人気のない廊下を小走りになりながらは生徒会室に向かっていた。
時間帯は既に夜と言ってもいい頃で、部活の生徒達も大半が寮に戻ってしまっただろう時間だ。
校舎内はしんと静まり返り、の足音だけが周囲に響いていた。
いつもならそれなりに気味が悪いと思わなくもないところなんだけど、
今はそれよりもとにかく中嶋に会いたかった。
間近アイツの姿を確認して、声を聞いて、今すぐにでも彼に触れたい。
普段、自分の心の中でさえ変な意地を張って考えないようにしてることを、
今は驚くほど素直にそれだけに頭を一杯にしていた。
が生徒会室の前に到着したとき、丁度中嶋は生徒会室から出て来るところだった。
中嶋の後姿を目にした瞬間、それだけで妙にホッとしてしまった。
良かった、これは夢じゃない。
そんな馬鹿げたことまで考える。
本当におかしな話だ。
今まで彼の姿を見て、彼の傍にいて、安心出来たことなんて殆どなくて、
付き合っていると言える今だって警戒することの多い相手のはずなのに。
「中嶋先輩・・・!」
が彼の名前を呼ぶと、彼は静かにこちらを振り返った。
廊下を小走りに駆けてきてたから、の気配には気付いてたのかもしれない。
特に驚いた様子もなく、アイツはいつもと同じように唇の端を軽く持ち上げるようにして笑った。
「フッ・・・やはりお前か」
は中嶋に駆け寄り殆どそのままの勢いで彼に抱きついた。
さすがにこれは中嶋にも予想外の行動だったらしく、頭上でアイツが怪訝な表情を浮かべてるのが分かる。
周りには達以外全く人気はないものの、いつものなら廊下でこんな真似は絶対にしない。
それが分かってるからこそ、の様子がおかしいことに中嶋はすぐに気付いたようだった。
は彼が何か疑問を口にする前に、素早く言葉を発した。
「ちょっと今血迷ってる」
言いながらは中嶋の体に縋り付くみたいに腕を回して、その胸に顔を埋める。
男物の香水の香りに微かに混じる彼の匂いに包まれて、全身が甘く疼いた。
彼は一緒にいると全身媚薬で出来てるような男だと思うことがある。
頭の中のイメージほど生易しいものじゃないけど。
もっと強烈で毒のある、けれど決して手放せないもの。
そういうイメージだけで言うなら、麻薬みたいな危険なものの方が近いのだろうか。
けれど、それとはなんだか違う気がした。
確かに今を両腕に抱き止めてくれている中嶋の存在を感じ、さっきまでよりは安心を覚えながら、
それでもまだ足りないともう一人のが訴えてる。
怖い怖い怖い。
自分でも気持ちが悪い位に、形のない曖昧な、自身が膨らませてる妄想にも近い何かに、怯えてる。
は顔を上げ、中嶋のネクタイを掴んだ。
それをグッと引っ張って、彼の体を強制的にの方へと傾けるつもりだったんだけど、
より先にそれを察した相手が自分からこっちへ食らいついて来た。
やわらかく唇を触れ合わせたのなんかほんの一瞬で、
あっという間にあの真っ赤な舌が生き物みたいにぬらぬらの口内に侵入してくる。
それが歯列や歯茎をねっとりと十分這い回って、唾液が量を増した頃、
今度はの舌を捕らえて絶妙な強弱を付けて吸い付いてきた。
温い唾液の粘着質な水音と中嶋との吐息のようなくぐもった声が耳を刺激する。
もっともっとと夢中で彼のキスに応えた後、
が彼と唇を離したのは息が微かに上がってしまった頃だった。
それでも、少しでも顔を傾ければ唇が触れ合う位の距離だ。
「どうした?今日は随分と飢えているな。そんなに俺が欲しいのか?」
いつもならコイツまたこんな場所で卑猥台詞ぶちかましてるよとつっこんでいるところだ。
でも、今回はから仕掛けたんだから、そんなことは考えない。
寧ろその通りだから。
「中嶋先輩・・・」
「何だ?」
「、今すぐシたいです」
まるで懇願するように、はそう口にしてた。
今の中を占めてる訳の分からない不安を跡形もなく叩き潰す為には、
とにかく中嶋がここにいるって言う証拠が欲しかった。
抱きしめてメチャクチャにキスして、でもそれだけじゃ足りない。
の言葉に彼はほんの一瞬眼鏡の奥の瞳でを観察するような視線を向けた。
それは本当に僅かな時間で、きっと以前のなら気付かなかった程度のものだった。
けれど中嶋はすぐにその濡れた薄い唇の端を上げ、熱と欲を隠しもしない妖しい笑みを浮かべた。
「いいだろう、、来い」
の体に腕を回したまま、中嶋は再度、生徒会室のドアを開ける。
校内のしかも生徒会室でなんて、今でも非常識だと思ってるし実際何度も抵抗してきた。
それでも今日はそんなこと全く頭に浮かばない。
ただ、中嶋の声と存在が傍にあることだけがの全部だった。
■□■
中嶋と抱き合ってると、時々、
このままお互いの体が熱でぐちゃぐちゃに溶け合って本当にひとつになるんじゃないかなんて、
馬鹿げたことを考えてしまうことがある。
でもは、アイツとひとつになりたい訳じゃなくて、
お互いいつでも触れ合える距離にいて欲しいと願ってる。
例えばこの先離れることになっても、会いに行けないことはない。
同じ世界に居れば、それは不可能じゃない。
つまりそういうことだ。
こんなどぐされた男にハマってしまった自分を相当馬鹿な女だなと思うけれど、仕方ない。
ずっと傍に居たいと本気で考えてしまう位に、この人を好きになってしまったんだから。
あの何とも言いようのない夢を、また見てしまうかもしれない。
今日か、それとも明日か、もしかしたらそのもっと先か。
不安は多分完全には拭えないだろうし、が『異世界から来た』ってのが事実な以上は、
この先も少なからずつきまとうことだと思う。
は生徒会室で中嶋の膝の上、向き合う形で座っていた。
当然のように衣服は殆ど身に着けてない。
達の周囲には独特の匂いと湿った空気が漂っていた。
ほんの数分前までお互いを貪りあってたんだから仕方がない。
はぐったりと彼の体に全体重を預けていた。
熱は少しずつ冷めていこうとしていたけど、汗と精液でべたついた肌と肌が未だに吸い付きあう感覚がある。
密着しあってるせいで、の胸は中嶋の胸板で完全につぶれていて、
少しでも体を動かすと妙なくすぐったさがを襲った。
「中嶋先輩・・・」
力なく彼を呼んだに、中嶋はの髪を撫でるように動かしていた手を止めた。
「何だ?」
このまま死んでしまうかもしれないって程に体力を奪われたとは違い、
憎らしいことに中嶋の奴はいつも通りの涼しい表情を崩さずに返事をする。
「キスが欲しい・・・」
自分でも信じられない位に素直に甘えた声が出た。
顔を上げることさえ億劫なの顎を、中嶋の長い指が持ち上げる。
を間近で見下ろす眼鏡越しの彼の瞳が、ついさっきまでの獰猛でいやらしい熱じゃなく、
優しさを滲ませていることに胸が酷く疼いた。
「あぁ」
返事と同時に彼がの唇を自分のもので塞ぐ。
相変わらず可愛らしさの欠片もないねっとりとしたキスなのに、
今回のキスは何だか甘ったるく蕩けるような錯覚に陥った。
ほんの数秒その甘さに溺れかけたのも束の間、
中嶋のものが硬さを取り戻し始めたことに敏感に気付いたは彼から唇を離す。
そして至近距離から彼を睨みつける。
「を殺す気ですか?」
「お前からキスを強請ったんだ。まだ足りないと思っているのはお前の方だろう?」
今のが気だる過ぎて体は殆ど動かないし喋るのもダルいって状態なのは一目瞭然だろう。
今回に限っては半分自身に責任があるから中嶋だけを責めるのはどうかと思うけど、
それにしてもこの男は、この男だけは。
「ムカつくわ、ホント」
「ふぅん、ムカつく、ね」
クックック。
そこで奴は何故か喉を鳴らして笑った。
いつもの展開的に考えて、ここで「お仕置きだな」とか言い出すと思ってたんだけど、ちょっと予想外だ。
しかも妙に満足げな顔でを見てて、何だか凄く居心地が悪い。
中嶋は珍しくその後に無理を強いるようなことはせず、がある程度動けるようになるまで待って、
その場の後片付けをしてから二人で生徒会室を後にした。
■□■
「どうにか、門限には間に合いそうですね」
「あぁ、そうだな」
学園を出て、達は二人並んで夜道を歩いて居た。
この分だと寮につくのは門限ぎりぎりだろう。
それでも中嶋は普段よりずっとゆっくりしたペースで歩いてくれている。
分かりやすく態度で示す優しさではないけど、
それでもこういう部分でを大事にしてくれてるんだと思うと、凄く嬉しかった。
どうしてだろう。
あのおかしな夢のせいでよく分からない不安に飲み込まれて、不安で不安で仕方なくて、
中嶋と抱き合うことで彼の存在を強く感じられたのは確かだ。
でも今、彼が隣を歩いてくれてるってことのほうがもっとずっと中嶋を近くに感じられてる気がする。
ちらりと、はそこで隣を歩く中嶋の横顔を見た。
中嶋はきっと気付いてるはずだ。
彼に会いに来たときから、の様子がおかしかったことを。
多分分かってた上で、結局最後まで何も聞かずの望みを叶えてくれた。
がその疑問を口にさせずにいた部分もあるけれど、最終的にはそれを汲んでくれた。
これがの独りよがりの考えかもしれない。
でもそれでいい。
中嶋がの傍に居る。
「」
「え?」
名前を呼ばれてはハッと我に返った。
いつの間にか足が止まってしまっている。
数歩先に居る中嶋が軽くこっちを振り返っていた。
「体力が尽きたのか?それとも、俺に抱きかかえて寮まで戻って欲しいのか?」
「なっ!ないない!!それはないですから!」
中嶋の言葉を慌てて否定して、は小走りに彼に近づいた。
「冗談だ、行くぞ」
アイツは意地の悪い笑顔を浮かべてが隣に並んだのを確認してから再び歩を進める。
そして更に口を開いた。
「、一度寮の部屋に戻ったら、今日は俺の部屋に泊まれ」
「・・・え?」
やけに優しい口調だったのと、その内容が少し意外だったのとでは驚いて彼を見上げる。
それに合わせてに瞳を向けた中嶋の視線が、いつもより柔らかく見えた。
「不満か?」
明日は平日で、通常通り朝から授業がある。
中嶋の部屋に泊まってしまったら、
既に体力が底を尽きてるにとって恐ろしい状況になるだろうことは目に見えてた。
最悪、遅刻してしまう可能性大。
可能性というか、ある意味決定事項に近い。
だけど―――
「行きます・・・」
コクリ、と。
は頷いてしまう。
この人に振り回されて、明日の授業のことを心配できてる間は、はこの世界に留まれてるって証拠だ。
なんだかそんな風に考えるとそれが幸せなことに思えて仕方なかった。
ああ、やっぱり、今日のは血迷ってるんだ。
(END)