絹糸を思わせる艶やかな黒髪。
手を伸ばし、指先で触れる。
ひと束取ったそれは、指を広げるとサラサラと心地よい感触と共に寝台の上へと落ちた。
元親は目を細めてその様子を眺めると、
無防備に寝息を立てて彼の隣で横になっている少女の穏やかな顔に視線を移す。
規則正しいその呼吸音は、彼の鼓膜をくすぐる如くして響いた。
彼女の名は
千年に1度とも、1万年に1度現れるとも言われ、
更にどの次元どの世界に現れるかどうかさえも謎とされる聖女である。
そして今回、彼女は下界、つまり人間界で人として生を受けていた。
己の血の重みもその力の意味するところも全く知ることもなく、
ただの一人の少女として。

元親は彼女の髪を弄んでいた手を、ゆっくりとその白くふっくらとした頬へと移した。
と、それを敏感に感じ取ったのか、の眉が僅かにピクリと反応する。
やがて、彼女は薄っすらと瞳を開けて彼の方へと視線を向けた。

「・・・・・・・・ん・・・・・・元・・・・親・・・?」
「・・・ああ、すまねぇ・・・起しちまったようだな・・・。」

彼が苦笑して答える。
はまだ覚醒しきっていない様子でぼんやりと彼を見つめた後、
クスリと小さく笑って首を微かに左右に振った。

「いいえ・・・私こそ・・・何だか随分長く眠ってしまって・・・。」

そして彼女が身を起こそうと身体を傾けたその時、
その細い肢体にかけられていたシーツがするりとから滑り落ちた。
それと同時に彼女の華奢な肩となだらかな膨らみが露になる。
は咄嗟に羞恥で頬を染めながら、再びシーツを両腕で掻き抱き、胸元を隠した。

「はっはー!今更照れんじゃねぇよ。昨夜じっくり可愛がってやった体だぜ?」
「・・・っ!そう言うことを平気で言わないで下さい・・・!」

元親の言葉には益々顔を赤くし、抗議するように彼を睨み付けた。
シーツの隙間から見える彼女の白い肌には、
昨夜彼が刻み込んだ鮮やかな紅の花弁がそこここに散っている。
彼は両腕を伸ばすと、未だ拗ねた子供の如く頬を膨らませているの肩を抱き寄せた。
彼女はそれに素直に従い、元親の胸へと身を寄せる。
その刹那、華の蜜を思わせる甘やかな香りが彼の鼻腔に広がった。
彼はを抱く腕に僅か力を込める。

「・・・なぁ・・・俺はおめぇを・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

先を続けかけた元親だったが、すぐにその口を閉じる。
それと同時には瞳を寝台へと落とし、その目に寂しげな蔭りを見せた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

不意に、元親は寝台の奥にある大きな鏡に視線を移す。
そこに映る男女の姿。
長く美しい黒髪を寝台の上に波打たせ、
磁器を思わせる滑らかな白い肌を持つ華奢な肢体。
その面立ちは未だ少女を思わせる幼さが残っている。
びっしりと生え揃った艶やかな睫の下にある瞳は黒目がちで、黒曜石を思わせた。
そしてその少女にしっかりと腕を回している異形の青年。
異形の者と言えど、その姿は人を惑わせるに十分な容姿を持っていた。
均整の取れた筋肉質な肉体に美しい銀髪。自信に満ちた吊り目で切れ長の黄金色の隻眼。
その薄い唇の奥には鋭い牙が隠れており、彼の自慢の銀髪には左右から大きな角が生えていた。
その身体能力は脆くひ弱な人間達を遥かに凌ぐ。
悪魔と聖女。
鏡に映ったその男女は、間違いなく元親と、彼らなのだ。
聖女。
何度、元親はせめて彼女が普通の人間であればと思ったことか知れない。
しかし、彼女がただの人であったならば、今この状況は生まれていなかったに違いないのだ。
そう、彼女と出会い、聖女である彼女を愛してしまうなど、起こり得なかったに違いない。


なぁ・・・・・・笑っちまうぜ・・・。数百年生きて来た魔界の海を統べるとまで恐れられたこの俺が・・・、
人間の・・・しかも聖女に惚れちまうなんざよぉ・・・・。


彼は心の内でそう自嘲気味に彼女に語りかけると、鏡に映る哀れな男女から目を逸らした。
どんなに愛しくても、この気持ちを伝えることは出来ない。
その瞬間から、彼女はその純粋すぎる魂ごと彼の目の前から、そしてこの世界から消えてしまう。
否。
彼の体内に取り込まれてしまうといっていいだろう。
そしてそれは当初彼が渇望していた筈のことだった。
悪魔・元親と聖女・
彼らの関係は契約に基づいて始まったものなのだから。





二人の出会いのきっかけは全くの偶然であり、そしてまた必然であったとも言える。
下界。
人間界に生を受けていた聖女は、この地上では聖女たる力と宿命に気付く事もなく、
そして世界もまた、その必要性を見出せずに居た。
世界に必要とされない聖女はただ人として生きるしかない。
しかしそのただ人にはない空気と力は、知らぬ間に周囲の人間を遠ざけてしまっていた。
常人にはそれと分からぬ力ではあるが、
人の第六感が彼女の不思議な空気を感じ取り、ただ人とは違うのだと位置づけた結果と言えるだろう。
裕福な家庭に育ったではあったが、彼女の両親は彼女が幼くして交通事故により命を落とし、この世を去っていた。
学校に通っては居るものの、友人は無く、親戚も居ない。
彼女は孤独の中で日々を過ごしていた。
そんなある日、はふとしたことから今は亡き父親の書斎から、
百科事典にも勝るとも劣らない程分厚く古びた書物を見つけ出した。
黒一色の表紙のその本に題名は無く、黄ばんだページをぺらぺらと捲って見るも、何の文字も書かれては居ない。
だが彼女はその書物に不思議な関心をそそられ、ページを捲り続けた。
やがて、その分厚い本の終盤に差し掛かると、はピタリとその手を止めた。
理由は彼女自身にも分らない。
他のページと何ら変わらず、そのページにも何も記されては居なかった。
暫くの間彼女はただその項をじっと見つめ続け、
やがてその馬鹿馬鹿しさに小さくため息を吐いて書物を閉じようとした。
瞬間。
ピリリ、と、指先に鋭い痛みが走る。
彼女が気づいた時には、その黄ばんだページに鮮やかな赤い血の点が数滴、落ちていた。
古びた書物と言えど、紙の切れ味は馬鹿に出来ない。
彼女は書物を広げたまま机に置き、細長く切れ目の入った指先に視線を落とした。
不意に、そこでまた開いたままのページに目を移す。
すると、先ほどまでは確かに何も記されていなかった筈のその項に、
まるでたった今浮かび上がってきたかの如く、文字が並んでいた。

「汝・・・力を欲するならば・・・我と契約の元に汝の身と魂を捧げん・・・。
汝の身と魂を代償に如何なる欲望も全てを叶え全てを与えよう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

半ば無意識の内に彼女は書物に記された文字を口に出して読み上げていた。
程なく、その文章は終わりに近づき、最後の一文に差し掛かる。


「力を求めし者よ、我を欲する者よ、我を召還せし呪文を唱えよ・・・・・・・・―――――――。」


刹那。



―――ズゴオオオオオオオオ・・・・


地響きとも思える凄まじい轟音が室内に響き渡り、
同時にフローリングの床に黒く大きな渦が出現した。
は咄嗟に部屋の隅まで駆けて行き、壁を背にして信じられぬ思いでその様子を目にする。
やがて禍々しいそのどす黒い大渦の中心から、ずぶずぶと何かが姿を見せ始めた。
そして轟音と大渦が徐々に消滅していくと共に、その姿が明らかになっていく。
銀髪、長身の青年。
否。
今までの過程は勿論、その様子から人間ではないことは確かだった。
尖った耳に頭部から左右に生えている鋭い角が全てを物語っている。
はただ息を呑んでその異形の青年を見つめた。
足元の大渦が完全にかき消えると、青年は黄金色の隻眼で彼女を捕らえた。
彼女は半ば呆然と青年と視線を合わせる。
彼は存外人好きのする笑顔で口を開いた。

「よぉ、嬢ちゃん、俺を呼び出したのはあんたかい?って・・・、
ま、どう見てもここにゃあんたしか居ねぇんだ、そうなんだろうな。」

青年は自問自答する如く言って、再び彼女を無遠慮に眺める。

「貴方は・・・何者・・・ですか・・・?」

途切れ途切れに、だが怯えていると言うよりは驚きを隠せないと言った様子で彼女は彼に尋ねた。
異形の青年は僅かにピクリと片眉を上げ、やがて声を上げて笑い出す。

「はっはー!俺を呼び出しておいて何者かって?
面白ぇことを言ってくれるじゃねぇか、嬢ちゃん。
ってことはつまりあんたはこれが悪魔の書だって知らなかったってのか?ん?」
「・・・・悪魔の書・・・?」

彼女は彼の言葉を繰り返し、視線を先ほどの分厚く古びた書物に移した。
青年は何処か楽しげな表情を浮かべると、大股に歩いて彼女の視線の先にある書物に近づく。
そして開かれたままの書物を手に取り、それに瞳を落とした。
やがて、驚いたようにその隻眼を再び彼女に向ける。

「おぅ、嬢ちゃん・・・、あんた、まさかこれっぽっちの血で俺を呼び出したってのかい?」
「・・・・え?いいえ、それは偶然紙で手を切ってしまって・・・。」

彼女は有りのままを説明しようとしたが、青年の耳には届いて居ないようだった。
彼は僅かに彼女から目を逸らすと、何やら一人、ぶつくさと口の中で呟いている。

「有り得ねぇっ・・・、上級悪魔のこの俺を呼び出すのに使った血がたったこれっぽっちだと・・・?
しかもそれが成功してるってのはどう言うことだぁ?・・・いや・・・・待てよ・・・・・・・・。」


聖女。
不意にその二文字が、彼の頭に思い浮かぶ。
ほぼ伝説に近い形でしか耳にしたことはないが、魔界でもその存在は有名だ。
だが、聖女が下界に現れたという話は今のところ聞いた事がない。
しかし――――。


―確かにこの嬢ちゃんから感じる空気は他の人間とは違うモンがある・・・。
ある程度力のある人間ってのも有り得る話だが・・・こいつぁ・・・・。


思案を巡らせながら、彼は書物に数滴の染みを作っている赤い血の痕に指先で触れた。
瞬時、彼は確信した。

「・・・・・・・・・・・・どうやら・・・正真正銘のお宝・・・引き当てちまったようだな。」

ニヤリ。
呟きと共に、彼の口角が上がる。
そして青年はゆっくりとへと向き直り、彼女との距離を狭めた。
壁を背にしている彼女は動くこともせず、ただ彼を見上げている。

「あんた・・・名前は・・・・・・・ ・・・か。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

異形の青年は彼女の答えを求めると言うよりは自身に確認する如くそう言った。
それから彼は再び口角を上げ、に向けて口を開く。

「どんな理由があるにしろ・・・・・・あんたは俺を呼び出したんだ。きっちり契約は交わしてもらうぜ。
さぁ、願いを言いな。ただし・・・代償はあんたの魂・・・、あまりお粗末な願い事はよした方がいい、
後悔が残らねぇようにどーんとデケぇ願いごとを口にしとけ。
ま、何にしろ俺たち上級悪魔にとっちゃ人間の願いなんざ大したこたねぇ。何だって叶えてやれるぜ。」

は彼を見上げたまま、無言で話を聞いていた。
そして視線を微かに彷徨わせた後、何事か思案する表情を見せる。
やがて、彼女はその黒曜石を思わせる黒目がちの瞳をピタリ、と、悪魔の黄金色の隻眼と合わせた。


「ならば・・・愛を、愛を下さい。」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・愛だぁ?おぅ、好きな男でも居んのか?チャンは。
いいぜ、何処の野郎か教えてくれりゃ、その程度すぐに叶えて・・・「いいえ、違います。」

そこで彼の言葉を遮るようには言った。
悪魔の青年は怪訝な表情で彼女を見る。
彼女は視線を彼のものと重ね合わせたまま、続けた。


「悪魔さん・・・貴方の愛を私に下さい。貴方が私を愛してくれたと心から感じ、
貴方が心からその言葉を私に告げてくれたその時、代償として私の命を差し上げます。」



呆然と、隻眼の悪魔はを見つめる。
数百年。
魔界の海を統べる悪魔として生き、時折こうして人間に呼ばれては下界に降りて人間の欲望を叶えてきた。
だが、未だかつてこんな願いを口にした者を、彼は誰一人として知らない。
地位、名誉、権力、富と欲望にまみれた人間たちの願い。
確かにその中で己の意中の人間の心を欲する者も数え切れぬほど居たが、
悪魔からの愛情を願う人間になど今までお目にかかったことなどなかった。


聖女ってのはイカレ女って意味かぁ・・・?


彼は訝しげに目の前に立つ華奢で美しい容姿の少女を見下ろした。
彼女の表情は無に等しく、そこからは何の感情も読み取れない。
悪魔の青年は再び思案を巡らせ、暫しの後、決断を下す。


「いいぜ、、あんたの願いを叶えてやろうじゃねぇか。俺の愛情ってやつをくれてやる。
ま、さすがに今すぐってのは無理な話だ、俺と一緒に来て貰うぜ。あんたの願いが叶う時までな。」
「いいでしょう。」

答えた彼女の白い手を、悪魔はゆっくりと取った。
そして、先ほど書物のページを捲った際に切れた指先の傷に、彼が口元を寄せる。
既に血は止まっていた。
彼はその傷に舌を這わせると、ニヤリとした笑みと共に彼女に告げる。


「俺は悪魔には違いねぇが・・・どっちかてーと魔界じゃ鬼と呼ばれることの方が多い。
そう・・・鬼の長宗我部元親ってな・・・これから宜しく頼むぜ、。」
「ええ・・・、宜しくお願いします・・・。」



―――こうして、悪魔と聖女、二人の契約は為された。―――



悪魔の元親の思惑を知らぬまま、彼女はこの後、魔界へ連れられて行くこととなる。
そしてこれが、全ての始まりだった。
悪魔と聖女。
彼ら二人の恋の茨の道がこの瞬間、開かれたのである。



後書き
BASARA連載にしては珍しく敬語ヒロイン。そしてやりたい放題な妖怪部屋です。
切ないシリアスながらも最後は頑張ってハッピーエンドに持っていきたい感じ。
この話がどれ位の姫さま方に受け入れられるか不安ですが、
ここまで読んで下さった方に心から感謝です。ではでは、失礼します


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