「乱君!乱君!見て、これ今回結構完璧じゃない?」
「ん?あ、ほんとだぁ、綺麗に出来たね」
はマニキュアを塗って乾かし終えたばかりの左手を、
乱君に爪がよく見えるように差し出して見せた。
練習代わりに塗った真っ赤なマニキュアは色むらもなく均一で、爪の形も事前に整えただけあって、
自分で言うのも何だがかなりいい感じだ。
「これなら清光君に怒られないと思う?、ラスボスに勝てる?」
「うん、うん、勝てる勝てる!・・・あれ?でも・・・「ありがと、乱君!ちょっと行って来るわ!」
乱君にお墨付きを貰ったことで、は益々はしゃいで足取り軽やかにラスボスこと清光君の所へと向う。
マニキュア程度で何をと言われるかもしれないけど、にとっては大事なことだ。
髪や化粧、洋服なんかにそれなりに気を使ってはいたものの、
実は今までネイルの方には余り目を向けてなかった。
手荒れを防ぐ為のクリームを塗ることはあったけど、基本的に爪は気になる長さになったら切るって程度。
仕事上爪を伸ばしすぎるのも何だし、興味がなかった訳じゃないけど、
この年になるまで実はマニキュアを使ったことがなかった。
そのことを話したら、ある時マニキュアを塗り直してる清光君に、主も試しに塗ってみればいいと言われ、
その場で彼の使ってたものを自分の爪に塗ってみた。
―――んだけど。
『うわ、何、そのボロボロって言うか、血みどろみたいな塗り方。あり得ないでしょ、それは』
『くっ、そんなハッキリ!いや、でも、うん、自分でもビックリしてるけど酷いね』
『ちょっともっとよく見せてみな。ああー・・・、見れば見るほど酷いな』
『いやいやいや、それは分かったから!もっとこうさ、アドバイスとか』
『んー、爪の形もいいし、手も綺麗なんだけどなぁ。主の場合、ネイルケアから始めた方がいいかもね。
仕方ないから俺が教えてあげる』
と言う訳で、が初めて塗ったネイルカラーは、清光君曰く「血みどろ」だった。
まぁ確かに、自分でもどうしてこうなったってレベルじゃあったけれども。
それから彼は爪の形を整える方法や、甘皮の処理、爪の凹凸をなくすやり方なんかをあれこれ教えてくれた。
何と言うか、知ってたけど、より女子力というやつが高くてある意味とても勉強になった。
ただ、清光君はああ見えて何気にスパルタで、まさにびしばし指導された。
そのおかげで、最初の頃よりは随分ネイルケアの仕方も身について、
以前に比べて手の甲や指先はより清潔感があって綺麗に見えるようになったから、感謝はしてる。
肝心のマニキュアも、初心者用のコツを教えてもらって何度か練習する内に随分上達したと思う。
そう、今回特に完璧に。
と言うか、最近気付いたんだけど、側に清光君が居るとどうしても手元に集中できなくなって、
緊張して手が震えて失敗するパターンが多かった気がする。
向こうはそんなこと全く頭にないんだろうけど、何と言うか、
彼との距離が近すぎてそわそわしてしまうのだ。
要は、が勝手に清光君を意識して失敗してる訳だけど。
だがしかし!今日は本当に合格点イケる。
「清光君、居る?」
「居るよ、どーぞー、入っちゃって」
清光君の部屋の前でが声を掛けると、そう返事があったので、は遠慮なく襖を開けた。
彼は丁度鏡の前で髪を整えた直後のようだった。
燭台さんとはまた違う方向だけど、清光君も身嗜みと言うかお洒落には気を使う性質なので、
(特に主であるの前では完璧で居たいようだ)ある意味タイミングが良かったかもしれない。
が彼の部屋に入ると同時に、振り向いて笑顔を見せた。
「なに?どうしたの?」
「見て、これ。今回は自信あるから」
言って、は彼の側まで近寄って左手の爪を見えるように差し出した。
真紅の色をしたネイルカラーは色むらなく艶やかにの指先を彩ってくれている。
「お!綺麗じゃん。しかも俺とお揃いの赤にしたんだ?まぁ、色が濃い方が塗り易いからな」
清光君はそう言いながらの左手を取ってその指先を観察するように見つめる。
彼の行動に一瞬内心どきりとして、は思わずぎこちない動きになったんだけど、
彼は全く気付いてないようだ。
意識してるのはだけだと思い知らされてるような気分になって、少し悔しい。
これは今だけに限ったじゃなくて、いつだってそうだ。
でもだからって、付喪神である清光君に意識して貰えないことに苛立つなんて、
もどうかしてる。
「・・・・」
「最初の血みどろに比べたら全然いいじゃん。
これなら・・・、・・・あれ?でもさ、これ左手だけだよな、右手は?」
「・・・・・」
「ねぇ主、ちょっと、聞いてんの?」
「え?ああ、ごめん、右手ね、みぎ・・・・・・・」
数秒ぼんやりしてるところに清光君に声をかけられて、はハッとして意識を戻す。
それから自分の右手にちらりと視線を移した後、思わずそれを引っ込めた。
忘れてた、右手のこと。
「・・・分かり易すぎ。失敗したんだ?」
「左手完璧だよね」
「そうね、でも今俺がしてんのは右手の話なんだけどね」
「うっ」
目の前の清光がいつも見せる可愛らしい笑顔ではなく、底意地の悪い笑みを浮かべてを見てる。
彼は未だにの左手を握ったままだが、更にそのまま「はいはーい、右手出して」と促してきた。
仕方なくは渋々それに従う。
「右手は脱・血みどろならずかー」
「これでも努力したんです」
の利き手は右手だが、左手ほどじゃなくても両利きになれるよう努力した甲斐あって、
多分、一般的に右利きの人よりは上手く左手も動かすことが出来ると思う。
清光に利き手にマニキュアを塗る時は机に手を付いてやるとやり易いと聞いてたから、
勿論それもちゃんと実行した。
そして確かにその方が普通より遥かにやり易かったんだけど、
だけどそれでも、マニキュアの小さな刷毛を使いこなせなくて。
「・・・清光君のネイル・・・が塗りたかったんだけど」
「え?」
溜息混じりに呟いたの言葉に、彼は少し驚いたように瞳を軽く見開いた。
は思わず苦笑する。
「えっと、綺麗に塗れるようになったらって思ってて。今回左手完璧だし、いけるかなとか」
「・・・・・・」
「すみませんでしたなんでもないです」
無言でを見つめ続ける彼の視線に耐え切れず、は彼から目を逸らして言った。
どっちにしろ、右手のこの有り様を見られた後じゃ、
清光君がに塗らせてくれたりするはずがない。
なにゆえ好き好んで血みどろの指先にされなきゃならんのだって話だろう。
と言うか、よく考えたら、いや、よく考えなくても、もし彼の爪にマニキュアを塗ることになったら、
それこそ緊張しすぎて手どころか体全体震えてしまいそうだ。
「自分で利き手に塗るのと他人相手に塗るんじゃ感覚全然違うと思うけど」
「え?あ、そだね。じゃあ誰かに練習代になってもらった方がいいかな」
確かに彼の言う通りだ。
自分で自分の爪に塗るのと他人に塗るのとじゃ勝手が違ってくるだろう。
しかし、この手の練習代になってくれる相手となるとやっぱり限られてくる。
ぱっと思い浮かんだのは、より格段に女子力の高い乱君と次郎さんだけど、
女子力が高いゆえにお洒落にこだわりのある彼らだ。
『練習代』なんぞで自分の手を使われるのは嫌がりそうな気がする。
「あのさ、そこでどうしてそうなるわけ?」
「うん?」
何故か少しイラついたように清光君に問いかけられて、は驚いて彼に視線を向ける。
そう言えば、すっかり忘れてたけど何か結構長い間両手を握られたままだ。
そこでは咄嗟に手を引こうとしたけれど、彼はそれを許してくれなかった。
「っ!?」
「塗ってくれればいいじゃん、俺の爪」
「え?けどまだ完璧じゃないし、嫌じゃない?」
「・・・別に。どうせ練習するんでしょ。だったら俺使えばいいんじゃないの」
「練習も本番も清光君ってこと?何か違わないか、それは」
「違わない」
なんだろう。
もしかして知らない間にが彼の機嫌を損ねてしまったのか。
清光君は普段ゆるい雰囲気を纏っててどこか捉えどころがない感じで、
実は喜怒哀楽を分かり易く伝えてくれることは案外少ない。
それでも付き合いが長くなるにつれて、以前に比べて色々な面を見せてくれるようになった。
そして今なんだけど、途中まではかなり機嫌がいいように見えたのに、
今は何だかムッとしてるみたいだ。
と言うか、これは拗ねてるのか。
でもだとしたらその理由がイマイチ分からない。
「練習と本番一緒だと、綺麗に塗れる自信ないかも」
「もしもーし、主、さっきと言ってること違うんですけど?
左手綺麗に出来たから、俺に見せに来たんだよな。
でさ、俺のネイル塗ってくれるつもりだったんじゃないの?」
「・・・ま、まぁね」
それはその通りだ。
その通りなんだけど。
「だったらいいじゃん」
の手を握ったままの清光君がそこでずいっととの距離を狭めた。
手を取られたままだって気付いてから、落ち着かなくて仕方ない。
戦場に出て戦い続けてるその手は、そんな殺伐とした空気に数え切れないほど晒されながら、
色白でなめらかで、本当にの手よりずっとずっと綺麗だ。
だけどの手よりも大きくて、硬さがあって、その指の感触も男の人のもんなんだと良く分かる。
「いい、んだけど、よくないって言うか」
「嫌なの」
「えっと、そうじゃなくて」
「?」
「・・・き、緊張するから・・・、てかいつもしてるんだけどね」
「緊張?俺に?何で?」
「・・・・・・・・・・」
返事に詰まって数秒俯いていると、清光君がの顔を下から覗き込んできた。
「主・・・、あのさ、もしかして・・・」
「な、何?」
「俺のこと、意識してんの?」
「・・・、・・・・・、・・・・っっ!!!!!!」
不意を突かれたと言うか、寧ろ突然図星を指され、は思わずぎくりと体を強張らせた。
咄嗟に表情を繕うことも出来ずに、ひいいいいいっという顔を思いっきり彼の前に晒す。
「ち、ちがっ」
こんなに分かり易く反応しといて、往生際の悪いはそれでも否定の台詞を口にした。
心臓が全速力直後並に脈打ってるし、体は小刻みに震えてるし、
何と言うか否定した分だけ肯定してるのが丸分かりだ。
と言うかこの流れこれ自爆か。
自爆だろ。
「俺はしてるよ」
「・・・・え?」
「俺は・・・意識してる」
またまたしても、は清光君に不意打ちを食らう。
はぽかんとして、いつの間にか随分距離を詰めてきてた彼の顔を見つめた。
彼はその間にゆっくりに顔を寄せ、あの艶やかで血色のいい、
まるで花弁みたいな綺麗な唇をのものにやわらかに重ねた。
「っ!」
「・・・・・」
瞬間的に、は無意識に呼吸を止め、瞼を閉じることもせずに無抵抗にそれを受け入れる。
正直、驚きすぎて頭の中は真っ白だった。
それでも、清光君の唇の温かさや弾力はしっかり感じてる。
彼はの上唇を軽く吸い、そしてまたゆっくりから離れた。
「変なところで鈍いんだよなぁ」
「・・・清光君・・・?」
「なに?」
脳内がパニックの嵐で実はもう思考がまともに回ってない。
はまだ間近にある彼の綺麗な顔を直視できなくて、物凄い勢いで目を泳がせていた。
もうこの場合、泳ぐというより溺れてんじゃないだろうか。
「えっと・・・、い、意識してるって・・・」
「うん」
「その、そういうことデスカ?」
そういうこととはどういうことだ、なんて頼むから聞かないで欲しい。
今は何もかもにも驚きすぎて、まともな返事なんて出来やしない。
清光君は目元を僅かに赤く染めて、それからふっと小さく笑った。
その拍子に、彼のその吐息がの肌をゆるく撫でていく。
「そうですよ、そういうこと・・・。だから、主の手で俺のこと可愛くしてよ。
俺も主のこと、もっと可愛くするからさ」
「・・・清光君・・・」
「返事」
「・・・はい」
が頷いたと同時、清光君がの腰に両腕を回す。
「今度一緒に主に似合うネイルカラー探しに行こ。
俺、パステル系とか似合うと思うんだよねぇ。
あ、でも淡い色ってさ、濃い色より何気に塗るの難しいから、俺が塗ってあげる」
笑顔でそう言った彼に、も同じく笑顔で応える。
「楽しみにしてる!」
単純で現金なはついさっきまでの激しい動揺とパニックも忘れ、自分からも彼の体に手を伸ばした。
細身に見える清光君は、だけどこうして密着すると、やっぱり男の人だ。
そこで再度、彼の綺麗な唇がに近付いてくる。
は今度は静かに瞼を落とし、その唇を迎えた。
まぁそんな訳で、結局は、ラスボス様には勝てなかった、とさ―――
(了)