仕事の合間の休憩中、気分転換代わりには一人、ぶらぶらと庭を散歩をしていた。
空は水彩絵の具のスカイブルーをそのまま塗りこめたような雲ひとつない快晴。
日差しは穏やかで、やわらかに頬を撫でる風も心地いい。
こんな日はちょっと木陰で昼寝でもしたくなるもんだ。
なんて思ってると、それを実行に移してる羨ましい御仁を発見した。
広い庭に幾つもある桜の木の下。
その幹に背を預ける形で座り、両足を伸ばして眠っている半ズボンの少年。
ぱっと思い浮かんだのは何人かの短刀君達だった。
遠目だと他の木の枝葉に隠れてよく見えないけど、多分、蛍丸君ほど小柄じゃない。
少し足早に、だけどなるべく足音を立てないようにその『少年』に近付いてみる。
そしてその途中でそれが誰なのか、は気が付いた。
薬研藤四郎。
彼だ。
は無意識に口元に笑みを浮かべつつ、ふわふわした草の上を極力ゆっくり歩いて進み、
彼のすぐ側、その正面で立ち止まる。
もしかして熟睡してるんだろうか。
彼が目を覚ます様子はない。
は薬研君の伸ばしたままの足を避け、彼の右隣に移動した。
そしてそこでしゃがみ込み、何気なくその顔を覗き込む。
瞼を閉じて規則正しい寝息を立てている薬研君の寝顔は、
いつもよりもあどけなさが増して、とても少年らしい。
普段、彼には容姿とその性格のギャップに驚かされてばかりいるけれど、何だか今は本当に可愛らしく見えた。
今度は自分でも分かるほどニヤけた顔をしてしまい、誰も居ないのに一人でわざとらしく軽く咳払いなんかしてしまう。
いかんいかん、薬研君を起こしてしまう。
と言うかこれ、、誰かが見たらかなり怪しい行動してるようにみえるだろうな。
そんなことを思いつつも、周囲に人の気配がないのをいいことに、
はそのまま薬研君の様子を観察する(個人的)任務を続行することにした。
綺麗な白い肌や、閉じられた瞼に長いまつ毛。
黒く艶やかな短めの髪が風で微かに揺れている。
「・・・・」
普段はこの瞳で見つめられると物凄く落ち着かないと言うか、
そわそわすると言うか、ぶっちゃけてしまえば勝手に意識してしまってるんだけど、
彼が眠ってる今はそんなことを気にせずじっくりじろじろ観察することが出来る。
まぁ、そんなこといいつつ、妙に心臓が速度を増してるのはこの際気付かないフリだ。
サァ、と。
そこで、今まで穏やかだった風が少しだけ強めに吹いた。
その拍子に幾つかの葉っぱが舞い散り、草がふわりと風に乗る。
ほんの一瞬。
その葉の一枚が彼の口元を掠めるようにして落ちてった。
それを目にしたは、思わずどきりとしてその光景を凝視する。
と言うか、薬研君の唇を。
どちらかというと薄めの、けれどやわらかそうで綺麗な形をした―――
いやいやいや、何考えてんの!いやいやいや、何考えてるって何?ないないない、ないだろうー!
瞬間的に頭に浮かんだ想像に、自分で自分にツッコミを入れる。
眠ってる薬研君に、キスしてみたい、なんて。
まさか、そんな。
それはある意味寝こみを襲うようなものだ。
痴漢か、痴漢行為か。
いたいけ(実際の中身はおいて置くとしても)な少年にそんなことするなんてあり得ない。
そうじゃなくてもは彼の主。
頭じゃそう思ってるのに、気付けばの体は随分彼の方に傾いてしまってる。
それこそ、薬研君の寝息が感じられるほどに。
その温度が、伝わってくるほど、唇、スレスレ。
多分、後、数ミリ、が顔を寄せれば、彼の唇との唇は微かとは言え触れ合うことが出来る。
ほんの、数ミリ、それだけで。
「・・・・・・――――」
「大将?」
「っっっ!!!???」
ズッッザアアアアアア!!
突然。
ある意味素敵に無敵なタイミングで薬研君が不意に瞼を上げ、を呼んだ。
それと殆ど同時。
はお尻が摩擦で火傷しそうな勢いと速度で、彼から体を離し、更に飛び退いた。
そりゃもう何と言うか、瞬間移動したと言っても信じられそうなスピードだったと思う。
「や、ややや、やげん、薬研君!?」
「・・・?何をそんなに慌ててんだ?」
「いや、あのそのっいや、それっ」
色んな意味で動揺しすぎてまともに言葉が出ない。
心臓が恐ろしい心拍数を叩き出してるけど、
多分これは、薬研君が声を掛けてきた瞬間に一度口から飛び出た後のものに違いない。
と言うかもう、この状況、何をどう言い訳すればいいんだ。
あれ?でも、な、何か薬研君妙にいつも通り・・・。
もも、もしかしてこれは、セクハラ審神者野郎、回避出来そうか?
「や、薬研君?」
「何だ?」
「今起きた、んだよね?」
「いや、実は少し前から起きていたんだがな」
「あっ、そうなんだ」
「ああ」
「・・・・・」
な、な、なん、だとおおおおおお!!??
これ全く回避出来てないからあああ!!!
ひいいいいっ!!すみませんでしたあああ!
と、が本気で薬研君の前にひれ伏そうとした一瞬前。
彼はゆっくりその場から立ち上がり、更に口を開いた。
「人が近付いてくる気配がしたんで、そろそろ起きるべきかとも思ったんだが、相手が大将だと分かったからな、
特に問題ねぇだろうと思って動かずに居たんだ。だが、予想以上に大将が俺の側まで近付いて来たんで、
ちょいと緊張しちまったぜ。もしかして俺に何か用事があったのか?」
言いながら、薬研君は、腰を抜かしたみたいな格好で地面に座りこんだままのに、片手を差し出してくれる。
その姿がまた男前で、何だか自分が妙に情けなく感じた。
それでも素直に彼に甘えても彼の手に自分の手を重ねる。
同時に、が何をしようとしたのかまでは気付かれてなかったんだと知って心底ホッとした。
おかげでは、さっきよりまともに会話できる程度にまで落ち着いていた。
「えっと、ちょっと散歩してたんだけど、
昼寝したら気持ちよそうだなって思ってたら薬研君が寝てたから」
「へぇ?それで男の寝顔なんか観察して、楽しいもんかねぇ」
「っ!!!」
そこは気付いてたんだああああ!!!
いや、まぁ確かにあの状況ならそれは気付かれても仕方ない。
そしてそれだけでも十分恥ずかしい。
これで実はキスまでしようとしてたなんて知られてたら、もう本当に地球の裏まで瞬間移動してた。
は視線を泳がせながら、あはははっとわざとらしく笑い声を上げた。
薬研君はを立ち上がらせてくれた後、少しの間その手を握ったままにして、
ふっと唇の端を上げて笑った。
「なぁ、大将、さっき、俺は緊張したって言ったがな・・・」
「うん?」
「本当は、期待の間違いだ」
「え?」
きょとんとして聞き返したに、薬研君は重ねた手に少しだけ力を込める。
立ち上がらせてくれる為の一瞬の接触だと思ってたから、こんなに握られ方をしたら、
妙に意識して色んな意味で暴れてた心臓がまた激しく爆音を上げだした。
彼と一緒に居ると、こういう事が多くて本当にまいる。
「薬研君・・・?」
「・・・大将は俺に口付けでもしてくれるつもりなんじゃないかって・・・期待しちまったんだよ」
「・・・、・・・・は、い?」
クスリ。
呆然とするを前に、薬研君が小さく笑う。
今、何と―――
「っ」
彼は重ねたままの手を軽く引き、を自分の方へと引き寄せた。
不意を突かれてよろけた一歩。
と余り変わらない身長の薬研君の顔が近付く。
ど くん。
お互いの唇が触れ合うか触れ合わないかの、ぎりぎりの、線。
「後数秒、俺が目を開けるのを遅らせていたらと・・・期待しちまってた。・・・いや、今も、だ・・・」
「あ・・・薬研君・・・?」
一文字一文字言葉を発するたび、相手の吐息を吸い込みながら、絡み合う生ぬるいその感触を口内に感じて、
それだけでもう、は彼とキスをしてしまってるみたいな錯角に陥る。
一体、どういう状況なんだろうこれは。
さっきまで、少なくとも薬研君が目を覚ました直後は、こんな妖しい空気は全然なくて。
と言うか、今だって空は快晴の青で、穏やかな風と優しい日差しって感じの、とても健全な日和のはずで。
それなのに、文字通り目の前には誘うようにを見つめてる薬研君が、居る。
は彼に気付かれないよう、心の中で一度、深呼吸をした。
数ミリの唇の距離は、埋めるのなんて簡単だ。
は、覚悟を決めて静かに目を閉じた―――
(了)