽く頷いて、イッキと一緒に店を出ることにした。
「イッキさん!受け取って下さい。
元々その口紅は、が普通に買う予定だったものなんですし!」
「いらないって言ってるでしょ。僕が好きでプレゼントしたんだから、
君こそ受け取って下さい」
「いやいやいや、だからってそう簡単に・・・」
他のものでもそうだけど、口紅なんて意味深過ぎて受け取れない。
このまま素直にこれを受け取ってしまったら、
きっとはこの口紅を使うたび、必ずイッキにプレゼントされたことを思い出すだろう。
「じゃあこうしようか、このプレゼントのお礼代わりに、ひとつだけ僕のお願いを聞いてくれるかな?」
「え?いや、でも・・・」
「お金は受け取らないよ。
っていうか、本当はお礼もいらないんだけど、それだと君が納得してくれそうにないし、どうする?」
「・・・分かりました、って言っても、に出来ることなんて限られてると思うんですが」
が出来る範囲のことがこの口紅のお礼に釣り合うことだとも思えない。
でもきっとイッキはこれ以上譲歩するつもりはないだろう。
ここで彼にお金を押し付けるなんて真似するのも失礼だし、ここはこの申し出を受け入れるしかない。
こういう場合、少女マンガなんかでお約束としてよくある流れはセクハラ的な流れだが、
相手にイッキがそんなことを言い出すとも思えないので安心だ。
いや、待て、逆にイッキだからこそあり得るのかも知れない。
「・・・・・・」
「ふっ、そんなに不安そうな顔しなくても、別におかしなことは頼まないよ」
「は、はは、デスヨネー」
「おやおや、僕は随分と信用ないんだな。まぁ、警戒されるって言うのは男としてはいいことだよね。
じゃあ、早速お願いしようか、ちょっとこっちに来てくれる?」
何処か意味深な笑顔を浮かべた彼はそう言って、の手を取る。
同時に手袋越しにイッキの掌のぬくもりを感じてどきりとした。
こんな誰が通ってるかも分からない人通りの多い場所でこんなことして、
万が一FCのコにでも見てたらシャレにならない。
とにかくイッキの言うとおりにして、さっさとこの場から離れよう。
は素直に彼の後に従った。
(続く)