放課後。
西園寺に会いに会計室に向かうと、珍しくそこには七条だけしか居なかった。
七条はの顔を見ると例の素敵に胡散臭い笑顔を浮かべ、
が用件を口にするより先に「郁ならいつものお気に入りの場所で読書をしてるはずですよ」と教えてくれた。
西園寺のお気に入りの場所と言えば真っ先に思い浮かぶ場所は図書館裏の人気のない東屋。
それで早速は校舎を出て西園寺を探しに東屋向かってるんだけど、
校舎を出た直後に小雨が降り出して少しだけ濡れてしまった。
春先と言っても一日中曇り空だったこともあって、今日はいつもより気温が低い。
大して濡れてはいなくても、少し肌寒く感じた。
とは言えこの程度で風邪を引くほどやわでもないので特に気にすることもしない。
だけど傘位持ってくれば良かったと少しだけ後悔する。
このまま雨が小雨で止んでくれればいいが、本降りになると、
東屋から校舎に戻るまでにかなり濡れてしまうことになる。。
と言うかよりは西園寺が濡れてしまうことの方が心配だ。
同じ状況で風邪を引く確率が高いのは断然西園寺だと思う。
別に彼が病弱だとか思ってる訳じゃないけど、
体力面ではもしかしたら女のの方があるんじゃないかと思わなくもないから。
「あ」
目的地に到着すると、七条が教えてくれた通り東屋のベンチに座っている西園寺を発見した。
彼は本を持ったまま俯いているから、には気付いてない。
と、言うか、もしかしてあれは、あの体勢は読書と言うより転寝してるんじゃないだろうか。
は小走りに西園寺の居る場所まで近寄った。
かなり近くまで距離を縮めたにも関わらず、やっぱり西園寺は気付いてない様子。
そっと下から覗き込むと、予想通り彼は眠っていた。
「西園寺、こんなとこで寝たら風邪引くよ・・・」
苦笑してそう口に出すものの、無意識にひそひそ声になってしまう。
頭が軽く前に傾いていることで、
西園寺のゆるやかでウェーブがかった長い髪が彼の頬より少し前で揺れている。
実はは二次元以外の長髪の男なんて、余りいいイメージがなかった。
と言うか、個人的に長髪が本当に似合ってる男の人ってのにお目にかかったことが殆どなかったのだ。
事実、西園寺のことも、画面越しの、『キャラ』だから許せるヘアスタイルだと思ってた。
でも彼は実際にその姿を目にしても全く嫌悪感なんて覚えなくて、
それどころか画面越しに見てた時と全然変わらず『似合ってる』と断言できた。
「・・・・・・」
そこで不意には色素の薄い柔らかそうな絹糸みたいなそれに、無性に触れてみたい衝動に駆られた。
そして、頭で考えるより先に、は彼の座っているベンチの隣に腰を下ろし、
その長い髪に恐る恐るそっと指先を伸ばしていた。
ひと房軽く摘んだ西園寺の髪の毛は、やわらかなのにこしがあって滑らかで、
嫉妬しそうになるほど触り心地がいい。
彼の髪を控えめに弄びながら、ここぞとばかりに間近でじっとその端正な顔を観察する。
この世界に来て、この学園で生活するようになって、は会計部の二人とも随分親しくなった。
最初はが実は女だってことで色々と気を使ってくれてたのと、
啓太の従姉弟ってことで声を掛けてくれた部分もあったのかもしれない。
も初めの内は啓太や和希と一緒じゃない限りは会計室に足を向けることは余りなかった。
それがいつの頃からか一人で会計室に行くことも多くなり、少しずつ会計部二人と過ごす時間も増え、
気付けば特に西園寺とは予想以上に仲良くなれていた。
とは言え、こんなに間近で彼をじっと見つめることが出来るチャンスなんて滅多にない。
髪の毛もそうだが、西園寺は本当に男なのかと疑いたくなる位に綺麗な顔立ちをしてる。
決め細やかでいかにもなめらかそうな白い肌、形のいい眉に長いまつげ。
すっと整った鼻、血色のいい艶やかで完璧な唇。
眉目秀麗って言葉は、間違いなく西園寺郁の為にあるんだと断言できる位だ。
この世界では直には聞いてないけど、
丹羽の奴が今みたいに眠ってる西園寺を間近から覗き込んで、
丁度目を覚ました彼に引っ掻かれたことがある、と言う話を七条が啓太にしてた。
そして啓太が西園寺と誰よりも親しくなってた場合、
彼も今のと同じように西園寺の寝顔に誘惑されて、彼の髪に触れ、
その唇にキスをしてしまうと言うイベントがあった。
確かにこれを間近から見てしまうと丹羽(未遂だけど)や啓太が我慢出来なかったのも無理ないと思う。
遠目に見てもそうだけど、近くで見ると益々ホント自分が女だってのが、
悲しくなる位に綺麗なんだよね、この人・・・。
性格も女王様と呼ばれるのに相応しいってのも十分承知してる。
だけど西園寺はそれ以上に、男前な面だって持ってる。
いつも冷静で物怖じしなくて、周りに惑わされることのない広い視野を持ってて、
どんな時でも率直に意見を口にする。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
今時それを全く隠すことなく真っ直ぐに貫き通せる人は珍しい。
見た目に寄らず頑固。
ただ外見が綺麗なだけの人じゃない。
内面も外見も含めて、西園寺郁という人を知れば知るほど惹きつけられてしまう。
今、と一緒に居る啓太は別の人を想っているけど、
あの時の画面越しに見た西園寺にキスをした啓太の気持ち、
は痛いほど分かる。
啓太はまだ自覚前で、あのキスを機に自分の気持ちに気付いた。
でもはもう、知ってる。
この気持ちの奥にある自分の想い。
ただ、綺麗だからって理由だけじゃなくて。
それだけの理由じゃなく。
「・・・キス、したい、な」
「ならばすればいい」
「・・・・・・・・・、・・・?・・・っ!!??」
ポツリ。
無意識に口に出して漏らしてしまったの心の声。
それだけでも十分自分に驚いたけど、それだけじゃなく、それどころか、今、
の台詞に答えたのは――――
「〜〜っっっ!!!!???」
「どうした?、私にキスがしたいのだろう?」
が一人、脳内トリップしている間に目を覚ましていたらしい西園寺が、
至近距離でじっとを見つめて言った。
は瞬間的に石化した後、咄嗟に声が出せずに声なき声を漏らす。
「さ、ささ、さい、西園寺っ!?な、な、なんっ・・・!」
どうにか声を発せるようになっても、まともな言葉は口に出来なかった。
あわあわあわあわ、動揺しすぎて何が何だか分からない。
思考回路はパニック&パニックで、心臓は多分一度口から飛び出した後だ。
「お前が言ったのだろう。私にキスをしたいと」
「いや、そ、そそっ、それは・・・っ!!だから、あのっ」
まさかでまさかの状況。
起きても仕方ない状態ではあったものの、まさかあのタイミングで目を覚ましてるとは思わなかった。
それならもっと手前か、もう少し先の、せめてあの言葉を耳にしないところで起きて欲しかった。
本当に、まさかまであの時の啓太と同じような状況に陥るとは思っても見なかった。
啓太の場合はキスをした直後だったけど、これだって十分それと同じ位に動揺する理由になる。
しかもこれまた啓太の時と同じく、がメチャクチャに慌ててるのに対し、
西園寺は妙に冷静だ。
取りあえずまず西園寺から離れようと身を引きかけたところで、
何故か彼に片腕を捕まれてそれを阻止されてしまう。
反射的に顔を上げて西園寺を見ると、ビックリするくらいに至近距離に西園寺の綺麗な顔があった。
ドクンッ
元々今までの流れで現在進行形で爆音を上げていた心臓が、一際大きく跳ね上がる。
「・・・、お前からしないのならば、私からするぞ」
「いや、あの、だ、だから!は、・・・・は・・・!?」
西園寺は、今なにをのたまっただろうか。
それを理解するより早く、
艶やかな花びらみたいな西園寺の唇がひらひらとの唇に舞い降りてきた。
「っ!」
「・・・・・・・・・」
重ねられた唇はやわらかく温かい。
最初は軽く押し当てられるだけだったものが、
西園寺がの方に更に身を傾けたことでぴったり重なり合った。
その数秒間、は殆ど息をすることが出来なかった。
頭が回らない。
思考回路がショートしそうだ。
今、自分が西園寺とキスをしていると言う事実が、信じられない。
「どうした、。何を驚いている?お前は私とキスをしたかったんだろう?」
ほんの少しだけ唇を離すと、西園寺は囁くようにそうに訊ねた。
殆ど距離を取ってないせいで、彼が話すたび、唇と唇が触れあい、
その吐息がの肌を撫でる。
心臓が今まで感じたことのない速度で鼓動を刻んでいる。
このままだと使い物にならなくなるかもしれない。
呼吸も苦しいし、何だかいろんな意味で泣きそうだった。
「そ、れは・・・」
「違うのか?」
違うのか?って?
そんな、そんな訳がない。
確かには、西園寺とキスをしたいと思った。
彼に触れたいと、触れて欲しいと思った。
それは、間違いなくて。
「ち、が、違わない・・・」
何だかよく分からないけれど、素直に認めるのが妙に悔しくて、同時にムチャクチャ恥ずかしくて、
はぎこちなくそう返事をした。
不意に、至近距離で、ふっと、西園寺が満足げに笑う気配がした。
「なっ・・・」
「目覚めた直後にお前が間近であんな言葉を口にするから、夢の続きかと思った」
「・・・え?」
「私は夢を見ていたんだ。内容はよく覚えていないが、お前が出てきたのは確かだった」
思いも寄らない彼の話しに、は思わずきょとんとしてしまう。
「」
「あ、・・・な、何?」
「お前は、私のことが好きなのか?」
距離を取らないまま、唇が触れ合うか触れ合わないかの状態で西園寺はにそう聞いた。
「っ!!」
びくり。
反射的にの体が震えて、その拍子にと西園寺の唇が接触する。
そしてまた慌てて身を離そうとしたの腕を、これまた再び西園寺にぐいっと捕まれた。
体力面ではからっきしなくせに、
何だか妙に力強い仕草で、それ以上抵抗しようと言う気が起きなくなる。
違う。
最初から、抵抗なんてする気は全くないけれど。
「西園寺、・・・」
「私はお前が好きだよ、」
が西園寺の質問に答えるより前に、彼は突然にそう告げた。
「―――」
一瞬、の思考回路が停止する。
西園寺が目を覚ました瞬間から、色々とついていけない展開が多すぎて頭が混乱しっぱなしだ。
さっきのキスも、今の告白も、信じられないことだらけで、
西園寺じゃなくて私の方が夢を見てるんじゃないかと思ってしまう。
「聞こえなかったのか?」
「き、聞こえた、けど・・・。え?いや、あの・・・ほ、ホンキ、で?」
「当たり前だろう。私が冗談でこんなことを言う訳がない。私はお前が好きだ。
だからお前が私にキスをしたいと言った時も受け入れた。
実際にしたのは私だが、そもそもそうでなければ受け入れもしなければ自分からキスなどしない」
こ、この人、啓太の時もそうだったけど、何でこう恥じらいもなくキスキスってぇええ!!
っじゃなくて!!え?え?え?西園寺がを・・・!?
「お前の返事を聞かせろ、。お前は好きでもない相手とキスをしたがるのか?」
「ぶっ!!そ、そんな訳ないでしょうが!」
「ふむ、では私のことが好きなのだな?」
「そっ・・・!!!」
なにこいつ、なにこいつ、なにこいつ!!!
プレイヤーの時は西園寺のこの人と微妙にズレた感じの発言で、
振り回される啓太を見て大受けしてたもんだけど、実際自分がそうなると全く笑えない。
ストレート過ぎてどうしていいのか分からなくなる。
だけどこの状況はどう見ても逃げられるものじゃないし、何より西園寺はに好きだと言ってくれた。
彼が口にする言葉に嘘がないのは今まで直に接してきたことで、はよく分かってる。
だったら、どんなに恥ずかしくても、意味が分からなくても、も素直になるしかない。
「・・・西園寺・・・」
「何だ?」
「・・・、西園寺が好き・・・」
目を伏せたままそう言って、はこつんと西園寺の額に自分の額を軽くぶつけた。
本当は、恥ずかしさで爆発できる勢いなんだけど、でも―――
「・・・そうか、私が好きか」
そう言って微笑んだ西園寺の顔が、余りにも嬉しそうで綺麗で、
今までのことや恥ずかしさなんて、一気に吹き飛んでしまった。
その後すぐに、間近にあった薄紅色の花びらが、またの唇に舞い降りてくる。
それと同時に西園寺の両腕が、の背中に回された。
こうして抱きしめられると分かる。
西園寺は華奢に見えても、さすがにの男装なんかじゃ敵わない、男の人の骨格をしてる。
「お前は素直だとは言い難いが、それでもそれを好ましいと思える愛らしさがある。
にはない力強さと、お前の笑顔が私は気に入っている。
何をしていてもしていなくても、と居ると私は安心できる」
「西園寺・・・」
褒められてるのかけなされてるのかって部分がなくはないけど、
西園寺がを想ってくれてるんだってことはよく分かった。
はゆっくり両腕を上げ、自分からも彼の体に腕を回す。
それから少し間、と西園寺は無言で抱き合ってお互いの体温と鼓動だけに意識を向けていた。
その後少しして、は小雨だった雨が本降りになってることに気付いた。
今までのあれこれで雨のことなんかすっかり頭から抜けていたのだ。
「あーあ・・・」
「どうした?」
「ん、いや、今更だけど、傘持ってきてなくて、ここから校舎まで濡れるなって・・・」
携帯は手元にあるから啓太に連絡すれば持ってきてくれるかもしれない。
でも啓太も啓太で、多分今は生徒会室の方にいるだろうから、頼むのは気が引けるけれど。
「何も今すぐ戻る必要はないだろう」
「まぁね、でもいつ止むか分かんないし」
「このまま暫くして止まなければ臣にでも連絡すればいい」
「走って戻るって選択肢はなしですか」
「当然だ」
偉そうにふんっと鼻を鳴らして答える西園寺に、は思わず苦笑する。
本当にこの人体力面ダメダメだな。
だけどまぁ、七条に連絡するかどうかは後で考えるとして、
もう少しここに居るってのには賛成だ。
ここに来る前に軽く感じた肌寒さも、今は全然感じない。
だからもう少し、もう暫くの間は、未だに夢なんじゃないかと思えるこの状況を堪能させて欲しい。
西園寺がを好きだと言ってくれたことを、再確認する意味でも。
もう少し、後、もうしばらく。
(END)