―ドスッ


突如室内に響いた鈍い音。
それとほぼ同時に周囲に居た数人の武将の瞳が、一斉に部屋の片隅へと注がれる。
その視線が集中した一点。
音の発信地となったその場所には、魏の誇る知将、冷徹の軍師・司馬懿と、
スラリとした少年的な体系の軽装姿の女人の姿があった。

「高名な軍師様の顔に痕をつけることだけは避けてあげたわ、感謝して。」

彼女はそう言い捨てる如く口にし、
脇腹を片手で押さえて呻き声を上げている司馬懿に背中を向ける。
そうして彼が再び口を開くより早く、足早にその場を去って行った。

「くっ・・・待て、待たぬかっ!!」

ようやく司馬懿が彼女を呼び止めたその時には、
既に彼女が完全に室を後にし終わってからだった。

「腕力に訴えるなど粗暴な手段を使いおって・・・め・・・。」

苦々しい表情と共に彼はそう呟き、
未だ好奇の瞳で彼を見ている数人の武将に対し、ジロリと睥睨する。
その一瞬で彼らは即座に司馬懿から視線を逸らした。
魏国が魔王・遠呂智の属国と成り下がった現在でも、司馬懿は遠呂智の臣下・妲己の右腕としてその才を振るい、 その威圧感は他の者を恐れさせるに充分だった。
―――数名の者を除いては。
そしてその数少ない者の中に、先程のと呼ばれた女人も数えられていたのは言うまでもない。




―カッカッカッカッ


固い床を足早に歩くの足音が、彼女の苛立ちそのままに響いている。
これと言って目的地を決めぬまま、彼女はただ只管にその長い廊下を歩き続けていた。

「よぉ、さんじゃないか。えらく機嫌が悪そうだねぇ。どうした?」

不意に背後から声を掛けられ、彼女は振り向いてその人物を見上げる。
自他共に天下御免の傾奇者と認める戦国の武将、前田慶次。
彼はその人柄から、といち早く打ち解けた者の一人でもある。

「慶次。ほっほっほ!!どうしたって言うか、
多分、慶次にも分からないと思う、わたしが怒ってる理由。」
「ん?そりゃあお前さんが口にして説明してくれなきゃあ俺としても何と答えたものか困るってもんだが。」
「・・・そうね・・・。ん〜・・・もしかしたら・・・もしかしたら慶次なら分かってくれるもしれないし・・・。」

彼女は暫しの間思案する如く空に視線を彷徨わせ、それから小さくひとつ、頷いた。
やがてつい先程彼女と司馬懿の間に起こった出来事を、慶次に説明して聞かせる。



「はっはっは!そりゃあいい。それであんた、あの軍師さんを殴っちまったってのかい?
こりゃあ見た目によらず剛毅な娘さんだ。」

豪快な笑い声と共に慶次は言った。
は眉間に僅かにしわを寄せ、フン、と小さく鼻を鳴らす。

「真面目に言ったことが許せなかったのよ。『我が側室に収まれ』なんて、
ふざけてくれた方がまだマシだわ。」
「まぁ、だが、あの司馬懿にとっちゃ一世一代の愛の告白のつもりだったんだろうよ。」
「ほっほっほ!!こっちの認識じゃ一夫多妻制なんて身分の高い人にとって常識だろうけど、
わたしの住んでる世界の日本じゃとっくにそんな制度なくなってるのよ。
現代じゃそう言うのを浮気って言うの、愛人って言うのよ!
大体愛の告白ならもっと人気のない場所選んで欲しいわ!」

興奮した様子でそう激しく語るに、慶次は再び声を上げて笑った。

「はっはっは!つまりさんは自分だけに愛情を注いで欲しいって言いたかった訳だ。
だったら拳に訴えるだけでなく、本人を前にそう口に出してみちゃあどうだい?
今からでも遅くない筈だぜ。」
「・・・・・・どうだか・・・。大体この無双の世界じゃアイツ、奥さん居ない筈なのに・・・、
なのに最初から側室に収まれって言ってるとこが・・・・・・・。」
「何だって?」
「あ、ううん。何でもないわ。」

はそう答え、大きな溜息と同時に首を左右に振った。
遠呂智降臨と共に融合された二つの世界。
慶次達の住まう世界と、司馬懿達の住まう世界は、国も時代も大きく異なっている。
だが、その中でも互いの世界の人物達は何処か同じ空気を孕んでいるように彼は感じていた。
しかし、は、彼女はその二つのどちらにも属さない。
遥か先の未来から来たと言うは、
時折彼らにとっては理解できない発言を口にすることがあった。
そしてその突飛な発言はしばしば慶次の関心をそそる。
そうして会話を続けているうちに、彼らはいつの間にか兄妹のような関係を築いていたのだった。

「何か慶次と話したら落ち着いてきた。さすがに殴るってのはやり過ぎだったか。反省、反省。
でもやっぱりわたしを口説くのに『側室』ってとこだけは許せない。」
「だがお前さんは司馬懿の正室に収まりたいって訳でもないだろう。」
「まぁね、わたしを好いてくれてるんだったらただそう口にして欲しいだけ、かな。」

くすり。
は小さく笑って肩をすくめてみせた。
先程までの苛立ちの表情は既に消えている。
慶次は大きな掌で彼女の頭をくしゃりと撫でた。

さん、あんたはあの気難しい軍師さんが心を奪われたほどの女だ、
いつもの笑顔で本音を言えばあの御仁も分かってくれるだろうさ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・そう、ね。ま、今回はこっちから折れてやってもいいか。」

苦笑染みた笑顔を浮かべ、は素直に頷いた。
彼の手がの頭から肩へ移り、後押しする如くポンッっと軽い勢いと共に叩かれる。

「それじゃ、ここはいっちょ大人になって、このさんから乗り込んでやりますかね。
行ってきま〜す、慶次。虐められたら倍にして返してくるから。」
「はっはっは!それでこそさんだ。おお、行ってきな!」

慶次の豪快な笑い声を背に、は司馬懿の執務室へと足を向けたのだった。




「司馬懿様、様がお越しになっていらっしゃいますが、いかがなさいますか?」
「・・・何?が?」

ピクリ。
女官の言葉に司馬懿の筆が止まり、眉間が僅かに反応する。
が彼の脇腹を殴打するという暴挙に出たのは数刻前。
彼女の頭が冷えるには充分な時間だった様だが、自尊心の高い司馬懿にはそれでは足りなかった。
未だ怒りは鎮まっては居ない。
少々長めの沈黙と共に、彼は思案げに空を見つめた。
だが、やがて短く女官に告げる。

「通せ。」
「はい。」

女官が返事をして程なく、が彼の執務室内に姿を見せた。
司馬懿は彼女を一瞥し、更に、女官にチラリと目配せをした。
女官はそれに応え、速やかに室を後にする。

「・・・よくものこのことこの私の前に顔を見せられたものだな、。」

彼らが二人きりになった瞬間を見計らい、司馬懿は冷ややかな口調で言った。
だが、は皮肉を口にされることを予想していたらしく、
特に気分を害した表情は見せていない。
代わりに真っ直ぐと彼の方へと近づいて来た。

「殴ったことは悪かったと思ってる。ごめんなさい。」
「ほぉ、殊勝な事だ、お前が素直に謝罪を口にするとはな。
だが、何処か含みのある言い方に私には聞こえるのだが?」

薄い唇を歪めて笑った司馬懿はそう答え、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

「そうね、わたしが謝ってるのは殴ったことに関してだけだから。」

彼女は平然とそう返した。
その彼女の態度に、再び、司馬懿の眉間にしわが刻まれる。

「どう言う意味だ?」
「わたしに側室になれって言ったことよ。」
「・・・つまり、お前はそれが不服だと言いたいのか?」
「不服よ。大いに。」

言いながら、彼女は腕組みをして小さく鼻を鳴らした。
司馬懿はの言葉に対し、理解し難いと言った表情を見せる。
は構わず先を続けた。

「ただ恋人になれって言ってくれたんだったらわたし、喜んで頷けたわ。
ただし、もっと人気のない所で雰囲気作った上で、だけど。
あんな人の出入りのある部屋で『側室』になれ、なんて言われても嬉しくない。
そりゃあこっちの世界じゃ『ご側室』もそれなりの身分なんだろうけど、
わたしの世界じゃそれは2番目でしかないし、日陰の身でしかない女のことを言う場合が多いのよ。
だから、つまりわたしは――――」


そこで彼女は一呼吸置き、一歩、司馬懿の前へと進み出た。


「わたしだけを見て、わたしだけを愛してくれる人じゃなきゃ嫌。
あんたがそうしてくれるんだったら、身も心も奉げて差し上げるわよ、司馬仲達。」


挑むような視線と共に、は司馬懿に対する想いをはっきりと告げた。
そうしながら、先程慶次が口にしていた『いつもの笑顔で本音を言えば』
と言う状況と遥かにかけ離れてしまったことに心の内で苦笑する。
だが、恐らく慶次が今の彼女のこの告白風景を目にしたとしても、
やはり彼はいつもの如く豪快に笑い飛ばしたで有ろうという自信がにはあった。

「フン、よくよく口の減らぬ、我侭な女よ・・・。」

司馬懿は呟くようにそう言い、片手で少々強引に彼女の顎を上向かせた。
の瞳は未だ真っ直ぐに彼を見つめたままだ。
彼の神経質そうな指先が、彼女の花唇を愛しげに辿る。


「だが、それでこそこの私が愛情を注ぐに相応しい。良かろう、
この司馬仲達がお前の全てを受止めてくれるわ。」


言いざま、の唇へ司馬懿の薄い唇が押し付けられる。
重なり合った唇と唇。
それはすぐさま濃厚な口付けへと変化した。
の口内を司馬懿の舌がねっとりと味わう様にして這い回る。
そして彼は片手を彼女の帯紐へと移動させ、静かに解いた。

「っ・・・!ちょ、ちょっと、待って。」

そこで突如、が動揺と焦りの表情を見せる。
司馬懿はにやりと意地の悪い笑みを浮かべて答えた。

「どうした?。私に全てを委ねると自ら口にしたのはお前だぞ。」
「それはそうだけど、こ、心の準備が・・・!」

そう返す彼女には先程までの強気の姿勢は全く見られず、頬は羞恥で赤く染まっていた。

「初めてと言う訳でもあるまい。例えそうだったとしても、この私に任せていさえすればいい。」
「は、初めてって訳じゃないわ・・・でも・・・。」
「ほぉ、初めてではないのか・・・。」
「なっ!何よ、その目は!自分で振っておいてそんな・・・あっ・・・!」


―ガタンっ


瞬時、は彼に腕を掴まれ、仰向けの状態で上半身を机の上へと押し付けられる。
長く骨張った指が、素早く帯紐を解き、軽装の彼女は程なく胸元を司馬懿の目に晒すこととなった。


「お前の体に他の男の痕跡が残っていないかこれからじっくりと確かめてやろう。
この私自らが、お前の体に印を刻んでくれる。」


耳元で低く囁き、司馬懿はぬらと彼女の耳朶を舐め上げる。
は体を震わせ、搾り出すように口にした。


「終ったら、3倍返しにしてやるわ・・・っ・・・!」


それがこの日の彼女の最後の抵抗の台詞となったのだった。



(終わり)



後書き
OROCHI設定で書く意味があったのか謎ですが(笑)
初めて思い浮かんだのが司馬懿だったことに自分で驚いてます。
慶次は趣味で登場させたのですが、そのせいで無駄に長く(苦笑)
司馬懿も慶次もキャラ掴みが甘いですが、どうにか書き終えて良かったです。
ではではここまでのお付き合い、有り難うございました!失礼します。


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