覚醒する直前。
まぶたを開くには心地よすぎる微睡の中。
しなやかな指先が私の胸元から鎖骨を辿る感触がある。
柔らかく撫ぜるように動くその指が、不意に私の首元で停止した。
掌全体でわたしの首筋を包み、長く骨ばった指がほんの僅か、その場所に圧迫感を与えて来る。
わたしはそこでゆっくりと瞼を開いた。
「わたしを手にかける気ならば、起きている時にして貰いたいわ」
「・・・やぁ、お目覚めか、お嬢さん。だが残念だな、私は別に君を殺そうと思っていた訳じゃないよ」
真っ先に視界に入ったのは、既に見慣れてしまった上半身を露わにした端正な顔の男の姿。
気だるげな口調とゆるい空気を纏ったその人は、わたしの言葉に微かに瞳を細めて口角を上げた。
わたしは未だに首筋から動かないその手に自分の手を重ねる。
「ではこの手は?」
本当の意味で疑っていた訳ではないが、それでもわたしはデュプレに問いかけた。
「君が余りにも人形の様に動かないものだからな・・・、本当に生きているのか確認して居たんだ」
苦笑染みた笑みを浮かべ、彼が答える。
「・・・ああ、そう言えば・・・、眠っていると死人そのものだって言われた事がある・・・」
言いながら、わたしは緩慢な動きで身を起こした。
睡眠中の自身の姿など確認しようもないが、ずっと以前にそんなことを言われた記憶がある。
寝息を立てていない訳ではないだろうが、呼吸音が殆ど聞こえず、寝返りを打つような動きもない、
瞳を閉じて仰向けになっている様は一見すると死人に見えると。
「ほう・・・?それは興味深い話題だ・・・」
答えた彼の声は先程までよりも冷たく鋭い物に変化していた。
どうやらこの短い会話の中で
デュプレの様子からしてたった今口にした台詞がお気に召さなかったと取るのが妥当だろう。
「君は・・・私と同様数時間の睡眠で事足りる性質だと以前に言っていたな?レイ。
そして、その貴重な睡眠の時間を共にした相手が居る・・・。
ソイツが君にそう言ったんだろう?眠っている君を死人の様だと・・・」
案の定、彼は不機嫌さを露わにした口調でそう言い、わたしを冷たい瞳で見つめ続けている。
支配欲、独占欲の強いわたしの
これが嫉妬ではなく、お気に入りの私物を勝手に持ち出された時の怒りに近いものだとわたしは理解して居た。
「そう、その通り。だけどもう随分昔の事、わたしがまだ少女と言ってもいい頃の事の話。
残念ながら如何に
過去を塗り替える事は出来ないわ、ご容赦を」
苦笑して肩を竦めてみせるわたしに、彼は不機嫌な態度を崩さない。
恐らくはわたしの言う『少女と言ってもいい頃』の相手がどんな人物だったかを即座に悟ったからだろう。
首筋に触れたままだったデュプレの手に、先刻よりも力がこもった。
少なくとも、指の感触がはっきりとわたしの肌に分かる程度には。
「その少女の頃の相手と言うのは・・・君の昔の恋人・・・、私とそっくりな声をしていたと言う男の事か?」
「そう」
その問いにわたしは短く肯定する。
瞬間的にピクリと彼の眉が跳ね上がった。
「・・・確かに、幾ら私と言えども君の過去を矯正することは出来ないだろう。
だがレイ・・・、君は私のものだ。
以前にも言ったと思うが、私の前で容易く昔の男の事など思い出す事は許さない」
「ええ、心得ています」
「・・・・・・・・・ならば、今後一切ソイツの話題を私の前で持ち出すな、
仄めかすようなことも匂わすようなこともするんじゃない。君は、私のものなのだからな・・・」
言いざま、彼の唇がわたしの唇に押し付けられる。
同時に今ではすっかり慣れ親しんでしまった艶やかな薔薇の香りが私を包み込んだ。
「了解・・・、ブラッド=デュプレ」
仰せのままに。
続く筈の言葉は彼の唇に全て飲み込まれていく。
熱くぬめった舌がわたしの口内を蹂躙し、湿った吐息が喉を焼け付かせるように満たした。
わたしは僅かに瞳を伏せ、その熱い口付けに応える。
瞳を完全に閉じる事は許されていない。
それを禁じられたのは彼との二度目のキスの時だったか。
彼は知っているのだ。
瞼を下ろしてしまえば、わたしが彼に
わたしが追い求め、恋い焦がれていた
このデュプレの様に気障な物言いや気だるげな口調ではなかったものの、
独特の毒のある甘やかな声音は
皮肉なことに、先刻の鋭く冷たい空気を纏った時の声等は特によく似ていた。
以前のわたしならば、間違いなく鳥肌が経つほどの衝撃を受けていたに違いない。
今この時、こうしてあの
「レイ・・・」
「ふ・・・ン、・・・ん?」
口内を満たした生温い唾液を飲み下し、ほんの僅か唇を放した彼がわたしの名を呼ぶ。
吐息を漏らすに近い声音でわたしはそれに反応した。
伏せるように落としていた視線を間近に有るの翡翠色の美しい切れ長の彼の瞳と合わせる。
同時にデュプレの掌がしなやかな動きでわたしの裸のわき腹をゆっくりと撫ぜた。
そしてその手が弄ぶ様に胸元を揉みしだく。
「・・・っ、・・・」
既に彼の手に慣らされた体がたったそれだけの行為に容易く熱を呼び起こすと、
無意識にわたしの体がふるりと小さく震えた。
至近距離にある彼の瞳が満足そうにそのわたしの様子を見つめている。
「なぁ、君は分かっているんだろうな?お嬢さん。
・・・今・・・この時、君にキスをして・・・君の肌に触れ、君を乱そうとしているのはこの私だ・・・。
他の誰でもない・・・・・・・・・・、私なんだよ、レイ・・・」
優しく、甘く、諭す様にデュプレがわたしに囁く。
脳まで達して感覚を痺れてさせていく毒の様な声音。
わたしにとって酷く甘美で、心地よい、声。
以前のわたしならば、きっと
だが今のわたしは違う。
これがデュプレのものだと分かっていて反応して居るのだ。
「・・・ああ、分かって、・・・るわ・・・」
「そうか、それならばいいんだ」
言いながら、彼がわたしの首筋に唇を寄せる。
そして、その肌を辿る様に熱い舌を這わせた。
わたしはデュプレの黒髪にそっと手を触れ、彼を抱き寄せる。
「人形遊びなど退屈だろうと思っていたが、
・・・レイ、君は・・・思った以上にわたしを楽しませてくれているよ・・・」
わたしの胸元に辿りついた彼の唇がそう呟き、喉の奥で笑った後、
膨らみの頂点を口内に含んだ。
わたしと彼、密着したお互いの肌と肌が確実に熱を呼ぶ。
艶やかで毒のある薔薇の香りがわたしを溺れさせていく。
―――――――人形遊び。
そう、わたしは彼のマリオネット。
マフィアのボスである帽子屋・ブラッド=デュプレ。
わたしは彼が望む事ならば、どんな指示でも従う者。
どんなことでも、と言うのは文字通りそのままの意味を指す。
だってこの手はとうの昔に汚れている。
だってこの体はどうの昔に穢れている。
今更どう扱われようと構わない。
デュプレはわたしのたったひとつの望みを叶えてくれる人。
彼が飽きればわたしはその場で即殺される。
そしてもしも彼が気に入れば、わたしはわたしの望んだ時にその手にかけられる。
形は違えど、どちらもわたしの願いを叶えてくれるものには違いない。
だからわたしは彼のマリオネットになると決めた。
彼の可愛い玩具になると。
彼のお気に入りの所有物になると。
- end -
シリーズを始めるプロローグって毎度えれぇ気合入れて書いちゃうんですが、
その後が続かなくて結局ボツることも結構あったりします。これもそのひとつ。
うーん、何か、ネタがないとか以前の問題なんですよね〜。書いたはいいけど、
その先は無理!ってな感じで・・・。他のジャンルでもそれでボツったことが何度もあります。