「・・・な、・・・かじま、先輩・・・」
見上げた彼の肩越しに、丸く大きな月が見える。
この日が満月なんだと、この時は始めて気づいた。
青白い月の色は何故か妙に冷たいものに見えて、それはまるでそのまま中嶋の瞳の色と重なって見えた。
眼鏡のレンズ越しの視線はぞっとするほど冷たくて、それなのにまるで燃えているような錯覚に陥る。
ずっと前に画面越しに見たことのある構図。
けれど、それよりももっとずっと綺麗で、それ以上に背筋が冷たくなった。
「いだい・・・いだいよー・・・」
そこで多分、中嶋のあの蹴りでぶっ飛ばされたらしい永原がみじめっぽく呻き、
頭を抱えてもがいている声ではハッと我に返った。
「中嶋!?くそっ!何でお前がここに!?」
「フン、こういう馬鹿な真似をするならもう少し人目を気にすることだな。
あんな場所で騒いでおいて誰の目にも留まらないとでも思っていたのか?
・・・・・だが、今はそんなことはどうでもいい」
中嶋は静かにそう続け、に一度、視線を移すと、瞳を僅かに細めた。
そしてその次の瞬間、恐ろしく素早い動きであの長い足で空を切ったかと思うと、
の右隣辺りに居た直井の大きな体が凄い勢いで吹っ飛ばされた。
それと同時にゴスだか、ガキ、だか、鈍くて痛そうな効果音が聞こえたような気がする。
「ぐっごっ!!」
「直井!?」
「安心しろ、渡辺。次はお前だ」
感情のない平坦な、どこまでも静かな低い声。
それなのに、だからこそ中嶋がどれほど怒りを溜め込んでいるかが分かる。
渡辺は明らかに怯えた表情を見せながら、
それでもどうにか立ち上がってへっぴり腰ながら戦おうとしている。
「き、汚ぇぞ!俺たちが油断しているところを襲いやがって!!」
「・・・・汚い・・・だと?笑わせるな」
中嶋が最後の「な」の文字を口にした時には、
渡辺は他の二人と同じように彼の凄まじい勢いの鋭い蹴りの餌食になっていた。
三人は妙なうめき声を上げながらそれぞれに痛みを訴えている。
だが、中嶋は容赦なく奴らの体に再度足をめり込ませ、叩き付けた。
その度不穏な鈍い音と三バカの惨めな悲鳴が聞こえてくる。
「汚い手で俺の物に手を出した上に傷を付けた馬鹿共の分際でほざくな。
次にこんな真似をした時にはこの学園に居られなくなる位の覚悟はしておくんだな」
「ひいいっ!!俺の足が、足がっっ」
「いだい、いだいよぉおう」
「ゲホッ、がはっ、うううう」
渡辺たちは丹羽とやりあったとき以上にボロ雑巾状態で泣き声をあげながら、
体を引き摺るようにしてそれでも必死に中嶋から逃げていった。
はその間中、殆ど最初の位置から動けずに呆然とその様子を眺めていた。
「」
「・・・中嶋・・・先輩」
再びの前に立った彼の表情は、さっきより幾分かやわらかく見えた。
最初に現れたときと同じように中嶋の背後には満月が浮かんでいて、
けれどあの時のようなぞっとする冷たさは消えていた。
寧ろ穏やかな光が優しい色合いと心地よさを放っている。
どこか幻想的で現実味のないその雰囲気に、
は未だに彼が助けに来てくれたことが信じられないで居た。
「立てるか?」
「・・・はい」
中嶋に短く返事をしてはどうにかゆっくり体を起こし、立ち上がる。
その途中に彼がの腕を掴んでそれを手伝ってくれた。
「お前、口の端が切れているぞ。殴られたのか?」
「いえ、そこまでは・・・ただ、口元強く抑えられてたのに無理に暴れたから」
「・・・そうか、他に怪我はないだろうな」
「大丈夫です・・・、掌・・・少し擦りむいた程度で」
押さえつけられたりもみ合った拍子に打撲や痣は出来てそうだけど、
思ったより大したことはない。
中嶋はの唇の端を親指でそっとなぞり、僅かに滲んでいたらしい血を拭ってくれた。
その手つきが予想以上に優しくて、泣きたくなる。
「酷い格好だが、どうやら性別がバレるまではいかずに済んだようだな」
「・・・はい。あの中嶋先輩、助けに来てくれてありがとうございました。
先輩がここに来てくれたってことは誰かがこのことを生徒会まで伝えに言ってくれたんですか?」
「あぁ、その前にお前が生徒会室に忘れていた携帯に伊藤から着信があった。
長い間鳴っているようだったから俺が出たんだが、
この時間に一人で学園に向かったお前が心配になって連絡してきたらしい。
お前が生徒会室に着いたらこちらからかけ直すつもりだったが、
その10分後に数人の男子生徒が三バカの奴が小柄な男子生徒を手荒な方法でどこかへ連れ去ったと、
報告があったからな」
寮を出る前に食堂に居る啓太に一言声をかけておいたのは正解だった。
それにあの三バカが考えなし野郎だったのもある意味救いだったかもしれない。
「そう、だったんですか。本当に助かりました。その男子達にもお礼をいっておかないと。
あ、そろそろ生徒会室戻りましょか?中嶋先輩もまだ仕事の途中ですよね、すみません」
「・・・・・・」
「制服のジャケットぼろぼろだし最悪。もう本当にないですよね、あの三バカ」
ははははは。
自分でもビックリする位わざとらしい笑い声だった。
それでも何か喋ってないと今にも泣き出してしまいそうで、未だに体がガタガタ震えているのを抑えられない。
さっさとこの場を離れたくて、はもう一度中嶋に言った。
「戻りましょう」
「・・・」
中嶋がまたの名前を呼んだ。
静かで優しい低い声。
いつもの意地の悪さが微塵も含まれてない。
彼はの名を呼んですぐに、両腕を伸ばしての体を抱き寄せた。
「っ・・・!?」
「今更俺の前で意地を張るな。お前は俺の前でまで『男子生徒』を演じるつもりか?
気丈なのは結構だが、・・・無理に平気な顔はしなくていい」
「・・・、・・・・・・・、っ・・・」
無理だ。
これ以上は無理だ。
いつもは底意地悪くて、冷たくて、最低で、どぐされてる鬼畜眼鏡のくせに、
こんな風に優しい言葉をかけられたら無理に決まってる。
こんなことを言われたら、もう、泣かないで居るなんて、無理だ。
しかもを抱きしめてる中嶋の腕が、信じられないくらいに優しくを包み込んでくれてて、
そのことに、体も心も今までになく救われた気持ちになってた。
同時に、今更ながらさっきまであの三バカに力で押さえつけられていた恐怖が襲ってくる。
怖くて、怖くて怖くて怖くて、あの時咄嗟にの頭に浮かんだのは中嶋だった。
「っ、っ、・・・」
「泣きたいのなら泣けばいいだろう」
ああもう。
もう、だめだ。
そう思った瞬間、自分でも驚くほど凄い勢いで涙が溢れてきた。
ぼろぼろぼろぼろ、もうこうなると途中で止めるなんて絶対に無理だ。
あっという間に涙で顔がぐちゃぐちゃに濡れてくのが分かる。
は中嶋にしがみ付くように腕を回して、
まるで小さな子供が親にすがるみたいに声を上げて泣いた。
「う、うぁ・・・ひっ・・・う、中嶋先輩、怖かった・・・!!こ、こわかっ・・・」
中嶋はが泣きじゃくってる間中、ただ無言でを抱きしめてくれていた。
■□■
「・・・落ち着いたか?」
散々泣きまくってがようやく大人しくなった頃、
中嶋はの体に両腕を回したまま静かにそう質問した。
「・・・はい」
短く返事をした自分の声が泣きすぎた上に鼻が詰まってるせいで別人みたいに聞こえた。
小さく鼻をすすって、顔を上げないまま続ける。
「中嶋先輩、ありがとうございました。本当に・・・」
「・・・いや、元はと言えばアイツらの目的は俺だからな。
MVP戦以降伊藤に絡むこともなく奴らにしては大人しくしているようだったから放っておいたが、
お前に手を出すようなら話は別だ。・・・奴らには徹底的に思い知らせてやるしかなさそうだ」
「・・・・・・」
最後、とてつもなく不穏な台詞が聞こえたような気がするけれど気のせいだろうか。
さっきは色々ありすぎて呆然状態で中嶋が三バカを痛めつけてるのを目にしてたけど、
それでも相当な威力のものをお見舞いしてたことは覚えてる。
実際ズタボロで、三人の内一人(誰かまではよく見てない)は這うみたいにして逃げてった。
奴らには微塵も同情してやるつもりはないとは言え、あれ以上やると病院送りになるんじゃないだろうか。
思いっきり泣いた後で少し冷静になれた頭でそんなことを考える。
「えーっと・・・、中嶋先輩・・・」
「お前はこれ以上余計なことは考えるな、後のことは俺に任せておけばいい」
中嶋はまるでの考えを読んだみたいなタイミングでそう言い、
の唇の端を親指の腹でそっと撫でた。
そこはさっきほんの少しだけ切れていた部分で、既に血も止まってる。
が更に口を開こうとした時、中嶋はそれを遮るようにしてにキスをした。
それは唇同士を重ね合わせて、やわらかく触れるだけのキスなのに、
どうしてか眩暈を起こしそうな位に甘くて優しく感じた。
本当はもっと何か言いたかったはずなのに、たった一瞬で何もかもどうでもよくなってしまう。
相手の唇の温度がお互いの唇に移り、その温度が馴染んだ頃、中嶋は少しだけから離れた。
「」
「はい」
「俺の所に報告に来た男子生徒が、お前の物だろうと紙袋を持ってきたんだが、
あれはお前のもので間違いないのか?」
「あ・・・」
彼の台詞で思い出す。
そうだ、は携帯を取りにいくついでに生徒会室に差し入れのサンドイッチを持っていくはずだった。
確か永原に捕まった時に奴があの紙袋を蹴飛ばしやがったんだ。
「の、です」
「中身は何だ?」
「えっと、サンドイッチ・・・だったんですけど」
「サンドイッチだと?」
「・・・その、一応・・・差し入れのつもりでした」
紙袋の中のサンドイッチは出来るだけ綺麗に包んだつもりだけど、
あのどぐされ永原のせいで下手したら中身が飛び出てるかもしれない。
そうでなくても形は崩れてるだろうし、しかもあの男が蹴飛ばしたものだ。
正直、中嶋があれに手を付けてくれるとは思えない。
「そうか、それなら生徒会室に戻る前に珈琲でも買っていくか」
「・・・、・・・はい?」
「行くぞ」
言った中嶋がくるりと踵を返す。
は数秒ぽかんとした後、慌ててその後を追った。
それからすぐに足を止める。
それに気付いた彼が、の方へと振り向いた。
「どうした?」
「・・・・・・」
は視線を足元に落とし、ほんの少しの間今考えてることを口にするべきか迷った。
三バカに酷い目にあわされて、最悪の事態になる前に中嶋はを助けに来てくれた。
さっきもの心を気遣って、泣きじゃくったの気持ちが落ち着くまで抱きしめていてくれた。
中嶋は普段、物凄く分かり難い優しさしか見せてくれないけれど、今回は心底彼に感謝してる。
きっかけは最悪だけど、を大事にしてくれてるのが十分分かったから。
今、が口にしようとしてること。
いつもなら中嶋相手にこんなこと考え付きもしないし、断られるのがオチだと分かってることだ。
今だって、彼に頼む前から八割どころか九割以上諦めてもいる。
だけど――――
「中嶋先輩」
「何だ?」
「・・・・・・、手、繋いでも・・・いいですか?」
却下だな。
そう答えられるのを覚悟して、それでもはそう口にしていた。
断られればそりゃまぁ勿論凹むけど、ある意味仕方ないと納得はする。
がここに着てから結構な時間が経ってて、学園内やその周辺に居る生徒達は多分ほとんど居ない。
しかも今は夜だから、人目には付きにくい。
だけど、絶対に誰にも見られないと言う保証は全くないのだ。
中嶋はド鬼畜なエロ野郎だけれど、周囲にはお堅い優等生の副会長様で通ってることもあって、
人前でベタつくことを好まない。
だって、ここが正々堂々BでLな学園であると分かってても、
さすがに人目につく可能性のある場所でそれっぽいことをしようとは思ってないのだ。
でも、今回は、今だけは、どうしても言わずにはいられなかった。
ふぅ、と、そこで中嶋は小さく溜息をついた。
ああ、これはやっぱり断られるな、そう思った、その時だった。
「手を引いて貰わないと歩けないのか、困ったなガキも居たものだな」
「・・・あ」
皮肉交じりに返事をした中嶋は、意地悪く唇の端を曲げて笑い、同時にの手を取った。
驚くに構わず、アイツはの指に自分の指を絡めてくる。
手を繋ぐのはこれが初めてだって言うのに、
呆れる位自然な動作で彼はいわゆる恋人繋ぎってやつをした。
こんな繋ぎ方をしたら万が一誰かに見られた時、言い訳が出来なくなる。
でも、可愛らしく普通の繋ぎ方をするより中嶋らしいといえばそうかもしれない。
は思わず小さく笑った。
「何を笑っている?」
すぐ隣で怪訝そうにを見下ろす中嶋。
は少しだけ考えて、それからまた笑った。
いつもはここで誤魔化すけど、今日は素直に返事をしよう。
「中嶋先輩の優しさに感動してました」
の答えに、中嶋はほんの一瞬眼鏡の奥の瞳を微かに見開く。
けれどまたすぐにいつもの皮肉めいた意地悪い笑顔を浮かべた。
「、言っておくが、寮に戻ったらお前にはお仕置き待っていることを忘れるな」
「・・・、・・・はい?え?えええええ!?いやいやいやいや!何ですか!?それ!」
ある意味中嶋からの突然の卑猥ワードに慣れてるだけど、今回は普通に驚いてしまった。
この流れから何を言い出すんだ、この男。
こっちは珍しく真っ直ぐに自分の気持ちを伝えたってのに、
どうしてこのまま穏やかな終わり方をさせてくれないのか。
だが、それでこそ中嶋英明と思ってしまうも相当どうかしてると思う。
勿論、お仕置きなんて真っ平ごめんではあるけれど。
やっぱりムカつくし、色々アレな男であることには変わりないけど、
三バカに襲われたショックを長引かせずに居られたのは、この人のおかげだ。
「今回はヒーロー的な終わりで格好良くしめましょうよ」
「却下だな」
(END)