「くそ、またか・・・っ!」

先程から下らないミスが続く。
同じ作業をして一向に仕事が前に進まない。
集中力が足りない証拠だろう。
原因など、考える必要もなかった。
が部屋を出てもう4度、時間帯が変化している。
更に言えば、今回来た昼も夜も嫌味な程に長ったらしく続き、
私をこの上なく不愉快にさせてくれた。
それでもが戻ってくる様子は全く感じられない。


――が帽子屋屋敷に居る間、ユリウスはアリスと一緒だったんでしょ。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

彼女の台詞が私の脳裏に蘇る。
が私とアリスが共に仕事で時間を過ごしていることに対し、
そんな気持ちを抱いている事など、私は全く気付いてはいなかった。
私自身のの周囲の人間に対する嫉妬心には敏感で居たが、
彼女が私の周囲の人間(とは言っても限られている事など百も承知し居ている)
に対して彼女がどう思っているかなど、今まで考えた事もなかったからだ。


――フン、下らない。お前と一緒にするな、
アリスはただ私の仕事を手伝いに来ているだけだ。遊び歩いているお前とは訳が違う。


本当は、あんな言葉を口にするつもりはなかった。
予想外の彼女の嫉妬に、喜びに近い感情を抱いたのも事実だ。
だが、それを素直に告げることなど、この私に出来る筈もない。
私はあの時顔を上げて彼女を見ることすら出来なかったのだから。
無言のの反応で、彼女が傷ついているのは察していたが、
それでも優しい言葉をかけてやることも、気遣ってやることもしてやれなかった。


――滞在場所を変えてしまえと言ったわよね、ユリウス。

違う。

――お望み通り、出て行くから!!


そうじゃない。そんなことは望んで居ない。


―――お世話になりました、さようなら。


だからそうじゃないと言っているだろう!!
私はお前が居ないと――――


カチャッ

「・・・ちっ・・・!」

手元が狂い、部品の一部が妙な具合に破損した。
当然だ、こんな状況で仕事など手につく筈もない。
私は手を止め、修理中の時計を机の隅へと押しやった。
そして深い溜め息と共に額を片手の掌で覆う。

「だから女なんて面倒臭い生き物は嫌いなんだ・・・!」

激しい自己嫌悪に陥りながら、私は苛立ちを隠せずにいた。
こんな状態で仕事を続けるのは到底無理だ。
寧ろ時計を今よりも更に壊してしまいかねない。
私は椅子から立ち上がり、珈琲を淹れる準備をすることにした。
とにかく冷静になれ。
どうせ後数時間もすればは帰ってくるに違いない。
あんな出て行き方をしたからいつもより戻ってくるのが遅くなっているだけだ。
次に時間帯が変化する頃には帰ってくるだろう。
だがもし、帰って来なければ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

嫌な不安が私の胸中を襲う。


不安だと?
いつの間にそんなに彼女に執着していたんだ、私は。


苛立ちと訳の分らぬ焦燥。
がここに滞在する以前は一人で居る事が当然だった筈だ。
何より私は一人を好み、他者が踏み入る事を極力嫌っていた。
それは今でも変わっていない。
だが。


―――教えて、珈琲の淹れ方。ほら、って仕事手伝うとか言う芸当も無理だし?
珈琲淹れる位しかユリウスに出来ることないからさ。


そう言えば、最近は自分で珈琲を淹れる事など無くなっていた。
私が何も言わなくとも、まるでタイミングを見計らったように彼女が珈琲を差し出してきたからだ。
私は全く気にして居なかったが、は自分が私の仕事を手伝えない事をえらく気に病んで居た。
元々この仕事は時計屋である私の物であり、
女である彼女に触れさせられるような類の代物じゃない。
何よりこれは忌むべき仕事だ。
がそこまで気に病む程気にする事はない。
実際私は何度もそう彼女に告げていた。


―――やっぱりじゃ敵わないってことか・・・。


彼女が漏らしたその台詞は、私に向けたものではなかった。
恐らくアリスに対して抱いている感情から漏らした言葉だったのだろう。
彼女が珈琲の淹れ方を教えてくれと言いだしたのはその後の話だ。


私は椅子に掛けると今自分で淹れたばかりの珈琲を啜った。
長い間自分で淹れる事をしなかったとは言え、腕は落ちていない。
当然のことながら、私自身の好みによく合った香と口当たりだ。
だが、何かが違う。
何かが。


の淹れる珈琲の香はもっと柔らかいものだったな・・・。
味はもう少し硬質だったが・・・


「・・・ちっ・・・・!」

滑稽な位に彼女の事しか考えていない私自身に、私は再び舌打ちをした。
とにかく、時間帯が変わるまでは様子をみよう。
そうだ、彼女は帰ってくるだろう。
取り乱すことはない。
彼女は帰ってくるはずなのだから。





「何をしているんだ!?あいつは!」

もうあれから10回以上は時間帯が変化している。
だが、未だにが姿を見せる様子はなかった。
このまま部屋に籠って待っていたとしても、恐らく彼女は現れないだろう。
私は深く溜め息を吐いた。

「まったく、何故私がわざわざ・・・・・・・・・。」

本来ならば仕事以外で時計塔の外に出る事など何であろうと勘弁して貰いたいところだ。
しかし待っているのにももう限界だった。
私にとってを待つこの十数時間は拷問にも等しいものがあったからだ。
椅子から立ち上がり、ドアから部屋を出る。
私は再び小さく舌打ちをしながら、階段を降りることにした。
当然私にも非はあったが、が帽子屋屋敷に頻繁に出入りしていたことは事実だ。


まさか本当に帽子屋の所に居るんじゃないだろうな・・・。


ふと過ったその考えが、酷く腹立たしく感じる。
彼女ならばどこの勢力でも喜んで迎え入れるに違いないだろう。
『余所者』とはそう言う存在だ。
だが、にはそれだけではない何かがあった。
『余所者の定義』からは外れた、何かが。
そしてそれが私を含め、この狂った世界の連中の心を惹きつけてやまない。
彼女自身は全く気付いていないが、それはアリスにも備わっていない『何か』だ。
これと似たような話をとしたことがある。
その時の彼女とのやり取りは、今でもよく覚えている。



―――?それって余所者って時点でアリスも持ってるんじゃないの?
余所者は皆に好かれるってのがこの世界の一種の常識で、
現にアリスも皆に好かれてるじゃない。


―確かにその通りだが、そう言った類の物とは違う。
私だってよく説明出来ないが、お前は色々と特殊だ。
私は出会った時からそれを感じていた。


―――特殊・・・・ああ、まぁ、そうかもね。
けどアリス以上にこの世界の人間を惹きつける力ってヤツがあるなら、
、別に皆に好かれなくてもいいんだけど。
・・・そりゃ好かれた方が安全だからそれはそれとして、
だったらたった一人に他の人よりももっと好かれた方が嬉しいわ。
例えば・・・・・・・・・・‥・・・・・・・・・。


―何だ?・・・・好かれたい相手でも居るのか・・・?


―――いやいや、そんな不機嫌に聞かないでよ。
そんなのユリウスに決まってるでしょ。




よくも恥ずかしげもなくあんな台詞を口に出来た物だ。
だが、正直なところ、私は嬉しかった。
無論、それを素直に口にしてやることすらしなかった訳だが。


カツッ


「・・・ん?」

長い階段をようやく半ばまで降りたその時だった。
私の足元で軽い衝撃と硬質な物音がした。
視線を下へと移すと、薔薇を模った銀色の髪留めが落ちている。
身を屈め、それを拾い上げ、ジッと見つめる。
私はこの髪留めが誰のものなのか、よく知っていた。
私が外出先で購入し、に贈ったものだ。
それ以降彼女はいつもこれを身につけていた。
これを渡したあの時、気の利いた言葉のひとつもかけてやれなかった私に対し、
彼女は慣れた様子で笑って言った。


――ありがと、ユリウス。絶対大事にするわ。


彼女は決して素直な部類とは言えない。
どちらかと言えば意地を張りたがるタイプだろう。
だが、それでも、私が言えない言葉を意図も容易く口にし、
恐らく本人も気づかぬ間に私を喜ばせている。
初めて出会った頃から、彼女は私の性格についてよく理解しているような節があった。
そしてそれだけではなく、それを甘受している部分も見受けられた。
私の嫌味を嫌味で受け止めるアリスは私と同等の良い友人だが、
彼女は私の中で確実に他の人間とは比べられない位置に居る。
今までそんな人間は一人も存在しなかった。
恐らく、これからも彼女以外は存在することなどないだろう。


・・・早く戻って来い・・・。でなければ、私は息が詰まってしまいそうだ・・・。」


一人で居る事に安堵と安息を覚えていた筈だ。
他人など煩わしいだけだと。
なのに、お前が居ないという、ただそれだけで、自分でも理解できない焦燥に駆られる。


手にある髪留めを握りしめ、漏らした私の呟きは、
虚しくこの空間に響いて消えた。


後編(ヒロイン視点)に続く