お風呂に入り終えて自室に戻る途中。
庭に面した長い廊下を進みながら、は何気なく空を見上げた。
濃紺色の夜空に薄い雲が幾つか浮かび、
の居た世界じゃ普段滅多に見られそうもない程沢山の星が輝いてる。
地上に余計な明かりが少ないせいか、星の数も多く見えるような気がした。
『審神者』としてこの地に来たばかりの頃は、とにかく毎日必死で空を見上げる余裕もなかった。
あの頃はどんなに失敗が重なっても、順調にことが運ばなくても、
ある意味ナチュラルハイな状態で、勢いで突っ走れる部分が多かったもんだ。
こんな未熟者の主でも、刀剣の皆が支えててくれたってのも大きい。
不意にそこでの居る場所から少し離れた所から、複数の少年の笑い声が聞こえた。
多分、藤四郎兄弟達だろう。
ここからだと何を話しているのかは聞き取れないけど何だか楽しそうだ。
「・・・・・・」
は無意識に小さく微笑んで、それからまたぼんやりと空を仰いだ。
この城も最初に比べれば仲間も増えて、随分賑やかになってきた。
とは言え、まだまだ問題は山積み、先は長い。
は、と、そこでは思わず溜息を零す。
ここでの生活や仕事に慣れてきたこともあってか、気が緩んでしまったのかもしれない。
最近妙に失敗が続く。
しかもそれを最初の時みたいに、上手くやり過ごして受け流すことが出来ないで居た。
刀装も鍛刀も、そして手入れも。
自分の失敗がそのまま自分にしか影響がないんだったら自業自得で済まされることだ。
でも、この仕事はそうはいかない。
の失敗が、そのまま彼ら『刀剣』達に大きく影響してしまうことだって少なくない。
下手をしたらの指示ひとつで彼らの命運を左右することだってあるのだ。
だから次こそそれを取り戻そうとそれなりに力んで集中して仕事を始めるんだけど、
そうすると今度は変に力みすぎてまた失敗。
有り得ない、負のループ。
こんなことで立ち止まって、うじうじしてる場合じゃないのに―――
「大将」
「わぁっ!?」
物思いに耽りすぎて周囲に全く気を回してなかったは、突然声を掛けられたことに大げさに体を震わせた。
背後から声を掛けられたのならまだしも、相手は真正面に近い位置に立っている。
さすがにビビりすぎだろ、と心の中で自分にツッコミつつ、は慌てて視線を声の主へと向けた。
「おいおい、そんなに驚かせちまったか?」
案の定、彼、薬研藤四郎は呆れたように苦笑している。
「ごめん、ちょっと考え事してて」
「・・・そうか。だが、見たところ湯浴みの後だろう。今夜は比較的温かいが、
こんな所に長く居たら体を冷やしちまうぞ。早く部屋に戻った方がいい」
「うん、ありがと、薬研君」
笑顔がぎこちなく見えないように努力しつつ、は彼にそうお礼を言った。
短刀である薬研君は外見はどう見てもよりずっと年下の少年だ。
正直体全体の線もより細そうに見える位の色白の美少年だったりする。
だけど、内面はなんかよりずっと大人だし、何よりビックリするほど男前。
藤四郎兄弟は人数が多いけれど、その中で彼が戦場育ちだってこともその理由かもしれない。
彼は兄弟だけでなく、誰に対しても面倒見もいいし、平等な態度で接する兄貴肌でもある。
そして相手の様子を察する勘も鋭くて。
ここで余り長く話をしてると、今のが落ち込んでて、
しかも更にそこに穴掘って落ちてこうとしてるのに気付かれてしまうかもしれない。
主思いで優しい彼に変に気を使わせたくなかった。
ここのとこ薬研君とこうして二人だけで会話をする機会がなかったから、
本当ならもっとこの時間を大事にしたいんだけど、今のの状況じゃそれは避けたほうがいい。
幸い彼も部屋に戻った方がいいといってくれたばかりだし、話の流れとしても不自然じゃないだろう。
「じゃあ、、戻るね。おやすみ」
「ん?あぁ、おやすみ」
良かった。
どうやらこのまま普通に分かれることが出来そうだ。
そう思って、が再び廊下を進もうとした時、薬研君がを引きとめた。
「そうだ、ちょっと待ってくれ、大将」
「え?」
「明日なんだがな」
「うん?」
「遠征部隊が戻るまでの間、明日一日はここに残った皆は休んでいいと言っていただろう」
「あ、うん、言ったね」
薬研君の言う通り、明日は一日皆にお休みを取ってもらうことになってる。
今遠征に出ている刀剣達が戻ってきたら入れ替わりに城に残った方の面子が遠征に出る予定になっているからだ。
遠征部隊の彼らには本丸帰還後あれこれ報告してもらってから休んで貰おうと思ってる。
特に今ここに残っている面子は連日戦場に向かっているし、遠征前にゆっくり休んで疲れを取って欲しかった。
「だったら、明日は少し俺の気分転換に付き合ってくれないか?」
「え??」
「ああ。なに、そう時間は取らせん。ちょっと近くで散歩がしたいだけだ。
久しぶりに、戦場以外の外の空気を吸いたいと思ってな。どうだ?大将」
「う、うん、で良かったら」
おーまいがっと。
何を言っているんだ、は。
ついさっき、ほんの数十秒前まで薬研君に自分の落ち込みっぷりを知られないようにとさっさとここから立ち去ろうとしてたのに、
彼からの申し出に、考えるより先に返事をしてしまっていた。
明日は皆に休んで貰ってる間に自分の仕事を進めておこうと思ってたし、やることが全くない訳じゃない。
だけど今の所どれも朝のうちに済ませられそうなものばかりだ。
薬研君は気分転換だと言った。
それは今のにもきっと必要なことだ。
とか何とか自分に言い訳をして、は彼に視線を向ける。
薬研君は幼い少年には不似合いな、けれど彼にはとてもしっくりくる、大人びた笑みを浮かべて頷いた。
「ふっ、大将がいいんだ。それじゃ、明日な。引き止めて悪かった」
□■□
翌日。
予定通り朝の内に仕事を終わらせたは、昼食後に出かける準備をして薬研君の部屋に向かった。
普通に散歩するだけなのは分かってるんだけど、何だか妙に支度に力を入れてしまった自分が居る。
城内でも身嗜みに厳しい燭台さんが居るから、余り気を抜けなかったりするけど、今回はそれとは何だか違う。
(因みに燭台さんは遠征中だ)
派手な着物を選んだつもりはないが、これはこれでお気に入りのものだし、
厚化粧にならない事を注意しながらいつもより丁寧にメイクした。
散歩だ、あくまでも散歩。
分かってる。
彼も大して時間は取らせないと言ってたし、多分短時間でここに戻ってくる予定のはず。
分かってても、実は昨日はあれからそわそわして落ち着かなくて、結局いつもより遅い時間に就寝した。
これはもしかしてもしかしなくてもは結構浮かれてるんだろうか。
昨日まで頭から地面にめり込んでる勢いで落ち込んでたのに、何てヤツだ、。
我ながら呆れる。
そして同時に思い出してしまった。
いや、決して忘れてなんかなかったけど、が失敗製造機に成り果ててたことを。
そこでまたしてもマイナス思考の波に飲み込まれそうになる。
は一度目を閉じて、それから視線を前方に向けた。
いいじゃないか、別に。
だからこその気分転換だ。
はしゃぎすぎるのも微妙だけど、沈んだ顔で薬研君に会いに行くのは誘ってくれた彼に失礼だ。
自然に、あくまでも自然に。
「お、大将、丁度今向かおうとしていたところだ。わざわざ足を運ばせて悪かったな。
出かける支度は出来たのか?」
薬研君の顔を見ると、意識せず力が抜けた。
近場で短時間とは言え城を離れることになるので、一応近侍に一言伝えてある。
後はもう出かけるだけだ。
「うん、薬研君は?・・・ってどうかした?」
彼は何故か観察するような視線でをまじまじと見ていた。
部屋を出るときにあれこれチェックしたつもりだったけど、
もしかしてどこかおかしなところがあっただろうか。
ちょっと焦ってあたふたする。
「ん?い、いや・・・、なんでもない。・・・俺はいつでも出られる。
大将がいいのなら、今すぐにでもな」
ほんの少し間があったのが気になるけど、薬研君はもういつも通りだ。
はホッとして頷いた。
「そっか、それじゃ、行きますか。てか、ちゃんと聞いてなかったけどどこに行くの?」
「ははっ、それは着いてのお楽しみってやつにしとこうや。だが、きっと気に入ると思うぞ」
そう返事をした彼がニヤリと笑う。
よく分からないけど、単に町に出るという感じじゃなさそうだ。
まぁ、場所的には近いところらしいので、彼の言う通り楽しみにしていよう。
□■□
薬研君が連れて来てくれた場所に到着した途端、は瞬間的に言葉をなくしてただその光景に見蕩れていた。
そこは、美しい桜の木が幾つも立ち並ぶ並木道。
ひとつひとつの桜の木がその花の清純な艶やかさを競うように見事に咲き乱れている。
今が満開か、そうじゃなくてもその一歩手前ってところだろうか。
ひらひらと舞い落ちている薄紅色の花弁、その一枚取っても本当に綺麗だ。
その上この桜の木の数。
快晴の青い空に桜の色が鳥肌が立つほど良く映えて、幻想的な美しさが際立って見える。
「す、・・・すご・・・」
「どうだ、大将、気に入ったか?」
「う、うん、もう、何て言ったらいいのか分からないけど、凄く綺麗・・・!
本丸の庭の桜も立派だけどこの数でこの桜は圧巻だね!こんなに近くにこんな場所があったなんて知らなかった」
こんな分かり易くありきたりなことしか言えない自分の語録の残念さが情けなくなるが、
とにかく本当に美しい場所だ。
桃源郷ってやつが本当にあるなら、こういうところなのかも、なんて考えてしまう位に。
「実は俺もつい最近、宗三殿に教わったばかりでな、直に見るのは初めてなんだ。
俺には雅というのはよく分からんが、こういうのがそうなんだろう。
話に聞いていた以上に見事なもんだ」
そう言った薬研君が微かに瞳を細めて唇で孤を描く。
はそれに頷いて答え、それから再度、桜に視線を向けた。
桜の花を揺らす風は穏やかで、日差しもやわらかい。
ひらりひらり。
踊るようにして優雅に着地する薄紅色の花弁、桜吹雪。
この場に居るだけで、ほんの少しの間だけ、戦のことを忘れてしまいそうになる。
そこではハッとして、隣に立っている薬研君に気付かれないよう彼の横顔に視線を移した。
彼はやわらかな眼差しにどこか満足げな笑みを浮かべてる。
・・・、・・・ああ、そっか。
は心の中で、思わず苦笑する。
薬研君と初めて出会ったとき、外見しか見えてなかったは、彼を普通の少年のように思っていた。
まぁもちろん、普通と言っても、刀剣として軽く見てるとかそういう意味じゃなくて、だ。
それでも、自分より年下の子供のように思ってたのは間違いない。
でも今は彼の内面をあの頃よりずっと理解しているつもりだ。
だからこそ、昨夜は湯浴みの後落ち込んでるのを見抜かれないように取り繕ってたんだから。
なのに、今になってやっと分かった。
薬研君が、をここに誘ってくれた訳。
とっくの昔に、バレてたんだな・・・、これは・・・。
の頭が地面にめり込んでること。
下手したら、自分が思ってる以上にの思考は駄々漏れで、
彼にはが地面突き破ってドリルになって見えてたのかもしれない。
さすがにそこまではないと信じたいけど。
ふ、と、は小さく笑みを浮かべる。
適わない。
まさに、兄貴だ。
と、そこで彼がに視線を移した。
「大将」
「うん?」
「その・・・さっきは言いそびれたんだがな」
「?うん」
薬研君は珍しく照れたように白い肌を僅かに染め、一瞬から視線を逸らした後、
すぐにまたの瞳を見つめた。
何だか微妙に緊張してる気がする。
この状況でどうしたんだろう。
「・・・今日の格好・・・、いつもと雰囲気が違うが・・・、その、似合っていると思うぞ」
「・・・・え?」
不覚にも、その台詞と彼の表情にかなりどきりとしてしまった。
短時間の散歩に気合入れてお洒落なんかして、自分の浮かれ具合に笑ってしまってたけど、
彼にこんな風に言って貰えたんだったら、その甲斐あったってもんだ。
そういえば出かける直前に何となく見られてる感があったけど、
もしかしてあれはこの台詞を口にしてくれようとしたんだろうか。
そう考えると思わず、口元が緩む。
「すまんな・・・、どうも俺は気の利いた言葉と言うのが苦手で・・・」
「そんなことないって、そう言ってくれるの本当に嬉しいし」
「・・・そうか」
桜並木のこの幻想的な雰囲気の中、こんな会話をしてるのは何だかいかにもっぽくて照れ臭い。
しかも滅多に二人きりってことがないのもその原因のひとつだ。
でも、全然嫌じゃなくて、寧ろ次もこんな機会があればいいと思う。
だけど、その前に―――
「薬研君・・・、ありがとう」
「?何だ、ここに連れて来たことか?だったら、宗三殿に言うといい」
「うん、もちろん、ここに連れて来てくれたこともそうなんだけどさ。
を外に連れ出してくれたことというか・・・」
薬研君は落ち込んでるを見かねて、ここに誘ってくれたんだ。
「何だ、そんなことか。それなら礼を言うなら俺の方だ。
俺の気分転換に大将を付き合わせたんだからな。
ありがとさん」
言って、彼は笑顔での背中を軽く叩いた。
あくまでも、これは自分の為だとそういいたいのか。
本当に参ってしまう。
彼のこういうとこ。
どこまで男前なんだ、薬研藤四郎。
「ああ、だがひとつ言わせてくれ」
「うん?」
「大将にはいつでも俺が・・・俺達がついてる。なんかあったら、すぐに周りを見てみろ」
ああ、本当にまったく、どうしてこうなの。
サァ。
と、さっきまでより少しだけ強めの風が吹く。
ひらひら舞い散る花弁が、それに煽られ達の頬や肩をかすめてく。
色白の凛とした顔立ちの美少年。
やわらかく微笑むその姿は、まるで彼の居るその一角だけ一枚の絵画みたいに完璧。
その台詞も―――
「うん・・・」
ここの雰囲気に酔ったこともあって、ちょっと泣きそうになった。
それを悟られないよう、は一言だけで返事をする。
空を仰げば、快晴の青に薄紅色が映えて少し眩しい。
昨夜の空も綺麗だったに違いないけれど、あの時よりずっとこの景色を楽しめる。
これから本丸に戻ったら、まずは作業場の整理。
今日の夕方には遠征部隊の皆が戻ってくる予定だ。
彼らの報告を聞いて、入れ替わりに薬研君たちが遠征に出る。
まだまだ、先は長い。
やることは盛り沢山。
でもきっと大丈夫だ。
はまだ、前を向ける。
地面にめり込んで頭ドリルからなんて抜け出した。
単純なのは自覚済み。
今はそれでいい。
前を向いて、それから周りを見る。
時々後ろも振り返ったり、でもそれは今後の糧のため。
単に失敗を悔やんで身動き取れなくする為じゃない。
には皆が居る。
今更だけど凄く大事なことだ。
そう思うと、おかしなことに何だか今度は今すぐにでも城に戻りたくなってしまった。
「薬研君」
「ああ、そろそろ戻るとするか、大将」
「うん、戻ろ」
が頷いたと同時に、達は揃って城に向かって歩き出した。
(了)