甘寧がの部屋に入ったその時、
彼女は寝台の上から窓の外へ視線をぼんやりと彷徨わせて居るようだった。
外は先程から小雨が降り続いている。
彼が室内に入った気配を感じ取り、彼女は視線を窓から此方へ移した。
あの夜以来、彼らが顔を合わすのはこれが初めてだ。
は無言で甘寧が寝台の横にある椅子に腰掛けるのをただ見つめていた。
「・・・おぅ、足をやられたらしいじゃねぇか。傷の具合はどうだ?まだ痛むのかよ?」
最初に口を開いたのは甘寧だった。
「ええ、少しね。でも大丈夫、動かなければそれ程でもないわ。」
は彼の言葉に答えながら、ほんの僅か微笑んだ。
だが、その笑みはあまりにも機械的に見える。
そしてその瞳には覇気が感じられない様に甘寧には思えた。
「・・・あの炎ん中・・・その傷で・・・鈴を捜しに行ったてのは本当か?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
不意に持ち出されたその話題に彼女は口を閉ざす。
甘寧はじっと彼女の顔を見つめ、小さく舌打ちをした後に続けた。
「その様子じゃ本当らしいな・・・。ったく、オメェは・・・・。」
「・・・・・・・・・・・あんたには関係のないことよ・・・・・・・・。」
自分でも驚くほど冷めた口調で、彼女は甘寧に向かってそう言い放った。
甘寧の眉がそれに反応し、一瞬ピクリと動く。
「あ?」
「・・・・・・・関係ないと言ったの・・・。」
彼女は再び同じ台詞を繰り返した。
甘寧は思わず椅子から立ち上がり、声を上げる。
「んだと!?おい、!オメェ!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
の視線が彼から離れ、またしても窓の外へと移った。
そんな彼女の様子に甘寧が苛立ちを隠せぬ様に声を荒げる。
「ざけんじゃねぇ!!!俺がどれだけ心配したと思ってやがんだ!?
・・・・いや、そんなこたどうだっていいんだよ!!
大体な、たかが鈴の1つや2つで命張ってまで戦場に戻ろうとしやがるなんざただの馬鹿だぜ!!」
「・・・・・・・・・・・・たかが・・・・・・・・・?」
は眉間にしわを寄せて唇を僅か動かして呟いた。
窓の外の雨は、先程の小雨から本降りへと変化し始めている。
その雨音は開いている窓から室内にも響いた。
「・・・・・・・今・・・あんた・・・・。」
「あ?俺が何か間違ったこと言ったってのか?
撤退命令出ちまってた上に、手負いで敵地の炎の中をあんな小せぇ鈴1つ捜しに行くってのがどんだけ馬鹿らしいか・・・!!」
パシッ・・・・・・・
「っ!!??」
唐突に室内に響いた乾いたその音は、窓の外の雨音など比にならないほどだった。
余りに突然の出来事に、甘寧は一瞬、自分の身に何が起きたのか理解が出来ずに居た。
右の頬がやけに熱を持ち、そして痺れにも似た痛みを感じる。
寝台から僅か身を乗り出したの瞳が彼を射抜いた。
そしてそこで彼はやっと状況を飲み込んだのだった。
「!!オメェいきなり何しやがんだ!!??」
怒鳴る甘寧をよそに、は静かに口を開く。
だが、決して動揺していない訳では無かった。
その証拠に、彼女の唇は細かく震えている。
「・・・・・・甘寧、あんたには・・・・・・・あんたにとっては、
・・・・あの鈴は・・・『たかが』かもしれないわね・・・・・・・・・・・・。」
彼に平手打ちをしたばかりののその掌が、彼の頬と負けず劣らず熱を持ち、痛み、痺れていた。
彼女はその手をぎゅっと握りこんだ。
あの気まずい別れをした夜の日の甘寧の言葉が、再び彼女の胸に浮かんでくる。
自分がどんなに甘寧を想おうとも、
それは彼に伝わることはないのだと思い知らされたあの夜の出来事。
それは仕方ない・・・・・・仕方ないわ・・・・・・・。
自分に言聞かせ、彼を見つめたまま更に言葉を紡ぐ。
「だけど・・・私にとってあの鈴は、私の身体の一部も同じ・・・・・・・・。」
そして私の想いの一部・・・・・・・・。
だから・・・あんたが私の想いを受け入れられないと判っていても・・・・・・・・・。
ギリリ・・・・・
胸の痛みが彼女の涙腺を刺激する。
は必死にそれに耐えた。
ここで涙を見せる訳には、彼に涙を見せる訳には行かないのだと。
甘寧・・・・・・・・・・お願いだから・・・・・・その気持ちだけは・・・否定しないで・・・・・・・・。
心の内でそう彼に告げる。
目の際が赤くなり始め、寸での処で涙を止めた。
「確かに・・・無謀だったわ・・・。皆に迷惑もかけた・・・。だけど、諦め切れなかったのよ・・・。」
彼女はほんの少し俯きがちに途切れ途切れの声でそう言った。
甘寧は再び椅子にどかりと腰掛け、脚を組む。
「どっちにしろもう無理だ、溶けちまってるだろうしな。諦めるしかねぇだろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうね・・・・・・・・・・。」
念を押すごとくの甘寧の言葉に、少し長めの間を空けて彼女は短く返事をした。
雨音がやけに大きく室内に響いている。
どうやら雷も鳴り始めた様だった。
「甘寧・・・・・、悪いんだけど・・・・・・少し休むわ・・・・・。」
「・・・ああ、分かった。んじゃ、出て行くぜ。」
「ええ・・・・・・・・・・。」
彼が立ち上がるより早く、は彼に背を向けるようにして寝台に横になった。
甘寧は立ち上がって彼女の背中を見つめ、少しの間そのまま動きを止めた。
寝台に流れている彼女の黒髪がさらさらと波打っている。
彼は一瞬それに触れたい衝動に駆られながら、片手にグッと拳を握った。
甘寧は扉を開け、お互いに背を向けた状態で口を開く。
「・・・足・・・・無理すんじゃねぇぞ・・・。」
「・・・・・・・ええ・・・・・・・・・。・・・・甘寧・・・・。」
「あ?」
「さっきは・・・ごめんなさい・・・。手なんかあげて、どうかしてたわ・・・。」
雨音にかき消されそうなか細い声で彼女が言った。
「ケッ、気にしちゃいねぇよ。じゃーな。」
答えてすぐに、彼は扉を閉めて立ち去る。
は寝台の上で甘寧の気配が遠ざかるのを待った。
甘寧の頬を打った片手をもう片方で強く握り締める。
未だに熱く、痺れたその掌。
目の際からは我慢しきれなくなった涙がはらはらと流れ、枕を濡らしていた。
もう・・・・・・限界なのかもしれない・・・・・・。
はそれに目を落として唇を歪めて自嘲った。
・・・もう・・・?とっくに分かっていたはずよ・・・。
彼女はただそのまま、声を殺して涙を流し続けた。
それから約1ヵ月程は、足の傷の為にはあまり自室から出ることはなかった。
それでもの部屋には彼女の世話をしている侍女以外にも、
尚香や二喬が絶えず入れ替わり立ち代り訪れていた。
「ねぇ、もう一度考え直す気はない?」
「・・・尚香様・・・・・・・。」
ここ最近の彼らの話題はもう決まっていた。
窓際で外を眺めていた尚香が、クルリとに向き直る。
彼女の足は完治こそしていなかったが、もう日常生活に差し障りのない程度にまで回復していた。
「・・・申し訳ありません、そう言って下さるお気持ちは有り難いのですが。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そっか・・・・・・、本当に決めてしまったのね・・・・。」
寂しそうに表情を暗くし、尚香は独り言に近い声でそう呟いた。
何度同じことを訊ねようと、説得しようと、の答えは最初からずっと変わっていない。
『呉を出て、父の墓のある岬へ戻ろうと思います』
彼女がそう尚香に告げたのは2週間程前のことだった。
余りに唐突な話に、一瞬返す言葉が出なくなってしまったことを尚香は覚えている。
その後すぐに気を取り直して理由を訊ねた。
『何かあったの!?うち(孫家)の待遇が悪かった!?』
『いいえ、決して。ここは・・・理想的過ぎるほど居心地がいいです。』
『じゃあどうして!?ねぇ、お願いだから理由を言って!!』
『尚香様・・・。』
呉に迎えられてからと言うもの、尚香は二喬と同じくを実の姉の様に慕ってくれていた。
そして何かと彼女に気を遣い、お互いに身分を越えて生涯で得がたい親友だとさえ感じていた。
だが結局、から理由を聞き出せたものの、思い留まらせる事は出来なかった。
彼女は1週間後にはこの呉を出て行ってしまう。
今日の宴の席では皆にもそう伝えると決めている。
今この事実を知って居るのは最初に話を聞かされた尚香と、君主の孫堅、
そしてが呉に来てから何かと世話になっている呂蒙の3人に限られていた。
未だには甘寧にさえその話を伝えてはいない。
否、伝えることが出来ずにいた。
自分を心配してくれた彼に手をあげ、涙を流したあの雨の夜。
あれ以来彼らはお互いにどこかぎこちなく、
そして彼女が部屋にこもっている事の多かった事もあり、顔を合わすことも少なかった。
だが、それだけが原因だった訳ではないことも彼女は十分承知している。
・・・・・怖い・・・・あんたの反応が・・・・・ただ怖い・・・・・・・・。
が呉を離れると伝えた時の反応に思いを巡らせると、
それだけで彼女の足は彼から遠のいた。
そうしている間にも日は過ぎて行き、結果、
出発1週間前になるまで周りの人間にも伝えられなかったのである。
ドンドンドンドン・・・
その日の夕刻過ぎ、彼女の部屋の扉を誰かが乱暴に連続して叩いた。
室内で書物を読んでいたは顔を上げ、怪訝な表情で扉に目を向ける。
「・・・?どうぞ。」
バァンッ・・・
「!!!!!」
荒々しく開かれた扉から姿を現したのは甘寧だった。
かなり遠くから走って来たのか、彼の裸の上半身からは汗が流れている。
「・・・珍しいじゃない甘寧、あんたが扉を叩いて入って来るなんて。
でも、少し乱暴ね。壊れそうだわ。」
「ざけんじゃねぇ!!!んなこた今どうだっていいんだよ!!」
そう言って怒鳴る甘寧の様子から、は即座に彼が何をしにここへ来たのかを理解した。
彼は宴を前にして、が呉を離れることをどこからか耳にしたのに違いない。
「オメェ、ここを出て行くって話は本当か!?」
案の定、彼の口から出たその言葉に、は手にしていた書物を側の棚へ置いた。
そして真っ直ぐに甘寧を見据え、彼の問いに対しハッキリと答える。
「ええ、本当よ。」
「!!!!オメェ!!何で俺に相談もなしにそこまで決めやがった!!??」
苛立ちを隠せぬ甘寧が、拳を握り扉に叩きつける。
はその様子をじっと見つめ、そして口元を歪めた。
「もう決めたことよ。これは私自身の問題・・・・・・・・。」
「理由は!!!??理由は何だってんだ!!??」
「理由・・・・・を・・・・・・・?」
キカナイデ・・・・・・・・・・・・
「ったりめぇだろうが!!突然俺の前に現れたと思ったら急に消えちまうなんざ、納得いかねぇ!!
理由位言えってんだ!!!!言いやがれ!!!」
アンタガ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ソレヲ・・・・・・ワタシニキクノ・・・・・?
の肩が細かく震え出す。
彼女は甘寧を真っ直ぐに見据え、口元を歪めて笑ったまま言葉を紡ぐ。
「無理だからよ、甘寧・・・・・・・・。」
「あ?」
「あんたが聞いたという父の口癖を実行に移すのは、ここでは無理なの・・・・・・。」
あんたが居るこの呉では・・・・。
は心の内でそう続けると、ゆっくりと甘寧に近付いた。
そして室の扉を大きく開ける。
「・・・・・・。」
「今日の宴で皆にも言うわ・・・・。分かったでしょう?甘寧、もう出て行って。」
「おい、・・・オメェ・・・・・・。」
「甘寧!」
彼の名を口にしたの表情が僅か険しくなった。
「出ていきなさい。もうこれについて話す事は何もないわ。」
「・・・・・・・・・・・・・・邪魔したな・・・・・・・・・・。」
彼を追い出すように廊下へ出し、はすぐに扉を閉めた。
そして扉を背にしたまま、ずるずると床へ座り込む。
喉から嗚咽が漏れそうになるのを必死で両手で抑える。
これで最後にするわ・・・・・・・。
甘寧の事で涙を流すのは・・・これで最後に・・・・・・・・・。
自分に強く言聞かせ、あの日の夜と同じように宴が始まるその時刻まで彼女は涙を止められなかった。
(甘寧編 涙 -終わり-)
後書き
・・・ヤバイです。甘寧編、後2話位続きそうな予感・・・。
明らかに凌統編より長いし・・・。
しかも今回もまた読みにくい長さで申し訳ないです。
初めて無双ドリ書いたヒロインなので何かかなり愛着があるんですよね・・・。
番外編と称して先々出来るなら色々いじりたい。
では、ここまで読んで下さったお客様、誠に有り難うございました。
失礼致します。
ブラウザバック推奨