廊下を一人で歩きながら、何となく目を向けた一室。
7年前の誕生日に、凌統と女官の姿を目撃してしまったあの場所。
おかしな話だけど、この室は、私にとって色々な意味で特別だった。
初めての恋人が出来たとき、
仕事の合間に身を隠すみたいにして初めての口付けをしたのもこの場所だ。
そして、2度目の恋人の時も、やっぱりここでその人と初めて口付けをした気がする。
だけど何よりおかしいのは、その恋人達と私自身が交わした初めての口付けよりも、
12歳のあの日に目にした17歳の凌統と、女官の口付けの光景の方が鮮明に心に焼き付いている事。
あの艶かしい雰囲気や、耳に纏わりついて離れない水音は、
本当に嫌になる位ハッキリと記憶に残って居る。
私は無意識の内に、そっと、その室の扉に手をかけた。
そのままゆっくり、扉を開ける。
中はあの時と同じで、薄暗くて、蝋燭もほんの数本しか点されてない。
余り使用されていない室でも、定期的に掃除をされているから、埃っぽさは無かった。
勿論、人が居る様子も無い。
私は特に何も考える事無く、その室に足を踏み入れた。
室に入ると遠くで聞こえていた宴の会場に残っている数人の人たちのドンチャン騒ぎは、
全く聞こえなくなった。
「・・・?」
「えっ・・・!?」
私の後ろから唐突に誰かが室内に入ってきた。
咄嗟に振り向くと、開いた扉の側に凌統が立っている。
思いがけない彼の登場に、私は動揺してしまった。
まさか、あの日と同じ誕生日に、この室で、凌統に声を掛けられるなんて。
「凌統・・・、どうしてここに・・・。」
「あんたがこの室に一人で入って行くのが見えたからな。
もしかして・・・ここで誰かと待ち合わせかい?」
「?待ち合わせ?いいえ、ただの通りすがりみたいなもんだけど・・・。」
答えた私を、凌統は何故か疑っているみたいな瞳でジッと見つめている。
私は思わず眉間にしわを寄せた。
「大体何で私がこんな所で人と待ち合わせなくちゃいけないの?」
「・・・へぇ、そう言う答えが出てくるって事は・・・・・・・あんた、
この室が何の目的で使われてるか本当に知らない訳だ。」
「??この室って何かに利用されてるの?そんな風には見えないわ。
掃除はきちんとしてあるかもしれないけど・・・。」
素直に返事をした私に、彼は突然笑って言った。
「知らないんだったら、不用意にこの室に入ったりしない事をお奨めしますよ、殿。
一応あんたの為に教えておくけど、
ここは大抵城内の恋人達が逢瀬を目的に使う室になっちまってる。
万が一鉢合わせたりすれば、デバガメもいいとこってね。」
「・・・・・・・・・うそっ!!??」
彼の説明を聞いて、私は驚いて声を上げる。
瞬間的に、顔が真っ赤になったのが自分でも分かった。
この空き室がそんな目的で使用されてたなんて、私は全く知らなかった。
あの12歳の誕生日に凌統達の現場を見てしまったことは、
本当にただ偶然にこの室を使ったのだとしか思って居なかったから。
つまり、私が以前付き合った恋人たちも、その事を十分承知していた事になる。
彼は私の反応に益々笑いを誘われたのか、喉をクククっと鳴らして続けた。
「ま、勿論大々的にそう言う室だって訳じゃないが、特に若い連中の間じゃ暗黙の了解ってヤツですか。
幸い旧軍議室のお陰で室内の音も漏れにくい、打ってつけの場所って事さ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
生々しすぎる内容。
そして、こんな時に限って、私の頭にはあの日の凌統と女官の姿が思い出されてしまう。
私は両手で口元を覆って、赤くなった顔を益々赤くしていた。
今にも、あの厭らしい水音が耳元に響いてきそうな気さえする。
目の前に立っている24の今の凌統と、17の彼が重なって見える。
見る見るうちに、私の中に複雑な思いが膨れ上がってきた。
だけど、あの頃感じた嫌悪感みたいな物とは違う。
知らず知らず、私の視線が、彼の形のいい唇へと向いた。
薄暗がりに立つ彼は、その容姿の良さだけでなく、どこか妖しくて、
女の私が羨ましいと思ってしまう程に色気があった。
―どくん。
私の胸の奥が大きく跳ねる。
ここがどんな場所か聞いてしまったからだろうか、彼を、こんな風に見てしまうのは。
「どうしました?殿。
そんなに怯えなくても、俺はあんたを取って喰ったりはしないぜ。
無理強いは俺の趣味じゃない。ま、時と場合にもよるけどね。」
怯えてる・・・?彼に・・・???
違う・・・、そうじゃ、そうじゃなくて・・・・・。
凌統のいつもの軽口に返す言葉も出せずに、私はそのまま彼をジッと見つめ続けた。
自分で自分の今の心境が全く分からない。
ただ、胸の内、頭の中、疼く、何かがある。
それだけは分かっていた。
「・・・この場所でその目は卑怯だぜ。俺を誘ってると勘違いしちまいそうだ。」
「・・・・・・・・・・・凌統、私・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
言いかけて、私はその口をすぐに閉じた。
何を言おうとしたのかも分からない。
何を言いたいのかも分からない。
口元を覆っていた手が、何故か震え始めていた。
「・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・っあ・・・。」
彼の大きな掌が、口元を抑えていた私の手にそっと触れる。
そしてそのまま私の手をその場所から外した。
私を見下ろす彼の瞳。
背中に、ゾクリ、と、何かが走る。
またしても、思い出してしまう、彼の口付けの光景。
だけど、違う。
今、私の頭にある光景は、彼の相手はあの女官ではなくて、私自身だった。
・・・ああ、そっか・・・・。
嫌悪してたのは、汚いと思っていたのは・・・・・・・・・・・。
私・・・・・・・・・・自分の方だったんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
そこで私は心の中で苦笑してしまった。
体を絡めて合わせていた凌統と彼女。
あの時、私はとてつもない嫌悪感を感じた。
だけどそれは、彼の相手が、私ではないことに嫉妬していた私自身を、
認めたくなかっただけなんだと、今、分かった。
そんな『女』の感情を理解するには、幼すぎたから。
そして多分、私の気持ちは、あの頃から殆ど何も変わってない。
7年経っても耳に纏わりついている、あの水音。
「凌統・・・・・・・・・・・・私、貴方の口付けが欲しい・・・・・。」
私の口から自然と零れ出たその言葉。
長い間、ずっと望んでた。
だけど、封印していた筈の想い。
「最初で最後でいいから・・・・・・、1度だけでいいから・・・。」
「・・・・。」
私の名を呼んだ彼の手が、体に回される。
そして、凌統はゆっくりと私を自分の側へ引き寄せた。
縮まる、彼と私の、距離。
私が瞳を閉じると、すぐに彼の唇が押し付けられる柔らかな感触があった。
―ドクン。
咄嗟に、私からも彼の体に腕を回して、腕に力を込める。
瞬間。
触れ合わせただけの唇が、彼の舌で割りさかれた。
ヌラリ。
私の口内に入り込む、凌統の熱い舌。
私が行動を起す暇さえ無く、あっという間に舌を絡め合わされる。
「ふ・・・・っ・・・・」
少しだけ、息苦しさを感じて、思わず、私は声を漏らした。
その間も彼の舌が、私の口内で生き物みたいに蠢く。
脳も、体の芯も、全部、蕩けそうな口付け。
段々と溢れてくるお互いの唾液が、交じり合って、溶け合っていく。
―ピチャ
「んっ・・・・・・・・・・・・・!」
口内に、響く、艶かしい水音。
あの日のものとは、比べ物にならない。
―ピチャ。
私の顎を、雫が伝う。
それを追うように、彼がその雫に舌を這わせた。
「凌・・・統・・・・・。」
彼の名前を呼んだ私の唇を、彼はまた舌でゆっくりと舐める。
そして、その唇を耳元に移動させてから、囁くみたいにして言った。
「・・・悪いけど、最初で最後になんかさせてやらないぜ・・・。」
「・・・・・・・え・・・・・・・・・?」
「姫さんの手前我慢してたんでね・・・・、
けど、こうなったらもう俺自身止められないってね・・・。」
息を吹きかけるようにして続けた彼が、
言葉が終わるのと一緒に私の耳朶に口付ける。
私の体にまた、ゾクリ、と、何かが駆け抜けた。
「でも私は・・・貴方と一緒に居られるほど・・・美人じゃない・・・・。」
返事と同時に浮かぶ、あの綺麗な女官の彼女。
そして、今まで見てきた、彼のとりまき。
5つも彼より年下の私には無い、大人の女独特の色気。
「ご冗談を。俺にとっちゃ、この城でアンタ以上の女なんかいないぜ、。」
言い終えると、彼は私の耳朶を甘噛みし始めた。
そして、耳の形の隅々を確かめるみたいに舌でなぞる。
瞬間、さっきとは比べ物にならないほど、私の体中をビリビリと何かが駆け抜けた。
「ァ・・・っ・・・!」
「クックック・・・、あんたの性感帯って耳みたいだな。」
私の反応に凌統が喉の奥で笑って言った。
恥ずかしさに思わず私の顔が赤くなる。
「なっ・・・・や、やだ・・・・。」
「恥らう姿もそそられるってね。あんた、思ったより男の本能をくすぐるのが上手い。
俺の方が我を忘れちまいそうですよ。」
彼はそう言うと、また私の唇に自分の唇を重ねる。
だけど今度は、触れ合わせただけの軽い口付けだった。
それからすぐに凌統は私から離れて、苦笑した。
「10代やそこらの飢えたガキじゃありませんからね、
惚れた女相手にいきなり突っ走って嫌われたくも無い。
・・・実のとこ、その気満々だったりするが、今回ばっかはやめときますよ。」
「凌統・・・・・・・・・・・・・・・・。」
私は何処かホッとしたみたいな、でもやっぱりガッカリした様な、複雑な気持ちだった。
だけど、彼が私を思って歯止めを利かせてくれたことが、何だかとても嬉しく思えた。
「それに、あんたを抱くのにこんな室じゃ俺が勘弁ならないしね。」
「なっ・・・何を!」
「んじゃ、さっさと出ようぜ。俺の気が変わらない内にね。」
笑って言った彼に、頷く私。
その室の扉を閉めながら、
私は私の耳に響く水音の記憶が塗り替えられた事を思う。
纏わり着いて、こびりついて、離れなかった12歳の誕生日の光景。
だけど。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「どうした?。」
突然無言になった私に、凌統が尋ねた。
私は小さく左右に首を振る。
「やっと私の願いが叶ったって、考えてただけよ。」
私の答えに、凌統は一瞬驚いたみたいな顔をして、
すぐにふっ、と、目を細めて微笑んだ。
「それはこっちの台詞だっつの。」
(終わり)
後書き
長っ!!そして凄く珍しく私の書く凌統がちゃんと『我慢』してます(苦笑)
三國は久々に凌統を書いたので、楽しかったです。
では、ここまでのお付き合い、誠に有難うございます。失礼します。
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