柔らかな靄に包まれた朧月。
霞んで見えるにも関わらず、
その優しげな光は地上に十分明るさを与えている。
は手酌で杯に酒を満たし、それをゆっくりと口元へと運んだ。
「、このような所で一人で酒宴とは、
お前と言う女はつくづく女らしさとは程遠い奴だな。」
彼女の傍を通りかかった三成が、平生の如く険のある一言を口にした。
「これは三成様、一緒にどう?丁度相手が欲しいと思っていたところなの。」
彼の言葉が心からの嫌味ではない事を十分に理解しているは、
口元に笑みを浮かべて答える。
三成はフン、と、鼻を鳴らした。
「俺は秀吉様に呼ばれてきたのだ、お前の相手をしている暇などない。」
そう答え、彼はその場を立ち去ろうと足を踏み出す。
だが、すぐに背後から彼女が声を掛けて呼び止めた。
「待って。」
「・・・何だ?」
「場所はここで間違っていないと思うわよ。」
彼女の台詞に、彼は眉根を怪訝そうに寄せる。
そして溜息を交えた声音で口を開いた。
「何をふざけた事を言っている?俺が呼ばれたのは秀吉様だと「だから、よ。」
見事に彼の言葉を遮る様にしては言った。
三成の眉間のしわが益々深く刻まれる。
彼がまたしても不機嫌に言葉を発するより前に、は先を続けた。
「ついさっきまでここで秀吉様と一緒に飲んでいたの。
それで突然秀吉様から話を振られたんだけど・・・。」
彼女の話す所によれば、元々酒を飲もうと申し出て来たのは秀吉からだったと言う。
無論、に断る理由など無く、寧ろ喜んでその誘いに応じたのだった。
そして2人で杯を傾けながら世間話に花を咲かせ、やがて秀吉は唐突にその話を持ち出した。
『孫市の前じゃ口が裂けても聞けん事じゃが、、どうじゃ、こっちでええ男でも見付けてみんか?
お前は美人だし性格も申し分ない。
並みの男なら儂も大反対じゃが・・・ここでならお前に見合う男が選り取り緑だ。
何より儂も安心出来る!お前にその気があるなら、儂もねねも協力は惜しまんぞ!』
話題の内容からは秀吉が彼女に嫁ぎ先を世話するつもりでいるのかと考え、
そして或いは彼女に戦場に出る事を止めるように言っているのかと不安を感じ、
それをそのまま彼に尋ねた。
だが、返って来た答えは違っていた。
『はははは!今更そんな事言っても無駄な事くらい、儂もわかっとる。
それにお前の武は戦場には欠かせんからな!
そんなに硬く考えるな、。儂はただ気になる男の一人でもおらんのかと聞いとるだけじゃ。
そうじゃなー・・・例えば、今ここで二人だけで飲みたい男が居るとしたら、誰だ?』
「・・・待て、その話の流れで何故俺がここへ呼ばれるのだ?」
彼女の話の途中で、三成は眉間にしわを寄せたままで訊ねた。
は片手にある杯を卓の上へ置き、笑いで噴き出しそうな表情を見せる。
「この話の流れでどうして分からないの?私があんたの名前を出したからに決まってるじゃない。」
「なっ・・・!」
「フフ、私もね、まさか本当に呼んで下さるとは思って無かったわ。」
言いながら、彼女は何処からか新しい杯を取り出し、それに酒を注いだ。
「と言うことで、どうぞ座って、三成様。」
は彼女と向かい合わせとなる、
恐らく先程まで秀吉が腰掛けて居ただろうその椅子を指し示す。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
無言のまま動こうとしない三成に、彼女は更に促す声を掛けた。
「わざわざここまで足を運んだ事だし、それに元々秀吉様から呼ばれて来たんでしょう?
それを無下にしてこのまま行ってしまうなんて・・・そんな事はしないわよね?」
「・・・フン、貴様と言う女は普通に無礼な奴だな。」
答えた三成は不機嫌そうな表情のまま、彼女の示したその椅子に腰を下ろした。
は艶やかな唇で半円を描き、笑みを浮かべて彼を見つめる。
「有難う。」
「・・・貶されて礼を述べるとは、お前は変った趣味でも持ち合わせているのか?。」
彼女の微笑で生じた内心の動揺を隠し、彼はまた憎まれ口を叩いた。
はいつもの如くそれに気分を害した様子は無い。
口元に笑みを浮かべたままで、杯の中身を空にした。
「そんなに構えなくても、取って食いはしないわよ。三成様。」
「お前はやはり愚かだな。誰が女等を相手にそんな懸念を抱くと言うのだ。」
ふぅん?と、口にし、は先程の微笑とは一転し、ニヤリと意味深に口角を上げて見せる。
そして杯を傾ける彼を見つめた、また言葉を紡いだ。
「ああ、でも私はいつでも取って食われる準備をしているわよ?三成様相手ならば。
口付け以外の続きも観察が必要ですものね。」
「・・・・・・・、貴様は女としての慎みと言うものを習得した方が懸命だ。」
この半年でが三成の内面を少しずつ理解してきた様に、
彼もまた、彼女のからかいとも言える台詞の数々を受け流す術を身に着けていた。
だが、その戯れとも思われる言葉に少なからず翻弄されている自身が居る事に、
彼は未だ気付けずに居る。
「慎みなんて持ち合わせていたら、雑賀衆の一員としてやっていけないわ。
欲しい物には手を伸ばさなければ届かない。私は今までそうして来たし、これからもそのつもりよ。」
「さすがに孫市殿の妹君だな、男を落す手段にまで自信があると言う訳か。」
僅かに唇を曲げて笑んだ三成はそう皮肉を吐いた。
それは彼女の台詞の中に過去の男の存在を感じ、無意識に口をついて出た物だった。
「ふふ・・・、そんな手段があるのなら是非とも教えて頂きたいけど?
それに兄上は確かにいい男だと思うけど、口説き文句がベタ過ぎて参考にはならないわよ。」
クスクス。
と、彼女は小さく笑い、杯に酒を満たそうと徳利に手を触れる。
だが、彼女の指先が触れたと同時に徳利は三成の手へ収まっていた。
「確かに・・・、身内の欲目とは言え、
お前を褒めそやすあの文句の数々から見てもそれは正論と言えるだろう。」
言いながら、彼はの杯へ酒を満たす。
「三成様も何気に言うわね。兄上のアレにはさすがに私も呆れるとこではあるけど・・・。
でも半分位は当てはまるんじゃないかと思ってるわよ?」
悪戯っぽい少女の様な笑みを浮かべ、彼女は杯を口へ運んだ。
三成はまた、いつもの如くそれをフン、と、鼻で一笑する。
「更にその半数程度だな。」
「ふふ、ねぇ三成様、それは結構な褒め言葉よ?」
答えた彼女は嬉しそうに三成に視線を向けた。
「・・・、やはりお前は可笑しな女だ。」
半ば呆れた如くして、彼は溜息と共にそう口にした。
はまた杯の酒を一口飲み、肩をすくめて苦笑してみせる。
そして杯を卓に置くと、空になっている三成の杯に徳利で酒を注いだ。
「最初に戦場で出会ったとき、私は三成様を随分捻くれた男だと思ってたわ。
・・・今も実はそう思っているけど・・・、でも、同じ位・・・・素直な人だとも思ってるの。」
「フン、突然何を言い出すかと思えば。ふざけた事を。」
「あら、そう?ああそうね、左近殿と一緒の時の方がずっと素直かもしれないわ。
今の私じゃまだまだ役不足かも。」
ジロリ。
と、正面に座っている彼がを睨み付ける。
「そんな目で見ないでよ。これでも褒めているのよ。
秀吉兄上の申し出とは言っても・・・あんたの人柄に惹かれなければ、
私はここに残る事は無かったもの。」
そこまで言って、彼女は杯の底に僅かに残り、月の光で煌いている酒に視線を移した。
「秀吉兄上の・・・そして兄上の・・・『皆が笑って暮らせる世』と言う・・・途轍もなく大きな夢・・・。
支えて行きたいと心から思いながらも・・・私は本当は何処かで迷っていた・・・。」
ふっ、と、彼女が苦笑じみた笑みを浮かべ、先を続ける。
「でも・・・ここで護衛武将として雇われて、石田三成、あんたと言う人を知った。
秀吉様の天下を『夢』から『現実』へ近づける力と志を持ったあんたを。
・・・・・そしてこの半年でいつの間にか私の中の迷いは消えていたわ・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
無言で彼女の話しに耳を傾ける三成に、は僅かに瞳を細めて更に続けた。
「左近殿が貴方の心根に惚れたように、私もその心根に惹かれたのよ。三成様。」
その一瞬。
朧月の柔からかな光が、彼女の瞳をより一層美しく見せていた。
「・・・・・・・・・・貴様は・・・・。」
言いかけた三成が、一度、唇を閉じる。
そして再度、微笑を浮かべた後に口を開いた。
「この俺が・・・護衛武将等と言うものを付けること自体稀なのだ。
幾ら秀吉様と旧知の孫市殿の妹君とは言え、
使いものにもならぬ者を長く傍に置く事など考えられぬしな。
・・・・・・・・・・・・左近共々、頼りにしている、。」
刹那。
は息を呑んで彼を見つめ返した。
やがて、その口元をこの上なく嬉しげにほころばせる。
「・・・・・・やっと聞けたわね、あんたから・・・その言葉・・・。」
「・・・どう言う意味だ?」
「忘れた?最初に出会ったとき、あんたは言ったでしょう。
『足手まといになるな、それ以上は望んでない』って。」
怪訝そうに眉を寄せた三成に、は言った。
杯に残る酒を全て飲み干し、彼女はまた口を開く。
「そのあんたに『頼りにしてる』って言葉を貰えた事だけで、
私の実力が認められたんだって・・・・凄く嬉しい訳。分かる?」
「・・・・・・・・・・・・。」
三成は無言で杯を口に運ぶと、暫くの後、視線をへと向けた。
「ならばもっと上を目指してみろ。その時は言葉だけでなく、それ相応の褒美をくれてやらんでもない。」
「ふふ、私がお金や地位で喜ぶ女じゃないって事は、もうご承知だと思うけど?」
クスクス。
と、彼女はからかう如く笑って答える。
三成はに視線を向けたまま、不意にゆっくりと立ち上がった。
「三成様・・・?」
彼女は片手を徳利にかけ、彼を見上げて問いかける。
「どうし・・・・・・っ・・・・・・」
刹那。
屈み込んだ三成が、唐突に彼女の唇に自らの唇を重ね合わせた。
は、虚を突かれた様に目を見開く。
その一瞬、彼女の呼吸が停止した。
重ねられた彼の唇はひんやり、と、冷たく、やわらかい。
ガタン。
徳利は、彼女の手を離れ、倒れる。
中にあった酒が、卓を流れて濡らした。
半ば呆然としたままの彼女の唇を己が唇でなぞる如くしながら、三成はゆっくりと体を起こした。
「、今のお前にくれてやれる褒美だ、受け取っておくがいい。」
そう口にした彼は、唇に薄く笑みを浮かべていた。
そして、彼女に背を向けると、その場を去ろうと足を踏み出す。
「・・・三成様。」
「何だ?」
声を掛けたに、彼は背中を向けたままで答えた。
彼女は倒れた徳利を片手で起こし、三成の背をジッと見つめ、
やがて微笑と共に続けた。
「私は兄上と違って、目ぼしい的全てに銃を撃ちまくるやり方はしないの。
狙った的は確実に、何度も何度も打ち抜いていく。
・・・・・・・次は覚悟しておいてね?」
「フン、留め置こう。」
一言告げ、三成はまた歩を進める。
は彼の背中が見えなくなるまで見届けると、視線を空の月へと移した。
朧月は未だ美しく、柔らかな光を放っている。
彼女は徳利に微かに残っていた酒を杯に注いだ。
(終わり)
後書き
難しいぞ!!三成ぃ!・・・・秀吉の話を出したかったが為に、無駄に長くなりました。
そして今回は微妙に三成に頑張って頂きました(笑)
ではここまでのお付き合い、誠に有難うございます!失礼します。
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