「―――――で、これを応用し、ページ68の問4が―――――」
2限目の数学の授業途中。
相変わらずレベルの高い内容に溜息を吐きつつも、ノートを取る。
そして片手で頬杖を着いたは、そこでぼんやりと窓の外に視線を向けた。
今日は快晴。
まるでスカイブルーの水彩絵の具をそのままキャンパスに塗り込んだ様な綺麗な色が空いっぱいに広がっている。
その空を眺めていると、授業から徐々に思考が離れて行ってしまう。
そう言えば一週間前のあの日もこんなに綺麗な空の色をしてたような気がする。
一週間。
そうだ、が
いや、もしかしたら、『まだ』一週間しか経ってないって方が正しいかもしれない。
どっちも正しい様な、そうでもないような。
まぁどっちにしろ、現在進行形でが特殊で異常な状況に陥ってるってのは変わりない。
しかも、その特殊で異常な筈の状況が、実は日常になってしまおうとしてるってのもまた事実。
いや、と言うより、もうそうなることが決定してるってのが正解だ。
そう、それに今に起きてる
事の始まりは今から丁度一週間ほど前。
その日に限って目覚まし時計をセットし忘れてしまったは、バスの時刻ギリギリの時間に家を出た。
全力疾走すればどうにかバスには間に合うかもしれないと言う超微妙するぎる線。
それでもは諦めずに必死で走って、走って。
更にいつもは余り使わない道を通って近道をしようとした。
今思えば、それが間違いのもとだったのだ。
近道として通ったその道の先には、下りの階段があった。
それが予想外に長くて、しかも妙に階段の段数が多く、は一段ぬかしでそれを駆け下りていた。
そしてその途中。
慌て過ぎていて蹴躓いてしまい、ヤバいと思った時はもう遅かった。
不自然な動きでガックンと体が前に傾いて、瞬間的に周囲の景色がブレた。
視界の片隅に一瞬入って来たのは綺麗に晴れ渡った空のスカイブルー。
その後すぐに体のあちこちをぶつけた痛みが襲ってきた事は覚えてる。
だけどどんな格好でどうやって転げ落ちたかなんか知らない。
多分その後はそのまま気絶してしまったんじゃないだろうか。
気付いた時には、は、もう
そこ。
鮮やかな七色の光が交錯する不可思議な場所。
まるで万華鏡の中に飛び込んだと錯覚させる様な本当に不思議なところだった。
何が起きたのか全く理解できなくて、がただその場に茫然と突っ立っていると、
不意に降って湧いたように小さな男の子が姿を見せた。
余りに唐突な出来ごとに、は目を瞬かせてその男の子を見下ろした。
男の子はにっこりと笑顔を浮かべてを見上げる。
「良かった!お姉ちゃんがこっちに来てくれて!あっちに行っちゃったら迷って出て来れなくなってたよ!」
「・・・・・え?・・・・・・な、何!?何のこと・・・・・・、って言うか・・・ここ、は?君・・・は?」
ぐるん、ぐるん。
じわりと押し寄せてきたの中のパニックが、少しずつ膨れ上がり始める。
状況が理解できなさ過ぎて、すぐに思考を働かせることが出来なかった。
の前に立っている男の子は笑顔を浮かべたまま口を開いた。
「ここはパラレルワールドに続く道!迷い込める人は滅多に居ないんだ。
さっき
今ここに居るお姉ちゃんは、こっちに来て貰わなくちゃ、危ない所だったんだ」
「・・・・・はい??な、何言って・・・??」
意味が、分からない。
この男の子は一体何の話をしてるんだろうか。
と言うか、それ以前にここはどこで、はどうしてこんな場所に居るんだろうか。
大体はついさっきまでバス停に向かう所だった筈だ。
それでその途中の階段から転げ落ちて、それから――――――――――――
「・・・・・・ま、まさか、ここがあの世とか言わない、よね!?」
「ええっ!?違うよー。ここはパラレルワールドに続く道なんだって、ぼく言ったでしょう?」
「な、何・・・・?パラレル・・・・?・・・・・・・・・・・・さっきから君、何言って・・・・・・」
「知らないの?お姉ちゃん。パラレルワールドって言うのはねー」
が今まで居た世界とは別に、ここには様々な世界が存在する。
世界観自体が全く違うものや、ほんの少しだけ変わってるもの、
種類は違えど確実に無数のパラレルワールドがあり、そしてそのそれぞれの世界にはやっぱり『』が居て、
今ここに居るとは違った生活を送っている。
と言うのが、この男の子が説明してくれた粗方の内容。
だけど、当然、勿論、あったりまえに、そんな話をはいそうですかと受け入れられる訳がない。
大体、唐突過ぎる位に唐突にこんな場所に連れて来られて、
そんなSFチックなとんでも設定、あり得ていいわけがない。
現実感なんて零どころかマイナス過ぎる。
ないないないない。
絶対あり得ない!
それをそのまま口に出したところ、男の子はぶぅっと頬を膨らませてぶーたれた表情を見せた。
こんな時に何だけど、ちょっと可愛いな、この子。
でもそれとこれとは勿論話が別だ。
男の子が可愛いからってこんな『想像のお話』に付き合ってあげられる程、
今のに余裕はない。
それにしてもこんなに小さい子なのに、
この子はやけにハキハキと迷いなく年齢に見合わない難しい言葉を口にする。
どう見ても幼稚園児位にしか見えないし、
さっき見せたばかりの表情だってちっちゃい子そのものなのに、どうにも何かが不自然だ。
今聞いたことだって、この子の想像上の話にしろ、この歳の男の子が考えた内容とは思えない。
「信じる信じないはお姉ちゃんの勝手だけど、もうお姉ちゃんは前に居た場所には戻れないんだ。
お姉ちゃんが前居たところには、別の世界のもう一人のお姉ちゃんが行っちゃったから。
だからお姉ちゃんはその別の世界のお姉ちゃんが居た世界に行かなくちゃいけないんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
思考が痺れて来たかも知れない。
意味が、本当に全くちっとも意味が分からない。
いや、つまりこの子が言うには、
が元居た世界にはパラレルワールドのもう一人のが行ったから、
今ここに居るは代わりにそのパラレルワールドのもう一人のの居た世界に行けって意味なんだろうけど、
そんな内容を理解できるなんてことあり得る訳がない。
このおかしな場所に来た時から混乱してるけど、
この子の口から飛び出す話の内容は色んな意味で度を越し過ぎてる。
何がどうなってがここに居るのかとか、疑問はそりゃもう山の如しだけど、
今は取りあえずここから抜け出す事を考えた方がいいかもしれない。
とは言え、こんなに小さな子を一人で放置していく訳にもいかないし。
「お姉ちゃん、時間がないから出口までぼくが案内してあげるね」
「・・・・・・・・って、え!?出口、分かるの・・・!?」
「うん、分かるよ。でも、案内してあげられるのは、
お姉ちゃんが行かなくちゃいけない世界専用の出口だけだけどね」
な、何だそれは!?
てか、まだこの子の想像の話のネタは続いてるのか・・・。
いやいやいや、この際もうそれはいいや。こっから出られるんだったら。
「あっちに着いたらお姉ちゃんが元居た所と環境も何もかも違うから色々と不便かもしれないけど、
記憶とかはぼくがきちんと処理してお姉ちゃんにも分かるようにしておいたから大丈夫だよ。
ただ最初は頭がぼーっとしちゃうかもしれないし、記憶が体にすぐには馴染まないこともあるけどね」
言いながら、男の子はのちょっと先をとことこ歩いてく。
は戸惑いつつもその後に続いた。
周囲に広がる七色の世界は、一歩歩く度にそれこそ万華鏡の様に色彩を変化させている。
何処を見てもそんな状態だから、方向感覚なんか全くなくなってしまう。
それでも男の子は迷いなく足を進めて居た。
「お姉ちゃん、あっち、あの奥の方に白い光が見えるでしょう?あそこが出口だよ」
暫くの間歩き続けていたところで、不意に立ち止まった男の子が達が足を止めた先の方を指さす。
言われた通り見てみると、確かに鮮やかな七色の光で溢れる周囲と違い、
一か所だけ真っ白な光で溢れる所があった。
「ほら、あそこだよ。早く行った方がいい。ここはね、あんまり長くいちゃいけない所だから」
「え!?でも君は?」
「ぼくはここの管理人さんだもん。ほら、お姉ちゃん、早く!」
「・・・・あ・・・・・う・・・ん・・・」
小さな手に手首を引っ張られて白い光に進むように促される。
はその手に従って恐る恐る足を踏み出した。
一歩足を前に進める度に、光の大きさが増していく。
そしてもう一歩、踏み出せば、その光に体全体が飲み込まれてしまいそうになる、その直前。
背後の男の子が大きな声で言った。
「あのね、お姉ちゃん!これは夢じゃないんだよ!だから
その声を背中で聞きながら、は最後の一歩を踏み出した。
(続く)