その嵐は、まるで夢の中の場面が唐突に脈絡なく変わる時のように、
突然にチカ達の船を襲った。
ほんの一瞬前まで青い海は凪いでいて、空は気持ちのいい快晴だったのだ。
なのにたった数秒で海はその表情を一転させてしまった。
荒れ狂う波、吹きすさぶ風。
恐ろしい勢いで厚い雲が空を覆って、空も海も青さを全く失ってしまった。
そして、私もチカも、そして多分野郎共も、一瞬にして悟っていた。
この嵐が色々な意味で普通じゃない事。
この嵐が私にとってとても重要な意味を持つこと。
そうだ。
来て、しまったのだ。
私が帰らなきゃいけない、その瞬間が――――
バンッ
「!!」
「・・・チカ!」
嵐がこの船を飲みこんで数分後。
チカが私の船室に凄い勢いで飛び込んできた。
何も言わなくても、お互いに思ってる事は分っていた。
とうとう来た、来てしまった。
あの、私とチカ達が初めて出会った日の嵐と同じ物が。
「今になってこの嵐が来るなんて・・・、さん、もうビックリよ。」
いつもと同じように軽い口調で言ったつもりなのに、
私の声は震えていた。
チカは大股で私の側まで近付いてくると、唐突に私を腕の中に引き寄せた。
そして息苦しい位にきつく抱きしめられる。
本当に胸が圧迫されて窒息するかと思ったけど、それは肉体的なものじゃなく、
精神的に胸が締め付けられている痛みだと私には分っていた。
どうにかして軽い態度でこの場を乗り切ろうと言葉を必死に探したけど、
そんなものが見つかる訳もなく、
私はただチカの体に縋るみたいに腕を回す事しか出来なかった。
「・・・この嵐は・・・オメェが自分の世界に帰れる最初で最後の機会だ。
・・・・俺には分かる・・・これを逃したらオメェはもう向こうにゃ2度と戻れねぇ。」
いつもよりずっと低い声で、まるで囁く様にしてチカが言った。
外は今も嵐。
荒れ狂う海。
吹きすさぶ風。
大粒の雨。
きっと野郎共は今必死にこの船を支えてる。
なのにこの船室は、この世界にチカと私、二人だけみたいに錯覚させる位静かだった。
チカの言葉だけが私の耳に響いてる。
私の全身が小刻みに震えているのが分かった。
「ねぇチカ・・・キミは・・・私に残って欲しい?さんはキミに必要じゃない?」
ズルイ質問だ。
分かってる。
私はもう、キミにどれ位好かれているのか知ってしまってるから。
私はもう、キミを好きな自分の気持ちを測れない状態になってしまってるから。
「・・・・・・・・言っただろ・・・おめぇは俺の惚れた女だぜ、必要ねぇ訳がねぇ。」
「チカ・・・。」
「・・・・・・・・・。」
そこで不意に彼は私の体に回した腕を緩め、スッと少しだけ距離を取った。
そして、チカは無言で私の手に何かを押しつけてきた。
私は反射的に受け取ったそれに視線を落とす。
「わお・・・これって、まさか・・・・・・・・・・・・チカ・・・・。」
「ああ・・・。」
彼は短く返事をして、先を続けた。
「俺は何が何でもおめぇを手放すつもりなんざねぇ。
海がしけにぶち当たる度、いつもそう思ってた・・・。
今だってそうだぜ、本当は・・・この船に縛り付けてでも・・・とまで考えなかった訳じゃねぇんだ。」
あは、さんてば愛されてる。
そう軽口を叩くつもりだったのに、
私の口は痺れたみたいに開かなかった。
チカの金色の隻眼が、ジッと私を見下ろす。
私は手の中にあるそれを、ぎゅうっと握りしめた。
それ。
そう、あの日、私とチカ達が初めて出会った嵐の日、
私が身に着けていた、水着。
「帰るのか帰らねぇのか・・・・・・・・・・・選択権はおめぇに委ねる。
いや、おめぇが決めるべきだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すまねぇな、ズルイ言い方しか出来ねぇ野郎でよ・・・。」
彼は薄い唇を歪めて苦しげな笑みを浮かべた。
いつも快活で豪快なチカの笑顔とは全然違う。
胸が、苦しくて、苦しくて、圧迫感で眩暈がしそうだった。
そうだ、ズルイじゃないか、チカ。
どうしてそんなにいい男なんだ。
こんな時まで、どうしてキミは。
「チカ・・・・・・・・・・・・・私は・・・・・・・・・・・・。」
言いかけた所で、嗚咽が漏れそうになる。
ブルブルと震える唇。
手にある水着の原色が、滲んで見えた。
嘘だ。
こんな展開、計算にないぞ、さんは。
こんなの、私じゃない。
らしくない。
笑ってスッキリ、楽しかったよ、さようなら。
そうやって、このゲームの世界を後にするつもりだったのに。
それなのに。
私は目を閉じた。
それから心の中で必死に深呼吸を繰り返す。
外は嵐。
私の手にはあの日の水着がある。
選択肢は、二つ。
時間は残り少ない。
私は。
私は、チカ。
「・・・着替えるわ、チカ。」
「おう、時間がねぇ。急げよ。
俺は甲板で待ってるぜ、野郎共も踏ん張ってるとこだしな。」
「わお、さんの生着替え見逃すの?勿体ないことを。」
「・・・へっ、言ってろ・・・。」
キミとのこんなやり取りが、こんなにも絶望的に悲しかったことなんか、今まで一度もなかった。
この原色の水着は天女の羽衣に似てる。
そう言ったら、キミはいつもみたいに呆れた顔でツッコンでくれたかな。
ビュオォォ。
ゴオオオ
荒れ狂う海と恐ろしい勢いで吹きつける風と、そして大粒の雨。
揺れ動く船を制御する為に必死で野郎共が死闘と言うに相応しい嵐との格闘を繰り広げてる。
水着姿の私はチカの腕に抱かれて移動する。
「さん!ホントに帰っちまうんですね・・・。」
「のアネキ!!」
「うううううっ・・・。」
海に飛びこめる場所まで進む間に、皆が声を掛けてくれた。
雨音や風の音の合間に聞こえる彼らの言葉が、泣きたい程胸にしみる。
チカだけじゃなく、私はこの船も野郎共も大好きだ。
いつの間にか、こんなに胸が潰れそうになる位、愛着が湧いてしまっていた。
「チカ・・・さっきキミ、言ったわよね。」
「・・・アン?」
「この嵐は私が自分の世界に帰れる最初で最後の機会だって。」
「・・・・・・・・・・・・ああ。」
「きっとその逆もあるわ。」
言った言葉は、嘘じゃない。
だけど、願望に近いと言うのも、間違いじゃないのかもしれない。
向こうの世界に戻ったとしても、
こっちに来るチャンスが最初で最後に一度だけ来る、と言う我がまま過ぎる願望。
でも何故かこの時、私はそれを口に出して言ってしまえる位の自信があった。
私のその言葉にチカはただ、哀しい笑顔を浮かべただけだったけれど。
「、忘れるんじゃねぇぞ!!オメェは、この鬼、生涯最高の女だ!!この先もずっとな!!」
荒れ狂う波の音や風の音に全く負けない大声で、チカは私に言った。
「元親!!!皆、有難う!!!」
ねぇ、チカ、ここに来たばかりの頃の私は、日々楽しければそれで良かった。
ただ楽しめればそれで良かった。
最初からチカの事は気に入っていたし、野郎共は面白くて気のいい連中ばかり。
船旅は予想以上に楽しめて、毎日飽きない。
ゲームの世界を本当の意味で体験できるこの世界は、
私にとって文字通り最高の場所だった。
キミとの関係も、大好きなキャラとのお遊びで終わる位の気持ちだったのに。
なのに、今はそんな風には決して考えられない。
この世界から、チカの側から、離れなきゃいけないんだと思うと、
体が引き裂かれそうな位苦しい。
苦しくて、切なくて、心臓が圧迫され押しつぶされるんじゃないかと本気で思った。
それでも私が私の世界に帰ることを選んだのは、自信があったから。
一度だけ、きっと、一度だけそれはある。
そう、思ったから。
嵐で激しく揺れ動く船。
飛びこみ地点になったその場所も、勿論風や雨で激しく揺れていた。
だけど私は、自分でも驚く位綺麗な弧を描いて、海へ飛び込むことが出来たのだった。
海の中へ飛び込む瞬間、灰色で塗り潰された周囲に混じって、
チカのオウムのピーちゃんの鮮やかな羽の色が私の視界の片隅に入った。
それは綺麗に。
とても綺麗に。
私の瞼の裏、焼きついたのだった。
(続く)
後書き
とうとう最終話突入。シリーズって言うか、これ、連載じゃあ・・・(遠い目)
いや、でもシリーズと言って逃げていたからこそ最終話にまでこぎつけた代物です(笑)
この話はヒロインが癖の強い女子だったのですが、私としてはとても進めやすかった。
ではでは、ここまでのお付き合い、誠に有難うございました。失礼致します。
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