月明かりが照らす穏やかな海の波間を、一隻の船が漂っている。
翌朝には目的の港へと到着予定の呉の水軍、甘寧軍のものだ。
は船室の窓辺に座り、月明かりでキラキラと輝く波にただじっと見入っていた。

「・・・眠れねぇのか?・・・。」

寝台でぐっすり眠り込んでいたはずの甘寧が目を覚まし、彼女に声を掛けてきた
は視線を甘寧に移すと、微笑んで見せる。

「違うの、癖みたいなものよ。あんたと同じに眠ると絶対にこの時間に目が覚める。」
「何でぇ、そりゃ。あれだけ体動かしといてすぐ目が覚めちまうってのか?
何だったら俺はまだイケるぜ?」
「・・・馬鹿ね・・・・それこそ本当に足腰立たなくなっちゃうわ・・・。」

はそう言って再び口元を緩めた。
差し込んでくる月明かりに照らされたの顔の輪郭がぼやけたように光り、
彼女の美しさをより一層艶かしくしている。
甘寧は寝台の隅に腰掛け、そして彼女をじっと見つめた。
それが合図だったかのようにが窓辺から彼の方へ移動する。
彼女が歩く度、甘寧の耳に儚げな鈴の音が心地よく響くのだった。
は彼の前で足を止め、無言で自ら唇を彼の唇に重ねた。
押し付けただけの口付けは、やがて舌で唇を割かれ深く濃いものへと変わる。
甘寧の熱い舌が執拗にの舌を追い求め、
彼女の吐息さえも飲み込もうと口内を荒らすごとくに動く。
そして溢れ出たどちらのものとも言えない唾液が、
水音にも似たピチャピチャと言う音を口内で響かせた。
やがて唇を離したその瞬間に、甘寧との唇を銀色の鎖が繋ぐ。
甘寧がそれに唇をつけるより早く、はそれをその白い指先で絡め取り、
赤い舌を見せ付けるごとくにして舐めた。
そして濡れた花弁の様な唇の端を上げて妖しく微笑む。

・・・。」
「何?」

が返事をしながら彼の隣に腰掛けた。

「さっき言った、『癖』ってのは・・・どういうことだ?俺の隣じゃ安心して眠れねぇのか?」
「・・・・・・・・・・・・・違う・・・・・・・と、言いたいところだけど・・・ある意味ではね・・・。」

言ったが複雑そうな表情を浮かべる。
そして甘寧の厚い胸板に画かれた双龍の刺青に片手で触れた。
その手を刺青のうねりをなぞりながらゆっくりと動かす。

「あの日も満月だったわね・・・。あの時月に照らされたこの刺青を見て・・・、
本当に生きてるみたいだと思ったわ・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

あの日、それは彼が賊抜けを決意し、船を去った日の事であると甘寧はすぐに悟った。
あの時はが想いを告げ、これが最初で最後になると互いが承知して肌を合わせた。
だが無論、決して甘寧は彼女の思いを受け入れた訳ではなく、心に蓋をしたまま別れたのである。

「私が目覚めた時・・・あんたはもう隣には居なかった・・・。
あんたは気付いていなかったかもしれないけど、・・・・本当は私・・・・起きてたのよ・・・。」
「・・・・起きてた?」
「そう、・・・だけど・・・どうしても目を開けられなかった・・・。
だって・・・目を開けたとして、・・・目にするのはあんたの背中・・・だから黙ってたのよ・・・。」

そこではフッと寂しげに目を細めた。

「あんたは笑うかもしれないけど、未だに怖いの・・・・・。
あんたが隣に居なかったら、どこかに行ってしまったら、
そんなことばかり考えて、気付けばいつも同じ時刻に目が覚める・・・。」
・・・。」

甘寧が彼女の名を呼び、そして彼女を抱き寄せた。

「俺はどこにも行きゃしねぇよ、それに・・・俺も同じだ。いや、俺の方がよっぽど重傷かもな・・・。
日常でオメェの姿が見当たらねぇだけでビビっちまうことがあんだからよ。
視界にオメェが入らねぇだけで気付いたら探しちまってるんだぜ、それこそ笑っちまうだろ?」
「・・・・・・・甘寧っ・・・!」

彼の背中に腕を回し、は彼にしがみつくように力を込めた。
甘寧が彼女の耳元に唇を寄せ、囁く。

「興覇・・・だろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・興覇・・・・。」

遠い昔に出会った頃から彼女は一度も彼を字で呼んだことはなかった。
それ自体に特に深い意味はなかったが、いざこうして字を口にするとなると、
ひどく照れくさいものがあった。
思わず目を伏せ、頬を僅かに染めるの仕草に、甘寧が愛しそうに再び唇を重ねる。
甘寧は軽く引っ掛けただけのの着物に手を掛け、はらりと下へ落した。
その途端に甘やかな香りが鼻をくすぐり、青白く光る美しい肌が露になる。

「・・・・明日は父の岬へ行くと、分かってのことかしら?私はせめて歩ける位の余力は残しておきたかったんだけど?」
「ケッ・・・焚きつけたのはオメェだぜ?」
「フフ・・・仕方のない人ね、あんたって・・・。」

はそう言って苦笑したが、ゆっくりと彼女を寝台へ押し倒す彼に抵抗しようとはしなかった。

「クソ親父にゃ、あの純度も値段も馬鹿高い酒持って行くんだ。文句はいわねぇよ。」

彼はニヤリと笑って言うと、の肢体に覆いかぶさり彼女の視界を遮った。
月明かりは未だ彼らの船室をぼんやりと照らしている。
朝がやってくるその時まで、彼らは互いの想いをその身体で確かめ合ったのだった。




翌朝彼らは目的の港に当初の予定通り到着し、岬へ向かった。
そして今、2人はの父親の墓碑のある岬に居る。
甘寧が青空を仰ぎ見て笑顔を見せた。

「おぅ!いいとこに墓たててもらったじゃねぇか、クソ親父のヤツ!
海が見える上にこの高さ、最高だぜ!!!」
「フフ・・・でしょう?」

も嬉しそうに微笑み、彼と同じく空を見上げる。

「父が言ってたわ、あんたをここに連れて来たいって。
アイツは単純だから絶対ここが気に入る筈だってね。」
「ケッ!るせぇ!単純ってな余計だ!」

彼女は今度は声を上げて笑い、父親の墓碑の側まで一気に駆け上がった。
甘寧も負けじとそれに続く。

「久し振り、父さん。ほら、馬鹿息子が来てくれたわよ。」
「おい!、テメェな!!
・・・ったく、クソ親父来てやったぜ、しかも上物の土産付でな!!」

甘寧はそう言って片手に持っていた酒を墓碑の前へ突き出した。
口の端をニヤリと上げて笑い、更に続ける。

「朝っぱらからこんな良い酒にありつけんだ、感謝しやがれ。」

甘寧は言いざま酒の蓋をグイっと引き抜き、それを墓碑の上から勢いよくかけた。
それと同時に芳醇な酒の香りが辺りに立ちのぼる。
彼は最後に残った酒を、いつの間に持ってきていたのか2つの杯に注ぎ分ける。

「・・・呆れた、自分も飲むつもりだったの?」
「ったりめぇだぜ!!おら、グダグダ言ってねぇでオメェも飲め!」
「・・・・・・・・朝っぱらからこんな純度の高いお酒を本当に有り難う、・・・興覇。」

皮肉めいた口調で言いつつも、は杯に口をつけた。
甘寧がそれを満足げに眺めて自らも酒を一気に飲み干す。

「っかーー!!やっぱ違うぜ、この酒はよ!!」
「相変わらず過ぎて何も言えないわよね?父さん。」

クスクスと笑いながらは父親の墓碑に向かって言った。
2人は暫くの間そこで父親に語りかける様に話をし、その場を後にすることにした。



「んじゃ、最後に一曲例のヤツをクソ親父に歌ってやれ。」
「了解。」

は笑顔でそう言うと、いつものように息を吸い込んで肺に空気をゆっくりと送り込んだ。
やがてまた、いつものように澄んだ美しい高音の歌声をその唇から発する。
歌詞は荒々しいものの、彼女の歌うそれはとても繊細なものに聞こえた。
青い空に、蒼い海に、歌声が還っていく。
甘寧は遠い昔に思いを馳せつつも、その美しい歌に聞き入っていた。

、オメェの歌ん中じゃ、やっぱ俺としてはそれが最高だぜ。」
「フフ・・・有り難う。」

彼女は微笑んでそう言い、父親の墓に目を向ける。


父さん、興覇は未だにどうして私がこの歌が得意なのか分かってないのよ。
・・・・・・でも、自分で言うのは悔しいから言ってやらないことにするわ。


心の内でそう呟き、彼女はまた笑った。

「・・・興覇、そろそろ戻りましょう。長居させてごめんなさい。」
「ああ?ざけんな、水臭ぇ。長居だなんて思っちゃいねぇよ。
ま、だがそろそろ戻るとすっか。っと・・・・その前に・・・・。」

甘寧は突然グイと彼女の肩を掴んで引き寄せた。
は驚いた様子で彼に視線を向ける。

「興覇?」


「おぅ!!クソ親父、テメェの娘はしわくちゃのババアになるまで俺が側に居てやるぜ!!
安心してあの世で酒かっ食らってろ!!」


「!!」

甘寧のその台詞にが一瞬声を失う。
彼はそんな彼女の唇に自分の唇を軽く押し付けた。

「興・・・覇・・・、あんた・・・・・・・。」
「ま、そーゆうこった。行くぜ、。」

照れくさそうな表情を隠すかの様に、甘寧は彼女から離れて先に歩き出す。
は急いでその後を追った。


既に空には夕日が現れて彼らを朱に染めていた。

蒼かった海は、紅の輝きを伴い始めている。


2人が歩く度、甘寧の腰の鈴との足首の銀の鈴がまるで1つの音色を奏でるように鳴り響いた。


彼らの背後に立っているの父の墓碑は、それを祝福するかのごとく見守っていた。




(甘寧編 紅蓮の絆 -完結-)



後書き
終わりました!!甘寧編では痛い目ばっかり見ていたヒロインなので、
今までより甘めに仕上げるよう心がけたつもりでしたが・・・微妙。
しかも風邪薬で頭がぼーっとなってる中で書いたので、
内容あんまり覚えてないんですよね(苦笑)
それでも書き上げられたことには満足しています!
いままでこの作品を読んで下さったお客様、誠に有り難うございます!
この先番外編と称して何かとこのヒロイン使用するかもしれませんが、
その時はお付き合い下さいませ。失礼致します。


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