重い瞼をゆっくりと開いたの瞳にまず真っ先に映ったのは、
上から自分を心配そうに覗き込む尚香の姿だった。
彼女はの両手をしっかりと握り、今にも泣き出しそうな顔をしている。

「・・・しょ・・・香・・・様・・・?」

は途切れ途切れに彼女の名を口にした。
だが、言葉を発した途端に腹に何とも言えぬ痛みを覚え、苦しさに顔を歪ませる。

!!!!」

尚香が驚いたように声を上げた。
はそれを軽く手で制し、再び口を開く。

「大丈夫です・・・、それより私は・・・一体・・・?」


視線だけを部屋の中に走らせ、ここが自室だと言うことは認識できた。
だが、彼女にはここに戻るまでの記憶が全くない。
そんなの問いに、尚香の隣に立っていた大喬が答える。

様は曹魏との戦いで深い傷を負って此方に運び込まれたんです。
あれからもう3日になります・・・。
様・・・・すごく・・・すごく心配しました・・・!」

目を潤ませて言う大喬の隣で、小喬が何度も頷いて同意した。

「そうだよぉ!もぉーー!でも・・・良かった・・・。」
「尚香様、大喬様、それに小喬様も・・・申し訳ありません・・・。」

自分の事を心から心配し、気遣ってくれる3人に彼女は深く感謝した。
が孫呉に来てもう2ヶ月余り経つ、
その間に4人の女性達は周りが驚くほどに深い絆で結ばれていたのだった。

「でも本当に良かったわ・・・!
運び込まれた貴方を見たとき・・・ワタシ、生きた心地がしなかったんだから!」

尚香は安堵の表情を見せながらに言った。

「本当にご心配おかけして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

そこでは言葉を切り、そしてほんの一瞬の間に記憶の糸を辿った。
彼女が地面へ崩れ去ったあの時、凌統の声を聞いたのを思い出したのだ。
突然黙り込んだに、尚香が再び心配そうに訊ねる。

「・・・・・・・・?どうしたの!?どこかまだ痛いの!?」
「いいえ・・・・尚香様・・・あの・・・凌統は・・・・・凌統はどうしました!?」

急に声を大きくした為に腹の傷がズキズキと痛んだが、
彼女はそんなことさえ気にしていられなかった。
尚香の代わりに小喬がの問いに答える。

「凌統ならと同じで今は自分の部屋で寝てるよ!
まだ目が覚めてないんだけど・・・・。」


それを聞いたは寝台から急いで身体を起こし、立ち上がろうとした。
二喬が慌ててそれを止める。

「駄目です!様、まだ無理に身体を動かしてはいけません!」
「そうだよ!無理だってば!」

身を起こしたの身体を気遣いつつも、2人はそれを押し止めた。
が半ば懇願するような瞳を大喬達に向け、口を開く。

「行かせて下さい・・・!お願いします・・・!」
「気持ちは分かるけどぉ、駄目だよ!また傷が開いたりしたら・・・。」

「ねぇ2人共、行かせてあげましょうよ。」

小喬の言葉が終わるか終わらないかの内に、そう言って笑顔を見せたのは尚香だった。
二喬が驚いたように尚香を見つめ、声を上げる。

「ええ!?でもでもっ!」
「あの・・・様はまだ目が覚めたばかりですし・・・・。」

言って、戸惑ったようにと尚香を交互に見つめる2人。
尚香は笑顔を崩さぬままに続けた。

「ねぇ、もしもこれが策兄様だとしたら?例えば周瑜だとしたら?
貴方達はどうしてたのかなぁ?」

「「!!??」」

尚香の思わぬ台詞に2人は同時に言葉を失う。
彼女らにとって最愛の人がもしも今の凌統と同じ状況にあったとしたら、
そう考えるともう選択の余地などなかった。
つまり、今のと同じくすぐさま彼の元へ向かうだろうと言うことだ。
例え自らの傷が完全に癒えていなかったとしても。

「「・・・・・・・・・・・・・・。」」
「尚香様・・・・。」
「うん!ただし、部屋の前まではワタシも一緒に行くからね?」
「・・・・はい、有り難うございます・・・・。」

は心から感謝し、尚香に笑顔を向ける。
尚香がそれに再び微笑んで応え、彼女が立ち上がるのに手を貸す。

・・・ゴメンねぇ、あなたの気持ち、考えてあげなくて。」

小喬が小さな声でそう言ってに謝った。
大喬も隣で同じように表情を暗くしている。
は首を軽く左右に振った。

「いいえ・・・、お2人のお気遣い・・・とても感謝しております。
凌統の顔を見たらすぐに・・・また身体を休めさせて頂きますので・・・。」
「はい。」「うん!」

二喬が同時に返事をし、はそれを笑顔で見つめた。
そして尚香に身体を支えられながら、部屋の扉を出て行く。

「・・・尚香様、私の我侭を聞いて下さって・・・有り難うございます。」

廊下に出てすぐに、は尚香に礼を述べる。
尚香は小さく溜息を吐く真似をして、笑った。

「だって、どうせ止めても聞かないんでしょ?だったら無理に止めても無駄だわ。」
「フフ・・・・でも本当に有り難うございます。」


尚香はの身体を気遣う様にゆっくりと進み、
やがて2人はある一室の前で足を止めた。
そこが凌統の休んでいる彼の部屋だ。

「・・・尚香様、ここまでわざわざお付き合い頂いてすみませんでした。」
「ううん、いいのよ。あ、ちょっと待って、中には凌統だけしか居ない訳じゃないから。」

彼女はそう言い、部屋内に声をかけて人払いを頼んだ。
少しして、中から数人が廊下へ出てくる。
は彼らに礼を言い、そして凌統の部屋に足を踏み入れようとした。

・・・・。」
「はい、尚香様。」

が室内に消える直前に彼女を呼び止めた尚香が、
口元をほんの僅かに哀しく緩めて微笑んだ。

「ワタシ・・・貴方には幸せになって欲しい・・・。
こんな乱世だからこそ、好きな人と一緒に・・・・・・・・・・。」
「・・・尚香様・・・。」
「うん、じゃあ、また後でね・・・。」

尚香はそう言って彼女を室内へと促す。
はただ頷き、扉を閉めた。
室内は外の光が極力差し込まないよう気を遣っているらしく、昼間だというのに薄暗い。
は凌統が休んでいる寝台にゆっくりと近付いた。


・・・・・・・凌統・・・・・・・・・・・。


彼女は凌統の寝台の脇に座り、彼の黒髪に手を伸ばした。
いつもは戦闘や職務に差し支える為束ねて結わえられているその長い髪も、
今は下ろされて枕元でサラサラと波打っている。
彼女はその髪を梳くように手を動かした。

「有り難う・・・・あんたのおかげで、私はどうやら命拾いをしたわね・・・。」

口元をほんの少しほこらばせて言い、彼女は凌統の寝顔を見つめた。
規則正しい凌統の寝息に、彼女は心からの安心感を覚える。


・・・・・生きてる、私もあんたも・・・生きてるわ・・・凌統・・・・・。


暫くの間彼女は凌統の傍で彼を見つめていたが、
やがて再び立ち上がり、部屋を後にすることにした。

「もう出て行っちまう気かい?。」

扉の取っ手に手を掛けた所で、不意に背後から自分を呼び止める凌統の声がする。
彼女はすぐに振り返って彼を見た。

「凌統・・・起きてたの?」
「今目が覚めた、ま、危うくあんたが出て行っちまう所だったから良かったぜ。」

凌統はそう言って体を寝台から起こし、床に足をつけた。
上半身のほとんどが傷の為に包帯が巻かれている。

「私が行くわ、そんな体で歩かないで。」
「へぇ、そりゃ誰に言ってるんですかね?歌姫さん。」

いつもの調子でそう口にした凌統が、ニヤリと笑みを浮かべる。
衣服で隠れてはいるものの、自身もその下は彼とあまり変わらない程の包帯が巻かれているのだった。

「フフ・・・そうね・・・。」

思わずそう言って苦笑する彼女のすぐ傍まで凌統は近寄り、
そして彼女の頬に片手で軽く触れた。

「ったく、やんなるね・・・、俺が先に目覚めてあんたを迎えに行く予定だったってのに。」
「ううん、凌統には感謝しているわ・・・。
本当なら私が助けに行くはずだったのに・・・。」

はそこで徐々に表情を曇らせた。
凌統が彼女の頬に片手を触れたまま呟くように答える。

・・・・あんたは何も分かっちゃいないんだな・・・・・・。」
「え・・・・・・・?」
「感謝なんかしてもらう必要は全くないんだぜ・・・。」

俺はただ守りたかっただけだ、自分の大切な人を。

その続きが言葉にならず、凌統はただ彼女を見つめた。
は自分の頬に触れている彼の手に、自らの手をゆっくりと重ね、そして口を開く。

「ねぇ凌統・・・戦の前日の答え・・・・、出たわ・・・・・・・・。」

の台詞に、凌統の手がほんの一瞬ピクリと反応する。
彼女は凌統と視線を合わせたままで先を続けた。

「あの時・・・・・・張遼との戦いで・・・・・意識を失いかけたあの時・・・、
私が一番に思い浮かべたのは・・・死んだ父でも、・・・・そして甘寧でもなかった・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

凌統の手に重ねている彼女の手に、僅かに力がこもる。
彼は黙ったまま彼女の言葉を待った。
彼が待ちわびているその答えを。


「・・・・・・・死線の境で一番に思い浮かんだのは・・・・、凌統・・・・・・・・・・・・あんただったのよ・・・・・・・。」



・・・・・・・・・。」

凌統はの言葉が終わるか終わらないかの内に、彼女を自分の元へ引き寄せた。
は素直に彼の胸へ身を預ける。

「ったく・・・あんたは本当に何も分かっちゃいない・・・。
俺が今までどれだけ我慢してたのか・・・・・・。
あんたがこの部屋に居ると分かった瞬間から、俺はあんたに触れたくて堪らなかったんだぜ・・・?
それを珍しく我慢強く耐えてやってりゃ・・・。」

凌統の腕の力が強まり、彼女は彼の首元に腕を巻きつけた。

「凌統・・・・。」

2人は傷が治りきっていないことも忘れたかのように強く抱きしめ合った。
互いがこうして死線を越え、今ここに居る。
それを相手の体から伝わる温もりから2人は深く実感していた。
ほとんど鼻と鼻がこすれ合うほど間近にある2人の顔、
凌統は彼女に吐息を吹きかけながら口を開く。

、あんたが全快してたら、俺はもっと我慢できてないかもしれないぜ。」
「クスクス・・・それは残念ね・・・・・・・。」
「へぇ、望むところって事ですか。んじゃ、今回はこれで勘弁してやるしかないか。」

言いざま、凌統はの唇に自らの唇を重ねる。
はそれを受け入れ、すぐにその艶やかな紅い唇を僅かに開いた。
彼の舌がすぐに彼女の舌を絡めとり、ねっとりとした長い口付けが交わされる。
唇を放さないまま、は凌統の髪を手でさらさらとかきあげた。
何度も唇を重ねては放し、そして放しては重ねる。
どちらかが、ではなく、どちらも互いに深く求め合う。


シャラ・・・ン・・・・・・


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

不意に聞こえた鈴の音に、凌統の動きが止まり、彼はから身を放した。

「・・・・・・・・・凌統・・・・・?」

鈴の音色に気付かなかったは、彼に不思議そうな視線を向ける。

「いや・・・・・、それより・・・・・・・。」
「何・・・?」
「2人で居る時だけは・・・俺を字で呼んじゃくれませんかねぇ?」
「了解、そうさせてもらうわ。」

が嬉しそうに微笑み、濡れた唇が美しくほころぶ。
凌統はそれを満足そうに眺めた。
そして彼女に気付かれぬ様、視線をチラリと足元の鈴に移す。
薄暗い部屋の中で、凌統の目にはその鈴はやけに美しくその輝きをキラキラと部屋の中に反射させているごとくに映った。


・・・・ガキっぽいってのは分かるが・・・やっぱりいつか外してもらうぜ、


再び彼女の細い肩に手を伸ばしながら、凌統は心の内で彼女に語りかける。


けど、ま、・・・そんときゃ、あんたの意思で・・・あんたの手で・・・・・。
じゃなきゃ全く意味がない・・・・・・・・・・。


彼の腕に抱かれたが、今度は自ら唇を合わせてくる。
艶やかに妖しい色をたたえた唇に酔わされるように、
凌統はゆっくりと瞳を閉じた。



薄暗い室内、交わされる言葉少なに、彼らはお互いの想いの先の答えを手にした。



(凌統編 恋鎖-終-)



後書き
うう・・・!あれだけ『ヒロインと凌統2人っきりでばりっと出ます』
みたいな事を言っておいて、結局後半にしか出てきませんでした。
しかも思ったよりかなり長くなってしまった・・・。
途中まで書いてたんですが、
どうも他に書きたい話が出てきて(お題とか異世界トリップとか)
この連載の更新久し振りでした・・・。いかんいかん!
でわ!ここまで長々とお付き合い頂き、誠に有り難うございました。
失礼致します。


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